第33話 最期の一閃
どこで間違えたんだろう。
こんなはずじゃなかった。最初からこうなることが分かっていたなら、家で妹と大人しく過ごしていた。最期の時まで一緒にいようと、静かな最期を迎えようと、二人で過ごした。死ぬ時は一緒。そう決めたはずだったのに。
「ごめんな……
涙を流したのなんて、いつ以来だろう。こんなにも長く、親友に嘘をついたのはいつ以来だろう……多分、初めてだ。ずっと苦しかった。井寺は俺を信用して、すべて本当のことを話してくれていた。それなのに俺は、俺は――。
「桜井。
「ああ。本当にこのゲームに参加していたのは、俺の妹だ。妹の本名は
「そんな。じゃあ、今俺と一緒に炎上してるのは……」
「妹だ」
何時ぞやか、俺は井寺に「ごめんなさいと謝ることなんて、幼稚園生でもできるぞ」と言ったような気がする。でも、今の俺にはそんな簡単なことができなかった。嘘をついたら謝る。そんな社会の常識に従った行動が、俺にはとてつもなく難しかった。
「なんで、そんな嘘を……」
「……最初は俺が妹の代わりにゲーム参加者のフリをすることで、俺を意図的に炎上させようとしてくる奴らを返り討ちにしようとしていたんだ。俺はゲームの参加者じゃない。だから、どれだけ炎上させても死なない。そうして相手が焦り、自滅するのを待つ。そういう作戦だった」
そう、本当はそういう作戦だった。だが、その計画は一瞬で破綻してしまった。勿論原因の一つは、主催者から送られてきた生存者一覧のメールだ。あれで俺が本名を名乗りながら、ゲーム参加者に紛れる道は立たれた。
だが幸運にも、あのメールには名前の漢字表記しかされていなかった。それに妹の名前は、読み方さえ変えれば性別が違っても違和感なく使える名前だった。だから咄嗟に家に戻って妹と俺のスマートフォンを交換し、俺が
成りすましがバレない様に、妹がこれまで投稿してきた闘病生活を克明に綴った日記たちは、データのバックアップを取った上で削除した。自己紹介の欄も、書き換えた。本当はフォロワーも全員削除しようかとも思ったが、さすがにそれをすることはできなかった。
こうして、一度も投稿が無いにも関わらずフォロワー数が十万六千人いるという、大きな矛盾を孕んだヒノボルアカウントが誕生した。
「じゃあどうして、初めて会った時見ず知らずの俺を助けてくれたんだ。ま……歩ちゃんを守るために参加者が自滅するのを待っていたんなら、あの時俺を助けるべきじゃなかった。俺を見捨てれば、あの時点で俺と佐藤両方を消せたはずだろ」
「ああ、そうだ。でも、俺にはそれができなかった」
「どうして」
「――お前は、岬さんを守るためにゲームを止めようとしていた。同じ大切な人を守る者同士なのに、俺は他人を見捨てようとして、お前は全員を助けようとした。俺ができないことをしようとした。そんな奴、死なせるわけにはいかないだろ」
これが、俺が隠していたことのすべて。こんなに追い詰められるまで、俺は本当のことを言うことができなかった。井寺は、最初から最後まで本当のことを言っていたのに、だ。
「……桜井、頭を下げろ」
俺が自分の不甲斐なさに嘆いていた時、突然そんな声が聞こえてきた。
「なに言ってるんだ、井寺。俺が頭を下げたら、お前はこのまま死ぬことになるんだぞ」
「いいから、頭を下げろ桜井」
「いいわけあるか! 俺は、最後までお前に嘘をつき続けたんだ。そのしっぺ返しが来た。それだけの話だ。だから井寺、お前が頭を下げろ。お前が助かるべきだ」
「じゃあ、歩ちゃんは死んでもいいのか」
「それは――」
「桜井。お前は、歩ちゃんを守るためにここまで続けてきたんだろ。危ない目に遭っても、最後まで走り続けることができたんだろ。ここで歩ちゃんを失ったら、お前には何が残る。明日からもまた、お前は前向きに生きていけるのか」
……無理だ。歩が死んでしまったら、俺は生きる気力を無くし、数日と経たずに自ら命を絶つだろう。そんなこと、こいつだって分かり切っているだろうに。
「……俺は、歩ちゃんに死んでほしくない。そして桜井、お前にもだ」
「でも、岬さんはどうするんだ。お前が死んだら、岬さんのことは誰が守るんだ」
「大丈夫、佐さんがいるさ。あの人はお前と同じで、妹を守るためならなんだって出来る」
「でも……」
「正直、佐さんのことは気持ち悪いシスコンだと思ってた。でも桜井、お前を見て考えが変わったよ。お兄ちゃんっていうのは、妹を守るためにどんなことでもできる。佐さんのことを異常だと思っていた、俺の感性の方がおかしかったんだ」
「でも――」
「それに、恋人はいつ別れてもおかしくない。やっぱり誰かを守るなら、いつまでも関係の変わらない、血の繋がった家族の方がいいよ。俺だって、別れたら岬のことを炎上させようとするかもしれないしな」
そんなこと、するわけない。
初めて嘘をつく井寺を見て、俺は少し安心した。こいつは、嘘が下手だ。どんな時も正直に、自分が思っていることを素直に話す男だ。だから皆、信頼することができた。俺もそうだ。
そんな馬鹿正直な奴だから、こいつが何を考えているのか手に取るように分かる。自分が頭を下げて助かるなんて、これっぽちも考えてない。本当に俺に頭を下げさせ、歩のことを助けることだけを考えている。
なら、その善意を受け入れることが、今の俺にできる最大限の恩返しなのではないか。
「井寺――」
井寺の寂しそうな表情。その目は潤んでいるが、目に滲んでいるのは涙ではなく確かな覚悟だった。最後まで、俺はこいつに頼りっぱなしだった。最後に――最期くらいは、ちゃんと言うべきことを言おう。
「ありがとう」
そっぽを向く、井寺の顔。俺はそれを見届けてすぐに地面に膝をつき、ゆっくりと頭と両手を床に近づけていく。
「止めろ。そんなこと、しなくていい」
頭がもう床に着こうとしている時に、背後の扉から聞き覚えのある声が聞こえた。振り返ってみると、そこには三木博の付き人をしていた今水木五郎の姿があった。
「安達、もう聞こえてきた頃じゃないか? ……お前の、死へのカウントダウンが」
そう言って、今水木は自分の手に握られたスマートフォンをこちらに向けて掲げた。距離が遠くて画面の内容は一切見えないが、安達が慌てて自分のスマートフォンを操作し始めたので、俺もジャッジメント田崎のアカウントを見てみた。
するとそこには、おびただしい数の誹謗中傷が寄せられていた。どれもこれも、ジャッジメント田崎の正体が安達勝也であることに言及し、“なぜ生きているのか”といった生存を疑問視するものから、“十年前の報いを受けろ”といった至極真っ当なものまで、様々な内容が寄せられてごった返しになっている。
「……なにをしたんですか、今水木さん」
「さっきの会話、全部動画に撮らせてもらったよ。桜井に聞かれて正体についてベラベラと喋った、あの瞬間をな」
「ははは。冥途の土産は冥途の土産でも、私が持って帰るものでしたか」
安達の乾いた笑い声が聞こえた。
しかし次の瞬間、その笑い声は泣き声へと変わった。先ほどまで踏ん反り返っていた安達が、地面を転がりまわっている。その異様な光景は、俺の中にあった複雑な感情のすべてを忘れさせた。なにもかも、頭の処理が追い付かない。この男は、一体何をやっているのか。
「ああ、嫌だ。死にたくない、死にたくない。助けて、助けてくれ。俺は、まだ生きたい。生きたいんだ。なあ、助けてくれよ」
命乞い。
だが、それにはどこか感情がこもっていないように感じた。形だけの命乞い。それに、何の意味があるのだろうか。俺には何も理解できなかったが、反応を見て、井寺や今水木もこの状況を理解していないのだと分かった。
この状況を理解できていたのは、恐らくただ一人、安達本人だけだろう。
やがて安達の動きが止まり、その体から火の手が上がり始めた。安達の異常行動で帰って冷静になれた俺たち三人は、落ち着いて建物の外に避難することにした。
「ああ……私が一番輝く瞬間を私だけのものにしてくれるなんて、皆さんは最後まで優しい人ですね」
『安達勝也 死亡 残り、三名』
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