第9話 絶望の中で、最後に見出す希望

 自分に向けられた銃口。子どもの頃に映画を見て憧れたシチュエーションだが、本当にその場面に接してしまっては、これまで想定していた映画俳優顔負けのスタントアクションなど実行できるわけもなかった。

 全身の筋肉が固まり、身動き一つとれない。できることといえば、ただ辛い現実から目を背けるように瞼を閉じることだけだった。

 目の前に迫る、死。頭の中には、これまでの人生の中で残してきたたくさんの後悔が溢れた。子どもの頃、欲しいおもちゃが買ってもらえなくて、「お母さんなんて大嫌いだ」と叫んだこと。子どもの頃から憧れた俳優の仕事に、挑戦すらしなかったこと。反抗期の時に大喧嘩をして以来、ほとんど口をきかなくなった兄のこと。

 それらすべての後悔が、頭の中に次々と臨場感たっぷりの映像とともに流れ込んでくる。そんな中でも、今一番大きい後悔は、岬のことを守れないまま死ぬことだった。岬や佐に大見得を切った手前、こんな不甲斐ない結果で終わることが悔しくて、情けなくて仕方がなかった。

 諦めたくはなかった。しかし、どうすればよいかも分からない。やがては頭の中に次々と浮かんできた後悔の念も消え、頭の中が真っ白になった。何も考えられない。だが、覚悟だけは決まった。自分はもう死ぬのだという、その覚悟は。

 そんな暗闇の中で井寺の耳に聞こえてきたのは、銃声でも佐藤の声でもなかった。まだ知らない、第三者の声だった。

「あなたが佐藤文吉か。やっと、見つけたよ」

 少し吞気な声に話すその男は、拳銃を構えている佐藤のことを挑発するように軽口を叩いた。

「……どなたか存じませんが、離れてください。私は警察です。そしてこいつは、人を生きたまま焼き殺した極悪殺人犯です。近づいては危険ですよ」

「人を生きたまま焼き殺す極悪殺人犯か……それって、あんたのことだろ」

 突然現れた男の芯を食った言葉に佐藤は動揺したのか、井寺に向けられた殺気がわずかに減った。そのことに直感で気付いた井寺は目を開け、未だ銃口が自分に向いていることを確認してから、声の主の方へ視線だけ動かした。

 そこには、二十代後半ほどに見える男が立っていた。インナーはただの黒いTシャツだが、ジャケットやパンツ等はすべて革製品だ。首元にはネックレスが輝いていて、髪もワックスで逆立てられている。初対面で申し訳ないが、あまり素行が良さそうな印象は持てなかった。

「その発言が出るということは、あなたもゲーム参加者ですか。そして、先ほどまでの私たちのやり取りを聞いていたと」

「まあ、そういうことだ」

「であれば、話は簡単ですね」

 そう言うと佐藤は井寺の足を払って地面に転倒させ、それと同時に素行の悪そうな男の方へ銃口を向けた。

「あなたも殺せば、私が勝者になる可能性はさらに上がる。そういうことですよね」

「まあ、確かにそうだな」

 銃口を向けられた男はそのことに一切動じる様子も見せず、頭を搔いて溜息をつくだけだった。その口調の軽さも、変わっていない。

「でも、俺たちを殺したところであんたは生き残れないよ」

「ふん、何を言って――」

「そろそろ聞こえてきただろ。次に死ぬのは自分だって、声が」

 その瞬間佐藤は、自分の胸に左手を当てた。

「貴様、なにをした」

「俺は何も。ただ世間は、あんたの昨日の投稿を見てお怒りの様子だ。現場を見たのになぜ助けないんだとか、警察の癖に犯罪を野放しにしているとかな。まあ、相手を殺すことばかり考えてるから、その投稿で自分がどういう立場になるかを考えられなかったんじゃないか。でないと、やらないだろ。警察官が、あんな投稿」

 男は両手を肩の高さで左右に広げ、大仰に首をすくめた。それを見た佐藤は拳銃を下ろし、天を仰いで大きな笑い声をあげた。しばらくしてその笑い声が止むと、佐藤は男の方を鋭い眼光で睨みつけながら、再び話始めた。

「参ったよ。ヒノボルは実名登録だから、自分の情報は簡単に調べられる。知り合いが暴露することもある。そんな当たり前のことも分からないくらい、私は冷静じゃなかったというわけか」

 そう言うと佐藤は両手を広げて深呼吸するように、再び天を仰いだ。

「ああ、聞こえる。時計が時間を刻む音が。刻一刻と、自分の死が近づいてくることが分かる。昨日の薫さんも、これを体験したんだろうか。怖かっただろうな。私も、今ならあの人の気持ちが分かる」

「殺した人間には、殺された人間の気持ちなんて分かるわけねえよ」

「いや、分かるよ。死が間近に迫るこの緊張感と――誰かを道連れにしたいって気持ちがな!」

 そう言うと佐藤は素早く踵を返し、倒れたまま動けなかった井寺の方へ銃口を向けた。佐藤の背後から男が何か叫んでいる声が聞こえるが、井寺はこの状況を理解することができなかった。

 自分は、銃口を向けられている。このままなら、間違いなく撃たれるだろう。しかしその銃口を向けている男も、間もなく体内から火を上げて死んでしまうだろう。お互い、死が間近に迫っている。

 それなのに、何故銃口を向けられた自分は怯え、銃口を向けている男は笑みを浮かべているのだろうか。本当は、自殺願望の持ち主だったのだろうか。はたまた、人を殺すのが好きな快楽殺人者なのだろうか。それとも、そこにまともな理由など存在しないのだろうか。

 とにかく井寺は、この状況と佐藤の表情のミスマッチさで頭が混乱し、正常な判断ができなくなっていた。人間の本能として生き残ろうとすることも、今や機能不全となっていた。

「井寺、一緒に死のう」

 その佐藤の発言が聞こえた時、井寺はようやくすべてを理解した。佐藤は嬉しいのだ。自分一人で孤独に死ぬのではなく、一緒に死んでくれる人間がいるということが。それは絶望の中で最後に見出した、たった一つの希望なのだ。

 だが、その希望をかなえるわけにはいかない。井寺には、岬を守り切るという使命がある。こんなところで、簡単に死ぬわけにはいかないのだ。そう思うと、ようやく足に力が入り、地面を蹴ることができた。

 前方に転がるように移動する井寺。それを見て、銃口を移動させる佐藤。再び照準が合い、佐藤が引き金を引こうとしたその時、あの素行の悪そうな男が佐藤に強烈な体当たりを仕掛けた。背中から力強く押された佐藤はそのまま前のめりに倒れ、その拍子に銃弾をあらぬ方向へ一発発射してから、前方に滑らせるようにして拳銃を手放した。

「は、ははは。あははははははは」

 倒れこんだ佐藤はそのまま笑い声をあげ、ゆっくりとうつ伏せから仰向けへと体の向きを変えた。笑い声は段々とその大きさを増し、メインストリートからも異変に気付いた人たちが数名こちらを覗き込む様子が見えた。

「おいあんた、ここは危ない。早くここを離れるぞ」

 そう言って素行の悪そうな男が、井寺の元へ手を差し伸べた。井寺はその手を取り、男の肩を借りてゆっくりと歩き始めた。

「どうして、こうなるんでしょう」

 背後から佐藤の声。井寺は、思わず歩みを止めた。

「どうしてこうなるんでしょうね。私は、私はただ、普通に生きたかっただけだったのに。毎晩何の心配もすることなく眠りについて、元気に働きに出て、職場の人とバカな話をして……それだけでよかったのに。何も多くは望んでないのに。……普通に生きるって、難しいものですね」

「いや、そうじゃないよ」

 佐藤の最後の嘆きに、井寺は振り向くことなく答えた。

「佐藤さん、あなたは自分で普通の人生を諦めたんです。俺に話しかけた、あの時から。だって普通の人間は、他人の死なんて願うわけないんですから」

「ふふ、ははは。はははは、そうか。私は最初から普通じゃなかったのか。あはははは」

 佐藤の笑い声を背後に、井寺は素行の悪そうな男に気遣われながら再び歩を進めた。


 二人は、決して振り返ることはなかった。メインストリートに合流する際に心配そうに声をかけてくる人が何人もいたが、二人は何が起こったかに関しては何も説明せず、「ここは危ないから離れたほうがいい」とだけ短く伝えてその場を後にした。

 背後から聞こえる笑い声は、留まることを知らない。だが、どこかその笑い声は悲壮感を帯びているように感じられた。やがてその笑い声は、多数の悲鳴へと置き換わった。そしてその悲鳴は、消防車が鳴らすけたたましいサイレンへと置き換わっていくことになった。


佐藤 文吉さとう ふみきち 死亡     残り、七名』

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