番外編 第一王子の独白

 初めて微笑んだ彼女を見た時、まるで花の精霊が彼女の周りにいるのではと錯覚してしまったことを今でも覚えている。それだけ、彼女の笑顔に惹かれていたはずだったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。


 その日は暖かな春の日だった。


 私は編入生が来ると聞いてその顔を一目見ようと門へと足を運んだ。門に近づくと門の手前で立ち尽くしている少女がいることに気づいた。見慣れない雰囲気の少女だったためすぐに彼女が編入生だと分かった。


 もう少し近くで顔を確認したら話しかけずに教室に戻ろうと思って近づいた。王族である私が話しかければ相手は萎縮してしまうだろうし、不敬罪にならないかと怯えてまともに話すこともできないだろう。そんな風にしたいわけではない。私の好奇心で見に来ただけなのだから。


 しかし、そんな私の考えはねじ曲げられてしまった。何故なら少女の髪色が王族とその血縁者にしかほとんど現れないとされている輝く金色の髪ロイヤルブロンドだったからだ。この金色の髪ロイヤルブロンドは、王族の証であり、王位継承権を得るための一つの要素でもあった。これがなかったために私の弟の一人であるルーカスは幼い頃から実力関係なしに王位継承権を得られなかったほどのものだ。


 ほとんどと書いたとおり、これにはたった一つだけ例外がある。それが聖女の力を受け継ぐものであると言うことだった。


 この学園ではまれに編入生がいるため今日ここに来るまでその編入生が聖女であるなどと考えもしなかった。


 聖女ならば話は変わってくる。聖女をここで放置しておく訳にはいかない。どうやら困っているようだしここで手助けをしてほどよい関係を築いておくべきだと私は考えて、少し下を向いて動かない少女に話しかけることにした。


「初めまして、君が噂の編入生かな?」


 そう声をかけると少女はさっと顔を上げてこちらを見た瞬間再び固まった。私が第一王子であることに気がついたのだと思う。少し驚いた表情の少女に微笑ましくまたどこか新鮮味を感じながら私は自己紹介をすることにした。


「僕はウィリアム。第一王子のウィリアム・セレスティナだよ。君が今日転入してくる聖女で間違いないかな?名前を教えてくれるかい?」


 本当は編入してくる生徒が聖女だなんて今まで知らなかったし、なんなら先生以外誰も知らないはずだが、まだ確信も得られてないため少女にそう聞くことにした。


「ソフィアです、ソフィア・ルミエール」


 明るくてよく通る綺麗な声で彼女はそう名乗った。そのファミリーネームは歴代聖女に受け継がれてきたもので、彼女が聖女であることを表していた。


 思った通りだと私は内心安堵したと同時に彼女となんとしても親しくならなくてはならないと、漠然とそう思ったことを私は今でも覚えている。


 その時彼女は一人で門のところに立っていた。本来なら聖女が編入するとなれば一大事である。迎えの先生何人かを寄越して当然のなのだ。しかし、彼女はここで一人なのだ。


 後から知ったことだが、彼女は平民出身だった。どれほど不安だったことだろうか。周りは見知らぬ人ばかり、それに加えてその全てが自分より上の身分の者しかいない。誰にも頼ることもできなかっただろう。


 不安そうな顔で、それでもそこで立っていた彼女のそんな背景を知ることなく、私は己の立場のため彼女に近づくことを決めたのだ。それがどれだけその後彼女に迷惑をかけることになるなどと知らずに。


 私は彼女に案内役をかってでた。そこで私は普段なら絶対にすることはないが、つい無意識に手を差し出していた。


 少し遠慮がちに重ねられた手を握り彼女に微笑んでみせると、不安そうだった彼女が嬉しそうに笑った。


 この瞬間だった花の精霊が彼女の周りに花を散らしているかのような感覚に陥ったのは。その時私の胸の奥がどくんと音を立てた気がした。私がその時の感情の名前に気がつくいたのはそれからすぐのことだった。


 転入してすぐの彼女は慣れない環境に戸惑っていた。元々は平民出身であった彼女だが聖女であることから貴族専用の教室に参加することになり、今まで接することもなかったような上の身分の人間と同じ教室で学ぶことになった。


 頼れる人などいないようで、たまに教室の前を通るといつも他の人に遠巻きにされて教室の隅で一人でいた。


 寂しそうな顔をしている彼女を見ているとそばにいてあげたいと思うようになった。それが他の生徒から彼女が遠巻きにされる原因になるだろうとわかっていながら私は己の欲望を止めることができなかった。


 毎日昼食を共にした。ほとんどが側近も含めた四人での食事だったが、二人だけの時もあったし、同じクラスだからと仲良くなっていたルーカスが一緒だった時もあった。もう一人の弟のノアも時折挨拶のために彼女が来る前に顔を見せには来ていたが、あの子は共に食事を取ることはなかったと記憶している。


 婚約者持ちの貴族の男性と共に食事をとるということがどれだけ目立つことか、私たちにお近付きになりたいと思っている女生徒からどれだけ恨みを買うことか当時の私はあまり考えてはいなかったけれど、頭の中ではわかっていたのだと思う。


 今思えば、彼女が孤立すればするほど頼ってもらえるのだからそうなればいいと心の奥底では思っていたんだろう。


 ただあの時の私は何故とても優しい彼女が他の生徒から遠巻きにされているのだと憤慨していたのだからおかしいものではある。


 彼女に対する嫌がらせの主犯格が私の婚約者とルーカスの婚約者だと知った時は怒りが抑えきれなかった。


 二人とも幼い頃に親によって決められた婚約者でそこに恋愛感情なんてものは一つもなかった。ルーカスの方がどうだったかは知らないが後に婚約破棄していたことから特にそれといった大きな感情は持ち合わせていなかったのだろう。


 グレースは口を開けばすぐ“次期国王たるもの”だの“王子としての品格を”だの注意ばかり。昔からほとんど無表情でいつも怒ったような声色で注意ばかりしてくるグレースに恋愛感情なんて芽生えるはずもなかった。


 しかし、グレースの実力は認めていたのだ。だからこそ、恋愛感情がなかったとはいえ、いずれ国王と王妃としてこの国のために共に力を合わせてゆくいわば戦友のようなものだと思って信頼していたのだ。


 私の信頼を裏切った人間など私の側に必要ないと思った。調べれば調べるほど出てくる証拠をかき集め、グレースに私は婚約破棄を証拠と共に突きつけた。


 これだけの証拠がありながらグレースもその友人も罪を認めることはなかった。罪を認め謝罪することができるのであれば、私は彼女らを許そうと思っていた。そして、ソフィアと仲良くしてくれるのであれば共に歩む事ができると思っていた。


 だが、グレースはそんな私の考えを嘲笑うかのように一言“ごきげんよう”と残してその場を去った。あぁ、本当に残念だ。


 その後の私はとても忙しかった。グレースの処刑に加え、グレースの犯罪に加担していた者たちの炙り出して処罰を与えること、それらの捜査や準備をしていたので学園に通う余裕がなくなってしまった。


 それでもなんとか全ての捜査と準備を終えて、遂にグレースの処刑の日となった。本当なら私一人で行く予定だったが、ソフィアがどうしても最後まで見届けたいと言ったので仕方なく今日この場にいることを許可した。


 彼女は優しくて最後までグレースのことを憎みきれなかったようだ。そんなソフィアにグレースが余計なことを言ってしまっては、これまで私が準備してきた全てが無駄になるかもしれないので、グレースに気付かれないくらい遠い場所にいてもらうことにした。


 当日処刑寸前に私はこれまで婚約者だった者グレースに冥土の土産として最後に手向けの言葉この物語の真実をかけてやろうと思い処刑台で死を待つグレースに近寄った。


 私を見たはずのグレースが何もなかったかのように空を見上げ続けていたことに少しだけ腹が立ったが、感情を表に出すのは王子として良くないことだと感情を抑え込んで、処刑人を少しだけ下がらせて話しかけた。


「気分はどうだい?」


 そう声をかけても澄んだ紫の瞳が私を見ることはなかった。


「ふむ、私なんかと“話したくない”ということだね。勿論、構わないさ。でも私は君に“お礼”が言いたくてね。」


「.....?」


「他人に厳しく、常に無表情な君を支持する人がほぼ皆無だったおかけで私の計画は上手くいったよ。ありがとう」


「...」


「私は常々君との婚約に不満を抱いていてね。ただまぁ他に気に入った人間もいなかったし、新しく人間関係を作るよりはいいかと妥協していたが、三年になってソフィアという真実の愛に出会えて彼女だけを王妃にしたいと思ったらね、結果君の存在が邪魔になったんだ」


「...!」


「だからね、ソフィアに対する嫌がらせの件で、皆が自分の身を守るために嘘をついて君に罪を被せていることを知っていたんだが、君と婚約破棄するのにちょうどいいと思い利用させてもらったよ。


優しく純粋なソフィアを騙しているようで少し苦しくなったが、彼女のためにも君が存在することは良くない争いを生みかねないからね。必要悪さ。


君だってそう思うだろう?」


「............」


「そういえば、君は君のために死んだロゼール・スティラ嬢、ニナ・シンティッラ嬢、エミー・カルクス嬢の三人のことはどう思っているんだい?


あの子達は本当に可哀想だね、君なんかを庇ったばかりに処刑になってしまって...。


いくつか君が無実である証拠を持っていたそうだが、死んでしまっては......ねぇ?」


「....っ」


「どうだい?散々無能王子だと馬鹿にしてきた人間の掌の上で転がされていたと知った気分は。


何か言ったらどうかな?


あぁ、そうだった“話さない”じゃなくて“話せない”だったね。余計なことを話されたら困るから私が指示を出して喋れなくしたんだった。まぁ、話せなくても今の君の表情で私は満足だよ。


それじゃあそろそろ時間だ。


さようなら、グレース。


もし君に“来世”というものがあるのなら、今度こそ幸せになれるといいね?」


 私はそう言い残してその場をさった。その後すぐに3時を告げる鐘がなり処刑は無事に執行された。


 ようやく私の待ち望んだ時が訪れたと、私は一人歓喜した。愛する人を王妃として迎え、二人で支え合いながら父上のように国を運営する、なんて素晴らしいことなんだろうか!


 しかし、罪なき者を死なせた罰か、そんな幸せな時間は長くは続かなかった。


 卒業してソフィアが城に住み王妃教育を受け始めてから約三ヶ月経ったある日、唐突に両親が亡くなった。


 引き継ぎの準備などほとんどされておらず、わからないことが多いまま私は王位を継ぐことになった。まさか国王になって初めての仕事が愛する両親の葬式なんて、本当に最悪だ。


 葬式もその後の執務も母上の弟である叔父様に教えてもらいながら私は国王としての務めを果たすことで精一杯になっていった。


 急に王妃となった彼女も同じで、学園の授業で貴族としての立ち振る舞い、王妃教育で礼儀作法やマナーなどは学んでいたが、まだ王妃としての仕事は学んでなかったようで侍女長や執事長などの城の業務につく者たちから色々なことを学びながら私のサポートをしてくれていた。


 それを嬉しく思う反面、少しなんとも言えない気持ちになったことを私は覚えている。


 お互いやることばかりで、二人きりの時間は週に一度の決められた日しかないほどに忙しい日々を過ごしていた。卒業してすぐの忙しいけれどお互いに時間を作って楽しく語り合っていたティータイムが懐かしく思える。


 そんな日々が数年続いたある日、彼女が体調を崩した。何をするにも体がだるく動かない、気持ち悪くなるなどと言って仕事をすることがままならなくなっていった。

 

 それでも王妃にしかできない仕事は、側付きのメイドに手伝わせてやっているようだった。


 それ以外の仕事の多くが私に回ってきていたが、彼女の体調が良くなるならこれくらいなんてことないと、彼女の体調が良くなるまで頑張ろうと思った。


 そんな私の思いとは真逆に彼女の体調はなかなか良くならなかった。


 心配になって見舞いのために彼女の部屋にいくと、中には通されず微かにドア越しに彼女の咳き込む音(今になってわかったがあれは吐いている音だったと思う)が聞こえた。

そしてドアの前には少し前の彼女の誕生日に私が送った花が部屋から出されていた。


 受け取った時とても喜んでいて、彼女はこの花を気に入っていたはずなのにと思い侍女に聞くと、匂いで気分が悪くなると訴えられたので外に出していると言われた。そして男性の医者も仲が良かったはずの執事長でさえも匂いが無理だから入ってこないで欲しいと言われていたようで医者はこの国では珍しい女医を呼んでおり(その日知ったことだが)出産が終わるもしくは悪阻というものが落ち着く時期までは会えないようだった。


 そこから数ヶ月経って一度だけ会える時間が作れて、女医からも許可が降りたので私はソフィアの部屋まで会いに行くことにした。


 部屋の中に入るとソフィアはベッドに座っていた。大きくなったお腹を愛おしそうに撫でる彼女の顔を見たとき私の中の彼女への想いがすーっとなくなっていくのを感じた。


 私の愛した女性がもうそこにはいないことがわかったからだ。あの時私が好きになった笑顔はもうそこにはなかった。


 頼れる人もいなくて、いつも不安そうだった彼女。私といる時だけは安心できるようで、なるべく私のそばにいるようにしていたか弱い彼女はいない。彼女は私の両親が亡くなった時から少しずつ強い女性になっていった。


 私に向けられるはずだった愛はその腹の中にいるイキモノに向けられている。彼女の一番が私ではなくなった。


 そう思った時ようやく私は気づいた。


 私は誰かに必要とされていたいのだと。


 誰かにとっての一番であり続けたいと思っていたことを。私なしでは生きられないと思っていて欲しいのだと。


 そしてその心を満たしていたのがソフィアであったことを。しかし、ソフィアは王妃となったあの日から少しずつ変わっていった。責任感の強いソフィアは王妃になったからには国民にとって良き王妃になろうと必死で努力した。その結果、己の意思をしっかり持った女性になった。そしてさらにお腹の中の子の親となり、その子を守るために強くなった。


 ひとりぼっちで頼る人が私しかいなかった時とは違い、彼女の側に彼女のためを思い行動する人間が増え頼れる人ができてしまった。私が愛したソフィアはもういない。


 その日私は話もそこそこにその部屋から退出した。そして、後に生まれた子供が女の子であることを知ったが、その子供に会いに行くどころか名前もどんな顔に育ったのかも私は最後まで知らなかった。


 そんな感じで私とソフィアの心の距離は離れていった。彼女に対して感じる違和感、愛していた頃の彼女との違いに、少しずつ無くなってきていた彼女への愛情はその日を境になくなった。


 そこから私は彼女と会うことはほとんどなくなっていった。会うのは側近や貴族に後継ぎの男児を求められた時だけにし、必要がない時は存在さえも忘れるくらいだった。そのかわり何人かの女性たちと会うことが増えた。


 愛した婚約者を若くして亡くし、一人寂しく女当主として一族を守る女性。


 名家の生まれであるがために、女は仕事をするなと、結婚しろと言われてデザイナーになれなかった女性。


 歌と踊りに天性の才を持っていて歌手になりたいけれど、家のことを思うと夢を追うことを諦めていた女性。


 どの人も私がいなくてはダメだと思える存在だった。私を一番に必要としてくれる存在だった。それでもどこか満たされず、私はこの心に空いた穴にはまるヒトを求め続けた。


 その結果がこれだ。


 グレースを処刑した日のちょうど七年後の同じ日同じ時間同じ場所で、グレースを処刑した断頭台を私はぼーっと眺めていた。


 一体どこで何を間違えてしまったのだろうか。


 ソフィアではない人を求めた時?


 まだ十分に二人の間の信頼関係を築けていないのにソフィアと早くに子供を作ってしまった時?


 グレースの処刑を決めた時?


 ソフィアを好きになってしまった時?


 そもそもソフィアと出会ってしまった時?


 わからない。何がいけなかったのだろうか。私は王、私の決定が全て。そうであるべきなのだ。


 そんなこと考えていると断頭台に登る時が来たようで私は兵士に促されるままに登った。この人生が終わる時間が来るまでこれまでのことを考えていようと決めた時、私の元へ一人の人間が近寄ってきた。


 それは私の母の弟であるジェームズ伯父上だった。来てすぐに伯父上がソフィアもこのどこかで私の処刑を見ていると言ったので私はきょろきょろと辺りを見渡してソフィアを探した。しかし、見つからず気を落とした。そんな私を見た伯父上はため息をついて、頭を抱えた。


「残念だよ、ウィリアム。


折角この私が、無能で王になる資格もないような君が王になれるように、君が愛するソフィアと結ばれるように手助けしてあげたというのにこんなにも早くその座を奪われてしまうなんてガッカリだ。」


「それはいったい...」


「はぁ、それもわかっていなかったというのか。その足りない頭で少しは自分で考えてみるといい。死ぬまでの間にな」


 そう言って私の返答を待たずして去ってしまった。


 取り残された私は一人叔父が協力してくれたことを思い出しながら考える。そして一つの結論に辿り着いた。


「まさか...」


 そう呟いた瞬間私の人生はそこで幕を下ろした。





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