第6話 再び……

 富摩明夫と話が済んだ井寺は、ビルから出てすぐにスマートフォンを取り出し、木村から教えられた電話番号へ電話をかけた。

「もしもし、井寺さんですか」

「はい、そうです」

「ああ、木村です。どうされましたか」

「先ほど富摩さんと話をさせていただき、無事協力を得ることができました」

 電話口から驚愕の声が聞こえる。木村は、このような自分の命がかかっている危機的状況で、お互いを助けるために協力しようなどという話が簡単に承諾されるはずが無いと考えていたようだ。

 だから直接交渉は井寺に任せ、自分はできるだけゲーム参加者の素性を明らかにしようと動いていたらしい。協力を得られる可能性が少ないなら、当たる数を増やすしかないからだ。

「でも、そんな苦労もしなくてすみそうですね。現状明らかになっている中で、富摩さんが最も影響力の大きい人です。その協力を得られたのなら、鬼に金棒。井寺さん、あなたはすごい人です。あなたがいれば、本当にこのゲームを止めることができるかもしれない」

 電話口から聞こえる木村の声は、僅かに震えているように感じられた。

「木村さん、あなたに最初に出会えてよかった。あなたに出会わなければきっと、俺は何もできないままでした。あなたのように、本当に他人のことを考えられる人に出会っておいて、本当によかったです」

 井寺はいつの間にか涙を流していたが、それは電話の向こうの木村も同じようだった。その声は先ほどまでよりも更に震えを増しており、嗚咽のようなものまで聞こえてくる。言葉も途切れ途切れで聞き取り辛いが、そんなことは今の井寺にはどうでもいいことだった。

「とにかく、一度合流しましょう。私の方でも色々調べて、分かったこともあるので。それでは、正午に昨日のカフェでお待ちしております」

「分かりました。では、昨日のカフェで」

 そう言って、井寺は電話を切った。そして空を見上げ、小さくガッツポーズを取った。

 最初はどうなるのかと思った。突然体の中に自分の命を奪うかもしれない機械が埋められていると聞かされ、それを埋められた者同士で殺し合いをしろと言われたのだから。希望など、何も見えなかった。

 だが、今は違う。心強い仲間が二人も現れた。このゲームを止めることに協力してくれる人間が、二人もだ。そう、これは一筋の希望なのだ。ゲーム参加者全員が誰かを故意に炎上させなければ、実験開始から今までの期間炎上することのなかった井寺たちのような人間は、今後も平穏に暮らしていける可能性が高い。

 これまでと何も変わらない、普通の生活。ゲーム参加者全員が顔を合わせ、互いにそれぞれの人生があることを分かってもらえば、きっとこの惨劇を止めることができる。

 井寺は、心の底からそう考えていた。だから足取り軽く、木村との待ち合わせ場所であるカフェに向かうことができた。

 ――その安心を根底から破壊する、背後の人影には気付かないまま。


 正午。井寺が例のカフェでカフェオレを飲みながら優雅に待っていると、木村が少し息を切らして席にやってきた。

「木村さん、大丈夫ですか」

「え、ああ。大丈夫です。ただ、ちょっとゆっくりするわけにもいかなくなったかもしれません。強盗事件があったとの一報が入ったので、そちらの捜査にも向かわないといけませんから」

 そう言うと木村は、注文を聞きに走って来たらしい店員に向かって手の平を見せ、すぐに退店することを伝えた。店員はどこか唖然とした表情をして、木村の方を見つめている。まだアルバイトを始めたての新人なのだろうか、注文をしない木村へどう対処してよいか分からず、その場に留まっているようだった。

「じゃあ、手短にすませないといけませんね。俺からお伝えすべきことは、電話の時にお伝えしたことで全てです。なので、木村さんが調べたことを教えてください」

 井寺が店員のことを無視してそう切り出すと、店員は慌てて頭を下げてキッチンの方へと姿を消した。こんな話を聞かれるのは困ると思っていたので、井寺は心の中で、どこかホッとしている部分があった。

 木村も同じ気持ちだったのか、店員がキッチンへ姿を消すのをしっかりと見届けてから井寺の方に向き直り、話を始めた。

「まずは、ジャッジメント田崎についてです。こいつは、やはり何かがおかしいです」

「というと?」

「通常ヒノボルへの偽名登録を行った前科者は、警察がその身元保証人となるために、誰がどのような偽名で登録しているかを閲覧することが可能なんです。しかし、ジャッジメント田崎に関しては、どれだけ検索しても何の情報も出てきませんでした。そもそも、そんな偽名で登録している人間はいないと、そう表示されるんです」

「つまり、ジャッジメント田崎は本名ということですか」

 数秒間の妙な沈黙。

 その後木村は、仕切り直すかのように席晴らしをした後、再び話を続けた。

「つまりジャッジメント田崎は、警察官僚とか政治家のような上の世界の人間から、何らかの理由で守られている可能性があるということです」

「え……でもそいつは、これまでそういった人たちのスキャンダルを明らかにして、地位を築いてきた人間でしょう。むしろ、目の上のたんこぶのような、邪魔な存在じゃないんですか」

「そう、それが私も分からないんです。ただ現状をありのままに見る限り、権力を持つ何者かに守られているとしか考えられません。そして、もし本当にそうだとしたら、私たちの考えた仮説が正しい可能性も高くなります」

「ジャッジメント田崎は、このゲームを推し進めようとする諸悪の根源だと」

「その可能性は、十分にあります」

 少し凄みをきかせた声でそう言うと、木村はカフェの椅子をゆっくりと後ろに引き、徐に立ち上がった。

「それでは、私はこれで失礼します。そろそろ捜査に合流しないと、怒られるのでね」

「はい、ありがとうございました」

 井寺は爽やかな笑顔で木村を見送り、それからしばらく席でカフェオレを堪能した後、伝票に目を通した。そして伝票に踊る『680』という数字を見て、少し肩を落とした。

「今回は奢りじゃなかったか。はあ、そろそろバイトしないとな」

 そう言いながらレジに向かう井寺の前に、どこかで見たことのあるような顔の男が、電話をしながら現れた。

「どうなんだ佐藤、お前なのか……まあ、お前にも言えないことはあるだろう。とにかく、うまくやってくれよ。俺とお前は、もう一心同体。離れたくても、離れられない存在になっちまったんだからな」

 男はそう言って電話を切ると、今こちらに気付いたかのように手を挙げて声をかけてきた。

「あれ、井寺さんですよね。先ほど会ったばかりですが、覚えていらっしゃいますか」

「あ、えっと……富摩さんと一緒にいた方ですよね」

「はい。秘書の鈴木と申します。いや、こんなところで会えるなんて思いませんでした。ま、これも何かの縁ということで、ここのお会計は任せてくださいよ」

「え、いや、そんな。悪いですよ。自分の分は自分で払います」

「遠慮しないでください。詳細は知りませんが、富摩会長からあなたと協力関係になったと伺っています。富摩会長の味方は、私の味方です。そんな人に会っておきながら何もしないなど、富摩グループの一員として恥ずかしいばかりですよ」

 そう言って鈴木は、井寺が大事そうに握りしめていた伝票を奪い取り、自分がもっていた伝票と合わせてお会計を頼んだ。井寺は申し訳なさそうに後ろから財布を持って近づくが、押し問答の末、鈴木に押し切られる形となった。

「あの……お連れの方は本当に帰られたんですか」

 お会計の最中、レジの向こうからそんな声が聞こえてきた。よく見るとそこには、木村に注文を断られて困惑していた、あの新人らしいアルバイトスタッフの姿があった。カフェの制服でエプロンをしているせいもあるだろうが、どこか家庭的な印象持つその女性は、体をもじもじさせて井寺から視線を外し、頬を赤くしながら小さな声でそう尋ねてきた。

 そんな彼女の姿に、井寺の持つ保護欲が少し刺激されていた。あの時は戸惑っているだけだと思っていたが、ひょっとしたら木村に一目ぼれでもしたのかもしれない。だとすれば、自分が故意のキューピッドになることもやぶさかではない。

 井寺がそんなことを考えていると、突然彼女は大きな声を出し、井寺に掴みかかってきた。

「あの人は、あの人はもう帰ったんですか」

「え、あ、はい。木村さんなら、少し前に帰りましたよ」

 そんな返答をした井寺の耳を、彼女が発狂する声がつんざいた。目の前にいる彼女が、先ほどまでとは別人にしか見えない鬼の形相で、こちらを睨みつけている。かと思えば、突然ふらふらと歩き出し、カフェの中を徘徊し始めた。

「どこ。どこにいるの。私を助けてくれる王子様は、どこにいるの。ここに来てくれるはずだったのに。どうして、どうして来ないの。どうして助けてくれないの」

 そんな妄言を呟きながら、彼女は店内にいる男性の顔を次々と覗き込んでいる。そんな彼女の凶行を見て、店の奥から店長らしき、やり手そうな女性が姿を現した。

「薫さん、薫さん。なにしてるの。ほら、急にどうしたの」

「離して、離してよ!」

 店長らしき女性は、薫と呼ばれた彼女を羽交い絞めにして抑えようとするが、薫の抵抗は激しかった。しかししばらくするとその抵抗も収まって、薫の動きも小さくなっていった。

「薫さん、落ち着いてよ。どうしたのよ、急に」

「店長……バイトの私がミスすれば、誰の責任ですか」

「え……」

 店長は少し辺りを見渡し、店内のすべての視線が自分に注がれていることを確認してから、息を呑んで、慎重に言葉を選びながら答えた。

「勿論、私の責任よ。だから、私も一緒に責任を取るから、何をしたか教えて。バックヤードで話を聞くわ」

 店長がそう言ったのも束の間、薫は店長に抱き着くような形で身を預け、そのまま二人で床に倒れこんだ。

「ちょっと、痛いわよ」

「痛いってことは、生きてる証なんですよ。まあ、今からそれも消えてなくなるんですけど」

「……何する気? ……止めて!」

 店長がそう叫んだ瞬間、薫の体から火柱が飛び出した。

 一瞬で店内は騒然となり、逃げ惑う人々でパニック状態となった。井寺は店長が炎上した時と同様に、消火器を持って火元に向かおうとしたが、鈴木に製されてそのまま店外へと飛び出した。

 店外に飛び出した井寺は辺りを見回すが、そこに店長らしき女性の姿はない。

 落胆する井寺に、スマートフォンの着信音が聞こえた。


橋野基 薫はしのもと かおる 死亡     残り、八名』

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