第28話 離れる
『中峰海 死亡 残り、五名』
大勢の人の悲鳴が聞こえる。ただその悲鳴は、理不尽な死を嘆くものではない。歓喜の悲鳴だ。それを聞いた井寺の心は、楽しそうでいいなと思う普段の感情とは違う、陰鬱とした気持ちで埋め尽くされた。
今、ヒキニーランドの中でその空間を楽しめていない人間は、おそらく井寺だけであろう。ジャッジメント田崎の投稿。さっき届いたメール。何度かけても繋がらない、海への電話。そこから予想される、最悪の結末。無意味で理不尽だとは分かっていても、周囲で歓喜の声を上げている人々に声を荒げたくなる。
いや、本当に声を荒げて𠮟りつけたい相手は、自分自身だった。頭の中で、自分を責める言葉が反芻される。
どうして早く決断しなかったんだ。三木から警告された時に安達への対策を講じていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。岬と桜井も元気でピンピンとしていて、今自分たちと一緒にヒキニーランドで楽しく遊んでいたかもしれない。今はどうなったかも分からない、三木と中峰さんもそうだ。六人で元気よく遊び、まなの回復を心から祝えていたかもしれない。
全員で生き残る――そんな安易な理想論を掲げた結果が、岬・桜井・佐・三木・中峰さん。この五人を危険に晒し、中峰さんを死に追いやった。これはお前の責任だ。お前の決断のせいで、中峰さんは死んだんだ。お前の、お前のせいで!
「ああああああああ!」
頭を抱え、雄たけびを上げる井寺。その隣で心配そうに声をかけるまなの言葉は、今の井寺には届かなかった。ただ自分の頭の中に響く声に心を抉られ続けたその傷に、歯を喰いしばって耐えるだけで精一杯だった。
だから、反応が遅れた。周囲で本当の悲鳴が上がるまで、井寺は気付かなかった……隣にいたはずのまなが、地面に伏せていることに。
「まなちゃん!」
慌てて駆け寄り、まなを膝の上に乗せて抱く井寺。だが、まなの呼吸は明らかにおかしい。不規則で、浅く、常に喉を鳴らしている。ドラマで得られるような医学知識しか持ち合わせていない井寺でも、それが非常に危険な状態だとすぐに分かった。
「井寺……さん」
そんなまなが、119番通報しようとする井寺の手を掴み、最後の力を振り絞るかのようにして話しかけてきた。
「お兄ちゃんを……助けてあげてください。お兄ちゃん、口は悪いけど、本当は優しい人なんです。だから……もうこれ以上――」
そこまで言ったところで、井寺の手を掴んでいたまなの両手が力なく地面に落ちた。その美しい瞳は閉じられ、先ほどまで聞こえていた喉を鳴らす呼吸音ももう聞こえない。唇は赤から紫に変色し、全身から力が抜けていくのが分かる。
「……まなちゃん。まなちゃん、しっかりして。まなちゃん!」
井寺の呼びかけに返事は無い。
早く救急車を呼ばないといけない。そう思った井寺の耳に、救急車のサイレンが聞こえる。どうやら野次馬の誰かが、井寺より先に通報してくれたらしい。その音で安心しきった井寺の視界は、次第に闇に包まれていった。
目を覚ますと、そこには蛍光灯の光る白い天井があった。
「まなちゃん!」
井寺は慌てて跳ね起きて辺りを確認するが、そこにまなの姿は無く、カーテンで間仕切られた狭い空間と自分が横になっているベッドがあるだけだった。病室。左手の窓から見える景色は、いつか三人の見舞いで訪れた病院から見たものと同じだった。
井寺は息を整え、そっと記憶の整理を始めた。しかし、どれだけ思い出そうとしても、救急車のサイレンが聞こえてからのことを思い出すことができない。それどころか、全身の力が抜けていくまなの体の感触が蘇り、ただ悪戯に井寺の心と体を揺さぶる。まなは無事なのか。そのことだけが、気がかりで仕方がなかった。
「やっと起きたか」
聞きなれた声が聞こえたかと思うと、目の前を遮っていたカーテンが開け放たれ、桜井の姿が現れた。その姿は最初に会った時よりも痩せているように見え、服装もなんだかた落ち着いた印象のあるものに変わっていた。
それが井寺に、まなの行く末が悪いものであったと想起させ、自動的に涙を流させた。
「妹は生きてるよ」
そんな井寺の姿を見て察したのか、桜井は短くそう言って、窓辺に赤い椿の鉢植えを置いた。見舞いの品のつもりらしいが、根付くという言葉から長期入院を連想させる鉢植えの花は、見舞いに持ってくるのに御法度であることは常識だ。桜井も、知らないわけがないだろう。
それでもあえて持ってきたということは、そこに何か深い意味があるような気がしてならなかった。しかし井寺は、その意味を確認するのが怖くなり、口を噤んでしまった。
「なあ、井寺。なんで、まなと遊園地になんて行ったんだ」
井寺は、何も答えられない。
「上田先生から聞いたよ。まなの容体は安定してたけど、完治したわけではない。手放しで喜べるような状態でもなかったし、ましてや遊園地なんて強いストレスのかかる場所に行ける状態ではなかった。俺が入院したと聞いて、仕方なく見舞いに行くことだけ許可したって。それ、お前も聞いたんだよな」
桜井からの冷たい視線。
井寺は、何も答えられない。何を答えても、言い訳にしかならないような気がしたから。
「……沈黙か。それがお前の答えなら、俺ももう何言わない」
そう言って桜井は井寺に背を向け、カーテンの向こうへ歩き出した。だがカーテンに手をかけたところで一度その動きを止め、井寺に背中を向けたまま、独り言のように言葉を紡いだ。
「あいつは今、意識のないまま人口呼吸器に繋がれている。一命は取り留めたとはいえ、予断は許さない状況。状況は、悪くなる一方だ。お前が寝ていた三日の間、俺はお前が起きるのを待った。お前の口から、直接本当のことを聞きたかったから……でも、無駄だったな」
踵を返す桜井。井寺の目を真っ直ぐ見つめ、最後に冷たくこう言い放った。
「これからは、敵同士だ」
井寺の視界は再びカーテンに遮られ、桜井がその場を去る足音だけが聞こえた。井寺は辺りを見回し、すぐ横の台に、スマートフォンが充電器に繋がれて置いてあることに気付いた。
すぐに電源をつけ、メールを確認する。三日前に海の死を知らせたメール以降は、何のメールも入っていなかった。ただ数度、三木から着信が来ていることに気付いた。井寺はすぐに待合室の電話可能なスペースまで移動し、その番号に折り返した。
「ああ、やっと繋がった。井寺くん、なにしてたの。電話繋がらないからなんかあったんじゃないかと思って、心配したんだよ」
「いや、その……色々ありまして。ところで、何の用ですか」
「ああ、それが岬さんが襲われたことについてなんだけど、岬さんのことを安達に伝えたのは海だったんだ。それに僕との交際報道も、海が僕に振り向いてほしくて自分で情報を流した、自作自演だったんだ」
三木は、嬉々としてその情報を伝えてくる。それはまるで、新しい言葉を覚えた子供のようだった。だが今の井寺にとってそれは、何よりも神経を逆撫でる態度だった。
「それがなんなんですか! 中峰さんはもう、死んじゃったんですよ。今更死んだ人のことを悪く言うなんて、三木さんは人の心が無いんですか」
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃん」
「いえ、この際だからはっきり言わせてもらいます。だいたい、中峰さんは死ぬほど炎上したのに、なんで三木さんは生きてるんですか」
「それは……有志たちの協力で、俺の炎上が止まったから――」
「じゃあ、なんでその有志たちに頼んで中峰さんを守ろうとしなかったんですか。分かってますか、三木さん。あなたは中峰さんを、恋人を見捨てたんですよ!」
声を荒げる井寺。三木は電話口の向こうで混乱しているようだ。
「僕のせいで、海が死んだって言いたいの?」
「ええ、そうです」
「それを言うなら、井寺くんはどうなのかな」
「はい? 俺が中峰さんの死に何の関係が――」
「安達がジャッジメント田崎だってこと、言わなかったんじゃない」
三木の発言を聞いて、井寺は言葉を失った。
「どうせ、余計な心配をかけたくないとでも思ったんでしょう。でももしそれを伝えていたとしたら、海は、ジャッジメント田崎に情報を流そうなんて考えたかな」
井寺は、何も答えられない。
「自分のことを棚に上げて、相手だけを責めるのはどうかと思うよ。井寺くんがそう言う人間だとは思わなかった。これじゃあ、手と手を取り合って、一緒にゲームを止めよう……なんて、口が裂けても言えないね」
三木の言葉に井寺が答えられないでいると、そのまま電話は切れた。
僅かに開いた窓から風が吹き込み、桜井が置いていった椿の花の一つを揺らした。
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