第24話 ネットとリアル

 安達との電話が切れた後、井寺は走り出した。安達の最後の不穏な言葉。間違いなく、岬に危険が迫っている。井寺は全力疾走しながら、大慌てで岬に電話をかけようとする。しかし、五回ほど、電話をかける相手を間違えた。

 電話帳から岬の連絡先を選ぶ。そんな普段なら造作もない慣れ切った行動ができないほど、手元が震えていた。耳元に当てたスマーフォンから聞こえるコール音が、永遠に続くように感じる。普段なら三コール以内に必ず出る岬が、こんな時に限って五回コールしても出ない。井寺の頭に、最悪の展開がよぎる。

 間に合ってくれ――その願いが通じたのか、ようやく岬が電話に応答した。

「もしもし?」

 電話口の向こうからは、いつもの能天気な岬の声が聞こえる。ずっと連絡していなかったから心配だったが、どうやらここ数日の間に元の調子を取り戻したらしい。

「岬。変わったことは無いか」

「え、急にどうしたの」

「いいから、何か変わったことは無いか。家に変な人が来たとか、変な電話がかかってきたとか。なんでもいい」

「いや、特に何もないけど……。それより、りょうくん無事だったんだね。よかった。ずっと連絡無かったから、心配してたんだよ」

「あ、ああ、それはごめん。何してるか話したら、逆に心配かけちゃうかと思ってさ」

「……なんか、声がすごい途切れて聞こえるんだけど、ひょっとして走ってる?」

「あ、ああ。まあな。とにかく、今から家に行く。俺が行くまで、絶対――」

 井寺がそこまで言った時、その耳に僅かに、扉をノックするような音が聞こえた。背中に悪寒が走る。岬の兄の佐が帰ってきたのならば、合鍵を使って部屋の中に入るはず。だとしたら、もう安達が岬のもとにやってきたというのだろうか。

「あ、ごめん。ちょっと待ってて。お兄ちゃん帰ってきたみたいだから、玄関開けてくるね」

「駄目だ岬、絶対開けるな」

「え、なんで」

「なんでもいいから、とにかく俺が行くまで絶対に玄関を開けるな。分かったな!」

 珍しく強い口調で言う井寺に押し切られるような形で、岬は玄関を開けないことを了承した。その後井寺はすぐに電話を切り、ただひたすらに岬のマンションへと急いだ。

 やがて岬のマンションに辿り着くと、その玄関先には呆然と空を眺めて立ち尽くす佐の姿があった。その足元にはパンパンに詰まったスーパーのレジ袋が二つと、中身がぐちゃぐちゃになっている佐愛用のカバンが置かれていた。

 佐は井寺の姿を見るや否や顔を顰め、濁った太い声で、ただ一言こう言った。

「久しぶりに岬に連絡したと思ったら、俺を締め出すように言ったらしいな。……どういうことか、説明してくれるか」

 井寺はそんな怒れる佐に軽く謝罪し、とにかく今は岬の無事を確認することが先だと主張した。最初は佐も取り合おうとしなかったが、井寺と一緒に来ていた桜井からの説得もあり、ようやく玄関扉から背中をどけた。

「あの、開けてもらってもいいですか」

「合鍵を持ってるなら、とうの昔に入ってんだよ。忘れたから岬に頼んで、ドアを開けてもらうように頼んだんだろ!」

 そこで井寺はようやく状況を理解し、岬に電話をかけて、玄関の扉を開けてもらった。

「あ、お兄ちゃんごめんね。りょうくんが、俺が来るまで絶対開けるなって言うから」

 岬が謝罪の言葉を述べるも、佐は誰とも目を合わせることなく、部屋の奥に消えていった。それを見た岬は大きく溜息をつき、少し引きつった笑顔を見せながらこちらに振り返って、桜井の方を指さして名前を尋ねた。

 突然玄関を開けるなと言われたり、知らない男が家に来たりと、不自然なことが立て込んで困惑しているようだった。それを察したのか、桜井はとても丁寧で優しい口調で話し始めた。

「初めまして。わたくし、井寺くんの親友の桜井歩と申します。いやー、井寺くんの彼女さんですよね。よく惚気話を聞かされていましたが、こんなにお綺麗な方なら、そりゃあ惚気たくもなりますよね。今、ようやく井寺くんの気持ちが分かった気がしますよ」

「そ、そんなことありませんよ」

「いえいえ、井寺くんが羨ましい限りです」

 桜井の褒め殺しに岬が頬を赤く染めて体をモジモジとし始めると、井寺は桜井の腕を引っ張って体を反転させ、岬に背中を向けさせた。

「まさかお前、岬を口説こうとしてるわけじゃないだろうな」

「なにを馬鹿なことを言ってるんだ」

「そうか、そうだよな」

「俺のかわいい妹を誑かそうとした罰だ」

「やっぱり口説こうとしてる――」

「ねえ、何の話してるの」

「あ、いや、なんでもない」

「井寺くん、俺が岬さんのことを好きになったんじゃないかって心配してるみたいです」

「キャッ……」

 リンゴよりも赤い頬に両手を添えて恥ずかしがりながら、岬は二人を自分の部屋へ案内した。正直井寺は、これだけ女心を手に取れる桜井が羨ましかったが、それを表には出さないように、出来るだけ凛々しい顔つきで振舞った。

「それで、急にどうして家に来たの? ……あのメールのこと、何か分かったんだよね」

「それは……その……えっとね」

「岬さん、落ち着いて聞いてください。あのメールに書いてあることは、本当です」

 桜井が単刀直入にそう言うと、岬は驚きのあまりのその場に崩れ落ちた。

「お前、なんでそんなこと言うんだ」

「この状況だ。岬さんにもすべて話して、自分でも身を守ってもらった方がいいだろ。本当のことを教えないのは、優しさじゃなく嘘だ。いつか、それできっと痛い目を見る」

「残酷な真実を告げるためには、タイミングってものが大事でしょうが」

「何かをするのにベストなタイミングなんて、俺たち人間に分かるわけないだろ。俺たちには、十秒先のことだって見通せないんだからな」

 井寺にそう言うと、桜井は崩れ落ちた岬の肩を抱き、優しく語りかけ始めた。

「でも、安心してください。井寺くんの呼びかけに応じて、今いる六人の生存者の内、五人は味方になってくれました。お互いを炎上させず、全員で生き残ることを選んでくれたんです」

「……でも、最後の一人はまだ協力してくれてないんですよね。それにその人たちが裏切らないなんて保証も、何処にもありません。安心できる材料なんて、何一つないじゃないですか」

「確かに、岬さんの言う事は正しい。それに、会ったこともない人のことを信じろという方が無理がある。だから岬さんは、井寺くんのことを信じてあげてください」

 桜井がそう言うと、岬は顔を上げて井寺を見た。そこにはバツが悪そうに体を左右に揺する、頼りない井寺の姿があった。

「こんな頼りなさそうな馬鹿ですが、岬さんを守るためなら彼はなんだって出来る。現に彼は、身の危険を承知でゲームの参加者たちに会いに行き、堂々と本名を名乗っているんです。名前を知られることが今どれだけ危険なことかは、岬さんも分かるでしょう。俺にだって、そんなことできない。でも、だからこそ仲間になってくれた生存者たちは、井寺くんのことを信じて協力してくれたんです。岬さんも、彼の正直なところに惹かれたんじゃないですか」

「それは――」

「彼を、彼が信じている仲間のことを、一度だけで構いません。信じてみませんか」

 そんな桜井の提案に岬が涙を流しながら首を縦に振ったその時、台所の方から大きな物音が聞こえた。すぐに井寺は桜井に岬のことを任せ、台所の方へ様子を見に行った。慎重に物陰に隠れながら移動する井寺。壁の角を利用してそっと台所の中を覗くと、床に血が広がっていることに気付き、同時に食器棚の影から見える誰かの足を認めた。

 井寺は慌ててその足に駆け寄る。そこには、頭から血を流して倒れている佐の姿があった。井寺は大急ぎで救急車を呼ぼうとしたが、岬の部屋にスマートフォンを忘れたことに気付いて来た道を戻った。

 だが、変だ。井寺は部屋を出た時、確かに扉を閉めた。しかし今、部屋の扉は半開きの状態になっている。台所からここに来るまで、桜井にも岬にも出会ってはいない。

 最悪の光景が、井寺の脳裏をかすめた。すぐさま扉を開け、部屋の中に入る。

「ああ、井寺さん。遅かったですね」

 そこには、血まみれの金属バットを持った安達の姿があった。足元には、桜井と岬が倒れている。どちらも頭に重い一撃を喰らったようで、相当量の出血が見られた。

「なにしてるんだ、お前!」

「おっと、まだあなたを殺すつもりはありませんよ。それは勿論、台所で寝ている男の人も、私の足元で寝ているこの二人も同じことです。私は、人を殺したいわけじゃありませんからね。今すぐに救急車を呼べば、皆助かりますよ」

 そう言って安達は窓を開けて下を確認し、再度井寺の方を振り返った。

「井寺さん、まだ下準備は終わっていませんよ」

「……なに?」

「これから井寺さんのせいで、二人の人間が死ぬことになります。井寺さんが選択を間違えたせいで死ぬ、可哀そうな被害者たちが生まれるんです。楽しみにしておいてくださいね」

 そう言い残し、安達は窓から飛び降りた。井寺はすぐに窓から身を乗り出して、下を見下ろした。そこには、排水管などを巧みに使って安全に地面に降り立つ安達の姿があった。

 追いかけたい思いもあったが、ここで安達のことを追いかけてしまえば、安達の言う通り、自分が選択を間違えたことで岬や佐、桜井たちが死んでしまうことになる。そう思って踏み止まり、落ち着いて消防への通報を行った。

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