第三章 不協和音

第18話 平和のために犠牲は必要か

 井寺、桜井、三木。三名のスマートフォンが一斉に音を立てた。それは、富摩昭雄の死を知らせる連絡だった。

「遅かった。ごめん、富摩さん。ごめんなさい」

「富摩昭雄が死んだってことは、さっき井寺が言っていた予想が当たってたってことか」

「そうみたいだね。見てよこれ、富摩グループで損失隠しが行われてたってジャッジメント田崎が投稿して、今大炎上中。でもこの証拠って言われてる写真の書類、明らかに機密資料だよね。それに、首謀者として富摩昭雄も名指しされてる。これ、偶然かな」

「つまり富摩昭雄の秘書をしていた鈴木という人物が、本当は十年前に都内連続一家無差別事件の犯人である安達勝也で、そいつがジャッジメント田崎ということか」

 桜井が導き出した結論で、場は一瞬にして静まり返った。今ヒノボルの中で、最も簡単に人を炎上させることができる人物が、連続殺人犯。それも、たった一人の生き残りを決めるゲームの参加者でもある。

「あまり安易にこんな言葉使いたくないけどさ、これって、結構絶望的な状況だよね」

「で、でも、まだ決まったわけじゃないでしょ。単に安達が、ジャッジメント田崎に情報提供しただけかもしれないし」

「だがどちらにしても、安達勝也はジャッジメント田崎と繋がっていて、その大きな力を借りることができるということに変わりはない。状況は最悪だ。……それに、ひょっとしたらあいつは、俺たちの動きを全部知ってるかもしれない」

 井寺が場を和ませようとしたが、桜井の一言で再び不穏な空気が流れ始めた。

「どういうことだよ。なんで鈴木さんが、俺たちの動きを知ってるんだ」

「井寺。お前が富摩昭雄に会いに行った時、俺もどうにか接触できないかとあのビルまで行ってたんだ。その時、見たんだよ。お前の後ろを、秘書の鈴木が歩いていくところを」

「……尾行、されてたってこと?」

「ああ。その後は俺も鈴木の姿を見なかったから油断してたけど、今回の一件で分かった。もし鈴木がジャッジメント田崎なら、あのうみちゅい炎上騒動の時にもあの公園にいたということだ。つまり、あの時も尾行されていた可能性がある。なんなら、今も誰かに尾行させてるかもしれない」

 井寺は、言葉を失った。最初に仲間になったと思った二人は、どちらも裏切り物だった。その事実が、井寺の頭に重くのしかかる。そして、今目の前にいる二人にも疑念が沸き起こる。

 本当に信用していいのか。これまで信じた二人は、どちらも最初から裏切り者だったみたいだぞ。お前には、人を見る目が無い。だから、信頼できると思う人間こそ、信じない方がいいんじゃないのか。

 心の中で、そんなもう一人の自分の声が聞こえてくる。その声に、支配されそうになる。

 だが井寺は、首を全力で大きく横に振り、その声を振り払った。

「なに、いきなり。井寺さん、頭おかしくなっちゃったの」

「ああ、気にしないでください。こいつは、これで平常運転です」

「おい、それ悪口だろ」

 いつも通り、桜井に対して軽口を叩けた。些細なことだが、一瞬でも疑念を抱いた井寺にとっては、この上なく嬉しいことでもあった。

「でも、よくよく考えれば、なにも状況は変わらないんじゃないですか。俺たちは、生存者六人のうち五人を仲間にしてる。その五人が協力すれば、これ以上ゲームで死者を出さないように動けるはず」

「いや、駄目だね。僕にはその五人全員が誰なのかはまだわかないけど、このままだと全員死ぬことになると思う」

「どうしてですか」

「分からないかな。このゲームは、参加者間が限られた空間の中で争うゲームじゃない。舞台は、ほとんどの日本人が利用するヒノボルなんだ。ネットの世界で炎上するのを止めるためには、日本国民全員を止める必要があるんだよ。そんな時、ジャッジメント田崎が持つ、圧倒的なフォロワーは脅威でしかない」

「北岡様なら、それに対抗できるんじゃ――」

「僕は実名活動してない。三木博のヒノボルアカウントはあるけど、フォロワーは十人だ」

「俺は、千十二人です。歩は」

「……十万、六千人」

 桜井の思わぬフォロワーの多さに、井寺は慌ててヒノボルで桜井歩を検索にかけた。

「え、なんだよこれ。お前、これまでになんにも投稿してないじゃん。それでなんで、そんなにフォロワーがいるんだよ」

「お前には関係のない話だ。それに、ジャッジメント田崎のフォロワーは三百万人を超える。しかもそのフォロワーのほとんどは、ジャッジメント田崎が糾弾した相手を、ほぼ無条件に攻撃し始める奴らばかり。戦力差は、向こうの方が圧倒的に上だ」

 桜井の言葉は、常に現実を端的に表していた。だが端的に表わしすぎていて、見たくもない現実を無理やり見せられてしまう。それが少し、井寺にとっては辛かった。

 これまで、自分が見たくないものからは目を背けて生きてきた。そのツケが今、一つの固まりとなって回ってきたのだ。ここでも現実から目を背けたら、自分も、大切な人も守れない。覚悟決めた。岬と最後に会った時に、覚悟を決めたんだ。俺なら、できる。

 何度もそう言い聞かせながら、井寺は重たくなった瞼を無理やりこじ開けた。

「じゃあ、どうしたらこのゲームを止められるんだ。俺たちはこれから、どうしたらいいんだ」

「そのゲームを止めるって言うのが、これ以上死者を出さないっていう意味なら、方法は簡単だと思うよ」

「どうすればいいんですか」

「安達勝也を殺す。いや正確には、ジャッジメント田崎を炎上させる。そうすれば、残るのは協力関係にある、僕たち五人だけなんでしょ」

 三木があっけらかんと言ったその発言に、井寺は言葉を失った。そして助けを求めるように桜井の方へ顔を向けたが、それを見た桜井は、井寺から目を逸らした。三木の発言に対する反論は、どうやらないらしい。

「井寺さん。あなたにとってこれは、究極の選択なんだと思う。確かに、自分たちが生き残るために誰かを犠牲にすることは躊躇われるかもしれない。でも相手は連続殺人犯で、死刑宣告を受けたのに何らかの卑怯な方法で釈放されてる奴で、死に際の人間が美しいとかいう訳の分からない理由で簡単に人を殺せる化け物だ。僕たちが踏みにじるのは、人間じゃない。怪物なんだ。人間が生きるために、怪物を退治する。それだけの話。僕たちは、桃太郎なんだよ。早く悪い鬼を退治して、めでたしめでたしな結末を迎えよう」

 三木が、捲くし立てるようにそう言った。井寺の中に、ますます三木への不信感が募る。

「さあ、井寺さん。どうしますか」

「……俺は、その考えには賛同できません。鈴木さん――いや、安達勝也さんだって一人の人間だ。死んでいい人なんて、この世にいない」

「それでいいんですか。ここであの怪物を止めておかないと、これからますます死者が増えますよ。あなたの仲間の五人だって、全滅するかもしれない」

「まだ、諦めちゃ駄目だ。まずは、安達さんに会って、話をして――」

「桜井さん、あなたはどう考えますか」

 そう言って、三木は桜井を睨みつけた。その目付きには、北岡翔として人々を魅了する時とは明らかに異なる、本能的な恐怖心を抱かせるような鋭さが宿っていた。だが、桜井は特に動じる様子もなく、飄々と答えた。

「俺は、井寺の決定に従うだけだ」

「あなたまで……。そうですか、分かりました。それじゃあ、僕の協力は期待しないでください。僕は単独でも、あいつを殺しますから」

 そう言い残し、三木とその付き人の今水木は部屋から出て行った。

「……歩、ごめん。折角、強力な仲間を手に入れるチャンスだったのに」

「気にするな。お前は何も間違ってない。そのままでいいんだ」

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