第29話 一難去ってまた一難
井寺が病室で目を覚ましてから、四日ほどが経過した。少し前まで忙しなくなっていた井寺のスマートフォンは、この間、音の出し方を忘れたかのように黙りこくっていた。それは誰も死んでいないといういい知らせでもあるし、桜井や三木と仲間割れしたことが本当だという悪い知らせでもあった。
「どこで間違えたんだろうな」
病室のベッドで横になりながら、窓の外を見てぼんやりと考える。だが、まなと海の件で錯乱状態にある井寺には、それはあまりに難しい問いであった。今の井寺に答えを出せるのは、精々今日の晩御飯に何を食べたいかという程度の問題だろう。それでも、自分の考えがまとまる気配を見せない井寺にとっては、ギリギリできるかどうかの難易度であろう。
そうして井寺が無為な時間を過ごしていると、軽い挨拶をしながら、主治医である精神科の蒲田先生が井寺の前に姿を現した。井寺は入院して病院のベッドの上にいるものの、身体的異常は一切見られなかった。しかし精神的な問題で、立つこともままならない様態を呈している。
だからこうして、定期的に蒲田先生のカウンセリングを受けているのだ。
「井寺さん、ご気分は如何ですか」
「特に変わりません。毎日毎日、ボーっと考え事をしては夜になり、そのまま目を瞑れば朝になる。俺は、少し前まで活発に動いていた。それなのに、今はこんなにも自堕落だ。もう、生きてる意味なんて無いんですよ」
「そんなことありませんよ、井寺さん。あなたは今、少し休憩期間なだけです。またすぐに元に戻って、動けるようになります」
「動けるようになって、何かいいことはありますか」
「じゃあ、想像してみましょう。動けるようになったら、井寺さんはなにがしたいですか」
「……何もしたくありません。俺はもう、何も考えず、何処にも動かず、今みたいにボーっとしておくべきなんだと思います」
「どうしてそう思うんですか」
「俺は、少し前まで誰かを助けるために必死だった。必死に動き回って、皆が笑顔で過ごせる道を探した……でも、結果は散々だった。皆、皆……俺のせいで死んだんだ!」
布団の上から、自分の太ももを強く殴りつける井寺。何度も何度も殴りつけたが、その拳は勢いを増すばかりである。蒲田先生は慌ててナースコールを押し、応援に来たナースと一緒に井寺を押さえつけてから、鎮静剤の注射を行った。井寺は微睡み、少し視界が歪む感覚を覚える。
だが、それがまずかった。それは、まなの一件の時に気を失った時の感覚と同じだった。だから井寺の中であの時の記憶、膝の上に力なく横たわるまなの感触がまざまざと蘇り、余計に心を乱した。錯乱し、周囲のものを所かまわず投げつける。気を失いたくない、その一心で――。
そして気が付くと、目の前にはいつもの白い天井が広がっていた。どうやらあまりの錯乱状態で手に負えなくなり、睡眠薬を使用されたらしい。井寺は深い溜息をつき、眠って少しだけ冴えた頭で、また自分がどこで間違えたのかという問いの答えを探し始めた。
そんな時、再びベッドの周りを囲うカーテンを引く音が聞こえた。音の方に目を向けると、そこには佐の姿があった。
「井寺くん、元気……そうではないね。なんだか、覇気が無いというか」
「佐さん、何か御用ですか。用が無いのなら、帰ってほしいのですが」
「そんなこと言う子じゃなかったと思うんだけど……色々あったみたいだし、無理もないかな」
「佐さんが何を知ってるんですか。何も知らないくせに、知った口をきかないでください」
「……全部、あの桜井って人から聞いたよ。このゲームのことも、君の身に、何が起きたのかも、ね」
余計なことを話しやがって、と内心思いながら、井寺は佐の話を聞き逃そうとしていた。だが、その内容が聞き逃してはいけないものだということは、次の佐の一言で本能的に理解することができた。
「桜井くんは、自分の手で安達を殺すつもりだ」
「そんな、なんでそんなこと……」
「安達がいる限り、自分たちに安寧は訪れない。でも桜井くんは、妹さんのために生き残らないといけない。だから、決めたんだ。安達を殺し、残った生存者で協力してこのゲームを止める。それ以外、もう方法はない……桜井くんは、そう言ってたよ」
桜井が、安達を殺そうとしている。そして残りの生存者と協力して、このゲームを止めようとしている。それは、今まで井寺が答えを出せなかった問いに、桜井が代わりに答えを出してくれたということを意味していた。
「あいつ、俺を殺しに巻き込まないためにわざと……」
「――本当は、全部終わってから伝えてくれって頼まれてたんだけどね。まあ、俺には全部終わったかどうかなんて分かる術が無いから、もう伝えちゃってもいいよね」
そう言うと佐は立ち上がり、井寺に背を向けた。
「あー、そういえば。ここの病室は他の所との見回りの兼ね合いで、あと五分くらいしたら丁度誰も見張りにつけない状態になるんだよな。その時に中央の階段で一つ階を降りて、三階の非常階段から地上に出ると、きっと誰にも気付かれずに外に出れるんだろうな。……まあ、そんな悪いことする人なんて、ここにいないと思うけど」
そう分かりやすく言い残し、佐は姿を消した。そんな佐の姿を見て、井寺は思わず笑みをこぼした。久しぶりに、心から笑えた気がした。止まっていた時間が動き出したような、そんな感覚がした。
自分は、まだ戦える――そう井寺が思った矢先、スマートフォンが震えた。三木から電話がかかってきたようだ。井寺は慌ててベッドから出て服を着替え、スマートフォン片手に佐の指示通り動いて、病院を抜け出した。
その間、スマートフォンはずっと震えていた。どうやら三木は、相当急ぎで重要な用事があるらしい。自分の心無い発言で傷つけてしまった手前、少し電話に出ずらい思いが井寺にはあったが、さすがにこれはただ事ではないと思い、スマートフォンの画面に映る緑色の応答ボタンを押した。
「ああ、繋がってよかった。喧嘩したから出ずらいとか思われてたらどうしようとか、色々考えちゃったよ」
「い、いや、そんなこと思うわけないじゃないですか。俺たち、ゲームを止める同士ですよ。ちょっと今は、病院を抜け出すのに忙しかっただけです。ところで、何の用ですか」
「いやね、炎上メーターについて気付いたことがあるから、井寺くんにも教えておこうと思ってさ」
「気付いたこと?」
「うん。多分炎上メーターが炎上を判断する基準は、ネガティブな意味を持つ単語を含む投稿が、ある一定の割合を超えて自分のアカウントを送られた時に炎上と判断するみたいなんだ」
「それって、どういうことですか」
「例えば海の炎上の時、僕の三木博の方のアカウントにも攻撃を仕掛けられたけど、僕が事前に作っておいた消防団によって、炎上は食い止められた。でも、海の炎上は止まらなかった。その違いは、消防団の投稿内容にあったんだ。俺の方には攻撃として、偽善者という言葉を含む投稿が多数寄せられた。それに対し消防団は、僕の優しさが伝わるようなエピソードを投稿した。でも海の方は、攻撃として仕掛けられたワードをそのまま使って、否定文を書いたんだ。彼女は不貞行為なんてしていない、みたいにね」
「文脈に関係なく、ネガティブな単語が一定数を超えれば炎上だと判断される。随分、システムがざるだな」
「だから、誰かは知らないけど、このゲームの主催者は最初から僕たちを生かす気なんてほとんどなかったんだ。ここまで生きていられたのは、奇跡なんだよ。それもこれも、井寺くんのおかげだ。……本当に、ありがとう」
三木の言葉に、井寺は言い知れぬ違和感を覚えた。
「三木さん。それ、なんで今気付いたんですか」
「……もう、切るね」
「待ってください。俺は、三木さんに謝らないといけないことがいっぱいあるんです。まずは、三木さんが中峰さんを見捨てたって言ったことを謝ります。すいませんでした。三木さんは消防団に、中峰さんも守るように言っていたんですね。それなのに俺は……俺は……」
「いや、井寺くんの言う通りだよ。海が炎上した時、僕は消防団がいるから炎上するわけがないって思ってた。だから、自分では何も行動をしなかった。……後で見たら、海に攻撃したアカウントのほとんどが僕のファンだったよ。つまり、僕が胡坐をかかないでなにか対策を取っていたら、ファンの暴走を止められたかもしれないってこと。僕のせいで、海は死んだ」
「そんなこと――」
「――井寺くん、最後に一ついいかな」
井寺の言葉を遮り、三木が言う。井寺は口を閉ざし、ただ黙って三木の次の言葉を待った。
「君たちは、死なないでね」
そこで電話は切れた。井寺はそのまま何も映っていない真っ暗な画面を見つめたが、すぐに画面は再点灯した。そこには、新着メールのお知らせが来ている。
『三木博 死亡 残り、四名』
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