第13話 聞こえる
「やったー、ありがとうございます」
私の適当に書いたサイン色紙を抱きしめて、パジャマ姿のいたいけな女の子が恍惚の表情を浮かべている。こういう体験も悪くない。つい、自分らしくない詩的な表現をしてしまうくらいには、私の心が動いていることが分かる。
「誰かの役に立つの。そうすれば、あなたを助けてくれる人が周りに集まってくるわ」
それが、姉の口癖だった。姉があんなことになっても、私の中には姉のこの言葉がしっかりと根を張っているのだと、今改めて思う。誰かの役に立ちたい。今はもう忘れてしまったけど、私が匿名でダンス動画を上げ始めたのはこの気持ちからだったかもしれない。
仮面をつけて顔を隠しても、ニックネームしか知らせなくても、きっと誰かの役に立つことはできる。そう思ったから。
「ていうか、皆さん私がうみちゅいだって普通に受け入れてますね。どうしてですか。私、偽物かもしれませんよ」
でも、やっぱり自分の正体が明かされるのは怖い。その気持ちも、私の本音だった。だからつい、この楽しい空気に水を差す言葉を言ってしまった。
「中峰さんは優しいから、噓なんてつかないよ」
「ファンをなめないでください。私たちは心の目で見てますから、うみちゅい様が仮面をつけていようが、仮装していようが、私たちはうみちゅい様の本当の姿を見ているんです」
「うん。なんか、圧が強いからこの話は終わりにしようかな」
そんなことを言われたのは、生まれて初めてだ。こんなに私のことを見てくれている人がいたなんて、正直驚いた。
駄目だ。私は昨日から、井寺さんやその周りの人に驚かされてばかりだ。こんな人の温かさに触れてしまったら、裏切られた時に余計に傷ついてしまう。人間は、裏切る生きものだから。私は裏切られてもいいように、常に一定の距離感を保ってきた。それが今、バランスを崩そうとしている。
駄目。ただでさえ最近彼氏と連絡が取れなくなって落ち込んでたのに、これ以上傷つくことを増やしてしまっては駄目。少なくとも、この可愛い美少女とだけは、距離を置かないといけない。そうでないと、裏切られた時に私の心が壊れてしまう。
話を逸らそう。適当な話をして、早くこの場を退散しないといけない。そして二度と、この少女と会わないようにしよう。
「あれ、今何か物音がした?」
「え、どんな音ですか」
「なんか、時計の音みたいな」
時計の音が聞こえた?
ああ、なに言ってるんだろ、私。そりゃあ、家に時計の一つや二つくらいあるに決まってる。そんなじゃ、話を逸らしたうちに入らないよ。
「時計、ですか。さあ、家には時計なんて置いてなかったと思いますけど」
――時計を置いてない。それは今、一番聞きたくない言葉だった。
私には聞こえる。寸分の狂いもないくらい正確に、一定のリズムで針を進める時計の音が。
カチッ、カチッ、カチッ、カチッ
「あはは、そうなんだ。ここ、時計無いんだ」
悟られないように自然に、自然に振舞う。そして誰にも気付かれない場所で、一人でひっそりと死のう。迷惑をかけちゃいけない。誰にも、迷惑をかけちゃいけない。
「そうか、そうか……はは、あはははは」
笑い方が不自然だ。そんなじゃ気付かれちゃうよ、私の馬鹿。演技が下手すぎるよ。
駄目、駄目! 泣いちゃ駄目。泣いたら、バレちゃうから。怖くないでしょ。私は一人で死ぬ。何も怖くない。それよりも、誰かを巻き込むことの方がよっぽど怖い。そうでしょ。何してるの私。泣いてる場合じゃない。早くここを出て、誰もいないところに行かないと。駄目だよ。折角優しくしてくれた人たちを巻き込んじゃうなんて、絶対に駄目。ここは人の家だよ。駄目、絶対に駄目。このままじゃ、このままじゃ――。
「たす……けて」
なに言ってるの、この馬鹿。そんなこと言ったら、優しい井寺さんや私のファンの女の子が、心配しちゃうでしょ。心配なんてかけちゃ駄目。心配させるのは、迷惑。死ぬときは一人で、誰も知らないところで死になさい。助けを求めちゃ駄目。誰かに死ぬ姿を見られちゃ駄目。抵抗しても駄目。すべて受け入れて、ただ静かに死を待つの。
カチカチカチカチカチカチ
怖くない。私は一人で死ぬのが怖くない。姉が死んだときのことを思い出して。
姉は大勢の人の前で死ぬことを選んで、実行した。そのせいで、姉が死んでから家族は大変な思いをした。お世話になっていた姉の会社の社長からも、「死んだ後まで迷惑をかけるなんて、お前のお姉ちゃんは極悪人だな」と、私たちをごみを見るような目で見ながら言った。家の壁には、たくさんの落書き。SNSでは、毎日お姉ちゃんへの誹謗中傷が投稿される。母は精神を病んで発狂し、父はそそくさと家族を捨てて家を出た。残ったのは、私一人だった。
それから、何回も考えた。何回も考えて、結論は出したでしょ。私は、誰とも仲良くしない。死ぬときは一人で、誰にも知られずに死ぬ。誰も巻き込まない、誰にも助けを求めない、助けを求めても裏切られる。一人で死ぬ。それが一番。それが一番、皆が幸せになれる。
「このヒノボルの書き込みを見てくれ。田崎だ、ジャッジメント田崎が投稿してる。匿名仮面ダンサーうみちゅいは、年齢詐称をしている。本当は女子大生だって」
「え、そんなことで炎上してるの? 女子高生と女子大生なんて、大して変わらないじゃん」
「写真とヒノボルのアカウント情報まで載せられてる。写真は……あの広場で撮られたものだな。多分この見切れた右手は、井寺の右手だろう」
「あそこに、ジャッジメント田崎がいたってことか」
「そうなる。だが、犯人捜しは後だ。まずは、この炎上を食い止めないといけない」
「食い止めるって言っても、どうやるんだよ」
「知らねえよ。でも、とにかくやるしかない」
ああ、また私に優しくしてくれる。
どうして?
どうして私を助けてくれようとするの。私を助けたところで、あなたたちには何のメリットもない。むしろ私が死んだほうが、皆の助かる確率は上がるのに。
……そうか。そうよ、そうだよ。今私にできる井寺さんへの最大の恩返しは、私が死ぬことだ。そう、やっぱり私が人知れず一人で死ぬことで、皆が幸せになれる!
カチカチ――チチチチチチチチチチ
時計の音が、最初と比べるととても速くなった。
でも、これでいい。このまま自分の運命を受け入れる。それがいい。でも、この場で死んでしまうと、あの子を傷つけることになってしまう。だからやっぱり、ここを出よう。
「中峰さん、何処に行くの。待って、まだ諦めないで」
「うみちゅい様、何処にも行かないで。ここにいてください」
やっぱり、止められた。その声をずっと聞いていたくて、声が聞こえる度に足が止まってしまう。でも、行かないと。私は、ここにいてはいけない存在だから。このままここにいては、迷惑をかけてしまうから。
カチカチ――カチッ、カチッ、カチッ……。
あれ? 何も聞こえなくな――。
「中峰さん!」
気が付くと、私の目の前には井寺さんの顔があった。あまりに急に距離を詰められたものだから、恥ずかしさのあまり、すぐに目を逸らしてしまった。
周りの景色は特に変わってない。私は今もあの家に居るし、向こうでは私のファンの女の子が泣いていて、あのガラの悪そうなお兄ちゃんの胸を借りている。
「私、死んだんですか」
「なに言ってるの、中峰さん。もしそうなってたら、俺たちだってただじゃすまない。無事だよ、皆無事だ。炎上は、止まったんだ」
「そんな、そんなわけない。炎上は、一度始まったらその人が死ぬまで終わらない。絶対、終わらない」
「これを見ても、まだそう言えるかい?」
そう言って井寺さんが向けてきたスマートフォンの画面には、私のヒノボルアカウントへ送られてきたメッセージが映し出されていた。
“俺たちは、うみちゅい様が女子高生だから好きになったんじゃない”
“うみちゅい様が何歳でも関係ない。うみちゅい様の幸せが、私にとっての幸せ。だから、こんな笑顔で嬉しそうな写真が見れてよかった”
“ジャッジメント田崎の投稿に悪意があったけど、うみちゅい様は今年で活動開始から五周年。女子大生になっていないほうがおかしい”
“お前ら、それでも
その他にもたくさんのメッセージがあったけど、そこから先は画面が歪んで見えて、ちゃんと読めなかった。
「私、助けられたんだ。よかった、よかった。私、お姉ちゃんみたいになるんだと思って、ずっと、ずっと怖かった」
「まさか、中峰さんのお姉ちゃんって……」
「……
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