第31話 満たされない男
日曜日。国民の大半が休日を満喫するこの日は、町が賑やかになる。それを喧騒と呼び忌み嫌う人もいるが、平和な証拠だと喜ぶ人もいる。人気俳優の北岡翔こと三木博は、典型的な前者の考え方をする人間だった。
だが、今は違う。その喧騒が耳に入る度、恐怖に背中を押されてしまう。一歩、また一歩と。自分の死へ向かう一方通行の道を進んでしまう。そしてその先には、大勢の人々が逃げ惑う姿が見える。その中心には、炎上した自分の愛車がある。当然、自分はその中にいるだろう。
そんな想像するだけで身震いする未来が、刻一刻と迫っていることを、体の奥底から聞こえる時計の音が報せてくる。このまま車に乗っていては危ない。三木の全身の細胞がそう訴えかけてくる。
しかし、逃げられない。三木が車から降りると、今目の前にいる連続殺人鬼の安達勝也によって、人でごった返すこの大通りが血で染まることになる。向こうを歩く幸せそうに互いを見つめあうカップルも、父親に肩車されて満面の笑みを見せる四歳ほどの子どもも、両親への日頃の感謝を込めたプレゼントを買おうとしている善良な若者も、全員が地獄を見る羽目になる。
家族が死んだトラウマに囚われ続けた三木にとって、同じ思いをする人を増やすことだけは、何としても避けなければいけなかった。
そこからの三木の行動は早かった。まずは消防団の団長に事情を知らせる連絡をし、早急に鎮火することを求めた。消防団は一斉に活動を活発化させ、三木のアカウントには、三木を擁護するコメントや逆に炎上に加担する人々に対する否定的な意見が大量に投下された。
“三木さんは、放火犯なんかじゃない”
“皆、北岡翔が演じてきた役を思い出してよ。皆、その演技で勇気づけられてきたんじゃないの? それを手の平返して、犯罪者だと放火犯だの殺人犯だと、恥ずかしくないの?”
だが、火の勢いが収まる気配はない。
次に、自身もヒノボルで疑惑を完全に否定する投稿を行った。でも、それはむしろ逆効果だった。“嘘をつくな”や“素直に認めれば、許してやったのに”といった上から目線のコメントで溢れ、火の勢いはますます強まるばかりだった。
三木に聞こえる時計の音も、その速さを増していく。
「三木くん、どうしたんですか。そんな調子だと、体燃えちゃいますよ。あらら、可哀そうに。周りにいる人は何も知らず、突然車が爆発するなんて悲劇に巻き込まれちゃうんですね。それもこれも、三木くんのせいですよ」
安達は言葉遣いこそ丁寧だが、その実この状況を楽しんでいることは、声色からすぐに判断がついた。三木は思考を巡らせた。
このままでは、全てが安達の思う壺だ。なんとかして、状況を打開しないといけない。でも、そんな方法ってあるのかな。ヒノボル上では、もう僕が犯人だっていう空気感が出来上がっている。それに対して本人が否定したところで焼け石に水、かえって煽る結果になった。じゃあ、消防団に頼るしかないのかな。……いや、駄目だ。このまま擁護し続ければ、いずれは彼らが攻撃対象となる可能性もあるし、僕と繋がりがある人だと分かれば直接的な被害も出るかもしれない。僕のために、そんなリスクを負わせるわけにはいかない。じゃあ、一体どうすれば?
考えに考え抜いたが、結果として答えは出なかった。その間も、火の勢いは更に強まり、聞こえてくる時計の音も早くなっている。
「なんだ、もう終わりか。思ってたよりあっけなかったな」
「……僕に、何を期待したの」
三木が溜息交じりにそう言うと、安達はそれよりもはっきりと大きな溜息をつき、蔑むような目で三木を見つめて言った。
「私の予定だと、まだ三木くんは死ぬ予定ではなかったのですよ。ここでもしぶとく生き残り、最期の大仕掛けで自ら死を選ぶ。その予定だったんですが、私が思うより、三木くんは人望が無かったようですね。残念です」
「最後の大仕掛け? なに、それ」
「まあ、もう機能しないようなので教えて差し上げましょう。私が望んだのは、三木くんと井寺さんを同時に炎上させ、どちらか一方が犠牲になれば、どちらか一方が助かるという状況を作ることでした」
「そんなことして、なんになる」
「あなたたち二人は、互いに大切な誰かを守るためにこのゲームを止めようとしています。三木くんの場合は中峰さんや今水木さん、井寺さんの場合は彼女の岬さんです。当然、自分が死んでは誰もその人を守る人がいなくなるので、先ほどの条件になれば、それぞれが自分の生に執着することになるでしょう。それこそ、三木くんと井寺さんの人生の中で、最も輝く瞬間ですよ」
安達は恍惚の表情を浮かべ、天を仰いだ。まるでそれが至上の喜びだとも言いたげなその態度は、やはり目の前にいるのは人間の姿をした化け物だったのだと、三木に改めて思い知らせた。
「でも、三木くんは私の期待してくれるものを見せてくれませんでした。がっかりです」
「……悪かったね、期待外れな男で」
「問題ありません。既に変わりは手配してありますから」
そう言って笑う安達を見て、三木は言い知れぬ不安に襲われた。このゲームの生存者の内、次に安達が目をつけそうな人間は、井寺と桜井意外に考えられなかった。そして桜井もまた、妹のまなを守るために死ぬわけにはいかない人間だということも、三木にはすぐに分かった。
「駄目だ、良平と歩だけは巻き込まないでやってくれ。歩の妹は、ゲームに関係ないんだ。まなちゃんは病弱だから、もう先は永くないし、せめて静かに余生を――」
「へえ、桜井さんには妹さんがいるんですか。……それも、病弱で守ってあげたくなるような、うってつけの妹さんが」
安達の言葉に、三木は開いた口が塞がなくなった。
「ははは。恋人というのは、やはりどこか似ている人を相手に選んでしまうんでしょうかね」
安達が三木の感情を逆撫でするようにそう言ったが、三木はそれに対して反応することができなかった。力なく背もたれに体を預け、ただその時が来るのを待った。
「……はあ。これがあの、三木幸子の息子ですか。最後まで、期待外れだったな」
「お前が、気安くお母さんの名前を呼ぶな!」
「おっほっほ。まだそんな元気がありましたか、いいですね。それでこそ、最後まで自分ではなくあなたや娘の生に執着した、お母様が報われるというものです」
「お母さんが……俺を?」
「ええ。私が何度刺しても、自分はどうなってもいいから娘や息子を助けてやってほしいと。そう、泣きつかれましたよ。私としては、非常に不本意でしたが」
「お前……だからあの時、逃げなかったのか」
「私としては、輝かせるのを失敗した、最初で最後の人があなたのお母様でしたから。その息子であるあなたには、必ず輝かしい最期を迎えてもらう必要がありました。ただ……また私は失敗したようですね。不甲斐ないばかりです」
不甲斐ないばかり。
そう言い残すと、安達は三木に背を向けて何処かへと姿を消した。恐らく建物の物陰などからこちらの様子をこっそり伺い、安全な場所から三木が死ぬのを確認しようとしているのだろう。そんなことは、百も承知である。
だから三木は車から降りることなく、スマートフォンで自身の炎上の様子を観察し続けた。そして、あることに気付いた。消防団の活躍もあって、自分を取り囲む火の勢いはかなり落ち着いてきている。それなのに、聞こえてくる時計の音は一向に遅くならない。これは一体、どういうことなのか。
炎上メーターは、文脈を無視して単語で判断している。だから幾ら消防団が“○○ではない”と否定する投稿を増やしても、それは炎上メーターから見れば、他の炎上を加速させる投稿と区別がつかないということだ。
三木は、早速そのことを井寺に電話で知らせた。井寺も半信半疑といった様子だったが、三木の迫真な様子を察して理解を示してくれた。
「君たちは、死なないでね」
最期の言葉は、これに決めた。三木は井寺との電話を切ってすぐ、運転席に乗り移って窓を開け、大声で奇声を上げながら大通りを爆走し始めた。周辺の車にも異変が伝わるよう、クラクションを引っ切り無しに鳴らす。
頼むから、僕から離れてくれ――そう思いながら一心不乱にアクセルを踏み、ハンドルを握り続けた。やがて、体内から何かが湧き上がってくる感覚を覚える。気付けば、先ほどまで精神を蝕み続けていた時計の音が聞こえない。その内、自分の規制も聞こえなくなった。ハンドルから手が自然に落ちる。危険だと思ってアクセルから足を離そうと思っても、足が思う通りに動かない。自分がハンドルに倒れこみ、けたたましいクラクションが聞こえる。そして次の瞬間、とてつもない衝撃が体を駆け抜けた。
轟音。
悲鳴。
遠のく意識の中、三木が最後に聞いたものだった。
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