第22話 安達勝也という男
「ありがとう。――君たちのおかげで、ごろうちゃんは助かったよ」
今水木のいる病室の前で医師が出てくるのを待っている時、三木が突然そんなことを言い出した。井寺と桜井の方に顔を向けてはいないが、その言葉が二人に向けられたものであることは明らかだった。思わず、目を合わせる二人。
「ちょっとよく聞こえなかったんだが、もう一度言ってくれるか」
「あれ、桜井さんもそういうこと言う人だったんだ。止めてよ。そんな馬鹿なことを言うのは、井寺さんだけでお腹いっぱいだから」
「それは、いくらなんでも酷くないですかね」
不意に零れる、三木の笑顔。それは井寺や桜井が初めて目にする、人気俳優北岡翔の時とは違う、三木の心からの笑顔だった。
「――三木さん、今水木さんもこうして無事に帰ってこられたんです。安達さんとも、俺たちと三木さんのような関係を築ける可能性が、見えてきたと思いませんか」
不意に発せられた井寺の一言に、三木はゆっくりと、しかし確実に首を縦に振った。これでまた、ゲームと止めるために一歩前進することができた。井寺はそう思い、心の中で大きくガッツポーズをした。
そんな時、今水木の病室の扉が開いて医師が姿を現した。医師によれば、殴打などにより複数の外傷があるものの、どれも命に関わるよう傷ではない。また精神的な問題も心配なく、記憶もはっきりしている。この調子なら、後遺症と呼べるものは何一つ残ることなく、数日で元気に退院できるだろうとのことだった。
三人はホッと胸を撫で下ろし、医師に許可を取った上で今水木の病室へと入った。病室に入ってきた三木の姿を見て、今水木は素早く起き上がろうとしたが、その動きはすぐに止まり、お腹の辺りを両手で押さえて苦しみ始めた。
「ごろうちゃん、安静にしてなきゃだめだよ」
「こんな傷、どうってことありませんよ」
「駄目、これは命令。お医者さんがいいっていうまで、絶対に動いちゃ駄目。返事は」
「……はい、分かりました」
今水木は両頬を膨らまし、不貞腐れながら答えた。
「今水木さん。目を覚ましてすぐで申し訳ないんですが、安達に攫われた時のことを聞かせてもらってもいいですか。もし知っているなら、何故解放されたのかということも」
桜井がそう問うと、今水木は掛け布団を両手で強く握りしめ、眉間に皺を寄せた。三木の前だから気丈に振舞っているのだろうが、実際にはどのような思いをしていたのか。それは、小刻みに震える体が教えてくれた。
「あれは、母のお墓参りが済んですぐのことでした」
少し間を置き、今水木は足立に攫われた時の状況を話し始めた。
師匠に電話してすぐ、私は車に乗ろうと駐車場へ向かいました。そしてリモコンで車の鍵を開け、車に近づくと、突然後頭部に衝撃が走りました。私はそこで気を失い、気が付いたらパイプ椅子へと縛り付けられていました。必死にもがきましたが、バランスを崩して椅子が倒れそうになるだけで、ロープはびくともしませんでした。自分が諦めかけたその時、隣の部屋から声が聞こえてきたんです。
「やっとお目覚めですか」
そう言って現れたのは、低姿勢で感じのいい紳士のような男でした。自分は今の状況と男の態度がどこか矛盾しているように感じ、頭の中が混乱しました。
自分がいるのは、コンクリート壁や柱がむき出しになっている、おそらく廃墟になりかけている空きビル。今なお残る後頭部の痛みとここに来た記憶が無いことから考えて、自分は何者かに頭を殴られて拉致された可能性が高い。でも、その拉致した相手であろう男は素顔を見せたまま、笑顔でこちらに話しかけている。
そこまで整理して、自分は死を覚悟しました。男が素顔を見せているということは、自分を生きて帰す気が無いのだろうと考えたんです。でも、違いました。男は自分の前にカメラを置いたかと思うと、それ以上何も言うことなく部屋を後にしたんです。
この時点では、自分の置かれた状況がほとんど理解できませんでした。しかし男が帰って来ると、そいつはすべてを話し始めました。
「初めまして、今水木五郎さん。私は、あなたの師匠によって刑務所にぶち込まれてしまった、安達勝也という者です」
「安達勝也……師匠の家族を殺した、頭のおかしい連続殺人鬼か」
「頭のおかしい連続殺人鬼とは、随分失礼な言い方ですね。一応、私たち初対面ですよ。礼儀というものを知らないんですか」
「あんたみたいな人に、礼儀を持って接する必要はない」
私がそう言うと、安達は自分の顔面を殴りました。両手を縛られた自分は為す術もなく、椅子ごと床に倒れました。安達はそのまま馬乗りになり、自分の顔を何度も殴打しました。自分は歯を食いしばり、ひたすら耐えました。
――何十発殴られたか分からなくなり、自分の意識も遠のきかけた時、ようやく安達が殴るのを止めました。自分は首を振って何とか意思を保ち、安達から何か重要な情報を引き出そうと試みました。
「師匠に、なにをしたんだ」
「いや、特になにも。付き人を解放してほしかったら、ヒノボルでの実名活動をしろって言っただけだけど」
「どうしてそんなことを」
「……あいつだけは、私が殺さないといけない。ゲームに参加している以上、最大限そのルールに則って、ね」
「逮捕された復讐か。そのために、師匠を殺そうと――」
「そんなつまんない理由じゃないよ!」
自分が安達にゆさぶりをかけると、あいつはいとも簡単にその誘いにのってきました。
「ねえ、今水木さん。私がどうして人殺しなんてしてるか、知ってるかい」
「ふん、人を殺して楽しんでいるような奴の考えなんて、知るか」
「違う違う、そうじゃない。皆、私のことを誤解しているんですよ」
そう言うと今水木は既にガラスを外された窓の方を向き、自分に語りかけてきました。
「聞こえるかい、今水木さん。外の声が。これはね、馬鹿な都知事が言い始めた無意味で下品なモニュメント建設に対して、異を唱える人たちの声だ」
「……それが、なんだ」
「あの中には、本気で建設に反対している人もいる。こうすることで、都知事の考えを変えられると、本気で思っている人もいる。でも、中には抗議活動そのものを楽しんでいる人もいるんですよ。普段の押さえつけられた自分を解放し、鬱憤を晴らす場所として活用している人がね」
自分には、安達が何を言いたいのか理解できませんでした。だから話を逸らすなと叫びましたが、安達は自分の言葉を無視して、それでもなお語り続けました。
「私も同じことです。殺人鬼の中には、確かに殺人そのものを楽しんでいる人間が存在する。そう言った人間は、得てして連続殺人鬼になる。だから私も、そいつと同じだと思われてしまう。でも、私は違う。私は、人が一番輝く、美しい瞬間を見たいだけなんです。つまり、殺人はその美しい瞬間を見るための手段であって、目的ではないんですよ」
「お前の言う、人間の一番美しい瞬間っていうのはなんだ」
「……人間というのは、長く同じ状態が続くと、それが当たり前なんだと考えるようになる。最初は有り難いと思った人生というものを、享受して当然のものだと考え、明日も明後日も元気に過ごすことが当然だと思ってしまう。そればかりだけでなく、剰え人生は苦痛ばかりで、自分が欲していたものとは違うとさえ言って捨てようとする。こんなことが許されていいのか――いいや、駄目だ。なんとかして、生きることは尊いことなのだと、人々に思い出してもらわないといけない。そんな時、私に啓示があったのです」
「それで、あんな事件を起こしたって言うのか」
「人は自分の死に直面した時、初めて自分の生が有難いものだったと気づく。そして自分の生に執着し、私に命乞いをする。この瞬間こそ、人間が最も輝く瞬間です。わたしはそのために、人を輝かせるために、人を殺して回っているだけです」
「狂ってる……お前は狂ってる!」
自分がそう叫んだ時、安達のスマートフォンがなにかの通知音を鳴らしました。安達はその後しばらくスマートフォンを操作してから、こちらを向いて自分のことを解放すると言ったのです。
「どうしたんだ、そんな急に気が変わったのか」
「まあ、そういうことです。それに、あなたはまだ輝いていない。自分のせいに執着せず、三木博のことを気にかけ続けている。あなたをここで殺してしまうと、私はまた、一生ものの後悔を背負ってしまうことになりますから」
安達はそう言うと、自分に何か薬を飲ませました。それを飲んだ自分は、意識が遠のくのを感じました。恐らく、睡眠薬だったんだと思います。そこからは、皆さんも知っている通りです。
今水木が話し終えると、病室を静寂が包んだ。今水木にはその理由が分からなかったが、その雰囲気を見て、安達が自分に言ってきたあの言葉を話さなかったことは正解だったと思った。この後のゲーム展開に暗い影を落とす、あの一言を……。
「もしこのゲームで私が負けて死ぬときは、三木博が死んだ後です。そして――私を殺すのは今水木さん、あなたです」
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