第22話 攻城戦-Ⅰ-
「アストルガ様! アストルガ様! いらっしゃいますか、アストルガ様!」
早朝、玄関から慌ただしい声が聞こえる。濁った意識がまどろみの底から引き上げられ、レグルスは嫌々体を起こす。
夜通し酒を飲むには月明かりだけでは暗く、質の良い蝋燭が何本もいる。必然的に夜はさっさと寝て朝早く起きることになるが、それにしても客を訪ねるには早過ぎる。
無礼を咎めてやろうと乱暴に扉を開けたが、訪問者の服装を見て、レグルスはすべての文句を引っ込める。青と黒で彩られた軍装に、よく手入れのされたサーベル、後ろには体格の良い軍馬。
「伯爵閣下の二等騎兵カミロ・パナデロです。母が先日は楽しかったと申しておりました」
姿勢良く敬礼する初々しい若者を見て、レグルスは答礼しつつ、リートゥスデンス城の晩餐会を思い出す。
パン職人ギルド長の息子は、母親の話から想像するよりも随分と立派な騎兵に見えた。
「こちらこそ楽しい時間を過ごせました。ところで、なにかあったのですか」
早朝のまだ冷たい空気が頬を撫でているのに、少尉の顔は上気して赤くなっている。
「北東より神殿の軍勢が接近中です。先程、リウサレナ男爵からの使者がこの報せを」
「おぉ、ついに……」
「はい。距離はトリフルーメン城まであと五日。詳細な数は不明ですが、もし軍団が動いているなら、一万はくだりません。リートゥスデンス城からは、すでに先発隊として第一歩兵大隊と随伴の軽騎兵が進発しております」
レグルスの中に驚きはない。今まで蹴散らしてきた傭兵とは格の違う相手の襲来に、嫌でも頭が冴えてくる。
「了解しました。して、ご命令は」
「ヴァレリー商会の馬車隊並びに騎兵隊は大至急商館にて集合、その後、直ちにリートゥスデンス城へ向かわれたく。リートゥスデンス城にて物資を積み込み、そこから後発隊と共にトリフルーメン城へ集結します。本官は緊急時の伝令要員として同行します」
「了解、伯爵閣下のご命令通りに。すぐに準備をして参ります」
レグルスは寝間着から着替えてサーベルを佩き、薄く酸味のあるワインを喉へ流し込む。
馬は商館の厩舎にいるので走るしかないかと諦めたが、パナデロ少尉が馬を一頭連れてきていたので、それで商館まで行くことができた。
朝の空気は普段より湿度があり、石畳を行く馬蹄の響きは鈍い。商館の広場には緊急で呼び出された騎兵や御者が集まり、人と馬の熱気ですっかり蒸されている。
「シモーヌ! 何人集まった!」
「遅いじゃない! 大体揃ってる!」
怒鳴り返すシモーヌは着替えてこそいるが、髪は暴れ、服装の各所が乱れている。
レグルスが馬を寄せて紐が何本か解けていると伝えると、慌てて体を馬車に向けて直し始めた。
「騎兵は小隊毎に整列!」
広場に号令が響き渡り、散らばっていた騎兵がレグルスの下に集まる。
騎兵が揃っていることを確認すると、少尉が驚きの声を上げる。
「素晴らしい統率ですね。早朝で、戦地でもないのにこんなに早く集まるなんて」
「これでも熟練の兵達です」
そう自慢げに答えて居並ぶ兵を眺めていると、横から蹄の音が近付いてくる。
「旦那ぁ、準備ができましたんでそろそろ行きましょう。半分は先導、半分は馬車の後ろに回ってくだせぇ」
「ダーラー、朝から元気そうだな」
「そりゃもう。よく食って、よく寝てますから」
「良いことだ。よし! 一、二小隊は俺と先導だ! 行くぞ!」
レグルスが先頭に立って道を行き、後にいくつもの嘶きと蹄、車輪の軋む音が塊になって続く。
整然とした隊列を保ったままリートゥスデンス城へ至ったヴァレリー商会は、手際よくビスケットや小麦粉、大量の工具、移動式の窯や弾薬を積み込み、伯軍の歩兵、重騎兵、そして伯爵本人とともに街道を使って北へ向かう。
トリフルーメン城は街道から少し外れた所にあるため時間を食ったが、日が落ちる前に辿り着くことができた。城門の前に広がっていたのは、想像を絶する光景。
「これは、凄い眺めです」
場外に並べられた大量の真鍮製の野戦砲が、夕陽を受けて金色に輝いている。どれだけあるのかすぐには数えられないが、レグルスが見たことのない規模であることは確かだった。
「すべてリートゥスデンス城から運ばれたものです。どちらの城も川の近くですから、船で運んだと聞いています。確か、五十門はありますね」
「五十門! 総動員ですか?」
「いえ、半分ほどです」
「これで半分? それは凄い。それにしても、貴官は現状をよく把握している」
「は。砲の数は重要ですので。騎兵突撃ですべてが決まる時代は終わりました」
こともなげにそんなことを言い放つ若い騎兵に、レグルスは強い興味を持つ。
「なるほど……ではパナデロ二等卒、今の戦場で騎兵はなんの役割を持っていると?」
先達ともいえるレグルスの問いに、青年はあどけなさの残る顔、夕陽に照らされて光る頬に笑みを浮かべて答えを返す。
「乱暴にいえば、はったりです。騎兵突撃は脅威ですが、騎兵を当てるか、密集した方陣を組めば一応は対処できます。逆にいえば、我々が突撃の構えを見せれば敵にそれらの対応を強要できます。そこを射撃、砲撃の的にするか、そのまま押し潰せば優位に立てます」
カミロは学んだことを話す機会に恵まれ、嬉しそうにしている。
「よく勉強されている。そのように教育を?」
「まぁ、恥ずかしながら大部分は……私の理論といえれば格好もつくのですが」
「いや、十分でしょう。貴官は優秀なようだ」
はにかむ二等卒を見て、レグルスは少しだけ羨ましくなる。目の前のこの男は、自分の騎兵という仕事を誇りに思っているのだ。
伯の乗り込んだ六頭立ての馬車が、砲の群れを割り、重騎兵を従えて城門をくぐる。
さっきはレグルスも砲に目を取られて気が付かなかったが、城門の周りでは歩兵、砲兵達がテントの準備をしている。
「野営組ですか」
「はい。トリフルーメン、コリサルビアの兵は城内、他は重騎兵以外は野営の指示です」
「さすがに全軍は収まりませんね。では我々も野営の準備を……」
「いえ、ヴァレリー商会の方々は城内に入れとのご命令です」
レグルスが驚いていると、前方から別の騎兵が駆けてきて、レグルスの前で足を止めた。
「アストルガ隊長! すぐに軍議へのご出席をお願いします!」
「了解、ただちに」
やはり自分達も騎兵の数に入っているかと腹をくくり、馬腹を蹴って城門へ急ぐ。
伝令の後を追って主塔二階の城主の間に行くと、すでに伯とフィオナ、アロニア城主のリコに、コリサルビア城主である伯の弟ペドロ、そして何人かの軍装の男が机を囲んでいた。
「レグルス・アストルガ、参りました」
「来たか。お前、敵の指揮官としてこれを見ろ。どうだ」
早々に伯が顎で示した先には、トリフルーメン城を中心にした地図の上に、赤と青で塗り分けられた木の駒が置かれている。
「山越えしてアロニアからくる可能性もあるが、大軍が通れる道ではない。それに、北東のコスタウィリディ男爵は結局神殿から寝返らなかったから、連中は男爵領を通るタラサ街道を使ってここまで来れる。仮に軍団がすべて投入されるなら、戦力比はこんなところだろう。で、常識的な布陣をすればこうなる」
「お味方の貴族の軍勢は抜きでしょうか」
「今急使を出しているが、敵も禁書派の貴族を引き連れてくるはずだ。その足止めを食い、間に合わんものとする」
「それでは……」
レグルスは神殿側に回り全体を眺めると、間を置かずに落城の筋書きを口にする。
「圧倒的多数の歩兵と騎兵を展開して閣下の歩兵、騎兵を釘付けにし、長射程の新型砲で閣下の砲の射程外から胸壁ごと重砲を砲撃、無力化します。有効な反撃がなければ、半日で十分です」
地図上に手を伸ばし、城にある砲の駒を机の端に寄せる。
「砲を無力化した後、騎兵で側面を抑えながら数的優位を活かしてすり潰します。城へ逃げ込む様子を見せたら、籠城させたまま分遣隊をリートゥスデンスへ送り、守備隊を降伏させます」
「降伏すると思うか」
「降伏が敵の略奪を意味するなら、市民の決死の抵抗も期待できます。しかし、敵は神殿です。市民に友好的な態度であれば、彼らの協力を得られず、降伏に傾くでしょう」
「よろしい。まあ、正しい見立てだろう」
「そういえば……閣下、神殿軍南下の報せはリウサレナ男爵からもたらされたと伺っておりますが、男爵の軍は今どのように」
「男爵は傭兵を囲い込んで領地防衛だ。北から友人達を招くにはリウサレナを通るのが近いからな、敵の手に落ちると困る」
サカリアスはもう一枚の地図、駒が並べられた王国南部図の方へ移動する。
「目下、敵は北東のタラサ街道から南下して、七個に分散して進撃中。一個はここを目指して南下、これが恐らく本隊だ。一個は北方のカンプサウルムに進軍、残りの五個は本隊から西に離れて、南に向かっている。この五個も本隊に合流する腹だろうが、動きがよく読めん。カンプサウルム伯も敵をよく抑えているが、他の部隊までは手が回らんと見える。友人達も分散していてはどこまで戦えるか疑問だ。ならば我々も前進、各個撃破といきたいが、もう間に合わん」
彼は忌々しげに赤く塗られた駒を指し示す。
「敵は分散しているが、絶妙に連携を保てる距離だ。本隊を孤立していると見て前進すれば、逆に包囲されてしまう。まずはここで、第一撃を受け止めるしかない」
「では……新型砲への対策と、敵が分散した場合の対策が必要です」
レグルスの言葉に応じるように、サカリアスは娘に顔を向ける。
「フィオナ、お前の計画を説明しろ」
「はい、お父様」
「それと、今回はまずお前が指揮を取れ。まずければ口を出す」
「はい……お父様」
フィオナは自身の机に向かい、丸めた地図を抱えて持って戻ってきた。緊急時にすぐ馬に乗るためか、珍しく白い
地図の上では、城の周りに何本もの線と細かな指示が書き込まれていた。
「レグルスも指摘した通り、普通に城に引き篭もっていては負けてしまう。かといって、素直にぶつかれば押し潰される。そこで」
指し棒で城の周囲をぐるりとなぞる。
「二本の塹壕と土塁による防衛線を構築し、これを活用する」
腰に手を当てたフィオナは父親によく似た、自信たっぷりな笑みを口元に浮かべた。
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