第19話 動き出す殺人鬼
潮風に吹かれたながら九十九里浜を優雅に歩く鈴木こと、安達勝也の元へ一本の連絡が入った。それは、自分が殺すために富摩昭雄を連れ出している間、井寺と桜井の尾行を任せていた部下からの連絡だった。
「それで、あいつらの行動は」
「はい。中峰っていう女と別れた後、二人は北岡翔のサイン会に出向きました」
「サイン会?」
「はい。でも既に参加するために必要な写真集は売り切れだったんで、参加できませんでした」
「それで、トボトボ帰ったってわけか」
あまりに興味を惹かれない電話内容に、安達は思わず欠伸を漏らす。辺りを見渡し、なんだかいい雰囲気を醸し出す階段があったため、上の砂を払ってそこに座った。目の前には、荒れ模様から一転して落ち着いた海。そして、何処までも続きそうに思える水平線の向こうに、夕日が沈んでいく。
ああ、なんと美しい景色だろうか。こうして、今日も一日が終わる。
そうして自分の世界に浸りそうになった安達の意識は、電話から聞こえてきた部下の一言によって、一瞬で呼び戻されることになった。
「それがあいつら、女性店員を口説いて、強引に関係者通路へ入って言ったんですよ。その後そこに、北岡翔も入っていきました。それから最低でも十五分は中にいたから、きっと北岡のサインをもらったんだと思います」
「強引に関係者通路まで入った?」
何故そこまでする必要があるのか。それほどまでに、北岡翔のサインが欲しかったのか。いや、そもそもなぜこんな非常事態にそんな場所へ出向く必要があったのだろう。自分たちの死期を悟り、最後に憧れの人に会いたかったのだろうか。
いや、それにしてもあまりにリスクのある行動だ。炎上すれば自分たちが死ぬと分かっているのに、一人の女性の気持ちを弄んだ挙句に、本来入れないはずの場所に侵入している。そして人気者に会い、不当にサービスを享受した。誰かに一部始終を見られ、それを撮影した動画をヒノボルに投稿されようものなら、一瞬で炎上することは間違いない。
確かに、井寺の馬鹿さ加減から考えれば、そんな無茶で無鉄砲なことをするかもしれない。だが、桜井はそんなリスクある行動を取るだろうか。
まだ数度姿を目にしただけのためはっきりとしたことは言えないが、こちらが把握していない弱点でもない限り、そのような行動を取るとは思えない。井寺のペースに飲まれたとしても、もう少しましな手段を考えるのではないだろうか。
では、なぜそんな無謀なことをしたのか。
「でもあいつら、なんか失礼なことしたんでしょうね」
「ん? どうしてそう思うんだ」
「だって帰るときの北岡、近くの公園でデモ行進が起こってるから、荒川区でのドラマ撮影が延期になったって話を付き人がしたら、滅茶苦茶怒鳴ってましたよ。なんか、喧嘩でもしたんじゃないですか」
そこまで聞いて、安達はすべてを理解した。
井寺は富摩に会いに来た際、ゲームを止めるためにと協力を要請していた。恐らくはゲーム参加者全員を仲間に引き入れ、互いを殺し合わせないように働きかけることで、このゲームが進行しない状況を作り出すことが目的だろう。行動を共にしているということは、桜井もその意見に賛同していると考えるのが自然だ。
だとしたら、その仲間集めは早急に行う必要がある。さっさと仲間を作らないと、せっかく作った仲間を殺される心配があるからだ。だから井寺と桜井は、無謀な行動をしてでも北岡翔に会いに行ったのではないか。
つまり、北岡翔もゲームの参加者ということだ。そしてこの前送られてきた現在時点での生存者リストの中で、未だ正体が明らかになっていないのは九条岬と三木博のみ。北岡翔が男性であることは確実なので、彼の本名は三木博だろうと予想がついた。そしてその名前が、遠い記憶の中にあることも思い出すことができた。
「分かった、報告ありがとう。今日は直帰していいから、明日からは自分の仕事に戻ってくれ」
「分かりました。それじゃあ、お先に失礼します。お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ」
安達は電話を切ると、そのままスマートフォンを海に投げ捨てた。大きな水しぶきと共に、音を立ててスマートフォンが海の中に沈んでいく。だが安達は、落ち着いた様子でポケットからもう一台のスマートフォンを通りだし、何か検索し始めた。
「明日の北岡翔のイベント情報は……ああ、明日も別の書店でサイン会があるのか。それじゃあ、そこにお邪魔しようかな。ちゃんと、手土産も忘れずにね」
そして、翌日。安達は、北岡翔のサイン会会場へと来ていた。しかし、サイン会が始まるまでにはまだ一時間ほどの時間があった。
「ちょっと、早く着きすぎたかな。まあ、いっか」
そう言って安達は、しばらく本屋の周りを観察した。やがて、駐車場に一台のトラックが停車した。書籍を搬入しに来た、業者のトラックだ。運転席から降りた作業員が、大慌てで観音開きのリヤドアを開けて作業を開始する。
それを確認すると、安達はすぐに荷台の中へと侵入し、中で作業をしていた男性作業員の背中に飛び蹴りを喰らわせた。作業員は抵抗する間もなく、荷物の上に吹き飛ばされる。痛がる作業員を見て、安達はゆっくりとリヤドアを閉めた。そして暗闇に包まれた荷台の中で、安達は作業員を何度も殴打した。作業員は必死に抵抗しようとするも、振り下ろされる安達の拳には、迷いも容赦も何一つ無い。死への恐怖。それが、作業員の頭の中を支配した。
作業員からの抵抗が無くなってからも、安達は念のために五発ほど追加で殴ってから、リヤドアを開けた。その後作業員の意識が無いことを確認し次第、すぐにその体を山積みになった段ボールの裏に隠して外から容易に確認できないようにした。
そして仕上げに自分の拳に付着した血液を自分の服で拭き取ってから、作業員と服を交換し、た。そして適当な段ボールを数個荷台に乗せ、リヤドアは開け放ったまま、作業員のフリをして本屋の関係者通路へ入る。
中に入ってからすれ違った店員には、必ずこちらから挨拶する。そうすれば、元気のいい新人が来たと向こうが勝手に解釈してくれる。そうなれば、こっちのものだ。あちこち動き回って、目当ての北岡翔がいる部屋を探す。ご丁寧に大きな張り紙がしてあったので、探し始めてから三分とかからずに見つけることができた。
辺りを見回し、人がいないことを確認してからいきなり扉を開けて中に入る。
「ああ、ごろうちゃん遅いよ。連絡もつかないし、一体何してたの……お前は、まさか」
「あ、やっぱりすぐ分かるんだ。すごいな。やあ、久しぶりだね。三木博くん」
安達の姿を見てすぐに、三木の表情が固まった。中途半端に浮かせた腰からは、この場をすぐに離れたいと考えていることが伝わってくる。
「ああ、まあ落ち着いてよ。別に、お前のせいで捕まったんだから復習してやる――みたいな、そういう話じゃないからさ。まずは、落ち着いて話がしたいだけだから。さあ、座って」
「お前の言う事なんて、誰が信じるか」
そう言って三木は立ち上がり、扉の方へ向かう。だが安達は一切慌てることなく、座ったままスマートフォンの画面を三木の方へ向けた。
「いいのかな、大切な付き人ちゃんが大変な目に遭っても」
三木の方に向けられたその画面には、頭から血を流した状態でパイプ椅子にロープで括りつけられた、今水木の姿が映し出されていた。
「ごろうちゃん!」
「安心しろ、まだ生きてる。まあ、こいつが生きて帰れるかどうかは、この後のお前の行動次第なんだけどな」
「……なにをすればいい」
「簡単なことだ。北岡翔という芸名ではなく、三木博という本名での活動を開始しろ。もちろん、ヒノボルでの活動も忘れずにな」
「何故そんなことをする必要がある」
「なんでってさ、自分だけズルいと思わないの? 私たちはヒノボルですぐに炎上する立場にいるのに、お前は北岡翔として炎上しても痛くも痒くもない。ヒノボルで炎上しない限り、炎上メーターも作動しない。つまり、今お前だけこのゲームにタダ乗りしてる状況ってことだ」
「……驚いたな。直接俺を殺しに来たのかと思ったが、まさか炎上させるというワンクッションを挟むとは」
三木が皮肉交じりにそう言うと、安達は遠い目をしながら感慨深そうに話し始めた。
「私は人を殺したいのではなく、人が死ぬ間際に見せる一瞬の輝きを見たいだけだからね。二件目の、橋野基薫の炎上。あの現場に、私も偶然居合わせたんだよ。いやー、久しぶりにあんな美しいものを見た。やはり、人間は死ぬ間際が最も美しい。加えて、その後に上がる炎の美しさたるや否や。私がこれまで見てきたものの中で、最も美しい瞬間だったと言っても過言ではない。もっと、あの景色が見たいんだよ。だから、死ぬときは私に会いに来てくれ」
話し終えた安達が三木の顔を見ると、そこには軽蔑な眼差しがあった。どうやら、三木とは一生分かり合えないらしい。そう思った安達は大きく溜息をついた後、徐に立ち上がって出口の方へ向かった。
「急がなくてもいいよ。三木博として実名活動を始めたら、付き人は解放するから」
そう言い残し、部屋を後にした。
そして堂々と関係者入り口から本屋を出ると、駐車場でなにやら騒ぎが起こっていることに気付いた。遠くからは、救急車のサイレンが聞こえてくる。先ほど安達が襲った作業員が、誰かに発見されたのだろう。
だが安達は、証拠の服を脱ぎ捨てて証拠隠滅などを図るのではなく、澄み切った顔のまま歩きつづけた。野次馬の中も、堂々と胸を張って歩く。そんな安達を見ても、誰も不審人物だとは思わない。
「まだ死なないでよ。君はまだ、輝けるんだから」
ひっそりとそう言い残し、安達は姿を消した。
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