第11話 彼女はすべてを知っていた
「歩、俺に協力してくれないか」
まなとの話が落ち着きを見せた頃、井寺が唐突にそう言った。突然話を振られた桜井だったが、その顔に戸惑いの色は見られなかった。むしろ、本題に入るまでが長いと呆れているようにさえ見えた。その一方で、何の話も知らないまなは戸惑っているのか、井寺と桜井の顔を交互に見つめている。
「あ、まなさんごめんね。突然びっくりよね。実は俺たち、今友だちの間でとある賭け事をやってるんだよ。それで、お兄ちゃんと協力したら、その賭けを優位に進められるんじゃないかなと思ってね」
「それって、危ない話じゃないですよね。誰かが警察に捕まるような」
「賭け事っていっても、お金を賭けるような違法な物じゃないから安心して」
井寺は咄嗟にそう言ったが、まなは不安でいっぱいの顔をしている。咄嗟に考えた話とはいえ、賭け事という言葉を使ったのはよくなかったかもしれない。
「心配するな。俺たちはどっかの誰かさんに、どうしようもないお人好しの馬鹿で、すぐに人のことを下の名前で呼ぶ距離感バグ人間に彼女ができるかどうかを予想してるだけだ。それでそいつは、俺に女を紹介してもらおうとしてるわけだ。だから、もうこれ以上こいつと話すな。こいつは多分、ロリコンだ」
「おい、止めろ。折角距離が縮まったのに」
「妹は渡さない。でも、他のことになら協力してやる」
「え……」
「あいつらを説得して、この賭け事を止めさせることになら、協力してやると言っているんだ」
井寺は、目の前が真っ白になった。溺愛している妹の前で話をすればぞんざいな扱いを受けることはないだろうと思っていたが、まさかこうもあっさりと、桜井が自分の提案に乗ってくるなど全く考えていなかったのだ。
「本当に、いいのか」
「ああ。というわけで、俺はこいつとカラオケに行ってくるから、その……まなは、また家で寝ててくれるか」
「作戦会議でもするの? それなら、ここでやってよ」
「駄目だ。こいつがまなに手を出す可能性がある」
「無いって」
そんな二人のやり取りを見てクスクス笑うまなを残し、井寺と桜井は近くのカラオケ店に入った。佐藤と作戦会議を行った喫茶店と違い、カラオケは個室なので、安心して話をすることができる。
「それじゃあまず、お前のこれまでの行動について話してくれ」
部屋に入るなり桜井がそう言ってきたので、井寺はこれまでの自分の行動を包み隠さずに話した。すると、すべてを話し終えた井寺には、桜井からの冷たい視線が注がれていた。
「どうしたんだ」
「……俺は、こんなあほと協力することになったのかと思ってな」
「な、なにがあほだ。そういうこと言う奴の方が、あほなんだよ」
「お前の精神年齢が小学生だということはよく分かった」
桜井の態度に苛立った井寺は更に反論を試みようといきり立ったが、店員がワンドリンク制のために井寺たちの頼んだジュースを持ってきたので、反論するのは後にしようと再び席に座り直した。
しかし店員が少し気まずそうに部屋を後にする頃には、井寺の怒りはすっかり治まっており、冷静に話を再開することができた。
「何がそんなにおかしいと思うんだ」
「この状況で、警察官を頼ろうとしたことだ」
「なに言ってる。命の危機に晒されたなら、まずは警察に頼るのが常識でしょうが。怪物に襲われるホラー映画だって、まずは警察を頼るでしょうが」
「警察が活躍するホラー映画を知っているなら、教えてほしいな」
桜井の鋭いツッコミに、井寺は口を閉ざした。
「それに、今回は状況が違う。お前、最初の犠牲者が誰か覚えてるか」
「達磨さんだろ、忘れるわけない。さっきも言ったけど、俺はその現場のすぐ近くにいたんだ」
「達磨の死んだ状況は」
「護送中に、ジャッジメント田崎の投稿がきっかけで炎上したんだろ。知ってるよ」
「違和感はないのか。護送中の被疑者を乗せた車が爆発炎上したのに、警察官の死傷者は居なかったんだぞ。いくら車が故障したからって、いくら達磨がクラッキングメインの知能犯だからって、護送車の中に被疑者一人置いて警察官が全員出払うなんておかしいだろ」
桜井にそう言われ、井寺は始めたそのことに気付いた。警察の動きについて詳しいわけではないが、映画などで見られる被疑者護送のシーンでは、どんな非常事態が起きても被疑者の側から離れない警察官がひとりはいる。勿論、被疑者の逃亡を阻止するためにだ。
それが警察としての標準の対応だとしたら、達磨の護送を担当した警察官たちはそこから逸脱した行動を取ったことになる。それはまるで、達磨が逃げられないことを知っていたかのような――どの道炎上して死ぬことを知っていたかのような行動に思えた。
「あのデモンストレーションは、ただゲームスタートを知らせただけじゃない。警察は頼りにならない、信用してはいけないっていう、主催者からのメッセージも添えられていたんだ」
「そんな……全く分からなかった」
「まあ、分かってて佐藤と協力しようとしたなら、意味不明だからな。それに、もう一つおかしいことがある」
「まだあるのか」
「ああ。お前の話に登場した人物で、あまりに不自然な行動を取っている人間がいることに気付かないか」
「そんな人、居ないよ」
「いや、居る。俺たちはもう全部知ってるけど、何も知らない人が人体発火なんてものを目の当たりにして、冷静に行動できるわけないよな」
「ああ、そうだ。だからカフェで橋野基さんが燃えた時も、周りのお客さんたちはパニックになって、将棋倒しになったりして――」
そこで、井寺は言葉を止めた。
盲点だった。自分がすべてを知っていたから、目の前で人が燃えてもすぐに原因が分かった。だから、すぐに消火器を持って助けに行こうという考えに至った。だが何も知らない一般人からすれば、人から火の手が上がることなど、すぐに対応できるわけがない。現にカフェで橋野基薫が炎上した時、周りにいた客は全員、パニックになって逃げだした。
そう、ただの火災というだけでも、人間はパニックになって冷静な判断などできない。ましてやさっきまで普通に接していた人間から火の手が上がる現場を目撃してしまっては、何も知らない人間が冷静に対応することなどできない。どうすればいいのか分からなくなり、支離滅裂な対応を取るのが自然だ。
つまり、あの場面で冷静に対応できる人間は、このゲームについて何かしらを知っている可能性がある。ゲームの主催側に関係しているのか、ゲームの参加者に関係しているのか、はたまた、ゲーム参加者本人か。そのいずれかだ。
何故、そんな簡単なことに気付かなかったのか。
井寺は肩を落とし、自分を責めた。
「どうすれば、いいんだ」
「まあ、俺ならまずは確認するかな。幸い、今は相手に直接聞かなくても済む方法がある」
桜井にそう言われ、井寺は件の生存者全員の名前が書かれているメールに目を通し始めた。メールには生存者全員の名前が漢字で、一人ずつ改行されて書かれている。
上から順に、井寺良平・九条岬・桜井歩・富摩昭雄・三木博・安達勝也――そして最後の名前を見て、井寺は思わず笑ってしまった。
先ほど予想した人物の名前が、はっきりと書かれていたから。書かれていないでほしかった名前が、そこに書かれていたから。
「どうしてこうも、俺はなにも気付かないくらい鈍感なんだろう」
「いや、人間というのはそういうものだろう。自分がよく知っていると思うもの、興味を持てないと思っているものは観ない。観ないから、異変が起こっていても気付かない。それが小さな異変なら、尚更だ」
「……これから、どうする」
「俺から言わなくても、どうすべきかは分かるんじゃないか。俺たちはゲームを止めるために行動している。それなら、仲間は多ければ多いほどいい。生前者全員が仲間になれば、このゲームは止まる。誰も死なない、いつも通りの生活が帰ってくる」
桜井の言葉で意を決した井寺は、とある人物へと電話をかけた。その人物が、元気に電話に出てくれることだけを祈って。
「もしもし。井寺さん、急にどうしたんですか。また橋野基さんのことで聞きたいことでもあるんですか。ていうか、そもそも井寺さんって彼女いましたよね。こんなに私に電話してて、嫉妬されないんですか」
電話に出るなり堰を切ったように話し始める彼女の口ぶりは、コンビニのバイトでよく遅刻していた井寺に怒る時の彼女とは、少し様子が違った。
バイトに遅刻した井寺に怒る時の彼女は、どこかその声色の中に優しさが感じ取れた。でも、今は違う。その声からは、不安と焦り、その他ありとあらゆる負の感情が入り乱れているように思えた。
「会って話したいことがあるんだ」
「あ、まさか彼女さんに振られたから私を口説こうとしてるとか? 残念ですけど、私にも彼氏がいるんですよ。井寺さんとは比べ物にならないくらいイケメンで、超人気者の――」
「はぐらかさないでくれ。用件は、もう分かってるだろ……
「……下の名前を憶えてくれてたのなら、光栄なんですが」
「悪いけど、そういう話じゃない」
「ですよね」
電話口で立て板に水の如く話していた、中峰海の勢いが、完全に死んだ。
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