第7話 暗雲

「昨日、都内にある喫茶バーニングの店舗で火災が起こりました。火は店内にいた客らの通報で駆け付けた消防によって二時間で消し止められましたが、この火災で、従業員の橋野基薫さんと店長の江西玉えにしたまさんの二名が亡くなりました。火災の原因は現在調査中とのことですが、現場を目撃した人たちの中には、人体発火が原因だと証言する人たちもおり――」

 井寺が岬の家を訪れると、岬はまたあの件に関する報道を呆然と眺めていた。井寺は以前と同じように岬の手からリモコンをもぎ取り、テレビの電源を消した。

「また、人が亡くなったんだね」

「……偶々だろ。俺たちはあんな意味不明なメールを見たからそれと関係してるんじゃないかと思うだけで、本当は偶々こんな事件が頻発してるだけだろ。ネットで炎上したら現実でも炎上して死ぬなんて、本当なわけないじゃないか」

「でも、昨日来たメールに書いてあった名前と同じだよ。橋野基薫さんって」

「それも偶々……いや、これはわざとだな。このメールの送り主が俺たちに信じ込ませるために、亡くなった人の名前を使ってるんだ。きっとこのメールの送り主はマスコミ関係者で、報道されるよりも早く情報を強いれてるに違いない。うん、きっとそうだ」

 岬に無用な心配をかけさせないように、さも何かを分かっているかのように語る井寺だったが、こちらを見つめる岬の瞳は、そのすべてを見透かしているようだった。困惑する井寺。いつもならこんな風に長い話をすると、岬は考えるのを諦めて、別の話題をし始める。

 だが今回に限って、一番考えてほしくない話題に限って、岬は考えることを止めようとしない。井寺はそれが怖かった。このまま考え続けてしまうと、岬は他の人を助けるために自分の命を絶つかもしれない。それは、何としても避けなければならなかった。

「岬、もうこのことについて考えるのは止めてくれ」

「……りょうくん、私に何か隠してることない?」

 岬のその問いに、井寺は思わず動揺してしまった。こういう時の岬の勘は鋭い。おそらくは、自分がこのゲームを止めるために様々な行動を起こしていることに気付いたのだろう。気付いてしまった以上、岬はそのことを徹底的に追及してくる。井寺が本当のことを話すまで、すべてを話すまで、追及の手を緩めることはない。岬はそういう性格だ。

「なあ、岬。俺のことを信じてくれるか」

「うん。私は、りょうくんのことを信じる」

「……実は今、俺は二人の仲間と一緒にこのふざけたゲームを止めようとしている。今生き残っているこのゲームの参加者たちは、実験に協力してから一ヶ月以上炎上しなかった、本来は優しい人たちのはずなんだ。だから、皆このゲームから降りよう。何もしなければ、これまでと変わらない生活が待っているんだ。そう呼びかければ、きっと皆分かってくれる」

「……この人も、分かってくれるかな」

 岬はそう言うと、俯きながらこちらにスマートフォンの画面を向けた。そこには、昨日の橋野基薫炎上の発端となったらしい、ヒノボルへの投稿が写っていた。

 内容は美人局の被害と警告を訴えるもので、投稿者は偶々その現場に居合わせたらしく、犯行の様子を物陰から動画で収めていた。その動画は被害者の顔こそモザイク処理が施されていたが、加害者の顔には何の処理もされていなかった。そのため薫の身元が特定され、炎上したらしい。投稿者は、佐藤文吉という男性だった。

 どうやら岬は、これをゲーム参加者による意図的な炎上騒動だと考えているようだった。本音で言えば、井寺もその意見には賛成だったし、そう考えるのはごく自然なことだと思えた。だがそれを岬に対して認めるわけにはいかなかったし、井寺も、自分が生き残るために他人を蹴落とす人間がいるなんてことを信じたくはなかった。

 だから自分の冷静な考えに全力で首を振り、大仰な動作と共に否定した。

「この人だって、薫さんを炎上させようと思ってこの投稿をしたんじゃないと思う。きっと自分の正義感に従って、この投稿をしたら、偶々こんな結果になっちゃっただけなんだよ」

 それは岬だけでなく、自分にも言い聞かせる言葉だった。

「そうだよね。自分が悪いことしてなかったら……炎上なんてしないよね」

「そう、俺たちの生活は何も変わらない。これまで通り生きていれば、何も心配することなんて無いんだ」

 岬が納得してくれたようなので、井寺は胸を撫で下ろした。

 しかしこのまま長居しては、自分がボロを出しかねない。そう思った井寺は、自分の家に帰ることにした。岬に別れを告げ、玄関に向かう井寺。

 岬の部屋から玄関に向かうためには、途中で台所を通る必要がある。井寺は慣れた足取りで台所に辿り着くと、そこに先ほどまで家に居なかったはずの佐と対面した。井寺は慌てて頭を下げて挨拶するが、佐はご飯の準備をしているのか、無言のまま包丁で食材を切っている。

 時間帯としては遅めの昼ご飯のようにも思えたので、家族団らんの時を邪魔するのは悪いかと、井寺は足早に玄関の方へ向かった。しかし材料からしてカレーを作ろうとしていることが明白だったので、おそらくは夕食の準備であろうと判断し、ここは手伝いを申し出て佐からの信頼を稼ごうと考えた。

「夕飯の準備ですか、俺も手伝いますよ」

「君に手伝ってもらう方が、時間がかかりそうだ。それに、君にはやるべきことがあるだろう」

「やるべきこと、ですか」

「ああ。なんでも、バイト先が火事になったそうじゃないか。新しいバイト、もう見つかったのか。それとも、岬の紐になるつもりか」

「いえ、俺は自分の力で岬さんのことを守ろうと思っているので、岬さんの紐になるなんて選択肢はありませんよ」

「そうか、岬を守るのか。じゃあ、守ってやってくれ」

 そう言って佐は、笑顔でこちらに包丁の柄の部分を差し出してきた。

「お、任せてください。俺、カレーには自信がありますから」

「違うよ。君が切るのは、ジャガイモでも、ニンジンでも、豚肉でもない――君の首だよ」

 佐は笑顔のままそう言ったが、井寺には何を言っているのか理解できなかった。

「あ、あはは。じょ、冗談が過ぎますよ。いくらなんでも、命が関わるようなことを笑い事にするのはどうかと思います」

「冗談じゃないよ。君、僕が何も知らないとでも思っているの。あんな塞ぎ込んだ岬を見て、何も気付かないとでも思ってるの」

 佐の顔から、笑顔が消えた。

「岬は君が何とかしてくれるから心配していないと口では言ったけど、本当は怯えてる。詳しいことは何も話してくれなかったけど、いつ死ぬか分からない恐怖に怯えていることだけは分かった。そしてさっきの君の話を聞いて、多少状況は分かった」

「聞いてたんですか」

「ああ。まだ完璧に状況が分かったわけではないが、一先ず君が死ねば、ゲーム参加者の頭数が減って、岬の状況は改善されるんじゃないかと思うんだが、どうだろう」

 そう言いながら佐は、右手をこちらに何かを促すように動かした。

 佐の言う事は、全てが間違っているわけではない。確かに井寺が死ねば、計算上は岬が最後の一人としてゲームの勝者になる確率は上がる。

 だが、現実はそう簡単ではない。井寺がここで死ねば、岬が他の参加者から何らかの攻撃や妨害工作を受けた時、助ける人間いなくなる。それはつまり、岬が死ぬ確率が上がることを意味する。

「佐さんは、いつも正論を言います。でも、常に正しい正論なんて、この世に存在しません」

 そう言って井寺は、佐に包丁を突き返した。佐はそれを冷静に受け取り、料理に戻った。そして井寺に背を向けたまま、静かに話し始めた。

「……良平くん。僕はこのゲームのルールを知らない。だから今は、ルールを知っている君が最善だと思う行動を尊重する。でも、教えてくれないか。今岬の身に……良平くんの身に、どんな危険が迫っているのか。僕は、岬が悲しむ姿を見たくない。僕にできることなら、協力させてほしい」

 涙声でそう訴える佐に胸打たれ、井寺は件のメールを佐に転送するよう操作し、寸でのところでその操作を止めた。

「――そう思うのなら、佐さんは何も知らないでください。いつも通り、岬に接してあげてください。岬が悲しむ顔を見たくないなら、佐さんはこんな危険なゲームに近寄らないでください。佐さんの身に何かあっても、岬は泣くと思いますから」

 そう言い残し、井寺は玄関扉を開けた。

「気を付けたほうがいい。うまくいっていると思う時ほど、落とし穴はすぐ近くにあるから」

 背中越しの忠告を聞き、井寺は玄関を潜った。

「さて、これからどうしたもんかな」

 岬の家を後にした井寺は大きく伸びをし、これからの行動について考えていた。先ほどまでの緊張感からか、傍から見れば見えない誰かと話しているとしか思えない声量での独り言が、自分の意思に反して勝手に出てしまっていた。

「うん、腹が減っては戦はできぬだな。まずは腹ごしらえとしよう」

 またも大きい独り言を口に出し、井寺はスマートフォンに目を落とした。近辺にある飲食店を検索しようと思っての行動だったが、そこで井寺は、思わぬ事実に気付いてしまった。

 井寺の独り言が止んだ。底知れぬ恐怖を感じ、全身が震えた。悪寒を覚える。そしてこれまで自分がいかに愚かな行為をしていたかに気付き、先程の佐の忠告が正論であったのだと、心から理解した。


 ――うまくいっていると思う時ほど、落とし穴はすぐ近くにあるから。

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