第23話 攻城戦-Ⅱ-
朝霧立ち込める森の中。
いくつもの足音が響き、車輪が軋む。
地虫を探す小鳥は驚いて羽を羽ばたかせ、獣達は胡散臭そうな目でヒトの群れを眺める。
群れの長である第三軍団軍団長ヘルベルト・ヒンメルは、馬上で神経を尖らせていた。
あの、生意気な、糞アマ。どこまで権威を見せびらかせば気が済むんだ――心中で毒づくだけでは気が収まらず、補佐官の一人、アンリ・リビエールに声をかける。
「リビエール! 不貞腐れた顔だな。猊下の隊に加われなくて不満か」
「いえ、そのようなことは決して」
アンリは顔を伏せ、調子を抑えて答える。
「無理をするな。大体、なんであの女が私から独立して部隊を指揮している。越権行為ではないのか? 第三軍団で成果を出したのは認めるが、今でも自分が主人だと勘違いしてるんじゃないのかぁ?」
「このように閣下が先陣を切って指揮を取られているではないですか」
「あの女の采配でな。お前はお気に入りなのにこっちにいるが……お目付け役か?」
「閣下、トリフルーメン城が見えてきます」
アンリの答えにヘルベルトは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「わかってる」
隊の前方から、斥候の騎兵が駆けてくる。
「報告致します。敵は城の周囲に塹壕と土塁による防御陣地を構築しております。詳細な兵数は確認できませんでした。周囲に伏兵がいる様子はありません」
「了解した。まぁ、ほとんど全軍を引っ張って来てるはずだな」
ヘルベルトは伝令役の騎兵達を呼びつける。
「各大隊長に通達。計画通り展開せよ」
「来た」
城壁に立ったフィオナは、胸壁の狭間から北を眺めていた。指揮所は居館に設けたが、まずは自分の目で敵を見ようと城壁まで足を向けた。
本当は見通しの良い主塔で指揮を取りたいが、高い主塔は新型砲の的になるだけだろうと、背の低い居館の大広間で指揮を取ることに決めた。
しかし、背が低くなった分敵を目視できなくなったため、最初だけでも自分の目で見ようと思ったのだ。
彼女の目に映るのは、馬に牽かれて森から出てくる黄金色の大砲。そして歩兵の塊が六個と、右翼、左翼、後方に置かれた騎兵の群れ。
最初に考えていたよりは少ない数だが、フィオナが投入できた歩兵三千二百人に対して、彼女の計算が正しければ敵歩兵は約四千八百人。
素直にぶつかれば両翼包囲――正面と左右からの挟み撃ちの形に持ち込まれる数だ。
現に、敵は城に向けて口を開けた三日月状に布陣し、包囲戦を志向している。
事前に想定した通り、戦いは神殿側の砲撃から始まった。
敵が全周包囲ではなく北側に集中していることを確認したフィオナは、トリフルーメン城に配置できた四個歩兵大隊の内三個を外側の第一防衛線に扇形に配置し、一個を予備兵力として内側の第二防衛線に置いた。
そして軽騎兵二個中隊を第二防衛線の左右に置き、各防衛線の後ろに軽量な野戦砲、城壁に重砲を配置した。
一個重騎兵大隊四百八十騎、二個軽騎兵中隊二百四十騎、レグルス率いる騎銃兵中隊百二十騎は予備として城内に配置、残りの軽騎兵百二十騎を偵察、伝令とした。
そして、各隊から抽出した信号兵が各所に配置されている。
遠く離れた敵の砲列から、重低音と硝煙が吐き出される。
「第一防衛線の各砲は応射せよ」
「了解、第一防衛線各砲は砲撃開始」
信号兵はフィオナの命令を復唱し、砲兵隊へ向けて手旗を振る。熟練の通信技術により、遅滞なく鉄の塊が投射される。
城からある程度離れると、森が濃く路面も悪いため、大量の砲を運用するのが難しい。
だから、大量の砲を並べたければ、城に近づかざるを得ない。
そこにフィオナの防衛線拡張が功を奏し、神殿の砲は十分に狙える距離にあった。
「フィオナ様、そろそろお戻りを」
「そうね」
砲声を後に踵を返し、長靴の硬い足音と共に居館へ戻る。大広間では伯と数人の高級士官が地図を囲み、信号兵達が次々と読み上げる信号に従って駒を配置していた。
ペドロとリコは、万一に備えて少数の部隊を連れ、コリサルビア城とアロニア城に戻っている。
「思ったより少ないな。森の中か?」
サカリアスがフィオナに問いかける。
「騎兵の斥候ではあの本隊だけでした」
「そうか。もう少しまとまって来ると思ったが……まぁいい。で、次はどうする?」
フィオナが命令を発しようとした瞬間、信号兵が声を上げる。
「敵散兵前進。中隊規模。我が方歩兵の射程外より第一防衛線の砲兵を狙撃中。散兵駆逐のため前進許可求む。各歩兵大隊より同様の通信です」
「砲だけでなく、銃まで新型を……」
「続いて信号。三番砲、敵砲弾命中により使用不能。七番砲、砲手負傷、戦闘は継続可能。続いて五番砲、敵砲一台撃破」
さらに別の信号兵が、戦場の士官からの悪い報告を伝える。
「敵散兵の有効射程は我が方の倍近くあり。射撃間隔は我が方より長し」
フィオナは一瞬だけ考え込む素振りを見せたが、すぐに顔を上げて指示を飛ばした。
「歩兵の前進は許可できない。第一線の砲兵は敵が接近するまで塹壕に隠れて待機。歩兵は身を隠しつつ、可能な限りは応射。第二線砲兵は新型砲へ砲撃を継続。城壁の重砲は敵戦列歩兵へ砲撃開始。併せて各大隊長に伝達。敵の狙いは歩兵の釣り出しと包囲にあり。誘いに乗るな。以上」
信号兵は、開け放たれた扉に向けて慌ただしく手旗を振る。サカリアスは椅子に腰を下ろし天井を見上げる。
「やはり手強いな。装備も充実しているが、動きが良い」
「砲撃で拘束、散兵が狙撃し、こちらが動揺したら戦列歩兵が前進する。機を見て銃砲撃に騎兵突撃を組み合わせ、最後は銃剣突撃で押し潰す。王道とわかっていても、中々できない戦い方です」
「ふん。ならここから先、普通はどうなる」
「普通ですか。そうですね……」
彼女も椅子に座り、薄い茶を一口飲む。
「敵の勢いに押され、少しずつ後退していく。疲れ果てて、士気も下がったところを突撃で崩されるのが普通でしょう」
「釣りは失敗か。しかし連中、随分臆病だな」
ヒンメルは簡素な椅子に腰掛け、戦場を眺めている。側に控えた将校や補佐官達が、報告された情報を整理し、地図上の駒を動かす。
「こちらの意図に気付き、動かずに耐えているものかと。練度の高い証です」
アンリが注意を換気すると、別の若い補佐官がすぐに口を挟む。
「リビエール中尉、貴官はいつも悲観的過ぎでは? 敵はヒンメル軍団長の手堅い布陣に恐れをなし、萎縮しているのです」
「アブルッツォ中尉、それはあまりに楽観的で、自分に都合が良すぎだろう。まず敵の砲列を見てみろ。少なくはない数だが、しかし猊下が調査、想定した結果を見ればもっと大量に並んでいるはずだ。何か策があって隠している可能性も」
「それは考えすぎでしょう。本官より先任ですから指摘するのを遠慮してきましたが、リビエール中尉、貴官は猊下……エスコフィエ元軍団長を絶対視しすぎでしょう。ヒンメル軍団長の指揮の妨げになりますよ? 大神官猊下によく思われたいのは理解しますが」
「醜い発想だな、中尉」
アンリが鼻で嘲笑うと、ヘルベルトは大げさなため息をついて二人の方に顔を向けた。
「やめろやめろ、口先だけの学者みたいにきーきーと。敵が出てこなけりゃ散兵だけじゃダメだ。予定通り歩兵二から六大隊を前進させろ、両翼包囲だ。第一歩兵大隊と騎銃兵大隊はこのまま予備として待機」
ヘルベルトに命じられ、伝令は神殿式に手旗を振る。赤と黒で飾り立てた軍勢は、軍鼓の響きと共に包囲を狭めていった。
土の匂いと血の臭いが混ざり合って鼻腔をくすぐる。飽きる程嗅いだ香りだが、それでも好きになることはない。
「構え! 撃てぇ!」
第三歩兵大隊第二中隊長マルコス・ナバ大尉は、不愉快だが慣れ親しんだ香りを吸い込んで、号令として吐き出した。
号令は二百発の銃弾に変わり、空を裂いて敵へ向かう。
塹壕を掘り、余った土を土塁として塹壕の縁に盛る。地面からの高さはあまりないが、塹壕の深さと相まって体を敵から隠してくれる。
そうして造った防衛線は砲撃からは身を守ったが、散々撃ち込まれた鉄球により、土塁の一部は崩れ始めていた。
もしこの土塁が無ければという想像は、しただけで血の気が引いていく。土塁がある内は、でこぼこの大地を跳ね回る鉄球に、足を奪われる心配をしなくて済む。
「装填!」
胸の高さの土塁に隠れつつ弾を込める歩兵の側で、砲兵は城からの指示で完全にしゃがみ込んでいる。
敵の散兵が持つ銃は、それだけ執拗に砲兵を狙っていた。
「構え! 撃て!」
神殿の戦列歩兵は遠距離から土塁に隠れた歩兵を撃っても効果薄としているのか、伯軍の射撃を無視して前進している。
「装填!」
いよいよ少し走れば銃剣が届く所まで距離が詰まる。背後から、移動を命じるトランペットの旋律が聞こえる。
「射撃位置!」
第二中隊を始めとした第一防衛線の兵達は、一斉に敵に背を向けて塹壕から出て、再び踵を返して敵と向き合う。
砲兵は第二線まで後退していくが、歩兵である彼らには、後退は許されていない。
「構え! 撃て!」
マルコスの号令と同時に、敵味方の双方から銃声が鳴る。塹壕を挟んで向き合う両軍は、ほぼ同じ間隔で射撃を繰り返し、数千の銃口から噴き出す硝煙が辺りを覆う。
銃声でおかしくなりそうな鼓膜を、構え、撃て、装填の号令が延々と突き刺し続け、負傷者の呻きや叫びの装飾音が添えられる。
彼が周囲を見渡せば、神殿の兵はまさに伯軍の側面に回り込もうとしていた。
光、音、痛み、煙。死へ繋がる光景が、何度も何度も繰り返される。マルコスは己の中隊、死の恐怖を抱いた人間の群れにまだ耐えろ、もっと殺せと命じ続ける。
安全に見える塹壕の誘惑は強烈だが、敵がここまで近付いた後では、上から銃剣を構えてなだれ込む敵に切り刻まれるのが目に見えている。
いつの間にか土の匂いは感じなくなり、血の臭いばかりが漂っていた。
「練度が高いのは認めるが、あれじゃぁな」
背もたれに体を預けるヘルベルトの前に、アブルッツォ中尉が軽食を載せた皿を置く。
「楽な戦いだ」
小振りなチーズを摘んで口に放り込んだ所で、アブルッツォ中尉が薄いワインを注ぐ。
「閣下、これは大神官の本隊を待たずとも城を落とせるのでは? あぁ、いいですね……華やかな戦果です」
「最高だ。勝利の女神が股を開いて待っている」
上機嫌でグラスを傾けると、耳慣れない旋律が聴こえてくる。敵が動くと見て、ヘルベルトと補佐官達は敵軍に望遠鏡を向ける。
「敵左翼の騎兵中隊が右翼へ移動中。二個騎兵中隊を我が方左翼にぶつける腹かと」
アブルッツォの分析に補佐官達も同意する。
「引き付けた所を騎兵突撃で打開するか。悪くはないが……並みだな」
ヘルベルトは音を立ててグラスを置くと、立ち上がり、城を眺めて口元をニヤつかせる。
「右翼の軽騎兵を左翼に回せ、敵騎兵の攻撃を阻止し、機を見て突撃、敵軍を壊滅させる」
「突撃?」
ヘルベルトの命令に、アンリが食ってかかる。
「お待ちください閣下! 我々には伯軍を拘束して本隊を待つ命令が」
「黙れっ! 何が命令だ! 軍団長はこの俺で、てめぇは俺の兵隊だろうが。いつまでもあの女に尻尾振りやがって」
「まだそんなことを言いますか! 確かに我々は優勢ですが、絶対的ではなく、敵が罠を仕組んでいる可能性もあります。であれば! 作戦通り本隊が、バルカルセ以外の貴族を無力化するのを待ってから合流を」
「黙れ」
ヘルベルトは拳銃を突き付け、アンリの口を閉じさせる。
「上官反抗は本来死刑だ。が、俺の戦勝祝いに恩赦をくれてやる。次口を挟んだらその場で殺す」
撃鉄を戻すと、ヘルベルトは馬に跨った。
「左翼の軽騎兵中隊をすべて右翼へ回せ。砲も再配置だ。第一歩兵大隊、騎銃兵大隊も我々とともに前進する。敵がさらに後退するようであれば、即座に突撃するよう各大隊長に伝えろ。バルカルセ家は我々が打ち倒す」
「了解!」
アブルッツォ中尉は軽快な返事をし、己の馬へ駆けていく。アンリは苦い顔を浮かべながらも、他に遅れないように足を動かす。
一斉に打ち鳴らされる軍鼓が正確に拍を取り、人馬の大群は一定の速度で進み始める。
ヘルベルトが少し目線を上げれば、丘の斜面で優位に立つ自軍がよく見えた。
歩を進める間に騎兵の再配置も完了し、伯軍の起死回生を賭けた騎兵突撃を抑え込んだ。
砲も輓馬に曳かせ、自軍への誤射を気にせず撃てる位置へ移動している。
伯軍の歩兵は踏ん張ってはいるが、押し込まれて限界が近いように見える。
砲兵に至っては散兵の狙撃を恐れて砲から離れ、塹壕に身を隠している。塹壕の後ろでは、真鍮の砲だけが虚しくその身を晒している。
数で上回り、両翼包囲が完成し、砲撃は一方的。目の前にチラつく勝利にヘルベルトの欲望が刺激された。
ソフィアに代わって大神官とはいかなくとも、軍での栄光は約束され、栄光は富をもたらす。
「敵戦列、崩れていきます!」
アブルッツォ中尉が声高に報告する。外側の塹壕を挟んで防衛線を構築していた伯軍は、ついに限界に達し、内側の塹壕に走り始めていた。
「端の部隊が塹壕を越えて後ろに回り込む前に後退。確かに正しい……正しいが無意味だ! 突撃させろ!」
けたたましいトランペットの前奏に、数千の兵士の喚声が続く。赤と黒の軍勢は土塁と塹壕を越え、伯軍の背を追いかける。
追い立てられた藍衣の哀れな兵士達は、逃げ込むように次々と塹壕に飛び込んでいく。
栄光を約束する光景に、ヘルベルトはたまらずに声を立てて笑い出す。
「なんだあのザマは? 勝利は近いぞ!」
直後、短く鋭い旋律、ヘルベルトの知らない旋律が繰り返される。
土塁には今までなかったはずの切れ目がいくつも現れ、黄金色の輝きが目を刺した。
轟音。
空気の振動。
視界を遮る煙。
聞いたことのない、それでいて突撃を命じていると分かる音色と、猛り狂った猛者の声。
「なんだ……なんだ! どうなってる! おい、アブルッツォ! 報告しろ!」
受けた衝撃を吐き出すように命じるが、己以上に狼狽する補佐官の醜態を見て、ヘルベルトは矛先を変える。
「リビエール!」
「あれは敵の隠し砲台です。散弾を使用したものと思われます」
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