第25話 攻城戦-Ⅳ-

 城門が開かれて騎兵が飛び出す少し前、ヘルベルト・ヒンメルは渋い顔で自軍を見ていた。相変わらず肩で息をしているが、瞳はしっかりと見るべき物に焦点を合わせている。

 自軍の戦列は、崩壊。

 戦力比から見れば、混乱から立直れば決して撤退すらできない状況ではない。

 ただ、敵が振り下ろした拳――隠し砲台による奇襲は、あまりにも強烈な一撃だった。

 兵達は逃げることだけを考え、立ち向かうということを放棄しているように見える。特に騎兵が集まった左翼の混乱が酷く、軽騎兵はうろつくだけで、何の役割も果たしていない。

「騎兵隊長が見当たりませんが、これは……」

 アンリの言葉に望遠鏡を動かすと、確かにいくら探しても隊長の姿が見えなかった。

「死んだか。クソ、さすがにまずい。騎銃兵大隊を左翼に送れ! アブルッツォ! 騎兵の混乱を沈めてこい」

「は? あ、いえ、ほ、本官がですか?」

 自分の隣に控えた補佐官の裏返りかけた声を聞いて、ヘルベルトはアブルッツォの胸ぐらを掴んで引き寄せる。

「お前。自分の仕事がわかるか」

「え……はいっ! 騎兵隊の統制を回復し、再度突撃を!」

「もういい!」

 苛立たしげに突き放し、そのまま右手を脚に叩き付ける。落馬しそうになり慌てるアブルッツォの様子が、余計に苛立ちを煽る。

 明らかにテコ入れが必要だが、ヒンメル本人が行くには危険すぎる。しかし、アブルッツォを行かせた結果は無闇に突っ込んで兵隊を全滅させるか、無様に逃げ出すかのどちらかに見えた。

 他にも補佐官は何人かいるが、一人を除いて、不出来な学生の様に俯いている。

 ヘルベルトは小さく舌打ちをして、唯一まともな様子の部下に指示を飛ばす。

「リビエール! 貴様ぁ、騎銃兵出身だったな? なんとかしろ! 軽騎兵の指揮と、騎銃兵への要請を許す!」

「はっ、撤退を支援します!」

 勢いよく答えたアンリは馬を駆けさせ、騎銃兵大隊の先頭に躍り出る。

 塹壕線の内側は人で溢れて騎兵まで辿り着けないと判断し、塹壕をなぞるように弧を描いて騎兵のいる左翼の端まで急行する。

 後ろから撤退を命じる信号が聞こえるが、もはや混乱に包まれた最前線には届いていない。

 銃剣やサーベルで血みどろの争いを繰り広げる歩兵を横目に駆けていくと、見殺しという言葉が何度もアンリの胸を突き刺す。

 騎兵の統制を取り戻した方が、生きて帰れる人数は増える。今彼らを助けに進路を変えれば、別の彼らが死ぬ。そう言い聞かせて速度を乗せる。

 馬を駆り続け、自軍の騎兵の姿を鮮明に捉える。赤と黒の軍服を肋骨模様の金糸の刺繍で飾り立てた馬上の戦士達は、その華々しい身なりが滑稽な程に狼狽うろたえていた。

 彼らも一応戦ってはいるが、分散し、ただサーベルを振り回しているだけだ。アンリは隣を走る伝令に命じ、騎兵集合の信号を吹かせる。同時に、別の伝令に軽騎兵の隊旗を掲げさせる。

 アンリは慌ただしく手綱を引き、騎銃兵大隊の長に近付く。

「ツェラー少佐、軽騎兵が集まる間、支援をお願いしたいのですが」

 呼びかけられた精悍な男は、シワが目立ち始めた顔をアンリに向ける。

「了解した。貴官と話すのは久し振りだな」

 家で茶を飲んでチェスでもしているような、落ち着いた深い声。手を振り上げて合図をし、ひと塊だった大隊が整然と四隊に分割される。

「リビエール中尉、現状をどう見る」

「は……敵の反撃により混乱。火力で優越し、なおかつ包囲しているという優位性を失いました。兵力を大きく削がれ、この戦闘で勝利を得ることは困難です。しかし、戦略的な規模で見れば、我が方は依然優位にあります」

 突然の問いに戸惑いつつも淀みなく答えると、ツェラーは薄青い瞳でアンリを見据えた。

「なら撤退して本隊と合流するのが本筋だが、その次はどうすべきと思うか。簡潔に話せ」

「敵が好戦的な内に野戦で叩くべきです。戦いが長引けば、バルカルセ家の軍は金の力で膨れ上がります。そして、リートゥスデンス城に兵が集まれば、短期の落城は不可能です」

「よろしい。貴官はまともだ、共に行こう」

 大隊は抜刀すると、白刃に陽光を受け、混乱する戦場を一筋の光の様に駆ける。

 伯軍の歩兵達は突如現れた騎兵に目を見開き、散開する者、方陣を組む者とそれぞれの動きを見せる。軽騎兵と乱戦を繰り広げる伯軍軽騎兵も、新手の到来を見て慌てて離脱を試みる。

 騎兵襲来。

 その恐れから生まれた一瞬の空白。

 その黄金の一瞬で、神殿軍の軽騎兵は混乱から脱してアンリの下に集い、統制を回復した。

「軍団長補佐官アンリ・リビエール中尉だ! 軍団長閣下より、貴隊の指揮権を賜った!」

 激しく損耗した騎兵隊は二隊掻き集めても二百人を大きく下回ったが、それでも、窮地のアンリには十分な数に見えた。

「信号兵! 撤退信号を出せ!」

 彼は撤退信号を、何度も繰り返し吹かせた。

 同時に、頭ではわかっていた。

 仮に先に出した撤退信号が聞こえていなかったとしても、現場の誰もが逃げ出そうとしている中で、こんな命令を改めて伝える必要はないのだ。

 必要なのは、撤退命令ではなく撤退支援。

 やるべきことは皆わかっていて、問題なのはそれが円滑にできないこと。

 その事を再確認し、手近な敵歩兵に軽騎兵と共に突っ込む。

 騎銃兵大隊は見事にアンリの動きに呼応して、サーベルをマスケットに持ち替える。騎兵突撃を恐れて歩兵が足を止めた所に、容赦無く銃弾を撃ち込んでいく。

 この混戦では一箇所に留まって繰り返し攻撃することはできず、大きな損害は与えられない。

 だが、アンリとツェラー少佐の強襲によって伯軍の足は鈍り、左翼の神殿歩兵は少しずつ戦線から離脱する。

 アンリは離脱が本格化したのを見て、一度だけ深く息をする。何か変化がないか周囲を確認すると、彼の視界に恐ろしい物が映る。

 いつの間にか、城門が開いている。

 予感――不安と過去の経験から無意識下で導かれた仮説に駆られて指揮官旗の方を見れば、敵の騎兵集団がまさに襲撃をかけようとしている。

 だからなんだ、というおぞましい言葉が脳裏をよぎる。それを振り払って、ツェラー少佐に馬を寄せる。

「少佐殿! 騎兵が第一大隊に攻撃を! 軍団長閣下が危険です!」

 混戦の最中。馬を走らせながらの相談で、剣戟の音が舞っている。伝達も相談も簡潔にしなければ、話している間に味方も自分も殺される。

 その極限の中、自身の指揮官が襲撃を受けているという報せ。

 それなのに、少佐は一切動じずに、落ち着いた顔でアンリを見つめる。

「だからなんだ」

 自分が飲み込んだ言葉を軽々と吐かれ、アンリは瞬間的に硬直する。

「こっちで粘れば千人近く救えるかもしれん。それも砲兵込みでだ。今から向こうに戻ったとして、それで何人残る」

「しかし軍団長閣下が」

「真面目な貴官が言えないなら、俺が代わりに言ってやる」

 相変わらず落ち着いているが、目尻のシワが少しだけ楽しそうに深まる。

「それで誰か困るか? 誰も困らん。ここの兵達の方が大事だ。わかったら仕事をすべきだ。で、中尉。このままでは逃げるにも限界がある、もう少し足止めが必要だぞ」

 ツェラー少佐の言う通り、伯軍は瞬間的に足を止めているが、決して大きな損害を出したわけではない。

 第一大隊を襲撃した騎兵隊がアンリのいる左翼側までたどり着けば、喜んで攻勢に出るだろう。

 そして、再びぶつかって優位に立つ程の条件は、今の自分達に備わっていないことは明白だった。アンリは馬を止めて後ろを振り返り、伝令を呼び付ける。

「森に向けて信号。内容は、了解、至急援軍を送られたし、合流後再度の攻撃を求む」

「あの、森には何も」

「いいから送れ。本隊が近いと思わせろ。今の信号を送ったら、次は敵の編成を伝えろ。その後は戦闘の詳細報告でもしておけ」

「了解、信号を送ります」

 伝令が後ろを向いて手旗を振りだすと、ツェラー少佐が声をかける。

「欺瞞か」

「賭けですが。少佐殿は引き続き歩兵の牽制をお願いします」

「いいだろう」

 少佐は騎銃兵を率いて、突出した敵歩兵を抑えに走る。アンリはその場に留まり、歩兵、砲兵の指揮官に指示を飛ばす。

「確保した砲で散弾を撃て!」

 混乱の中で砲兵も砲を放り出して逃げていたが、わずかに支配下に置けた砲で敵を威嚇する。

 砲撃と森に向けた通信が活きたのか、しばらくすると伯軍は猛追と呼ぶべき攻撃を止め、隊列を整え始めた。

 混乱の中の、一瞬の空白。

 自軍の多くは肥やしとして土を覆い、勢いを失っている。

 敵は戦力で優位に立った以上、余裕を持って周囲を偵察できる。斥候がしばらく走れば、援軍など影も形もないことはすぐにわかる。

 欲を言えば、未だ乱戦の最中にある中央も右翼も助けたい。だが、それをした先に見えているのは紛うことなき全滅。

 アンリは敵が前進を躊躇ったこの一瞬しかないと見切りを付け、今動ける者だけで撤退すべく、騎銃兵大隊を呼び戻した。

 中央と右翼の軍が残っている内は、敵もその処理をしなければならない。その中で、返り討ちの危険のある追撃には消極的になるはずだ。

 残された軍は死ぬか捕まるが、全滅よりは被害が少ない。そんな非情な裏切りを、命を惜しむ自己愛と、その方が軍団の勝利に貢献するという計算が後押しする。

 英雄趣味の夢想よりも、命への執着、恐怖の忌避と生に伴う快楽への渇望が勝る。

 怖い。

 まだ生きたい。

 その二つの言葉が鳴り響く。

「退け!」

 号令と共に馬首を廻らせ、歩兵の後を追うように数百の馬が蹄の音を響かせる。

 朝霧に包まれて戦を始めたが、太陽はまだ天頂に登り切ってもいない。

 正しく事を運べばゆっくりだが確実に勝てたであろう戦いで、功を焦り、勝ち急いだがゆえの敗北。意地と見栄に殺された兵士の怨念を想像し、アンリは口を手で覆って吐き気を飲み下す。

「結局」

 血と汗と土煙で汚れた顔は、半ば表情を失っている。

「人の心が最後の敵か」

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