第32話 トリフルーメン会戦-Ⅳ-

 手綱と足で合図を受けた軍馬は力を溜めて大地を蹴り、それに跨がる人間達は馬に合わせて体を使い、馬腹を強く締め上げる。

 見事な勢いで襲歩に移行した軽騎兵は騎銃兵の間をすり抜け、槍を構えて猛然と突き進む。

 騎銃兵は軽騎兵を先行させ、後を追うことで厚みのある突撃隊列を形成する。

 密集した隊形で前進していた神殿の重騎兵は、右側から先頭列を狙い撃たれたことで隊列に乱れが生じ、速度を落とした。

 右側の数列が盾になったことで大部分は射撃による被害はないが、撃たれた馬を避けようとして進路を逸らす者、ぶつかりそうになり足を止める者、あくまで歩兵への突撃を敢行する者、レグルス達を排除すべく隊列を整え直す者に分かれ、瞬間的な指揮の空白が生まれる。

 衝突前の最後の確認として敵騎兵の向こうを見れば、青衣に胸甲を纏った重騎兵がレグルスの求めた通り、川を背にこちらに向かって来ている。

 苦しい乱戦にはなるが、ある程度敵の優位を殺したうえで戦える。少なくとも、最悪の条件の中に部下を突っ込ませることは避けられた。

 レグルスは抜刀した部下を引き連れ、敵の隊列へ突っ込む。軽騎兵が明けた穴を塞ごうとする敵を斬り殺し、傷口を広げるように刀を振るう。

 レグルス達の突撃が流れを堰き止めたことで、いよいよ敵重騎兵の足は止まり、歩兵への突撃は中断される。

「足を止めたぞ! 切り抜けろ!」

 敵の拳は一度受け止めたが、反撃に転ずるまで、この敵味方入り乱れた死地で生き延び、離脱しなければならない。

 絶え間なく剣戟けんげきを交し、歩兵や砲兵の様子を見る余裕はない。だが、レグルスの耳には確かに聞き覚えのある音、伯軍の符丁の通りに叩かれる、軍鼓の音が届いていた。

 歩兵前進。

 早足での前進を命じる軽快な鼓声は、南側のあらゆる箇所から聴こえている。それが意味するのは、伯軍の全面的な戦線の押し上げ。

 榴弾の脅威はあれど、爆発して破片を四散させる性質上、ある程度敵に近付けばそれを撃たれることはない。

 騎兵の足が止まったのなら、その隙にさっさと前進した方が良い。

 敵の騎銃兵大隊、そして後段を進んでいたもう一つの重騎兵大隊は健在。だが、それを叩く味方重騎兵は、今まさにこちらに向かっている。

 特に提言や注意喚起の必要なし、そう結論付けたレグルスは、一旦それ以上の思考をすることを止め、すべての意識を目の前の敵に向け直す。

 密集したまま固まっていた敵も動き出し、少しずつ馬が動き回る隙間ができてきた。そこで囲まれるのを嫌い、移動しながら斬り結ぶ。

 注意が別の方向に向いている者、味方と刃を交えていて手が塞がっている者、腕や脚の痛みに苦しむ手負いの者、そうした的に一気に加速して近付き、胸甲を避けて首や太腿を斬りつける。

 そうして戦果を稼いでいると、正面から一騎、レグルスに向かって駈歩で突っ込んで来る者がいた。重騎兵好みの直刃のサーベルを高く構え、腕や胸の筋肉が黒い上衣を押し上げている。

 刺突向けの直刀の切っ先は、水平からやや下を向き、眼前の敵を刺し殺さんとする意思を隠すことなく垂れ流す。

 レグルスは強く反ったサーベルを同じように高く構えるが、対照的に刃先を高く天に向け、険しい目をした敵と視線を交わす。

 鼓動と馬の足音が同調して拍を刻み、己と馬の境目はもうわからない。

 すれ違う直前、レグルスは急激に馬速を落とす。回すように振り下ろされた刃先は、目測を狂わされて甘くなった敵の突きを払い、返す刀で下から上へ、敵の脚の皮膚を破り肉を切り、痛みを深く刻み込む。

 速歩で駆けながら血を拭き取っていると、背後から勢いのある足音と嘶きが聞こえた。

 慌てて振り返るとすでに刃が振り下ろされていたが、レグルスがサーベルを構える前に、横から現れた槍がその刃を払いのけた。

「アストルガ隊長!」

 あどけなさの残る声に顔を上げれば、槍を突き出したのは見覚えのある若い騎兵。額には汗を浮かべ、随分と顔が強張っている。

「パナデロ二等卒! 昇進の推薦状を書くぞ!」

 サーベルを高く構えて馬腹を締め、二度目の攻撃を仕掛ける敵に立ち向かう。

 旋回して再度駆けてくるその顔は、つい最近、どこかで見たことがあると直感する。

 装備は重騎兵の物ではなく、反りの穏やかなサーベルを持ち、三角帽の飾りがそれなりの士官であることを示す。

 帽子からはみ出たやや長めの髪は、遠目にも目立つ明るい茶色。

「あの撤退戦の指揮官か」

 敵は愚か者でも素人でもない、そんな予感が、レグルスの注意力を最大化させる。

 目の前の男が率いていたであろう軽騎兵隊が目の端に写り、味方騎兵がそれを抑えに駆ける。

 配下の騎兵が適切に対処できていることに安堵して、茶髪の男に神経を注ぐ。

 男の肩には無駄な力が入っておらず、サーベルも自然な高さで構えられ、想定外のことで意表を突かれても、柔軟な対応ができそうに見える。

 さっきの男とは格が違う――そう見て取ったレグルスは、相手の四肢と目線の全てに気を配りながら、サーベルを少し下げて対応の幅を広げた。

 距離が詰まり、受け身を嫌って先に仕掛けると、予想外に強い力で敵の刃が振り下ろされた。

 払われた勢いを利用して刀身を守りの位置に置くと、敵もまたレグルスの刀身に弾かれた反動で切っ先を高く上げ、右手を狙って振り下ろす。

 辛うじて受けた強烈な一撃に力負けしそうになるが、刀身を傾けて受け流すようにしつつ、馬の前進する力を使ってなんとか振り切った。

 いくらか前進して反転すると、茶髪の士官も同じように反転し、二人は再び睨み合う。

 そう距離は離れていないため、馬の速度を借りての重い斬撃は難しい。

 レグルスは馬を駆けさせながら肘を高く上げ、刀身を上にして切っ先を相手に向けた構えを取る。敵はサーベルを前に突き出すように構えて前進しているが、相当に訓練を積んでいるのか、その切っ先にはブレがない。

 いよいよ距離が詰まり、レグルスはまさにサーベルを振り下ろす直前のように刃を起こす。

 だが、それに応じて敵が腕を引き、刀身を顔の前で横に倒して受けの姿勢を取ったのに対し、レグルスは刀を振り下ろすのではなく、そのまま手首を外側に回して肘を曲げ、体の右側に切っ先を向けた。

 敵の見開いた眼、引きつった顔がやけにはっきりと見え、すべての音が消えてしまったように感じる。無音の世界の中で、馬を止めて上体を左によじり、肘から先を体の外側に倒して敵を突く。

 反りの強いサーベルの鋭利な切っ先は、心臓を狙って守りをすり抜け、身をよじった敵の右腕に当たる。

 それだけでは痛手にならないが、敵の馬が前に進もうとすることで、皮膚に立てられた刃は深く突き刺さっていく。

 すぐに刀を抜き、敵の馬が離れる前にもう一度、刀を思い切り振り下ろす。

 風切り音。

 刃先から伝わる手応え。

 血飛沫。

 突如襲い来る音の奔流。

 落馬する敵を尻目に次の獲物を求めて駆ける。

 気が付けば、伯軍の鼓声は随分と近かった。

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