第32話 命を弄ぶ者

 ポケットに入ったスマートフォンが振動し、自分と話したい人間がいることを伝えてくる。その画面に目をやると、数日前に別れを告げた親友の名前があった。今、最も見たくない名前だ。

無視しようかとも考えた。でも、それはできなかった。三木が死んだから仕方がないと自分を納得させ、話したいと感じている本心を心の奥底に封じ込めた。

「なんだ」

「よかった、出てくれたか。……メール、見たか」

 相手がそう言うと、俺は迷うことなく電話を切った。しかし間髪入れず、奴から再度電話が入る。俺はそのすべてに応答するが、あいつが一言目を話すとたちまちに電話を切った。一言目が違う。あいつが正しい一言目を言うまで、俺は電話を切り続けた。

「悪かった。まなちゃんを、危険目にあわせってしまって……本当に、申し訳ない」

「やっと言えたか。お前、こんなこと幼稚園生でも簡単にできるぞ」

「幼稚園生以下で悪かったな。ところで、メールは見たか」

「ああ、もう俺たちしかいないな」

 スマートフォンを握る手に、思わず力が入る。

 俺は、無力だ。守りたいと思ったものを、何一つとして守れていない。ゲームを止めるために歩んできたはずなのに、何も成し遂げられていないどころか、犠牲者は膨らむ一方だ。

 名前負け。その言葉が、今の俺にはふさわしかった。

「……なんだ、ビビってるのか」

「ふざけるな。怖いのは、お前の方だろ」

 嘘だ。俺だって、本当は怖い。いや、最初からずっと怖かった。このゲームが始まった時からずっと、自分の大切なものを失ってしまうかもしれないこのゲームが怖かった。どれだけ強がった態度を周りにとっても、自分にはその嘘が手に取るように分かる。俺は、ずっと怯えていた。

 今すぐ逃げ出したい。それが、俺の本音だ。

「……ああ、俺は死ぬのが怖い」

 井寺の思わぬ発言を聞いて、自分の耳を疑った。

「お前、今なんて言った?」

「さっき、安達から電話が来たんだ。最後は直接会って決着をつけようって、廃墟のビルに呼びだし喰らったよ。……俺、死ぬかもしれない。怖え。死ぬのが怖えよ。俺が死んだら、安達は間違いなく岬も殺しに行く。そうしたら、俺は全部失う。怖くないわけねえだろ」

 井寺の声が震える。電話口の向こうから、何度も鼻を啜る音が聞こえる。沈黙。

 今話されたことが、紛れもない井寺の本音であることが伝わってきた。

「どこだ」

「え?」

「安達に呼びだされたビルは、どこにある」

 本当は、一人で決着をつけたかった。でも、ここまで来たからには、もう後には引けない。覚悟を決めて、前に突き進むことしかできない。

 俺は井寺からビルの所在地を聞いて、すぐにそこへ向かった。幸いそこまで遠い距離ではなかったし、安達が指定した時間までも余裕があったので、問題なく到着することができた。ビルの下には、間抜け面をした親友が立っている。

「随分早かったな」

「あーあ。桜井、お前本当はモテない男だな。待ち合わせに遅れてきておきながら、謝罪も気の利いた一言も無いなんて。デートの時に彼女を怒らせて、帰られちゃったことあるだろ」

「お前があともう少しだけ鼻が高くて、ショートカットがよく似合って、目がクリっとした背の小さいかわいい女の子だったら、謝罪も気の利いた一言もスラスラと出てきたんだがな」

「それってつまり、お前はロリコンってことだよな」

「曲解にもほどがあるな」

 二人の間に、笑いが起こった。一瞬ではあったが、俺にとっては、久しぶりに心から安らぎを覚える時間となった。この時間が、永遠に続けばどれほどいいか。こんな状態で出会わなかったら、もっとお互い笑い会えたのだろうか。親友として、本音を語り合えたのだろうか。それとも、敬意を持って接していたのだろうか。

 そんな様々な思いが脳内を駆け巡り、その思いたちが俺の目元を潤ませた。

「……俺たちは、まだ死ぬわけにはいかない」

「ああ。俺は、岬を最後まで守るために」

「俺は、ずっと……妹の側にいるために」

 顔を見合わる。俺の視界は歪んで親友の姿がよく見えなかったが、あいつも涙に言及してこないということは同じ状況だったんだろう。そんな状態でも、俺たちは足並みを揃えてビルに入ることができた。今なら、あいつの考えていることが手に取るように分かる気がした。

 安達が指定してきたのは、このビルの四階。ビルにはエレベーターも備え付けられていたが、当然動かない。俺たちはひび割れた階段を慎重に昇り、建付けの悪くなった四階の扉を開けた。

 そこは剝き出しになったコンクリートの壁や柱以外は特に何もない、あまりに殺風景な空間が広がっていた。かつて窓がはまっていたであろう場所には、今は段ボールや半透明のビニールが被せられている。そんな状態のため、入り口から離れた部屋の奥にはほとんど光が差し込んでいない。俺たちは互いの手を取り合い、慎重に歩を進めた。

「お待ちしていましたよ」

 どこからかそんな声が響き渡ると、突然目の前の空間が明るく照らし出された。安達だ。安達はテレビや写真撮影の際に使われるような大きな照明を背景に、こちらへ満面の笑みを向けて立っている。右手には、スマートフォンが握られている。

「やはり、桜井さんも来ていただけましたか。井寺さんを呼びだせばそうなるだろうと思っていたので、安心しましたよ。いやはや、その節は失礼いたしました」

「全くだ。初対面の癖にいきなり金属バットで頭を殴りつけてくるなんて、どうかしてる」

「ははは。許してください、というつもりはありません。許さないと言って、私を殺していただいても構いません。……どうしますか」

 大仰に首をすくめ、安達がこちらを煽るように言ってくる。少しカチンときたが、親友から脇腹を肘で突かれたことで挑発に乗りそうだった自分に気付くことができ、冷静さを取り戻すことができた。数度深呼吸し、話を続ける。

「お前には、訊きたいことが山ほどあるんだ」

「そうですか。まあ、冥途の土産と言うやつですね。少しだけ、付き合ってあげましょう」

「まず最初に確認したいのは、お前は本当にジャッジメント田崎本人なのかということだ」

「ほお、最初がそれですか。中々、面白い方だ。ええ、そうですよ。私があの正義のジャーナリストでお馴染み、ジャッジメント田崎です」

 連続殺人鬼のくせに、自分を呼称する時に正義と付けるなんて、頭がおかしい奴だとしか言いようがない。呆れながらも、更に質問を続ける。

「……じゃあ、次。お前は、本当に十年前の都内連続一家無差別殺人事件の犯人、安達勝也本人なのか。あいつは死刑が執行されたはずだが、どうして生きてる」

「核心に迫った質問ですね。簡単な話ですよ。その死刑執行というのは、自分たちの保身を考えた警察や政治家が発表した、嘘の情報だった。私はこの通り、ピンピンしている。それだけの話です」

「司法取引か何かか」

「それは、お話しできませんね」

 そこまで言ったところで、安達は自分のスマートフォンの方へ目をやった。そしてしばらくすると再び顔を上げ、こちらを真っ直ぐ見据えてこう言った。

「桜井さん。私からも、質問があるんですが、いいですか」

「まだだ。こっちにもまだ訊きたいことが――」

「あなたと井寺さんの命が天秤にかけられたとしたら、どちらの命を助けますか」

「……何を訳の分からないことを言ってる。そんなこと言って混乱させようとしても、無駄だ」

「そうですか。では、スマートフォンを見てください」

 背筋に、ぞくりとした感覚が走る。言い知れない不安、恐怖。それで震える手を何とか抑えながら、スマートフォンでヒノボルを起動し、ジャッジメント田崎の投稿を見た。

 そこには短く、『三木博の死亡した自動車事故に関し、警察は以下の二名の関与を疑って捜査中です。フォロワーの皆さんへ。この二人は、殺人犯の可能性があります。見かけたら距離を取り、警察に通報してください』と書かれ、井寺良平と桜井歩のアカウントが紐づけられていた。

「改めて質問しますが、あなたと井寺さんの命が天秤にかけられたとしたら、どちらの命を助けますか」

 俺は膝から崩れ落ち、情けなく泣き叫んだ。俺はまだ、安達に名前を知られていないから有利に立ち回れる。そう安易に考えていた自分を呪った。

 やはり俺は、何一つ大切なものを守れない男だったようだ。

「私があなたの下の名前を知らないと思って、油断していたようですね。残念でした。ですが、一つだけ助かる道もありますよ。……二人のうち、私に助けてくださいと土下座した方を助けて差し上げますからね」

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