あるカラビニエと大神官

鯖虎

第1話 遭遇戦-Ⅰ-

「ソフィア、あなたが主席ね! 全部の教区で一番!」

 石造りの教堂の一室で、黒いローブを纏った神官は質素な椅子に腰かけ、癖のある茶髪の少女に笑いかけた。

 恥ずかしげに、しかし誇らしげにはにかむ少女は、時折鳶色の目を伏せながら神官の顔を見つめ、次の言葉を待っている。

「これで、あなたを大教堂の上級課程に入れられる。周りは貴族とお金持ちばかりでつまらないかも知れないけど、きっと神官になれるから。孤児院の先生方も喜んでいました……おめでとう」

「ありがとうございます、先生」

 冬の寒さを吸い込んだ部屋の空気を、暖炉が少しずつ暖める。

「ねぇソフィア、あなたは神官になれたらどうしたい?」

 実の親のように慕った神官の、どこまでも優しく柔らかい微笑み。

 その温かさとは反対に、少女の胸中には戦禍に巻き込まれて壊滅した故郷の村、動かない生白い塊になった親、傭兵による略奪の続いた貧しい暮らしの光景が去来する。

 少女はスカートを握りしめ、少しだけはっきりとした口調で答える。

「戦争……なくしたい。大神官になって、そんなことしなくても生きていけるようにしてあげたい」

 神官は黙って手を伸ばし、俯いた少女の手を優しく握った。




 街に戻ったら風味の重い赤ワインが飲みたい。

 そんなことを考えながら、レグルス・アストルガは黒い上衣に身を包み、馬上に揺られていた。

 砂漠との境の街で布や宝飾品と、ちょっとした秘密の品々を買い込んだ隊商の護衛役として、商館まで騎馬の長旅。

 春先の旅路だが、決して涼やかとはいえない気候。黒い髪は陽光を浴び、しっかりと熱を蓄えている。澄んだ琥珀色の瞳には、強い日差しもあまり愉快な物ではない。

 喉の乾きに耐えかねて馬腹に提げた水筒を掴み、香りの薄い、弱いビールを流し込む。せめて冷えていれば慰められるが、微発泡のその液体は生温く、ともすれば濁った尿のようだ。彼に率いられた百人を超える騎兵達も、不味いビールと下世話な話で退屈を乗り越えようとしている。

 十台を超える大きな荷馬車からなる車列には、当然商品と人間以外を積み込む余裕もある。しかし、その空間はほとんど馬の飼料に割当てられており、隙間に入れ込んだワインはすでに飲み干した後。

 馬の餌には随分と空間が割かれているが、人間の方は干からびたパンと、いつのものか判然としない干し肉と野菜で腹を膨らませている。

 暇を持て余したレグルスが先頭の馬車に馬を寄せると、幌の掛かった馬車の中では薄い黄色の上着に青のスカートの女が、熱心に帳簿を繰っていた。時折髪をかきあげると、金糸のような柔らかい髪が細い指から流れ落ちる。少し日に焼けた肌に、飾りのような金髪が眩しい。

「シモーヌ、どんな感じだ」

 女は顔を上げ、空色の瞳を彼に向ける。

「多分いい感じ。先にリウサレナ男爵に手紙を出しておいたら、とにかく絨毯と東方の刀は全部見せろだって。今回はいい取引だと思ってたけど、うん、出てきた甲斐があった」

「そりゃいい。おい、後で見せてくれ、どれぐらい読めるか試したい」

「どうぞ、熱心ね」

 シモーヌがそう答えると、横から髭の濃い褐色の男が身を乗り出してくる。

「旦那ぁ、あれですか? 手紙を書ければ女にもてると、そういう腹ですか? ま、確かに読み書きができる女はね、読み書きができる男しか相手にしませんからね」

 ゆったりとした赤いズボンを履いて胡座をかいた男は、調子よく笑いながら床板を叩く。砂漠風の布を余らせた鮮やかな衣装は、濃い顔立ちをよく引き立てていた。

「だめダーラー、本当だったらどうするの」

「どうするってねぇ会長。まぁ、面白がるしかないでしょうよ」

 脳天気な雑談に気を緩めていたレグルスの耳に異音――聞き慣れてはいるが、本来この場で聞こえぬはずの音が届き、背筋が伸びる。

「旦那? おーい、旦那?」

「静かに」

 レグルスが黙って耳をそばだてるのを見て、周りの誰もが口を閉ざす。蹄と揺れる金具、車輪の軋む音がいやに目立つ。

 耳を澄ませば、遠くから爆発音、馬の嘶き、男の喚く声が微かに聞こえる。何度も繰り返されるその音は、明らかに戦場が近いことを物語る。

 進路を検討しようとシモーヌが地図を開いた時、前方から騎兵が数騎接近するのが見えた。

 彼女は反射的に武器を構えさせようとしたが、レグルスが静止しようと手を振りかざす。

「見ろ、制服を着てる」

「制服?」

 体格の良い軍馬に跨る人影は、青と黒を基調にした軍衣を纏い、背の高い帽子には赤い房飾りが揺れる。

「リートゥスデンス伯の兵だな」

 彼らが着ているのは王国最大の港湾都市であり、ヴァレリー商会の目的地、伯領リートゥスデンスを治める大貴族バルカルセ家の兵の物。

 騎兵が腕を振り回して停止の合図を送るのを見て、シモーヌは停止の命令を下す。派手な身なりの軽騎兵と一緒に、頭に三角帽を載せた中年の士官が一人。士官はリートゥスデンス伯の歩兵中尉マルコス・ナバと名乗り、騎馬のまま近づいて来た。

 青地に黒の折返しの仕立ての良い制服に、レグルスの見る限りまともな品質のサーベルと二連装の拳銃、それに随行する騎兵の身体に合った制服が勢力の大きさを物語る。

 兵士それぞれに合う服を大量に用意するには、恐ろしい程の金が要るのだ。

 中尉の求めに応じてシモーヌが馬車から降りて名乗り、登録証――リートゥスデンスに拠点を持つ公認の商会としての証を見せた。

「伯爵閣下にご認可頂いたヴァレリー商会の会長、シモーヌ・ヴァレリーです」

「結構だ」

 ナバ中尉はそう言うと、レグルスと騎兵隊に角張った顔を向ける。

「貴隊は傭兵かな?」

「いえ、商会の者です、中尉殿」

 馬上のレグルスは下馬しない変わりに、できる限り丁寧に見えるように答えた。

 伯の軍とはすなわち検問を行う者であり、領内での裁判権を持った伯の手足として銃とサーベルを振り回す者だ。

 都市で平和に暮らしたければ、喧嘩をするなど考えられない。

騎銃兵カラビニエか。中々の兵力に見えるが」

「砂漠との往復は特に物騒ですので」

 中尉は一瞬空を見上げ、再びレグルスに視線を戻す。その顔には若干の焦りが浮かぶ。

「突然の申し出ですまないが、貴隊の力を貸してくれ」

「失礼ですが、今なんと?」

「騎兵が要る」

 中尉は興奮する馬をなだめながらも、早口にまくしたてる。

「輸送中にどこぞの傭兵どもの襲撃、とにかく騎兵の支援が欲しい。城にも使いは出したが、時間がかかり過ぎる。私の見る限り………貴隊であれば問題ない」

 レグルスが横目でシモーヌの様子を窺うと、その整った横顔に神妙な表情が浮かんでいた。

「不貞の輩によって伯爵閣下の受けた傷は、近い将来私どもが受ける傷、見過ごすわけには参りません。しかし……」

 彼女はさも困りました、という風に眉にしわを寄せ、艶のある声で一番の懸念を示す。

「ご契約の権限はお持ちで?」

 シモーヌの考えは、レグルスにも容易に想像できる。敵は大方伯と利害の対立する貴族あたりが、嫌がらせのために雇ったならず者。

 物理的にすぐ近くにいる伯の軍がやられてしまえば、追加報酬とばかりに商会もついでに襲撃される危険がある。何より、伯の軍に勝てる印象が野盗や野心的な領主達に広まれば、必ず欲に駆られて騒ぎ出す。

 商売としても、この機会は逃すには惜しい。

 王国南端、巨大な半島の最南端に位置する伯領リートゥスデンスは、貿易により莫大な利益を生み出す港湾都市。その権益を保護する伯軍は、質も量も王国随一。

 王国南部で誰と関係を築きたいか? その答えは、リートゥスデンス伯サカリアス・ファン・バルカルセの他にはない。

 無下に断れば伯に取り入る貴重な機会を失うばかりか、自分の命を失う危険性が高まり、代わりに得るものは何もない。利益も失い己の命も危険に晒す、それは選択肢としては最悪だろう。

 しかし、同じようにタダで戦う理由もない。元より野盗との戦闘を前提とした旅路である。装備は完璧、食事も味はともかく量は十分で、戦うこと自体は問題ない。

 問題は、苦労に見合った報酬と、伯の知己を得られるかにある。伯の部下に金を払わせれば、それについての説明が求められる。そして、説明を求められれば、必ずヴァレリー商会の名前が出る。

「なるほど? よし、私は大尉殿より中隊規模の募兵の権限を委譲されており、見たところ貴隊はそれに合致する。ここで報酬の額まで含めて契約すればいいか?」

 返答を聞き、シモーヌは目を細め、首を軽く傾げて微笑む。柔らかく長い金髪と、澄んだ青の耳飾りが揺れる。

「そこまでなさって頂ければ、申すことはございません」

 シモーヌに促されたナバ中尉はレグルスと共に馬車へ乗り込み、その場で簡単な契約書を作り始める。契約日や戦闘を行う期日、報酬額を書き込んでいき、最後に中尉とシモーヌが署名をする。

 中尉が馬車から降りる時に、シモーヌはレグルスに報酬額を耳打ちする。

「高いな」

「えぇ。やれる?」

「俺は、これしかできない」

 軽い調子で答えるレグルスに、シモーヌは目を合わせて言葉を返そうとする。

「そんなことないと思うけどね」

 レグルスは最後まで聞かずに立ち上がり、馬に跨るなり馬腹を蹴って前へ出た。

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