第3話 燃える

「――国道一号線で、裁判所へ護送中だった達磨初四郎容疑者を乗せた護送車が突然爆発を起こし、車体が炎上するという事故が起こりました。この事故で護送中だった達磨容疑者は死亡。護送に当たっていた警察官は、車両トラブルに対応するために車外に出ており、軽症者が数名出るに留まりました。これを受けて開かれた会見では――」


 コンビニでのアルバイト前に岬の家へ立ち寄った井寺は、報道番組を呆然と見つめている岬の手からリモコンを奪い取ってテレビを消した。

「こんな気が滅入るようなニュース、こんなに大々的にやらなくてもいいのにな」

 井寺が苦笑いしながらも出来るだけ明るい声でそう言ったが、岬からの反応は返ってこなかった。ただ何もない空間を見つめ、自分の世界に閉じこもっているようだった。井寺はそれ以上何を言ったらいいのか分からなくなり、岬の横に座り込んで頭を掻きむしった。

 容疑者を乗せた護送車が爆発炎上。自殺者の大幅増加で行政や公務員に厳しい目が注がれるようになったこの国で、警察の不祥事が見過ごされるわけもなく、大々的に報道されるのは仕方のないことだった。しかし井寺たちは、これ以上この話題に触れるのはごめんだった。

 事故の直前に二人に届いた、謎のメール。ネットで炎上すれば、体内から火の手が上がると告げてきたそのメールには、達磨の死が予言されているとも取れる文章が載っていた。更に事故の直後のまだ何も情報が開かされていない段階で、メールの差出人は車内にいるのが達磨初四郎で、既に死亡していることを言い当てた。

 このメールに書かれていることは、本当なのかもしれない。

 二人の頭に、死の恐怖がもたげてきた。

「……私たちも、あの人みたいに燃えるのかな。知らず知らずのうちにネットで炎上して、自分でも気付かない内に嫌われて、そして最後は燃えるのかな。あの達磨って人みたいに」

 岬は肩を落とし、俯き加減でそう言った。彼女の顔が向いている畳には、何か水滴が落ちたような跡が見え、それは次第に増えていった。

「……いや、そんなわけないよ」

「え?」

 井寺が言った一言に、岬は呆気にとられたように顔を上げた。しばらく見つめる二人。岬は慌てて、目元を拭った。その姿を見た井寺は微笑み、言葉を続けた。

「ネットで炎上したからって、本当に人が燃えるわけないじゃないか」

「でも、あのメールには……」

「あんなのただの悪戯だよ」

「でも……」

「仮に本当だとしてなんだって言うんだよ。俺たちが真っ当に生きていれば、炎上なんて起こりっこないんだからさ。それに、岬には俺がついてる。もし何かあっても、俺は絶対岬を守る」

「……ありがとう」

 岬が涙ながらに礼を言う姿を、井寺は目に焼き付けた。

 絶対に岬を守る。つい口をついて出てしまった言葉だが、それが意味するところは重かった。もしあのメールが本当で、実験参加者の内一人しか生き残れないのだとしたら、岬を守ることは自分を殺すことと同義だからだ。

「……絶対に、守る」

 そのことに気付いてから言った二度目の発言は、一度目ほど軽く言い放つことはできなかった。声も少し小さくなり、僅かに手が震えた。それでも、言わずには言われなかった。岬を守りたい。それは、井寺の本心だったからだ。

 二人はしばらく、無言のまま抱き合った。静寂に包まれた空間。もはや二人の間に、言葉は不要だった。

 そんな時、井寺のスマートフォンに着信が入った。井寺は岬にことわりを入れ、スマートフォンの画面を見る。そして一目見てすぐにその電話の内容と、自分が第一声に発するべき言葉が分かった。

「店長、すいません。すぐに向かいます」

「井寺! てめー、これで何度目だ」

 物凄い剣幕の店長が、電話先で怒鳴り声をあげていた。井寺は電話に応対しながら手刀で岬に謝罪の意思を伝え、荷物をまとめて立ち上がった。

「バイバイ、りょうくん」

 去り際に聞こえた岬の言葉に、井寺は少し違和感を感じたが、あまりにも店長の剣幕がすごいので構わず家を飛び出した。

 それから全速力で走って十分。井寺はバイト先のコンビニへと辿り着いた。スタッフルームに入った井寺は店長と目を合わせる間もなく床に額をつけ、土下座の姿勢を取った。頭上から、店長の罵詈雑言が聞こえてくる。それでも井寺は頭を下げ続け、何も反論することなく耐えた。

「おい、もういいから顔上げろ。こっち見ろ」

 一体何分続いただろうか。さすがの井寺も我慢の限界を迎えそうになった頃、店長が顔を上げるように言ってきた。井寺はその指示に従い、恐る恐る顔を上げた。しかしその目に飛び込んできたのは、あまりに予想とかけ離れた、満面の笑みの店長だった。

「井寺、今何時だ」

「はい。えっと、四時五十五分です」

「シフトを確認してみろ。お前の今日の出勤は、何時だ」

「えっと……五時ですね。……あれ」

 スマートフォンでシフトを確認した井寺は、そこから顔を上げて店長の方を見た。すると店長は背中に隠し持っていた小さな看板を取り出し、明るい調子でこう叫んだ。

「ドッキリ、大成功! はっはっはっはっは。傑作だよ。やっぱり遅刻常習犯のお前に電話を掛けたら、出勤前でも自分が遅刻したと思うんだな。いや~、いい動画が取れた。これ、ヒノボルに上げるけどいいよね」

「え、あ、えっと……」

「いいよね」

「……あ、はい。大丈夫です」

「え、なにその感じ。なんか俺が悪いことしたみたいに見えるじゃん。やめろよ、それ。笑え」

「あ、えっと……な、なんだ店長そういうことだったんですね。もうほんと止めてくださいよ」

「悪かったって」

 井寺が無理やり作った笑顔で右往左往しながらそう答えると、店長は満足げに頷き、スタッフルームに隅に隠されていたスマートフォンを回収した。動画を見返しているのか、画面を見つめる顔には微笑が浮かんでいる。

 井寺は溜息をつきながら、さっさと制服に着替えてスタッフルームを出た。

「レジ、交代するよ」

「あ、井寺さんお疲れ様です。随分怒られてましたね。どうしたんですか」

 先にバイトしていた女子大生の質問に、井寺は今起こった出来事をありのまま伝えた。

「え、あのクソ店長最悪ですね。息が臭くて汚いうえに性格までゴミとか、もう救いようがありませんね」

「中峰さん、言いすぎです。きっと店長も、ブラックな労働環境で嫌気が差しておかしくなってるだけだよ。だって、店長今日で何連勤目だと思う?」

「あー、そういえばちょっと前に三連休取って以降、毎日出勤だった気がしますね。もう一か月くらいですか。でも、それとこれとは話が別です。店長、ヒノボルに動画を投稿するって言ってたんですよね。批判コメントつけてやる」

 そう言って、女子大生はポケットからスマートフォンを取り出した。

「やめときなって、そんな不毛なこと」

「本当は井寺さんがするべきことですが、実名登録のヒノボルではやり辛いでしょう。だから、私が代わりに正義の鉄槌を喰らわしてやりますよ」

「本音は」

「クソ店長に復讐したい」

「そんなことだろうと思った」

「あ、でも見てください。私が何もしなくても、勝手に批判が殺到してますよ。普通に可哀そうとか、これパワハラだろってコメントで溢れかえってます。炎上してますね」

 炎上。今一番聞きたくない言葉だ。――なんてことを井寺が考えていると、スタッフルームの扉から店長が飛び出してきて、真っ直ぐレジに向かって走ってくるのが見えた。井寺は炎上の責任を押し付けられると思い身構えたが、店長はレジに着くなりすぐに井寺に頭を下げた。

「悪かった。許してくれ」

「ど、どうしたんですか店長」

「いいから、許してくれ」

「きゅ、急にそんなこと言われても」

「そうですよ店長。炎上したからって、そんな都合のいいお願い聞いてくれるわけありません。それに、この様子だって生配信してるでしょ」

「関係ない小娘は黙ってろ! ……あ、ああ。今のは嘘だ。違う、俺の本心じゃないんだ。待て、待ってくれ」

 明らかに様子のおかしい店長を見て、最初は井寺も困惑したが、次に発っせられた言葉でその事情を理解してしまった。

「あ、ああああああああ! 聞こえる、カウントダウンの音が。時計の音が。駄目だ。死にたくない。俺は死にたくない。燃えるなんて嫌だ」

「店長、僕は大丈夫ですから。し、視聴者の皆さん。僕は店長を許しました。店長は一か月連続で働いて、疲れていたんだと思います。ですから、これ以上非難してあげないでください」

 状況を察した井寺は必死にそう叫んだが、店長の発狂は止まらなかった。

「ああ、熱い熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱い。熱いー!!」

 そう叫んだかと思うと、店長の体から突然火の手が上がった。井寺は消火器を片手に救出に向かおうとしたが、女子大生がその手を取り、井寺は静止した。

「中峰さん、離して。このままだと店長が……」

「もう手遅れですよ。それに、消火器は天井の高さまで上がった火を消せるほど強力じゃありません。今店を出ないと、私たちまで焼け死んじゃいます」

 井寺はしばらく葛藤したが、このまま無関係の女子大生まで巻き込んでしまってはまずいと思い直し、二人で店の外に避難することを選んだ。店を飛び出した二人はすぐに警察と消防に通報したが、火が消し止められたのはその三時間も後だった。


『佐藤一郎 死亡     残り、九名』

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