第二章 出会いと別れ
第10話 懲りない男
「それで、いつまでついてくる気だ」
先ほどまで心優しく肩を貸してくれていた素行の悪そうな男が、その鋭い目力を前面に押し出して井寺のことを睨みつけた。だが井寺は一切動じず、笑顔を崩さないままその男の後について歩いている……商店街から三キロほど離れた、今でも。
「お前、何の真似だ。なんで俺についてくる」
「だって、あなたは俺を助けてくれたじゃないか。つまり、俺たちはもう一心同体、仲間ってことだろ。よろしくな、相棒」
「……お前、よく今まで生きてこられたな。どうしてさっき出会ったばかりの俺を、人が焼死するのを助長した俺を、そこまで信じられるんだ」
男は、困惑の表情を浮かべている。だが、井寺は男が信頼に足る人物だと確信していた。
佐藤から井寺を救出したあの場面。この男が佐藤同様、自分が生き残ることだけを考えるゲーム参加者だったら、あの場面は静観するのが正解のはずだった。そうすれば井寺は佐藤に銃殺され、その後に佐藤が焼死し、同時に二人のゲーム参加者を排除することができた。その方が、生き残る上では都合が良かったはずだ。
だが、男のとった行動は違った。男は自分が撃たれることも承知のうえで、自ら現場に飛び込んできた。そして仲裁しようとしただけでなく、井寺が撃たれそうになった時に、捨て身のタックルまでしている。
この時点で、男が自分が生き残りたいということ以外に目的を持つことが分かる。それも、人を生かしたいという思いがある可能性が高い。ゲームを止めてこれ以上死人を出したくない井寺にとって、この好機を逃すわけにはいかなかった。
「俺は、相手の目を見れば信用できる相手か分かる。そして、あなたは信頼できる人間だ。よって、協力しよう。俺たちでこのゲームを止めて、これ以上死人が出ないようにしよう」
「……勝手にやってろ。これ以上ついてくるなら、警察に通報するからな」
そうして井寺が冷たくあしらわれたその時、スマートフォンが音を立て、新着メールを知らせてきた。
また誰か犠牲者が出たのかと思った井寺は慌ててメールを開いたが、そこには全く違う用件が書かれていた。なんとそこには、残り七名の生存者全員の名前が記載されていた。
「そんな、ここまでするのかよ」
「どうした」
「今の生き残り全員の名前が、メールで送信されたみたいだ。これで直接会ったことのない相手でも、ネット上でヒノボルのアカウントを特定して、攻撃を仕掛けることができるようになる」
「なんだと……本当に、全員の名前が書いてあるのか」
「ああ……ていうか、あなたにも届いてるんだから、自分のスマホで確認しろよ」
井寺が少し苛立って文句を言いながらスマートフォンから顔を上げると、素行の悪そうな男が全力で走り去る背中が見えた。井寺は慌てて男の背中を追いかけた。幸い男の足は岬よりも遅かったため、普段から鍛えられていた井寺は、何とか背中を捉え続けることができた。
数分としないうちに、男がとあるマンションの一室に入っていった。相当慌てている様子で、男が部屋に入った後に鍵を閉める音が聞こえなかった。井寺は心の中に葛藤を感じながらも、この機を逃すとさらに犠牲者が生まれるからと考え、そのドアノブに手をかけて回した。
「あ、おじゃまします」
そう言って扉を開けようとした井寺だったが、それより先に中から扉が押し開けられ、あの人相の悪い男の顔が飛び出してきた。驚いた井寺は、体を後ろにのけ反らせた。
「俺が良いっていうまでそこで待ってろ。勝手に入ってきたら、殺すからな」
改めてすごまれると、やはり迫力がある。井寺には、両手を上げて降参のポーズを取り、元気よく返事をすることしかできなかった。
扉が閉ざされて数分。チェーンをかけて僅かに開いた扉の隙間から、再びあの迫力ある顔が覗き込んできた。息を呑む井寺。次の瞬間、男は自身が握りしめている桃色のスマートフォンを掲げて、井寺にヒノボルのアカウント画面を見せるよう促した。
「なんでそんなこと」
「ゲーム参加者全員の名前が分かった以上、これが一番確実な身分確認方法だ。あんただって、あの刑事の偽名で苦労したんだろ」
「なるほど。あなたって、意外と頭いいんだね」
「張り倒すぞ」
「冗談だって。はい、これ。俺のアカウント画面。俺の名前は、井寺良平。まだ確認してないけど、多分さっきのメールに名前が載ってるはずだ」
男は両手で自分のスマートフォンを操作し、画面を見て何度も頷いた。おそらく、メールで井寺の名前を確認しているのだろう。そして再びスマートフォンを操作し、その画面をこちらに向けてきた。それは、ヒノボルのアカウント画面だった。
「俺の名前は、
「いいよ、確認なんて。俺は、歩のことを信じてるからな」
「あんた、小学校での人との距離感の詰め方を習わなかったのか」
桜井から嫌みを言われ、少し井寺が傷ついた時、井寺は奥の部屋に人の気配がすることに気づいた。
「他に誰かいるのか」
「あんたには関係のないことだ」
「なるほど、彼女か」
「違う」
「じゃあ、婚約者か」
「違う」
「じゃあ、奥さんか」
「違うと言っているだろ。それ以上詮索するなら――」
「じゃあ、娘か息子だな」
「違う、妹だ」
「妹さんがいるのか」
井寺が念を押しのために確認すると、桜井は顔をしかめた。余計なことを話してしまったと思っているらしい。
「心配するな、俺は歩の味方だ。だから、妹さんにも挨拶をしておかないとな」
「はあ? なに言ってるんだ」
「こんにちはー。妹さん、お兄ちゃんの親友の井寺良平でーす。ちょっとだけでもいいんで、顔だけでも見せてくれませんか」
「お前、余計なことをするな」
怒った桜井が井寺の胸倉を掴むと、奥の部屋の襖が音を立てて開いた。そこには、パジャマ姿の線の細い女の子が立っていた。いや桜井の妹であることから考えて、おそらく本来の年齢は井寺とそんなに変わらないのだろうが、その出立から受ける印象はあまりに幼い。中学生くらいにさえ見える。
「こんにちは、井寺さん。兄がいつもお世話になっています。妹の桜井まなです」
「まなさん、よろしく」
「はい、よろしくお願いします。すいません、お客さんにこんな格好で対応してしまって。私、病気であまり自由に動けないんです。だから、こんな失礼な……」
「あ、いやいや。そうでしたか。それじゃあ、立っているのもしんどいですよね。どうぞ、中で休んでいてください。急に呼んですいませんでした」
「いえ、久しぶりに兄以外の人に会えてうれしかったです。もしよろしければ、もう少し中で話してくれませんか」
まなの誘いを受け、井寺は桜井の方に目をやった。その顔は、先ほどまでとは比べ物にならないほどに憎悪に溢れ、原形を留めていないのではないかと思うほどに歪んでいた。
「お兄ちゃん、井寺さんを中に連れてきて。勝手に帰らせたりしたら、もう二度と口きかないからね」
「ああ、ああそうかい。分かったよ」
桜井は扉のチェーンを外し、井寺を中に招き入れた。井寺がその言葉に甘えて中に入ろうとすると、耳元で「妹に手を出したら殺す」という桜井の声が僅かに聞こえた。少し背筋が冷たくなったが、それでも井寺は奥に進むことを選んだ。
部屋に入ると、窓辺の置かれた大きなベッドとその横に置かれた医療機器らしきものが目についた。その医療機器の大きさからして、かなり長時間ベッドの上で生活を余儀なくさせられていることが容易に想像できた。
何の病気なのか気になったが、井寺はそのことについては触れなかった。それよりも明るい話題をしたいと思い、部屋を見渡した。そしてすぐに、壁のポスターが目についた。
「あ、俳優の北岡翔のポスターだ。ファンなの?」
「はい。というか、井寺さんも知ってるんですね」
「当たり前だよ。俺もファンだからね。出演作の中では特に、オリンポス山の山頂で君と二人、が好きだな」
「ああ、通ですね。翔ちゃんのデビュー作にして、ファンの間では最高傑作とも名高い。特にラストの、実際に火星のオリンポス山へロケに言って撮ったシーンは感動的でしたね」
「あのドラマが世界中でヒットして、火星移住の希望者が十倍に膨れ上がったらしいね。おかげで、食糧問題や人口問題が少し解決したとか……って、これはまさか」
井寺は二段のチェストボックスの上に置かれたアクリルケースの中に入ったものを指さし、口を大きく開いた。
「う、うみちゅいのファンクラブ会員限定バッジ。それも、抽選で十人にしか当たらなかった、最もレアリティの高いものだ」
「ほほお。井寺さん、中々芸能関係の話題に詳しいようですね」
「いや、俺は好きになった人のことをとことん調べちゃうだけだよ。九割の芸能人は、その存在も認識していないと思う。ていうか、まなさんはうみちゅいもファンなの」
「勿論です。仮面をつけてて素顔は知りませんが、世界で一番可愛い女性だと確信しています。ところで、井寺さんはどうして二人のことが好きなんですか」
「ヒノボルで実名活動が当たり前になった今、北岡さんはSNS上での活動を一切せず、うみちゅいは人口がずいぶん減った匿名性のSNSで活動してる。二人とも不利な条件で戦ってるのに、圧倒的な人気を勝ち取っているなんて凄い。それに、やっぱり憧れの芸能人って、素顔が分からない方が魅力的な感じがするよね」
「私たち、気が合いますね」
「うん、そうだね」
微笑みかけてきたまなに対して井寺が微笑み返していると、背後からとんでもない殺気を感じた。振り返ると、そこには鬼の形相をした桜井の姿があった。井寺は溜息をつき、思わず今の感情を吐露してしまった。
「……また重度のシスコンが相手かよ」
「お前、今なんか言ったか」
「あ、いや別になんでも。ははは」
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