第27話 休息と謀略-Ⅱ-
全指揮官の集合を命じたソフィアは、早足に家の外へ向かう。白馬に跨り、走り回る伝令に少し遅れて馬を駆る。
軍議用の大きなテントに着くと、すぐに大隊長と貴族達が顔を出す。彼女は地図の上の駒を動かして概況を説明すると、貴族達に配下の状況を確認していく。
「ムルサズール卿、遅れていた傭兵二千人はどの辺りに?」
ソフィアの問いに、体格の良い中年の女がやけに引きつった顔で答える。
「レヌス川沿いを北に三日遅れ、ルフシア男爵領に留まっております、猊下」
「それは待てない。補給の問題が?」
「いえ……報酬を上げるか略奪を認めろと言って進まず」
「略奪? 神殿の旗を掲げて?」
「認められませんとも! えぇ、もちろん、そう伝えております。報酬をいくらか上げてやるから前進しろと、交渉を進めております」
「しっかりと管理を。さて、先程説明した通り、ヒンメル将軍の失策により痛手を負ったものの、依然我が軍は優勢。でも、バルカルセ家にヒメノ家とその他の連中が合流すれば、その兵力は八千近く。それがリートゥスデンス城に入ったとしたら、短期間での落城はまず無理。今度こそ釣り出して、確実に息の根を止める必要がある」
ソフィアが周囲を見渡せば、神殿の軍人も、禁書派の貴族も、従順な態度で彼女の言葉に耳を傾けている。
「もし敵がリートゥスデンス城に籠る腹なら、トリフルーメン西側の農村部に向かって、そこに敵を誘い出す。全員、一時間後に移動を開始できるように準備を」
「猊下」
ソフィアが話を終えようとした所に、先程の女が手を挙げる。
「失態をお見せしたままでは、父に顔向けできません。ぜひ陣の中央をお任せください」
「ムルサズール卿、素晴らしい決意ね。そういえば……そちらで採れる青の顔料は品質が良いようね。今度、神殿の画家に試させましょう。評判が良ければ、市場でも良い値段が付く」
「お心遣いありがとうございます」
スカートを摘まみ上げて満足げに膝を折る彼女を見て、他の貴族達も手柄を立てられる位置への配置を求めて声を上げ始める。
ソフィアは次々と生産物の神殿での使用や有力者への紹介を約束し、引き換えに神殿の兵力を温存できる配置を作りあげる。
「軍議はこれまで。移動の準備を!」
軍人も貴族達も慌ただしく動き始め、テントの中はすぐに人気がなくなった。
「よろしいのですか猊下。貴族どもの軍に先陣が切れますか?」
アンリは貴族がいなくなったのを見計らって疑問を口する。
「待ちの戦なら問題ない。それに、この後のことも考えれば、うちの兵は温存しないと」
「この後、ですか」
「落ち着いてきたとはいえ、治安維持のための戦いは続く。野盗、暴徒、バルカルセ家のような反乱分子、戦う相手はいくらでもいる。けど、兵の補充は簡単じゃない。神殿領の外から人を集める以上、各地の貴族と、健康な人間の奪い合いになる。だから、すり潰される役目はうちが負うべきではないの」
「ここに向かわず、農村に陣を張っただと?」
長椅子でイサベルに体を預けていたサカリアスは、伝令の報告を聞くなり妻の腰に回していた手を引き、不機嫌そうに体を起こす。
リートゥスデンス城の居館の一室。サカリアスは降伏せずに残った貴族達と軍議を尽くした後、満月のよく見える部屋で酒を酌み交わしていた。
辛うじて逃げ出してきた妻達も同席し、久々の美食で心を潤している。
海に面して大きな窓ガラスが設けられた部屋には、洋の東西の調度品が美しく飾られている。
真南の壁には月の女神――海洋民族だったバルカルセ家の奉ずる神の祭壇が設けられていた。
「は。そして、近隣地域から食料や物資を高値で買い集めています。かなりの人気で、相当の人数が集まっております。その人を目当てに、市まで立っています」
「連中……俺達を飢えさせるつもりか? どこにそんな金がある」
カンプサウルム伯アルフォンソ・ヒメノの問いに、リウサレナ男爵が泣きそうな声で答える。
「降した貴族から出させたに決まってる。どうせ私の美術品も漁られていて、あの女も鑑定ごっこに夢中だ」
「神殿の軍が来るから領地を離れろと伝令を飛ばしたら、その返事で離縁されたそうですね。お気の毒に」
そう言ったイサベルが目を細めて笑うのを見て、男爵はグラスに残ったワインを一気に呷る。
「えぇイサベル様、そうなのです。父親が神官ですからね、神殿に保護してもらった方が良いんでしょう。新しい屋敷まで建ててやるつもりだったのに。そのために絵も家具も腕利きの職人を探してやって」
「リウサレナ卿、その怒りはぜひ神殿にぶつけてくれ。しかし連中、厄介なことを」
「そんなに厄介か? サカリアス。お前が買い物に困る日は来ないだろう」
アルフォンソは長椅子にもたれたまま、しきりにワインの香りを嗅いでいる。
「いや……確かにここへの物の流れは封鎖できないが、物価の高騰は狙える。海の向こうの商人どもも、必ず市況を読んで値段を吊り上げてくる。民の暮らしは厳しくなるが、全員に食い物を配って回るのは無理だ。農村の貯蔵庫から穀物を運ぼうと思えば、どのみち連中の軍とぶつかる」
サカリアスの回答に、アルフォンソはわざとらしく顔をしかめる。
「それで、領民相手には飯が食いたきゃ神殿を支持しろか。嫌なことを考えるな」
「今日明日とはいかないが、早めに兵を出す必要があるな。ここに籠もれれば楽だったが、打って出ろと急かされるとは」
「野戦だな。敵は軽く一万を超える。商人の話を聞けば、後方にまた別の傭兵団がいる。しばらく動きを止めているらしいが」
「予備までいるとは、嫌な話だ」
そう言うとサカリアスは商人に渡された紙の切れ端を摘み上げる。そこには簡単な線で紋章が描かれていた。
「どこの勢力かかわからんが……明日レグルスに見せよう、何か知ってるかもしれん」
燭台の火が揺れ、再び体を長椅子に預ける。
「今更だが……領地に不安が残る中で兵をここに置いてくれて助かる」
「いい。連中の統制主義は昔から嫌いだった」
アルフォンソは鷹揚に手を振って返し、勢いよくワインを口に流し込む。
「このままいても、徐々に力を失うだけだ」
「そうだな」
サカリアスはグラスを置き、ゆっくりと立ち上がる。祭壇へ向かう足音は、上質な青い絨毯に吸い込まれる。
仰ぎ見るのは、荒波を渡り切るために祭られた、古の海の主。そうして彼は、何かを思い付いたように小さく笑いを漏らす。
「まぁ、我々をおびき出そうと待ち構えているのであれば、敵はしばらくそこから動かん」
月光が黒衣を照らし、黒より深い影を落とす。
「しっかりと準備をして、確実に殺してやる」
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