第35話 ゲームエンド

 とあるホテルのスイートルームに、向かい合ってソファに座る人影が二つ。片方には初老の男が、もう片方には男より少し若いと思われる女が座っていた。男は黒を基調としたスーツに青いネクタイを緩めに結び、女は白いスカートスーツを纏っている。どちらの服装も、華やかさとフォーマルさを兼ね備えたもので、顔にはバッチリとメイクが施されている。

 そう、ここは会見控室で、二人はその時に全国民へ向けて声明を発表する総理と厚生労働大臣なのである。国民への重大発表を控えているからか、二人の顔には僅かに緊張が滲んでいる。

「本当に、大丈夫なんでしょうね」

 背もたれから体を起こし、前屈みになりながら総理が尋ねた。その姿には、普段親しみを込めて国民からあだ名で呼ばれている総理には無い、確かな覇気があった。

「計画は、順調です」

 厚生労働大臣は、少し顔を引きつらせながら答えた。煮え切らない答えに少し苛立った様子を見せる総理だったが、控室の扉がノックされると、すぐにいつもの親しみやすい総理の顔へと戻った。

「総理、会場へお願いします」

「うむ」

 秘書に呼ばれた総理は、今一度姿見の前に立ち、その首元に巻かれた青いネクタイを締め直す。次に自分の顔をあらゆる角度から見て、シミや皺等を確認する。今回も専属のメイクがうまくやってくれたおかげで、まるで四十代かのように若く美しい、肌つやのある顔になっている。

 こう言った印象操作もあって、在籍日数が八百日を超えた今でも、主要な支持者となる高齢者からはまだまだ若手だと応援され続けている。本当は総理ももう後期高齢者の仲間入りをしているのだが、そのことに気付いて世代交代を呼び掛けているのは、一部の取るに足らない、力も声の大きさもない若者たちだけである。

「それじゃあ、行きましょうか。くれぐれも、よろしくお願いしますね」

 いつも国民に見せている気さくな雰囲気でそう言った総理だが、厚生労働大臣には、総理に頼まれたことが会見のことでないことはすぐに分かった。そして会見会場に向かう道中、慌てて自分の秘書を呼びつけた。

「あなたに任せた後処理は、順調なんでしょうね」

「はい。一時間ほど前に、井寺良平と佐藤哲信の接触を確認したと報告がありました。現在井寺良平を尾行してタイミングを見計らい、丁度会見中に最後の仕上げを行おうと思っています」

「他の生き残りはどうするの」

「桜井歩は、高額療養費制度で生き永らえているようなもの。我々国に楯突くことなんて、できるわけがありません。参加者ではないもののゲームのすべてを知る桜井守は、先ほど秘密保持契約書へサインさせました。妹が人質にとられているのですから、懸命な判断ですね。最後の九条岬ですが、こちらは医療ミスで片づけておきます」

「佐藤哲信は?」

「……今頃、楽しい海中遊泳を楽しんでいる頃じゃないでしょうか」

 にっこりと笑う自分の秘書を見て、厚生労働大臣は恐怖に駆られた。どんな仕事でも完璧にこなす秘書。だから今まで、ずっとサポートしてもらってきた。それが今回の一件で――反社会的な命令を嬉々として実行する秘書の姿を見て――味方にいてくれてよかったと心から思うと同時に、下手に手を切ろうとして裏切られるのがとてつもなく怖くなった。

 秘書は、まだ若い。年の頃は三十代後半だが、その見た目は女子大学生と言ったら十人中七人は信じるような可愛げがある。笑顔も多く、愛嬌に溢れており、服装もきっちりとしていて清潔感もある。それなのに、人を殺すことに何の躊躇いもない。

 総理と言い、この秘書と言い、政治の世界には二面性のある人間しかいないのかとすら思った。その思いが、また一段と深い溜息を厚生労働大臣につかせた。

「大臣、困りますね。この扉を開ければ、会見会場です。多くの国民の前に姿を見せるのですから、その辛気臭い表情を今すぐ消してください」

 総理に言われて我に返った厚生労働大臣は、目を瞑って何度か自分の頬を張り、気合を入れてから再度総理の方を見つめた。それを見た総理が頷くと、ゆっくりと扉を開けて会場に入った。

 一斉に聞こえるカメラのシャッター音と、正面を向くのが困難なほどに眩く焚かれ続けるフラッシュ。そして、総理の動きに合わせて動く大きなテレビカメラ。

 この一瞬は、いつまでたっても慣れない。今回の会見では先に総理が話し、その後に厚生労働大臣が話す順番となっている。それが、唯一の救いかもしれない。

「我々政府は、都内で相次いで起こり、国民の皆様を不安に陥れている原因不明の人体発火現象に対し、ここに革新的な対策を行うことを発表いたします。それは――」

 何故なら、こうして総理が話している間に仕上げが終わっているはずだからだ。


 佐藤哲信から炎上メーターを取り出す手術の話を聞いた後、井寺は桜井とも別れて、あてもなく街の中を彷徨っていた。ふらふらと歩くその足取りはまるで酔っ払いのようだが、井寺の意識ははっきりとしている。しかしそのはっきりとした意識とは裏腹に、頭の中にもたげてきたあまりに深い問いかけは、まるで世界全体を霧に閉ざすような閉塞感を味合わせてきた。


 自分が助かるために、これまで犠牲になった人のことを見捨てていいのか。海や三木の死の真相を、明らかにしなくていいのか。だが明らかにしたところで、一体どうなるというのか。

 それを信じてくれる人はどれだけいる?

 信じてくれる人がいたとして、それで世界は何か変わるのか?

 それを明らかにすることで、自分や岬の命が狙われる可能性があるのではないか?


 こうして考えていくと、論理的に考えれば、このまま口を閉ざした方がいいという結論になる。だが、井寺の心はそれを承認することができなかった。それは間違った答えだと、訴え続けてきた。この相反する考えと思いに、井寺はどう対処すればよいか分からない。ただ、時間だけが過ぎていった。

 そんな時、井寺の体に衝撃が走った。意識を現実世界に戻してみると、足元に小柄な女性が倒れこんでいた。どうやら思考の世界に没頭するあまりにその女性の存在に気付かず、ぶつかってしまったらしい。女性はお尻の辺りを何度も擦り、眉をしかめている。周囲には、女性の荷物と思わしきものが散乱していた。

「あ、すいません。大丈夫ですか」

 井寺は慌てて謝罪の言葉を述べ、四つん這いになって女性の荷物を拾い始めた。

「いえ、こちらこそすみません。ありがとうございます」

 そう言って、女性も荷物を拾い始めた。

 そして最後の一つ。女性の財布に井寺が手を伸ばすと、背後から伸びてきた女性の手と重なり合った。井寺は咄嗟に手を引こうとしたが、女性はそんな井寺の手を握り、そっと体を近付けてから、井寺の耳元で感謝の言葉を囁いた。

 突然の出来事で井寺が呆気に取られていると、いつの間にか女性は姿を消していた。井寺は無意識の内に女性の姿を探して、辺りを見回した。そして、そこで初めて気付いた。

 ここはいつぞやか、桜井と初めて会った商店街だ。あの時は人で賑わっていたアーケードの目立つメインストリートにも、あの一件以降は人影がまばらになっており、今は井寺一人しかいない。店もほとんどが閉まっているようだが、何故か電気屋さんのショーウィンドウに飾られたテレビだけは、点いたままだった。

 井寺は吸い寄せられるようにテレビの前に立ち、現在開かれているという会見の生中継を見てみた。総理が、炎上メーターについて言及しているようだったからだ。

「――ここに革新的な対策を行うことを発表いたします。それは、全国民の体内に、この人体発火を防ぐための機器を埋め込むというものです。我々の調査により、この人体発火現象には新種のウイルスが関係している可能性が高いことが分かりました。このウイルスが体内に侵入すると、体内の細胞たちが過活動状態になり、異常発熱。遂には、発火点にいたるまで体温を上昇させることが分かりました」

 この総理は、なにを言っているのか。

「そして我々は遂に、そのウイルスを無力化するワクチンの開発に成功しました。しかしこのワクチンは、ウイルスの侵入から一時間以内に打たないと、効果が発揮されません。一時間以内にワクチンをうたなければならないが、このウイルスは侵入から三日ほど経たないと自覚症状を引き起こさない。そこで、このワクチンをいつでも打てるようにする機械を、皆様の体内に埋め込もうというわけです。その名も……」

 井寺の頭では、総理の発言を理解することができなかった。

「……炎上メーター、です」

 その瞬間、井寺の頭の中にあったすべてのものは、雲散霧消した。あのゲームのことを公表しないと、大変なことになる。今すぐ行動を起こし、炎上メーターを体内に埋め込もうとする人々を止めなければいけない。そう、一瞬で理解した。

 だがそんな時、突然現れた声の大きい男たちに羽交い締めにされてしまった。

「な、なんだよ急に。離せよ」

「黙れ、薬物中毒者め!」

「はあ!? なに言ってんだよ。大体、誰だよあんたは」

「俺はこの世から薬物を根絶するために立ち上がった正義のヒーロー、ファイティンだ。お前を薬物所持の疑いで逮捕する」

 そう言いながら、男は手で何かを招き入れるよう合図を送った。すると路地からスマートフォンを構えた男が一人飛び出してきて、羽交い締めにされた井寺を正面から捉えられる位置に立った。男の顔は、僅かににやけている。

「なんだこれ、何の真似だ。逮捕って、あんたら警察じゃないだろ」

「法律ではな、現行犯だったら一般人でも逮捕していいって認められてるんだよ」

「ふざけんな! 俺が何の現行犯なんだ」

「じゃあ、これはなんだ」

 そう言って男は、井寺のズボンの右ポケットから小さな袋を取り出した。中には、キラキラと輝く結晶が入っている。それがなにか、素人の井寺でもすぐに分かった。

「違う、そんなもの知らない。俺は、そんなもの使ってない」

「うるせえ、もう言い逃れはできねえぞ! さあ、この生放送をご覧の皆さん、この顔をよく見てください。こいつが、薬物中毒のどうしようもない犯罪者です。我々で、正義の鉄槌を下しましょう。さあ、皆さんも我々と一緒に、正義のために行動しましょう!」


 ――カチッカチッカチッカチッカチッカチ――

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