第34話 吉報を伝えに来た男
病室にあるテレビが、安達が焼け死んだ一件を伝えている。これで、井寺たちが参加したゲームの死者が報道されたのは、達磨初四郎・橋野基薫・富摩昭雄・中峰海・三木博・安達勝也の六名となった。表向きには、全員原因不明の人体発火現象が死因だとされている。だがヒノボルの中には、死亡した全員が死ぬ直前に炎上していたことから、ヒノボルで炎上したら死ぬという噂が実しやかに囁かれていた。
勿論この噂の発端は、このゲームの生き残りとなった井寺・岬・歩の三人である。それ以降三人はヒノボルでの投稿を控え、SNSそのものと距離を置くようになっていた。こうすれば第三者からの予期せぬ炎上も、三人が互いを陥れるために炎上させることもあり得なくなり、全員が天寿を全うできると考えたからだ。
「それにしても、今回の安達の一件は報道が遅かったな。あいつが死んでから、もう二週間は経ってるぞ」
「対応に困ったんだろう。あいつが死んだことで、ゲームの真実を知る人間が三人生き延びることになった。黒幕が誰かまでは分からないが、警察の捜査が妨害されていると考えれば、それより上の権力者が関わっている可能性が高い。自分たちの身を守りながらどう後始末をつけるのか、その賢い頭を捻りに捻って考えたんだろうよ」
桜井が皮肉たっぷりにそう言うと、隣り合わせのベッドに横になっている歩と岬が笑った。
「でも、岬さんも無事みたいで良かったです。集中治療室に運ばれたって聞いた時は、心配で心配で仕方なかったんですから」
「ふふ。歩ちゃん、心配してくれてありがとう。襲われた時のことなんにも覚えてないんだけど、きっとりょうくんが守ってくれたんだよね」
「いや、あなたを守ったのは俺です。井寺はあなたを部屋に残して、とっとと部屋から出て行きました」
「言い方! 物音がした場所を確認しに行くっていう、一番危ない役目を引き受けただけでしょうが。あれ、よくあるホラー映画だったら俺の方が死んでたからね」
「という言い訳で、逃げました」
「りょうくん、見損なったよ」
「井寺さん、最低」
「俺の敵しか生き残ってないのか」
病室は、笑い声で包まれた。安らぎの一瞬。この瞬間が永遠に続けばいいと、井寺と桜井の両方が願っていた。だが、そうも言っていられない。自分たちの体の中に炎上メーターが存在する以上、完全な平和など訪れないのだ。
「あ、そろそろ時間だな。じゃあ、今日は帰るよ。岬、早く元気になってデート行こうな」
「うん。またヒキニーランド行こうね」
「歩も、元気になったら行こうな」
「うん。この前は散々な目に遭ったから、今度はちゃんと楽しまないと」
笑顔の二人に手を振って見送られる中、井寺と桜井は病室を後にした。そしてそのまま重い足取りで、近くの喫茶店に出向いた。店の中に入ると愛想のいい店員がすぐに駆け寄ってきたが、二人は連れが先に入っているはずだから案内は不要だと言って、店員を退けた。
店内は木目の美しい木の柱やテーブル、椅子が並んでおり、天井には同じく木製のシーリングファンが回っている。店内にいる客は、全部で四組。一組目はママ友と思わしき集まりで、抱っこ紐を装着した婦人たちが四人で談笑しながら紅茶と茶菓子を楽しんでいる。二組目は仕事を抜け出した若いサラリーマンのようで、机の上に置かれた社用と思われる旧型の携帯電話を怯えるように見ながら、震える手でコーヒーを啜っている。三組目は男子学生が六人ほど集まり、昔から根強い人気のあるカードゲームに興じている。
そして四組目が、井寺と桜井の用がある客だ。そこにはスーツをびっしりと着こなした男が一人、海老のように背中を丸めて体を小さくしていた。他の三組の客は入り口からほど近い席に座っているのに、その客だけが離れた窓際の席に鎮座し、一言も発さず、何も飲まず、ただ座っている。まるで店の真ん中に境界線でもあるかのような、時空でも歪んでいるのかと思いたくなるような光景が広がっていた。
だが数々の死線を潜り抜けてきた井寺と桜井にとって、そんな境界線を越えることは簡単なことだった。二人は境界線の先に歩を進め、その男の前に座った。男はひどく怯えているようで、二人とは一切目を合わそうとしなかった。
「突然呼び出しておいて挨拶も無しとは、随分ふざけた奴だな」
桜井が分かりやすく悪態をつくと、男は全身を震わせた。そして二人に聞こえるか聞こえないかのギリギリの声で、謝罪の言葉を繰り返した。
「まあまあ、落ち着いてください。取り敢えず、あの電話で言っていたことが本当なのかを教えてください――僕たちの体から、炎上メーターを取り出してくれるんですか」
井寺がそう尋ねると、男は肩をビクつかせながら、何度も頷いた。そして頷き終わると大きく深呼吸し、ようやく話し始めた。
「こんなことに巻き込んでしまって、本当に申し訳ございませんでした。すべて、私の責任です。私が安達の口車になんか乗らなければ、こんなことには……」
「どういうことですか」
「たった一度、たった一度の過ちです。でもそれが、取り返しのつかないことになってしまった。……私は、佐藤
「刑務官、ですか。そんな人が、この恐ろしいゲームとどんな関係が?」
「安達が収容されてから七年ほど経った頃――そう、丁度ヒノボルが稼働し始めた頃です。ある人に手紙を届けてほしいと頼まれました。当時はネットでの炎上に起因する自殺者が増加の一途を辿り、公務員に最も厳しいバッシングが行われていたタイミングでした。真面目に働いても報われないことに不満を感じていた私は、いっそのことすべてを滅茶苦茶にしてやろうと思い、達磨初四郎宛てのその手紙を、中身を検閲せずに届けてしまいました」
そこで男は言葉を止め、唇を噛み締めた。机の上で指を組んでいた手に、ギュッと力が入る。
「でも、それが間違いだった。その手紙には、ヒノボルをハッキングして匿名アカウントを作るという計画が書かれていたんです。そう、それがジャッジメント田崎のアカウントでした。最初は相手にされなかったものの、政治家や警察などの国家権力の闇を次々暴くジャッジメント田崎は、やがてマスメディア並みの影響力を持つになりました」
男の話はあまりに突然で、奇想天外なものだった。井寺の頭は何とかそれを整理し、理解しようとした。でも、できなかった。井寺は呆気にとられていたが、尚も男は話し続けた。
「でもそれは、ただのマッチポンプだったんです。まあ、私が人のことを言えたものではありませんが、あの頃の公務員は世間からのバッシングに嫌気が差し、破壊衝動に駆られるものが多数いました。そんな弱みに付け込んで、安達は死刑囚でありながら複数の刑務官を誑かし、犯罪行為の片棒を担がせていたんです。中には警察官や有名政治家まで巻き込んだ、大規模な汚職事件までありました。そしてそれらをリークする投稿を、ジャッジメント田崎のアカウントで行ったんです。そう、そのとんでもないスキャンダルで、あいつは日本の司法を人質にとったんです」
そこまで話して興奮した佐藤哲信は過呼吸状態になり、慌てて駆け寄った井寺に介抱された。井寺はウェイターに言ってお冷を貰い、それをゆっくり飲むよう、佐藤に促した。
佐藤は震える手でコップを口に運び、数度に分けて中の水を飲みほした。そして大きく肩を動かし、深呼吸する。まだ少し息が荒いが、多少はましになったようだ。
「つまりあのゲームは、スキャンダルを握られたその有名政治家とやらが、安達を抹殺してすべてを隠蔽するために始めたというわけか。死刑囚を野放しにしたと非難されないよう戸籍を与え、死刑執行の嘘報道までして」
「……そうです。安達は外に出れる代わりに、炎上メーターを体内に入れるよう言われました。GPSだと、嘘の説明をされてね。あれだけ注目されているアカウントだから、すぐに炎上する。そう目されていましたが、安達は炎上するどころか、どんどんその地位を確立。そこで焦ったその人が、炎上メーターをばら撒いて、安達を殺す戦士を作り出そうとしたんです。それが、あのゲームの真相です」
「じゃあ、俺たちはゲームを攻略したってわけか」
「はい。それで今日私がこうして来たのは、皆さんに良いお知らせするためなんです。虫のいい話で申し訳ないのですが、今回の一件を一切口外しないという条件で、皆さんの体内にある炎上メーターを取り出せることになりました」
一転、男は奇妙なほど明るい口調で話し始めた。先ほどまでと違って背筋がピンと伸び、スーツがよく似合っている。今のお知らせが、本当に良いものだと確信しているんだろう。
確かに、井寺と桜井にとっても非常に良い知らせである。だがその心の中には、一抹の迷いもあった。自らの過ちで犯罪行為に手を染めた人間の尻拭いをさせられた挙句、多くの無関係な人間が犠牲になった。そのことに口を噤むのは、汚職事件を隠蔽するために大勢の人間を巻き込んだ今回の黒幕と同等に、愚かで蔑むべき行為なのではないか。
二人は、すぐに結論を出すことができなかった。
「一週間、猶予をくれませんか」
そう言い残し、二人は喫茶店を後にした。
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