第25話 大人になった私達

 暖かな日差しに包まれた部屋の中、朝の訪れを告げる鳥のさえずりが聞こえて私は目が覚めた。


 目の前に見える景色は、もう何度も見て見慣れてしまった、豪華な装飾品あふれる部屋だった。その部屋の中心にポツンと一つだけ置かれている天蓋付きベッドの上に一糸纏わぬ姿で私はいた。


 隣にいるはずの男はもうそこにはおらず、私だけが寂しくこの部屋に取り残されてしまっている。


 勘のいい人ならもうわかっているとは思うけれど、改めて言おう。


 私は元の世界には帰れなかった。


 ちなみに学園に通っていた頃からもう七年も経っている。しっかり卒業もしたし、なんなら私はウィルと夫婦になり、もう王城で暮らしている。


 あの頃より伸びた髪は寝起きだからちょっとぼさっとしていて、声はあの頃より少し大人びた。


 この七年間、城での食生活のおかげで少し痩せ気味だったソフィアはすっかり標準くらいまでふっくらした。もちろんぺったんこに近かった大事なところも少しここにあるよと主張をするようになった。


 城で過ごせて良かったこともあったし、大変なことも辛いこともいっぱいあった。悩みだってある。


 そうなった経緯を、これまでの七年間のことを聞いてほしい。


****


 話は卒業前パーティーの次の日まで遡る。


 帰れると思っていた私にとって目が覚めた時に見えた景色が、寝る前に見た景色と何一つとして変わらなかったことの絶望感は本当にすごかった。


 あまりにも落ち込んでいる私に、心配したアメリアが何が起きているのかもわからないのにずっと励ましてくれていたのはいい思い出だ。


 ウィルが私を王妃にすると発表したその日から私の生活は一変した。これまで私に対して嫌がらせをしていた人たちのほとんどが、ウィルやルーカス王子、アメリアに頼み込んで私に対して謝罪をしに来た。


 グレースさんに脅されていたせいで、聖女であるルミエール様に嫌がらせをしてしまった、ごめんなさい。それがどれだけ罪深いことかわかっているので、許してほしいなんて言わないけど、できれば今後は友好的な関係を築きたいと思っている。


 謝罪の内容としてみんなこんな感じだった。なんだか、都合の良い人達だななんて考えながらも、みんなの前だから


「許します、仲良くしましょう」


なんて思ってもないことを言った気がする。


 ソフィアならそうするかなって思ったからっていうのも理由の一つにあった。


 ウィルには許さなくても良いんだよと、アメリアには絶対嘘ついてる人もいるよ!ソフィアを傷付けた人たちだよ?と言われたけど、その時は帰れなかったショックであまり考えられてなかった。ただただソフィアなら許すということだけで行動してしまった。


 でも許すと発言したおかげか、これまでの嫌がらせはピタリとなくなり、無視もされなくなりアメリア以外にも話せる人が増えてきた。王妃となった後に必要な人間関係はここでとりあえず持てたと思う。


 ただ、嫌がらせをしていた人たちの中で三人だけ自分の意思で嫌がらせをしていたと言っていた人がいた。


 それはロゼールさん達だ。


 彼女たちはグレースさんの無実を訴え、自分たちは指示されたわけでなく、自分の意志でグレースさんのために邪魔になる存在を消そうとしたのだと言った。ずっとそう証言し、グレースさんに対する捜査をしなおせと騒ぎ続けた結果、彼女達は犯罪に加担したとして処刑されてしまった。


 それほど、聖女を拐い傷モノにしようとした罪は重いようだ。その件には関わっていないはずであるロゼールさん達が、その犯人であるグレースさんを擁護しただけで罪の重さが変わってしまったのだから。


 処刑台でのロゼールさんの最後の一言は


「グレース様こそ王妃に相応しい!平民の聖女ごときに務まるものではない!国の母たる存在がそのような者ならこの国はいずれ滅びるぞ!!」


だった。


 そんな彼女達が命をかけてまで守ろうとしたグレースさんの処刑が決まったのは、皮肉にもロゼールさんが処刑された次の日だった。


 グレースさんの処刑までの間、忙しくて学園にウィルやエルデ先輩が通えないせいで私の身の安全が保証できないからとウィルは王子の権限を使って私を城に泊めてくれた。


 体調が悪いからと国王陛下と王妃様にお会いすることはできなかったけど、ウィルの方からちゃんと伝えておいてくれるとのことだったのでお任せしておいた。


 その時の私は陛下へのご挨拶よりもグレースさんの処刑をなんとか取り消せないかと色々と考えるのに必死で気にもとめていなかった。本当はその時にきちんと会っておくべきだったのに。


 グレースさんの処刑の三日前の夜、私は考えすぎたせいで眠れなくて泊めてもらっていた城の中を一人で歩いてまわっていた。


 そこで、私はフードを目深に被って顔を隠している怪しい格好をした人を見かけてしまった。後で考えたらすごく危険なことだったけど、気になってしまった私は気付かれないように後ろをついていった。


 怪しい人の後をつけてたどり着いた場所はグレースさんがいる地下牢だった。


 音を立てないようにこっそりと中に入ると、男女の静かに言い争う声が聞こえた。


「......また来たのですか?」


 中に入っていった怪しい誰かに向かって地下牢に閉じ込められているグレースさんはそう静かに言った。


「あぁ!姉上、こんなにもまた痩せてしまって!こんな所に居続けてはいけません!姉上、お願いです、僕と逃げましょう!このままこの国に留まっては殺されてしまいます。姉上と逃げれるよう準備は全て整えました。後は姉上が頷いてくれるだけです。」


 どこかで聞いたことのある気がする声がグレースさんを姉上と呼んでいる。グレースさんには弟がいたのかななんて考えるけど、仲良くなんてなかったから家族構成なんて知らないためにこの怪しい人が誰かがわからなかった。


 この怪しい人が誰かなのかも問題だけど、それよりも罪人だとされているグレースさんを逃そうとしている人がいるのが問題だ。


 グレースさんがここから逃げようとするならすぐにウィルに伝えないとと思いながら話を聞き続けることにした。


「それはできません」


 しかし、当の本人であるグレースさんはどうやら逃げるつもりはないようだった。


「なぜですか?!」


 助けに来た弟だと思われる怪しい男が驚きの声をあげる。どうして逃げないの?と私も思った。このままここに残ったら死んでしまうのになぜそんなに平然としていられるのだろうか。


「私はこの国の民にとって良き王妃になれと育てられてきました。この国のために命果てるまで尽くせよと。


しかし、私はそうなれなかった。ウィリアム殿下に信頼されず、護るべき民からも見捨てられる。私はいつも人にも自分にも厳しく接してきました。それが人の為になると信じていたからです。しかし、人々が求めたのは偽りの優しさでした。


それでも、それがわかっても私は態度を変えませんでした。優しいだけでは人は成長しませんから。


これはそんなわたしに対する罰なのです。」


 グレースさんのそんな言葉を聞くと、やっぱりグレースさんが犯人じゃなかったのではと思ってしまう。ウィルが集めた証拠を疑うわけでないけれど、少し気持ちが揺らいでしまった。


「姉上は悪くありません!姉上これまでウィル兄様の婚約者として次期王妃としてしっかりと努めていらっしゃいました!このような報いを受けるべきではありません!」


「これは国王陛下と王妃様がお決めになったこと。ノア様はそれに逆らおうと言うのですか?」


「それは!」


 ノア王子?!


がさっ


 グレースさんが呼んだ名前にびっくりして後退りしてしまった音が暗く静かな地下牢に響いた。


「誰だっ?!」


 普段なら考えられないほど大きな声でノア王子が叫んだ。そしてこちらに向かってくる足音がしたので私は急いでこの場から立ち去った。部屋にいなかったことが誰にもバレたくなくて急いで帰って眠りについた。


 私はこのことをウィルに伝えるか悩んだ。伝えれば、ノア王子がグレースさんの説得に成功したとしても逃げられることはないだろう。ただノア王子が罪人を逃がそうとした罪を問われることになるだろう。国のことを思うのであれば、国王になるウィルの意見や行動に反抗的な存在は消しておくべきだ。たとえそれが王子だとしても。


 それでも私はグレースさんがノア王子と逃げることを選ぶとは思わなかった。だから私はウィルにこのことを伝えることはしなかった。


 これが初めて私がウィルにした隠し事だった。


 そして三日後、グレースさんの処刑は滞りなく実行された。国民も見れるようにと広場で執り行われた。


 処刑場には多くの国民が来ていて、


“聖女を虐めた悪魔め!”

“お前のような王妃はいらない!”


などの言葉と石を投げつけていた。


 国民に対してこの処刑がどのように伝えられているのかは私にはわからない。でもこの光景で結構酷く伝えられていることがわかった。


 この場には当然の如くノア王子は来ておらず、王族でここに参加したのはウィルだけであった。処刑の寸前、ウィルはグレースさんの側まで歩いていき、何か少しだけ話してその場から離れた。今まで何があっても変わることのなかったグレースさんの表情が少しだけ歪んだ気がした。処刑台から私のいるところまではそれなりの距離があったから気のせいかもしれないけど。


 ウィルが何を話したかは結局七年経った今でもわからない。処刑が終わった後、こっそりウィルに聞いたけど、これといって特別な何かを話したわけではなく、別れの挨拶をしただけだと言われてしまった。


 処刑人がグレースさんに対して何か言い残すことはないかと問うが、彼女は何も返すことなく静かに空を眺めていた。


 周囲から早く殺せとの野次が飛びかう。


 そして、所定の時間になってこの近くの教会の鐘の音が鳴り響くのと同時にグレースさんの頭は地面に落ちた。


 遠くの空を眺めていたあの美しい紫の瞳は硬く閉ざされた瞼によってもう二度と見ることのできないものになってしまった。


 あの光景を私は今でも覚えている。


 それから数ヶ月が経ち私は学園を卒業した。卒業式の日、式が終わった私を門で待ち構えていたのは王族用の馬車に乗ってきたウィルだった。


 ウィルは私を見るなり優しく微笑んで手を振った。待たせてしまったと、私は焦ってそちらに駆け足で近寄って声をかけた。


「ウィルどうしてここに?」


「ソフィアを迎えに来たんだ。ソフィアはこれから王妃教育のためにも城に住んでもらうことになったんだよ。勿論、神殿にも話をしてあるから安心して私についてきて大丈夫だよ。さぁ乗って」


 差し出された手を取って私は馬車に乗った。そして流れていく景色を見ながら城へと向かった。


 城に住み始めてからは怒涛の勢いで物事が進んでいった。


 城に来てすぐの頃はまず城の構造を覚えることになっていた。案内してくれるメイドさんと一緒に色んなところを見て回り、三日かけて巡り、四日かけて城の隅々まで記憶した。泊めてくれていた時に見ていた範囲はほんの一部だったことがよくわかった。


 そして、それが終わった日に私のために手配された王妃教育の先生と礼儀作法の先生が来て今後の勉強内容と日程をウィルも含めて四人で考えた。


 休日は学園の頃と同じで土曜日と日曜日に設けられ、それ以外の日は朝から夕方までみっちりと授業が入っている。


 朝から昼までの時間は礼儀作法の先生と一緒に立ち方や歩き方、礼の仕方、話し方、食べ方などの作法を貴族としてだけでなく王族として人前に出ても恥ずかしくないようになるべく勉強した。


 昼食後から夕食前までの時間は王妃教育の先生と王妃として必要とされる知識を身につけることを優先した。貴族の名簿を覚えたり、この国の歴史を更に深いところまで学んだりした。


 ソフィアの体は記憶力も高いし、運動神経もそれなりにいいので物覚えがいいと、教え甲斐があると言ってもらえていた。それでも知らないことを覚えていくということや、今までの作法を矯正するということはやっぱり大変だった。


 そんな日々の中で唯一の楽しみだったのが、休日にあるウィルとのティータイムだった。私の好みを理解してくれているウィルが用意してくれているのでお茶もお菓子もどれも美味しくて楽しい時間だった。


 月曜から金曜までみっちり勉強して、土曜にウィルとお茶会、日曜はウィルに連れられて外出する。三ヶ月間そんな生活を続けていた。大変だったけど、この頃が一番楽しかったと思う。

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