第30話 誰がために生きるのか

「じゃあ、なんでその有志たちに頼んで中峰さんを守ろうとしなかったんですか。分かってますか、三木さん。あなたは中峰さんを、恋人を見捨てたんですよ!」

 数日前に井寺くんから言われたその言葉が、今も僕の頭から離れない。消防団には海も守るように言っていたから、井寺くんに反論すること自体は簡単だった。でも反論したところで、海を助けられなかった事実が変わるわけじゃない。

 それに、あの時の僕は明らかに油断していた。消防団がいるから炎上なんて怖くないと、それ以上、自分では何もしようとしなかった。後から確認して分かったけど、海を炎上させた人たちのほとんどは僕のファンたちだった。僕が何か一言でも海を助けるようなひところを言っていたら、海への攻撃は止まったかもしれない。

 策士策に溺れる。まさしく、今の僕にぴったりの言葉だ。

「師匠、こんな時にまで仕事なんてしなくてもいいんじゃないですか。しばらくゆっくり休んで、気持ちを立て直してから再スタートすればいいじゃないですか」

「それはできない。ここで表舞台から姿を消せば、それこそ安達の思う壺だからね。僕は表舞台に立ち続け、影響力を持ち続けないといけない。僕が安達よりも影響力を持って、このゲームを終わらせるんだ」

「なんで師匠がそんなことしなきゃいけないんですか! 表舞台に立つってことは、普通より炎上のリスクを抱えるってことですよ。あいつらと協力してゲームが止まっても、師匠だけずっと自分の炎上リスクを恐れ続けなきゃいけない。常に命がけで仕事しなきゃいけない。そんなの、おかしいじゃないですか」

「ごろうちゃん。人気者になるってことは、そういうことなんだよ。命を懸ける覚悟がない奴は、人気者なろうとしちゃいけない」

「でも……」

「それに、僕は十年前に家族と一緒に死んだも同然なんだ。それから今までは、ずっと余生なんだよ。むしろ、こんなに楽しい余生を過ごせて感謝するべきなんだよ」

 ごろうちゃんはまだ何か言いたそうだったけど、僕は無視して車の窓から外を眺めた。日曜日だからだろうか、外には子ども連れのお母さんやお父さんが大勢いる。親子の姿は三者三様だけど、子どもが笑顔でいることと両親に甘え切っていることだけは共通して見える。

 僕も、あんな時があったんだろうか。事件のショックのせいか、僕は家族との思い出のほとんどに蓋をして、記憶の奥底へ仕舞っている。だから、小さな頃に自分がどんな子供だったか、両親がどんなことをしてくれたかは思い出せない。

 思い出せるのは、あの事件の日に僕を必死に逃がしてくれた父親の顔だけ。最後に見る父親の顔があんな切羽詰まったものだったのは少し残念に思うところもあるけど、それだけ僕を助けるのに必死だったんだと思う。あの時、お父さんも僕と一緒に逃げていたら、二人とも助かったかもしれない。

 でも、お父さんは家の中に戻って、妹とお母さんを助ける道を選んだ。そして死んだ。警察の人に聞いたけど、お父さんは果敢に安達に挑んだせいで、最初に殺されたらしい。お母さんも妹も、自分が刺された痛みに耐えながらお父さんが刺されるところを見たんだ。そんな家族を見捨てて、僕は警察に駆け込み、生き残った。

 最低だ。愛する家族を見捨てて生き残るなんて、僕は人間として終わっている。そう、僕はあの時死んだんだ。一度死んだ僕は、何者にでもなれる。だから事務所の社長やごろうちゃん以外には本名を隠し、俳優になった。

 人気者になりたかったんじゃない。ただ、誰かを好きになるのが怖かった。誰かを好きになったら、その人がまた死んでしまいそうな気がしたから……。でも、一人になるのも怖かった。だから芸能人になって、僕のことを好きになってもらうことにした。こうすれば、僕が誰かのことを好きになることなく、周りに人がいる状態を作れると思ったから。

 ――僕は、これまでの人生を、そうしてずっと卑怯に生きてきた。勝負からずっと逃げてきた。でも、今回は逃げない。僕もあの時のお父さんのように、誰かを守るために闘うと決めた。

「師匠。考え事してるところ申し訳ないのでが、さっきからスマホがずっと鳴っているような気がするんですが」

 ごろうちゃんに言われるまで全く気付かなかったけど、僕のスマートフォンは休みなく通知を送ってきていた。嫌な予感がする。そう思いながら内容を確認してみると、僕への誹謗中傷の言葉が溢れかえっていた。

 なんで?

 どうして?

 すぐにその原因を探ると、ジャッジメント田崎による投稿が行われたことが分かった。今度は明確に、僕への殺意を持った投稿をしてきたみたいだ。


『俳優の北岡翔こと三木博は、うみちゅいこと中峰海との交際が公になったため、口封じで殺害した。それも残忍なことに、三木博は以前都内のカフェで起こった謎の人体発火現象に見せかけるために、中峰海の体に、生きたまま火を放って殺したのだ。証拠は、独自のルートから入手した、警察の捜査資料である。個人情報保護の観点から、写真に一部黒塗り部分があることはご了承願いたい』


 随分と物騒な内容だ。でも、こんな荒唐無稽な投稿を信じて、僕を攻撃する人などどれほどいるのだろうか。それこそ、消防団によって簡単に鎮火できるのではないか。そう思ったが、その投稿に添えられた写真を見て考えを改めた。

 ――どこからどう見ても、本物の捜査資料に見える。作成者の名前こそ黒塗りされているが、僕や海の名前、そして僕を容疑者として断定する記述がはっきりと書かれている。更には、海が発見された現場から、僕のDNAと足跡が発見されたとの記述まである。

 当然、僕はそんなところに行っていない。関係者として警察の捜査には協力したが、一日で解放された。警察が僕を疑っていたとは思えない。だとしたら、これは安達の捏造だろうか。それにしては、あまりに出来が良すぎる。それに、捜査資料らしきものの隣には、本物と思われる警察手帳まで写っている。これがすべて偽造なら、安達は即刻警察に逮捕されるだろう。そんなリスクを、あいつが背負うとは思えない。

 じゃあ、この写真に写っているものは一体なんなんだろう。


カチッ、カチッ、カチッ、カチッ――


 まずい。この音が聞こえたということは、炎上メーターが作動し始めたということだ。このまま車に乗っていたら、ごろうちゃんだけでなく、僕から出た火で車が爆発して、周りにいる人にも被害を与えてしまうかもしれない。

「ごろうちゃん。ちょっと、お遣いしてきてくれない?」

「どうしたんですか、急に」

「ジュースが欲しくなっちゃってさ。あの、コンビニ限定の甘ったるいやつ」

「……コンビニなら、ついさっき通り過ぎましたよ」

「うん。だからさ、車停めて、そこまで走ってきてよ。お釣りは――」

「師匠。最期の時は、私もお供します」

 ――やっぱり、ごろうちゃんは誤魔かせなかったか。

「……ありがとう。でも、やっぱりごろうちゃんにはお遣いに行ってきてほしいな」

「師匠!」

「僕の! ……僕の好きになった人に、これ以上死んでほしくないんだよ。……頼むよ、ごろうちゃん」

 最期に見せる顔は、笑顔だって決めてた。でも、駄目だった。バックミラーに写る僕の顔は、涙でびしゃびしゃのぐちゃぐちゃになってる。はあ、誰にもこんな顔見せたくなかったな。

 そんなことを思っていると、ごろうちゃんが車を停めた。

「……三木さん。戻ってきたら、乾杯しましょうね」

「……うん、待ってるよ」

 ごろうちゃんのアシストもあって、何とか口角を上げることができた。寂しそうに歩くごろうちゃんの背中が、遠くなっていく。さて、後は僕がどこか一人になれる場所を探すだけだ。

 ……そう思っていたけど、後ろに止まったタクシーから降りてきた人影を見て、僕は動けなくなった。人影は、僕の隣にある窓を叩いて、開けるように言ってきた。僕は少し怖いと思いながらも、窓を開けた。

「こんにちわ。三木くんの、人生で一番輝く瞬間が見に来ました」

「へえ。でも残念。僕は、自分が生きることになんて執着しない」

「そう言うと思って、下準備はすませておきましたよ」

 そう言うと安達は僕に、持っている紙袋を中身が見えるように傾けた。そこには、刃渡りがとんでもなく大きい、もはや包丁というよりは刀といった方がいいような刃物が入っていた。

「三木くん。あなたがこの車を降りたら、僕はこれで周りにいる人たちを無差別に殺して回ります。誰も死なせたくなかったら、車から降りないでください」

「僕が車に乗ったままでも、危ないと思うけど」

「ええ。このままあなたが炎上すれば、この車は爆発を起こして、通行人に被害が及ぶでしょう。ですから、あなたが何の被害も生み出さずにこの難局を乗り切るには、方法は一つしかありません」

 そこまで言ってから、安達は僕の耳に顔を近づけて囁いた。

「あなたが生きることです」

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