第26話 休息と謀略-Ⅰ-

「素晴らしい。素晴らしいなこれは。さすがは神殿、いや実に素晴らしい」

 敗残兵を文字通り処理した後、サカリアスは昼食よりも先に、神殿の新型銃に関心を示していた。死体の片付けはまだ済んでいないが、構わずに城の外へ出て、試し打ちに夢中になっている。

「この螺旋状の溝、これが弾丸を回転させると飛距離が伸びるのか。なぜそうなるか気になるが……ご存知ですかな? 軍団長閣下?」

 サカリアスは横目でヘルベルト、後ろ手に縛られた敗軍の将を見る。

「存じ上げません。閣下」

「残念でなりませんな」

 おどけたように言葉を返し、遠くに的を見つけて狙いを定める。雑草の上に横たわる神殿の士官の死体。その頭に辛うじてはまっていた帽子が、着弾の衝撃で転げ落ちる。

「弾は込めづらいな。戦列を組ませるには厳しいか。だがよく当たる、散兵に持たせるのはいい考えだ。これの名前は?」

「スピラーレ。螺旋状の溝を削るので、そう呼びます」

「なるほど」

 銃を護衛の兵に手渡し、左手を腰のレイピアの柄の上で寛げる。

「ところで、ヒンメルと名乗ったが……シュミーデンブルク伯の血族か?」

「よく……ご存知で。当主は私の兄です」

「それはそれは。北部第一の鍛冶の街で産まれ、軍団長の座に着くとは。運命も馬鹿にできんな」

「しかし、このザマです」

「そうだな。何故だ。これからの計画は?」

「あちらから答えが」

 ヘルベルトはサカリアスの後ろに視線を向ける。サカリアスが振り返ると、馬に乗って森から駆けてくる人影があった。

 その後ろには、明るい緑の上衣と白い服で飾られた軍勢の、乱れた隊伍が続いている。掲げる旗には、緑と白の菱形がいくつも並ぶ。

「ルフシア男爵か。疲れているな」

「閣下と同盟する貴族を各個撃破した後、合流して閣下の軍を攻め破る計画でした。いち早く合流するように動いたのであれば、男爵は正しい選択をされました」

「私の軍を足止めしている間に、分遣隊を出し、数が少ない方から順番に叩いて行くと。そうなると、貴様は随分な間違いをしたな」

 俯くヘルベルトを愉快そうに眺めると、視線をルフシア男爵の軍に戻す。

「殺しはしない。ただ、兄に身代金をねだる手紙を書け。金が入らなければ……そうだな、荷役の仕事をやろう。死ぬまで港で面倒を見てやる。おい、牢に連れて行け」

 サカリアスは牢への連行を命じる瞬間だけ再びヒンメルを見たが、それきり興味を失ったように視線は向けられず、ただ丘を馬で駆け上る者を見つめていた。

 ヒンメルは兵卒に銃を突き付けられ、ただ無言で城に向かって歩いていった。

 ほどなくして、馬上の客は丘の上にたどり着いた。せっかくの華美な衣装は汗を吸い、シワが深く刻まれている。

「リートゥスデンス卿、遅くなった」

「ルフシア卿、敵はどうなった」

 男爵は下馬もせず、引きつり顔で話しだす。

「敵は、あの女は恐ろしい。始めはいくつにも分散していて、そこを狙いに行ったはずだったんだ。それがありえない速さで集結して」

「落ち着いてくれ、早口でよくわからん。まず馬から下りたらどうだ」

「あぁ……すまない」

 男爵は馬から下り、馬腹に提げた水筒の中身を飲み干す。

「敵の一隊はカンプサウルムに向かった。残りは大きな塊が一つと、後は五個に分かれて南に向かった。そうだな?」

 そう語る男爵は息も絶え絶えだったが、一応の落ち着きを取り戻していた。汗が目に入るのか、何度も額を拭っている。

「そうだ。で、その本隊、大きな塊をさっき潰したところだ。千人以上逃げられたが」

「それは、本隊じゃない」

「なんだと? さっきの男は軍団長だぞ。そういえばさっき、あの女と言ったな」

 サカリアスは訝しげに眉間にシワを寄せる。

「分散していた五個、これが本隊だった。大神官自ら指揮している」

 絶句するサカリアスをよそに、男爵は自分の見たものについて話し続ける。

「カンプサウルム伯は、敵を倒したら南東に向うと連絡してきた。すべてリートゥスデンスに向かうように見えたからな。当然我々もそのつもりで、タラサ街道に向かって東進した。だが、我々は速度を優先して分散してしまった。そこを突かれた。敵は信じられない速さで集結して、我々は分散したまま順番に叩きのめされた」

「なるほど……おい、卿の領地は大丈夫か」

 その問いに、男爵は困ったように首を振る。

「占領されたが、恐ろしい程に平穏。それが問題だ。家臣に様子を見に行かせたら、神殿の部隊が補給目当てで立ち寄っていた。偉そうにしてくれればまだいいが……連中は領民と友好的に接して、強欲な領主が道を誤ったから仕方なく軍を出したが、決して領民に危害は加えない、神殿は常に民衆の味方だと言っている。言うだけならまだいいが、食料も労働力も高値で買い上げる」

「なるほど、質が悪い。それで、戦況はどうなっている? 部隊はどこにいる」

「健在なのは私とカンプサウルム伯、リウサレナ男爵だけだ。後は壊滅か、降伏した。我々で索敵した限りでは、敵は三日遅れでここに向かっている。リウサレナ男爵はもうすぐ着く。カンプサウルム伯も今晩には着くはずだ」

「そうか……おい、大神官が指揮をしていると言ったな。陣頭にいるのか」

「いる。逃げながら遠目に見ただけだが、赤いローブを着て指揮を取っていた。ラクサルビア伯の軍勢を壊滅させるところだった」

「よく逃げ切れたな」

 呼吸が落ち着いてきた男爵は、目を閉じて深く息を吐く。

「小勢だから見逃されただけだ。わかってくれ、七百人ではどうしようもなかった」

「わかるとも。辛い話だ」

 サカリアスは口を閉ざしたが、指はコツコツと苛立たしげにレイピアの柄を叩いている。

「とにかく、兵を休ませねば。野営の準備をさせよう」


 少女が森の浅い所で木の実や薬草を集めていたら、何かが燃えているような煙が見えた。

 最初は炭焼きの男達が木を焼いているのかとも思って、気にも留めていなかった。

 でも、カゴが重くなった頃には、黒い煙がおかしい程に立ち昇っていた。

 そして、考えてみれば、煙が見えるのは村のある方角だった。

 戻った時には、村はめちゃくちゃだった。

 生き残った大人に声をかけると、貴族の小競り合いに駆り出された傭兵が村を襲い、食べ物と女を奪っていったと言う。

 少女は家の両親が心配になり、ぼろぼろの靴で走り出す。家の扉を開けると、床には気味の悪い塊が二つ、ごろりと転がっていた。

 血の気と温度を失った生白い塊。

 親の顔をした、親だった何か。

 窓から見える隣家では炎が燃え盛り、屍肉をちろちろと照らしている。仄かに赤い光が、肌の青白さを際立たせる。今にも蛆が涌きそうな傷口は、赤黒くべったりと汚れている。

 悲しげに二つの亡骸を見つめていると、その片方がびくびくと震えだし、不気味な動きで起き上がった。

 かちかちと、歯が打ち鳴らされる。

 呼吸とも思えない、空気の摩擦音がする。

 いつの間にか髪も服も乾いて色あせ、顔の肉は削げ、皮膚は枯れ、目は落ち窪み、父か母かもわからなくなっていた。

 呆然と立ち尽くしていると、死体は少女に歩み寄る。両の手で幼い肩を掴むと、恐怖で硬直する少女の耳に口を寄せる。

 その耳に、恨めしげな掠れ声。

「お前のせいでまたこうなる」


 ソフィアは悪寒と共に勢いよく起き上がる。

 辺りを見回せば、そこは粗末な寝台の上。

 白い肌着が汗に濡れて肌に張り付き、不快さと共に体の線を描き出す。

 額に手を当ててしばらく俯き、呼吸を整えながら薄気味悪い夢の情景を思い返す。

 寝台から出て、水差しから白磁のカップに水を注ぎ、まるで嬉しくない両親との再会を、ぬるい湯冷ましで洗い流す。

 肌着を新しい上等な絹の物に替え、上から真紅のローブを纏う。

 伯領リートゥスデンスへ向かう途中の農村。兵達は村に隣接して大量のテントを張り、ソフィアと数名の高級士官は、村長や富農の屋敷に宿を求めていた。

 ガラスもない窓の外では番犬がうろうろ歩き回り、無遠慮な雄鶏が大声で己の存在を主張する。

 昨晩口にした鶏のローストが脳裏に浮かび、騒々しい鳴き声も愛おしくなる。

 少しばかり遠くに目をやれば、収穫を終えた畑が広がっている。

 居間の扉を開けると、すでに士官が三人座り、卓上には切り出された白パンとゆで卵、昨晩のポタージュの残りが並べられていた。

「こんなもんしか出せませんで、いやぁお恥ずかしい」

 上目遣いで慇懃に笑いながら、家主の老村長がソフィアのために椅子を引く。

「いえいえ、とても良い香り。ところで……」

 椅子に腰掛けた彼女は老人に笑顔を向ける。

「ここの作物はリートゥスデンスに流れるの?」

「へ、流れます。あそこは人が多いし、金払いもいいんで」

「売り物を運ぶのはどの辺りまで」

「トリフルーメンですね。貯蔵庫が多いんで」

「そう。ありがとう」

 そう言って温かいポタージュを口にする。

 玉ねぎの甘みが広がり、温もりが体を目覚めさせる。ポタージュが冷めぬ内にとパンを浸して食べた後、嬉々として卵に手を伸ばす。

 朝食を食べ終わり薄いビールを飲んでいると、窓の外から荒々しい馬の嘶きと装具が揺れる音――騎兵を思わせる音が飛び込んだ。

 何事かと身構えていると、弱々しく扉を叩く音が聞こえる。

 玄関に向かった村長は、程なくして、黒い上衣の人影を二つ引き連れて戻ってきた。

 人影は疲れを見せつつも、赤布に包まれた脚を規則正しく動かして歩き、ソフィアの横で踵を合わせて敬礼する。

 ソフィアは言葉を失い、その視線は二つの顔の間を往復する。

「第一騎銃兵大隊リヒャルト・ツェラー少佐、軍団長補佐官アンリ・リビエール中尉と共に、トリフルーメンからの撤退を完了致しました」

 何度か、鶏と牛の鳴き声だけが繰り返される。

 ビールの残った木のカップが鈍い音と共に食卓に置かれる。ソフィアが二人の方に椅子の向きを変えると、椅子の脚は重く低い音を立てながら床と擦れた。

 人間の沈黙をよそに、鳥や獣は鳴き、草木は爽やかな音と共に風にそよぐ。紅衣の女は己の責任を思い出し、固く閉ざした唇の戒めを解く。

「ツェラー少佐。報告を」

 少佐は額に当てていた右手を下ろし、小さく息を吸う。

「ヒンメル軍団長以下第三軍団先遣隊は、九月十二日五時二十分、予定通りトリフルーメン城に到達。敵は城の周囲に土塁と塹壕による防衛線を二本構築し、防衛線上に歩兵と砲兵を配置していました。我が軍は当初計画通り、敵砲を主たる目標として砲撃を開始。その後、敵砲兵並びに歩兵指揮官に対して散兵による狙撃を加え、敵の砲撃を抑制しつつ戦列歩兵を前進させ、両翼包囲に成功しました。敵方には騎兵を片翼に集中させ、包囲を突破せんとする動きがありました。これに対して我が軍は歩兵、騎兵による突撃を敢行し」

「突撃?」

 ソフィアは報告の言葉を遮り、直立不動の少佐を睨みつける。

「先遣隊の任務は、我々がリートゥスデンス伯と同盟する貴族を各個撃破する間、かの伯の軍を拘束すること。そのために食料も弾薬も持たせた。それがなぜ突撃など」

「それは」

 彼女の声が硬さを帯びるのを見て、目を伏したアンリが口を挟む。

「軍団長の命令です。功を焦り、本隊と合流する前にバルカルセ家の軍を壊滅させようと、突撃を命じられました。計画通り敵の拘束に徹するよう進言しましたが、聞き入れられませんでした」

 ソフィアは机に叩きつけるように拳を振り上げたが、途中で止め、肩の力を抜いた。

「そう……それで、離脱に成功したのは?」

 静かな問いに、少佐が抑揚のない声で答える。

「騎銃兵大隊四百八十を別にして、軽騎兵約百六十、歩兵約八百、砲兵二十三人です」

「壊滅的ね。で、軍団長は」

「確認できておりません。ただ、軍団長閣下は我々が兵の離脱を支援している間、第一歩兵大隊と共に後方にあられましたが、そこに大隊を超す規模の敵騎兵が攻撃をかけるのを目視しましたので、捕虜か戦死と思われます」

「準備不足の突撃をしても、決して数で劣るわけではない。なぜそんな大きな損害を?」

「敵が構築した防衛線の内、内側にあるものは単なる土塁に偽装して、大量の砲を隠蔽していました。土塁に接近したところで突如多数の砲が現れ、一斉に散弾を発射。その一撃で混乱に陥ったところに、反転突撃と、城内に隠されていた騎兵隊の突撃を受けました」

「敵の所在は」

「確認できておりませんが、所領の中か境界線付近で集結を図るものと推察されます」

「根拠は」

「移動中、トリフルーメン城から半日程の距離までは敵の軽騎兵の追跡も受けましたが、それ以降の追跡は確認できませんでした。それに、あれ程の数の死体を城や村の近くに放置するとは考えにくく、死体処理にも兵を割く必要があります。そして、バルカルセ家単独では死体や捕虜の対応をしつつ、我々を追跡して野戦を挑む程の兵力はありません」

「結構。ありがとう」

 ソフィアは矢継ぎ早に飛ぶ問に答え切った指揮官を見て、少しだけ表情を明るくする。

「あなた達が残ってくれて、まだ良かった」

「ありがとうございます。ところで……指揮権は大神官猊下と副軍団長閣下のどちらに」

 少佐の問いに、人間達は押し黙って考え込む。数秒の沈黙の後、目付きの鋭い中年の男、副軍団長本人が口を開く。

「通常は私に継承されるが……猊下、この場合は猊下にお渡しするのが適当と思います。間接的な指導の形では、非効率的ですし」

「大佐、それは軍規の上では」

「一度本官が継承して、猊下に移譲すれば問題ありません」

「そう。わかった」

 ソフィアが残ったビールを飲み干すと、他の士官達もそれに倣う。少佐とアンリも村長から手渡されたカップを呷り、立ったままぬるい中身を喉に流し込む。

「野営地に行く。全大隊長と補佐官に招集を。貴族達も集めて」

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