第12話 炎上の種が、また一つ
昨日、以前バイト先が一緒だった人から突然連絡を貰った。
……といっても、そうなると思っていたから、大して驚きはしなかった。それよりも驚いたのは、その人がゲームの参加者だったという事実だ。
店長が炎上して亡くなったあの日、井寺さんは慌てて消火器を抱えてきた。誰がどう見ても、そんなもので太刀打ちできるような火の勢いじゃないことは分かったはずなのに。それくらい、井寺さんは冷静じゃなかった。突然目の前で人が燃えたのだから、無理もない。
むしろ、冷静に対応できた私の方がおかしい。いくらネットで炎上したら現実世界で人体発火が起こると知らされていたとはいえ、自分でも驚くほど冷静に行動できた。だからパニック状態の井寺さんを連れて、外に避難することができた。あの時は、どうしてそんなことができたのかと自分でも不思議だった。
でも、今なら分かる気がする。それは多分、井寺さんのことを守りたかったからだと思う。お姉ちゃんが自殺したあの日から、誰も信じられずに生きてきた。でも、井寺さんだけは違った。あの無邪気な笑顔。毒気のない話し方。クレーマーに対しても真摯に謝罪するその姿。
バカともいえるけど、本当に優しい人なんだと思った。世の中に、こんな人がいるなんて知らなかった。もっと早く出会えていれば、あるいは――
「やっぱり、この赤いワンピースがいいかな。でも、デートってわけじゃないし、話題も殺伐としてるし……やっぱり、もっとちゃんとした格好の方がいいかな」
誰とも話さない時間が長く続くと独り言が多くなるのは、きっと私だけじゃないと思う。こうして頭の中だけで考えることも出来るのに、何故か突然声に出したくなる衝動に駆られるときがある。
理由は、分からない。
「はぁ……」
独り言を言うと、決まってこんな自分に嫌気が差して溜息をついちゃう。でも、今から井寺さんに会えば、この負の連鎖にも終止符を打つことができるはず。
「井寺さんが私を殺すなんて、あり得ないよね」
自分にそう言い聞かせて、家を出る。正直、ぎりぎりまで本当に行くべきかどうか迷った。私は、井寺さんのバイトでの姿しか知らない。だから、井寺さんの本性がとんでもない悪人だって可能性もある。
それに、この前の連絡では、炎上した橋野基さんについて訊いてきた。それがもし、誰かを陥れるためのものだったら、私が話したことが原因で誰かが死んでしまっているとしたら……そう考えると、足がすくんだ。
でも私は、私が知っている井寺さんを信じることにした。誰にでも優しい、優しすぎて損ばっかりしている、そんな馬鹿で愛おしい井寺さんのことを信じることにした。
「ここから、待ち合わせ場所が見えるはずだけど……」
待ち合わせ場所には、私の家から少し離れた河原にある大きな広場を指定した。ここは見晴らしがいいし、近くに架かる橋から様子を窺うことも出来る。井寺さんのことを信じると決めたけど、井寺さんが誰か悪い人に唆されて、知らない内に炎上の片棒を担がされている可能性はある。だからこれは、最低限のリスクヘッジ。
高鳴る胸を落ち着かせて、欄干から身を乗り出して広場を見渡し、井寺さんのことを探した。井寺さんは、一人で広場の真ん中に立っていた。その周りにはベンチに座る人や野球をしている子どもたちの姿が見えるけど、普通に話せば内容を聞かれることは無さそうな距離に見える。
一安心。すぐに井寺さんのところに行こう。
あ、なんかガラの悪そうな男がいる。目を合わせないようにしよ。
「すいません井寺さん、お待たせしました」
久しぶりに走って息切れした私がそう言うと、井寺さんは笑顔で「待ってないよ。そんなに急がなくてよかったのに」と言った。その表情や言葉遣いは、私が知っている井寺さんだった。
「よかった」
「なにが?」
「あ、いえ、なんでもないです。ところで、話というのは何でしょうか」
私が尋ねても、井寺さんは中々話そうとしてくれない。さっきからずっと、私の頭の先から爪先までを嘗め回すように見ている。
私の中に、後悔の念が宿った。大学時代に恋愛術について書かれた本を読んだ時に興味を持った内容を、今更になって思い出した。吊り橋効果。恐怖体験を共有した二人の間には、かなり深い信頼関係が生まれる。つまりは、意識された状態になれるということ。こんな命がけのゲームにお互いが参加していると分かれば、井寺さんも私のことを……いやでも、私にも彼氏が。
「俺は、本当に何も気付かない鈍感野郎だったんだな」
なんですか、その発言は。それは恋愛ドラマの佳境で、自分の本当の気持ちに気付いた主人公がヒロインに告白する直前のセリフじゃないですか。
なんてこと。これなら、あの赤いワンピースを着てくればよかった。マスクで顔を隠すんじゃなくて、ちゃんと化粧もして完璧に着飾ればよかった。
「中峰さん……いや、うみちゅい様」
「いきなりそんなこと言われても困りま――今、なんて言いました」
「大ファンなんです。うみちゅい様、どうか、どうか私めにサインをください」
「ちょっと、そんな大きな声出さないでください。周りに聞こえたらどうするんですか」
「すいませーん!!」
「だから、声がでかいって言ってるの!」
ああ、これまた驚かされた。こんなことになりたくなかったから人口の少なくなった匿名SNSで顔を隠して活動してたのに、よりによって井寺さんが私のファンだったなんて。世間は狭い。いや、インターネットの世界が広すぎるのかな。
とにかく、面倒なことになっちゃった。どうやってこの場を乗り切ろうかな。
「おい井寺、まだ本題に入ってないのか。いつまで待たせる気だ」
「あ、さっきのガラの悪そうな男。なに、カツアゲ? 残念だけど私は学生だし、この人だってフリーターだから、お金なんて持ってませんよ」
「あんた、俺をそんな風に見てたのか。いや、それぐらい警戒心が強い方が安心できる。俺は桜井歩、このゲームの参加者で、井寺の協力者だ」
「協力者じゃなくて、相棒だろ」
「気持ち悪いこと言うな、死ね」
「それは言い過ぎじゃない?」
なんということでしょう。このガラの悪い男が井寺さんと協力してる。やっぱり井寺さんは他人を信じすぎるあまり、こんな状況なのに、危ない人を信じてしまったんだ。そしてこの人に唆されて、気付かない間に人を殺す手伝いを……。
これ以上、こいつの好きにさせないよう、私がこいつを見張らないと。
「あんたにも協力してほしい。このゲームを止めるために」
「なるほど、そう言って井寺さんを仲間に引き入れたわけですか。でも、残念ながら私はそう簡単に騙されませんよ。あなたはそう言って協力させ、最後に裏切って私たちを殺し、自分だけが生き残ろうとしてるんでしょ」
「この状況でそれだけ冷静に人のことを疑えるのはいいことだが、それは間違いだ。俺は協力を持ち掛けられた側で、井寺が俺に協力を持ち掛けた側だからな。だから、このゲームを止めたいと考えているのは、井寺だってことだ」
「そうなんですか?」
「うん、そうだよ。歩は俺の命を助けてくれた、命の恩人だ。こいつは、自分だけが生き残ることを考えてる奴じゃないよ」
「井寺さんがそう言うなら、信じましょう」
「意外にちょろかった」
と言いましたが、私はこの男をすぐに信じることができません。井寺さんには悪いですが、信用したと言って油断させておいて、確実に尻尾を掴むことにしましょう。
「ところで歩、やっぱり俺はとんでもない鈍感野郎だったんだ。こんな近くに大好きな人がいたのに、今の今まで全く気付かなかった」
「なに言ってる。お前、彼女を守るためにこのゲームを止めるんじゃなかったのか」
「そういう意味の好きじゃねえよ。今すぐ、この人を連れてまなちゃんに会いに行こう」
「駄目だ、認めない。それから、今後二度と、その名前を口にするな。次に口にしたら、今すぐお前を殺す。分かったな」
なんだこの男。ああ、今すぐこちらに向けているその背中を蹴って、川の中に落としたい。そしてそのまま流されて、桃太郎になってしまえばいいのに。
「いいのか、歩。この方は、まなちゃんも大好きなうみちゅい様だぞ」
「さあ、うみちゅい様。汚いところで申し訳ございませんが、ぜひ我が家に招待させていただきたく存じます。つきましては、そこで私の妹にサインなどをお願いさせていただければ幸いなのですが、この後の予定など如何でしょうか」
手の平返し!
私がうみちゅいだと聞いた途端に体を反転させて、さっきまでの仏頂面からは想像できないくらい眩しい笑顔を向けてきた。それに言葉遣いだってやたら丁寧になって、はっきり言って気持ち悪い。こんな二面性のあるやつ、益々信頼できない。
それに、私がうみちゅいだってバレることも駄目。そんなことしたら、私もお姉ちゃんみたいに……。
「ま、待ってください。井寺さん、何を勘違いしているか知りませんが、私は――」
否定しないといけない。否定しないといけない。
でも、井寺さんのあの真っ直ぐな目はなに。その、「え、中峰さんは僕に嘘をつくの」とでも訴えかけてくるようなその目は。そんな目で見つめられたら、嘘をつけなくなっちゃう。
「――私が、うみちゅいです」
「だよね、やっぱりそうだよね。いや、バイトの時の制服姿じゃ全く気付かなかったよ」
「あはは。それは、そうでしょうね」
「井寺、もう黙れ。さあさあうみちゅい様、ぜひ私の家にお越しください。私の妹が、あなた様の大ファンなんです。病弱な彼女に会っていただき、ぜひ生きる希望を与えてあげてください」
このガラの悪い男も、本当は妹想いの優しい人なのかもしれない。
まあ、まだ心から信用したわけじゃないけど、取り敢えずは妹さんに会ってあげようかな。その時の動きで判断しても、遅くはないよね。
「はあ、分かりました。行きます」
「ありがたき幸せ」
「その言葉遣い、なんだか気持ち悪いので止めてもらえますか」
「あ、はい。すいません」
それ以降、歩さんは先頭に立ち、一言も発することなく歩き続けた。私は井寺さんと沢山話せるからそれで良かったけど、ひょっとしたら悪いこと言っちゃったかな。
それにしても、あの広場を出る時に気になることを言ってた人がいたんだよな。あのベンチに座っていた、帽子を目深に被ったマスク姿のオジサン。あの人の横を通った時、確かにこう言ったように聞こえたんだよな。
「これは、いい種が手に入ったな」
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