第24話 攻城戦-Ⅲ-

 大地を揺るがす程の轟音。腹の奥底に響く振動。咽返るような血の臭いと、叫び声と呻き声。

 腕が、脚が、痛い、助けて、そして言葉にならない叫び声。そんな血腥い光景のすべてが、マルコスの全身の血を沸騰させる。

 長く戦場にいたことで、少しずつ積もっていった戦争に対する疲れ。その心の澱は、勝利を告げる砲声と、突撃を、その手で敵を刺し殺せと命じる甲高い旋律に吹き飛ばされる。

「突撃!」

 勝利、勝利、勝利。

 ひたすらその言葉だけがマルコスの中を駆け巡る。凝縮した感情。具体的な対象を持った殺意でもなく、過去の経験から来る憎しみでもない。強いて言えば勝利と呼ばれる抽象的な、それでいて絶対的な何かへの渇望。その塊を原動力に喉を震わせる。

 号令に従って体を動かすように何度も繰り返し仕込まれた兵隊達は、その瞬間にすべての思考を停止して、銃剣を着けたマスケットを槍のように構えて走り出す。

 雄叫びを上げ、ただその切っ先を敵に突き刺すことだけに意識を向ける。

 第二防衛線には、土塁の裏に大量の砲が並べられていた。塹壕の幅に合わせるため砲車からレンガの台座に載せ替えられ、その場で撃てるのは一度きり。砲撃のための切れ目には木枠を設け、布と土を被せて偽装していた。

 何もないと思い込み、約束された勝利に向かっての突撃。それを崩された神の下僕の軍勢は、脆くもその戦列を崩壊させた。

 放たれたのは散弾――薄い金属の筒に何百発も詰め込まれたマスケットの銃弾。

 何十もの砲口からぶちまけられた数千の銃弾が前列の兵を襲い、塹壕から外に出た歩兵の斉射が追い打ちをかける。

 そうして勢いを失った機を逃さずに仕掛けられた突撃。雪崩のように襲いかかる銃剣と、軽々と塹壕を飛び越えて迫る軽騎兵。

 それは、到底人間の体と精神で受け止められるものではなかった。

 異常な興奮と高揚の中で、マルコスは指揮棒代わりのサーベルを振るい続けた。




「騎兵隊、出撃を!」

 走り回る伝令の声を聞くと、レグルスは腰を上げ、尻に付いた埃を払う。座り込んで待機していた騎兵達は、皆同じように服をはたきながら立ち上がり、サーベルを手にして己の馬に跨る。

 先頭にレグルス率いる騎銃兵中隊、後ろに槍を携えた軽騎兵二個中隊、最後に胸甲を着け、刺突用の直刃すぐはのサーベルを差した重騎兵が並ぶ。

 城門が開かれ、眼下の狂乱を一望する。

 戦場はフィオナに説明を受けた通り、騎兵が突っ込むのにいい状態に仕上がっていた。

 敵の歩兵は混乱し、隊列という概念は消え失せている。

 敵の騎兵は右翼の軽騎兵が抑え、左翼側には騎兵がいない。

 騎兵の抵抗がない隙を狙って、敵の背後を時計回りになぞれる――つまり、右手に構えた武器を存分に振り回せる。

「アストルガ隊長、流れの確認を」

 各騎兵隊の隊長が、隊列を抜け出てレグルスに馬を寄せる。レグルスは騎兵の先鋒として、自分が驚く程に重い扱いを受けていた。

「あの後方の歩兵と騎兵の大隊、あそこに指揮官がいる」

 彼方かなたにたなびく紅白の格子の旗、神殿の権力者の所在を示す旗印を指差す。

 そこには歩兵の塊が旗の周囲に展開し、騎兵はまさに動き出さんとしていた。

「崩れた歩兵、砲兵を攻撃しつつ、左からあの旗を目指す。途中の戦闘ではあまり隊列は崩さず、我々もサーベルで戦う。もし敵の騎兵がこちらを抑えに来れば、軽騎兵が前面に出て対処。歩兵隊列に到達したら我々が発砲、構えを崩してから重騎兵の突撃。その間軽騎兵は周囲に散開して、敵の離脱を阻止する。これで問題ないか」

「構わん。いい流れだ」

 重騎兵の指揮官が頷くと、小振りな兜の派手な房飾りが揺れる。

「しかしいいのか、俺の仕切りで」

「伯爵閣下のご命令だ。それに……今までの戦闘の報告も聞いて、悪くないと思った」

「そりゃ光栄だ」

 隊長達はそれぞれの部隊に戻り、すべての準備が整う。騎兵の先頭に立つレグルスの精神は、意外な程に興奮とは無縁だった。

 どちらかと言えば、またか、という気持ちが強い。できることをやり続けていたら、結局また戦場に戻って来た。人を殺し続ける意味も見い出せぬまま、刀を取って馬に跨ってしまった。

 この戦に勝った所で、世界がよくなるのかわからない。神殿に対しての交渉材料になるのか、より大きな戦の火種になるのか……政治と交渉の世界でどちらに転んでしまうのか、レグルスにはわからない。神官の喉に刃を突き付けるのが、正しい方策なのかもわからない。

 だが、少なくとも、この場で負けることは許されない。本を開こうとする者の掲げる明かり、本を照らす灯火は消してはならない。

 それが消えてしまっては、開かれた本が世界を変えられるのか、確かめることができない――

 それだけは、はっきりしている。

「前進!」

 サーベルを抜き、切っ先を天に突き立てる。

 速歩で駆け出す馬に身を委ねつつ、手綱を取って左へ足を向けさせる。

 馬の背の揺れを感じていると、次第に雑念が消え、心が澄んでくる――森の中で川のせせらぎを聴いて気持ちが落ち着くのとは随分と違うが、どう移動してどうサーベルを振るうか、そんな純粋に技術的な問題に意識が集中していく。

 第二線、第一線、塹壕を飛び越える間に、混乱しながらも後退する敵の頭に刃を打ち下ろす。

 もはや死んだかどうかには関心がわかず、ただ処理すべきものとして近付いた順に切り捨てる。

 一人二人と数えるのも飽きる程に赤い血で白刃を染め、紅白の旗へ突き進む。

 サーベルを振り回しながら、レグルスはフィオナが今どんな表情をしているか、あの緑の瞳がどう輝いているのか夢想する。

 根拠があるわけではないが、レグルスには彼女が愉快げに薄笑いを浮かべているように思えた。

 己の思った通りに事を運んだという、支配者としての愉悦に身を委ねながら――

 返り血で手が生温くなった頃に、耳慣れない信号が聞こえる。何か仕掛ける気かと敵の指揮官旗に目をやれば、慌ただしく方陣を組んでいる。

 一秒間に二歩の拍に合わせて黒い群れが動き回り、帽子の赤い房飾りが揺れる。指揮官の失態と言う他ないが、敵にとっては頼みの綱の騎兵大隊は見当たらない。

 方陣の中央には紅白の旗が翻っているが、きっとその下には極度の緊張と恐怖感に襲われた指揮官が、歯をカチカチと鳴らしながら震えている。

 そんな想像をしてレグルスは少しだけ愉快な気持ちになり、同じ分だけ恐怖を感じる。

 馬の扱いが巧みだろうと、剣術で他人に秀でていようと、所詮は一人の騎兵。主が采配を誤れば、自分は簡単にあちら側に回ってしまう。そんな考えが頭を巡る。

 綱の上を馬で渡るような心細さを受け止め、不安を糧に気を引き締める。

 頭上で刃を振り回し、後ろに続く隊列に向けて合図を送る。騎銃兵はレグルスを右端にして横一列に展開し、軽騎兵は邪魔にならぬよう速度を落として横に離れる。

 レグルスは間合いを測り、再びサーベルを振って合図を出す。敵を左側に見ながら走るように進路を変え、後続の騎銃兵は一斉に銃を構える。

 切っ先が振り下ろされるのに合わせて、黒煙と鉛玉が吐き出される。八百人の大隊といえども、方陣を組んだ一辺は二百人。数列重ねて厚みを持たせれば、その幅は騎銃兵の隊列より狭い。

 疾駆する馬の背からの射撃だが、狙う範囲が狭まったおかげか、それなりの密度で横殴りの鉛の雨が敵を襲う。

 騎銃兵が敵弾で傷を負いながらも馬首を廻らせて敵から離れ、重騎兵の隊列が押し寄せる。隊列を立て直す間もなく襲歩で迫る重く大きい獣の群れに、ヒトの群れは為す術もなく押し潰される。

 混乱の中、その場から逃れるように馬に乗った人間が飛び出す。それは、神殿の指揮官の証である、白いきらびやかな上衣を纏った男だった。

 周囲に散開していた軽騎兵は指揮官の逃亡を許さず、駆け寄って哀れな馬に槍を突き刺した。

 指揮官の逃げざまに、残された者も武器を手放し命を乞う。

 敵の指揮官も捕らえ、戦列は崩壊。圧勝の満足感に浸っていたレグルスは、遠くから聞こえる銃声に違和感を覚えて周囲を見回す。

 戦場で銃声が聞こえることに不思議はないが、今は伯軍が突撃をかけ銃剣での乱戦が行われている頃合い。こんなにも組織だった銃撃が行われるはずがない。

 そう思って望遠鏡を城の方に向けると、明るい茶髪の若い男が騎兵を率い、撤退戦の指揮を取っていた。

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