第31話 トリフルーメン会戦-Ⅲ-

 彼方かなたの砲から撃ち出された砲弾が、何度か地面を転がって爆発する。爆発と共に撒き散らされるのは、鉄製の砲弾の破片。

 誰もが夢想はするが、実現には辿り着かなかった代物。その恐怖を実物として目の前で見せ付けられ、レグルスは思わず馬を止める。

 なんらかの容器に火薬を詰め、爆発させて破片を撒き散らす。これ自体は何も難しいことではなく、昔の戦を描いた絵でも、木やら陶器やらを爆発させている。

 しかし、時代が下っても大砲からの発射に耐えられる入れ物――中空の鉄球の鋳造ができず、鉄の榴弾が欲しいという夢は夢で終わっていた。

 それが、目の前で使われている。

 足を止めると、すぐに散兵の長距離射撃を浴びせられ、何人か負傷者が出た。

 歩兵前進のために散兵を狩れと命じられたレグルスだったが、榴弾と、丘の下で隊列を整える敵の軽騎兵によって、苦しい選択を迫られていた。

 このまま突っ込めば、余程上手く立ち回らない限りは大損害を受け、自分の命も危ない。

 右翼を見てみれば、重騎兵は密集していた分榴弾の脅威度が高いのか、大きく旋回して後ろに下がろうとしている。

 敵陣に目を走らせれば、精強な騎兵が丘の裏から姿を見せ始めている。

 全容はいまだ丘に隠れて見えないが、記憶から掘り起こした開戦前の陣容では、敵の騎兵の方が数百は多く見えた。

 歩兵の数は大きく勝っているとはいえ、このままこちらの騎兵が押し込まれ、敵騎兵に前進を許せば戦況はかなり厳しくなる。

 後退した味方騎兵が最右翼――東側を前進するカンプサウルム伯の兵と川の間に押し込まれれば、勢いづいた敵騎兵は歩兵に対して銃撃、突撃、離脱を繰り返すだろう。

 後ろに戻らず進路を左に逸したとしても、数が多い分統制を回復するのに時間がかかり、もたついている間にやはり敵騎兵が斬り込んでくる。

 それだけは、敵の強襲の成功だけは避けなければならない。

 振り下ろされた拳を受け損ねれば、いくらバルカルセの軍勢でも敗北は避けられない。

 脳裏に浮かんだ選択肢は危険だが、勝利へ続く他の道は、この混沌の中では見付からない。そして悠長に伯に信号など送っていては、返信を待つ間に死んでしまう。 

 死を意識したレグルスの首筋に、粘り気のある冷気がまとわりつく。それは青白い肌に黒髪を伸ばした死神が、妻の顔をした冥府の使者がしなだれて、細い腕を首に回しているのかと夢想する。

 その目を覗き込めたなら、きっとこの瞬間に命を賭ける価値があるか問いかけている、そんな想像が胸裏に浮かぶ。

 榴弾の炸裂から、わずか十秒足らずの思考。

 その果てに死神を抱きしめたレグルスは、右方、勢いを増す騎兵の群れに切っ先を向ける。

「右翼に向かう! 騎兵を止めるぞ!」

「ひ、退かないんですか!? あれに突っ込むなんて、普通じゃないですよっ!」

 側にいたアーロンが思わず声を上げ、睨むような目線を寄越す。レグルスはじっと目を合わせ、あえて余裕たっぷりに笑って見せる。

「普通にやって勝てる相手かぁ? ここで逃げたら敵の注文通りだ。敵は勢いを付けようとしてる! 負けるのが嫌なら、横っ面をぶん殴れっ! 行くぞ!」

 二百人を超える騎兵は恐怖と動揺に飲み込まれかけていたが、彼の声を頼りに、失いかけた統率を取り戻す。

 眼前の散兵を無視しての方向転換、その意図を察したのか、敵軽騎兵も間髪入れずに前進する。

 だが、彼らはレグルス達の動きを見てから対応するために、散兵線の少し後ろ、レグルスから何百メートルも離れた位置に控えており、追い付くには距離が開き過ぎていた。

 前方では蹄が巻き上げた土埃の向こうでバルカルセ、ヒメノ両家の騎兵が川沿いに後退し、その数千四百になろうかという敵の騎兵は、進路を西に逸らしてヒメノ家の歩兵に向かっていた。

 ヒメノ家の白い軍服の三列横隊は方陣に組み替えているが、先行する騎銃兵の後に続くのが胸甲を光らせた重騎兵ともなれば、銃弾と白刃、軍馬の巨躯に蹂躙されてしまうだろう。

「伝令! 閣下に伝えろ。我、レグルス・アストルガ、敵騎兵の足止めを企図す。右翼騎兵隊を再度前進せしめ、東方より攻撃させられたし!」

 手旗を携えたバルカルセ家の伝令が隊列を離れ、指揮所へ向かっていく。

 隊列は速度を増し、軽快に刻まれていた蹄の音が、徐々に重い一繋ぎのものになる。

 敵とぶつかるまでの数分の道のり。左右では砲声が鳴り続け、後ろにはその数三百に迫る敵の軽騎兵が、距離を詰めようと必死で駆けている。

 弾にも刃にも襲われないこの刹那、ひねくれた冷笑が突撃前の緊張を押し退けて顔を出す。

 何かと不満を言いながら、結局は他人も巻き添えにして嬉々として危険に突っ込み、敵を殺そうとしてるじゃないか。

 どんなに上辺の道徳で否定しても、人殺しはお前の生き甲斐で、他人より優れていられるのはこの無意味な、世に不幸を撒き散らす世界だけだ。

 そして辛いふりをしているが、本当はその世界の居心地は良いんだろう――

 己を見つめる自分自身。それが己の生きていける世界の狭さと、本当は備えていない道徳を模倣した、軽薄な言葉を弄する虚栄心を嘲り笑う。

 人の倫を知ったふり、命の重みに悩むふり、そうして続けた真人間、心優しい人のふりをしているが、本当は無理に意義なんて探さなくても、もう十分に楽しんでいる。

 ただ真っ当な人間に憧れがあるから、なんとなく、悩みを抱えたふりをして自分をごまかしてるんだろう――どうせお前は、と続いた声は、蹄の音に掻き消される。

 前方では騎銃兵の大隊が重騎兵に先行し、方陣に銃撃を加えるべく横幅広く展開している。後ろには、密集隊形で加速する重騎兵の巨体が続く。

 敵までの距離は、時間にしておよそ一分前後。それは今までの装備なら遠すぎる距離で、この瞬間歩兵への攻撃を食い止めることはできず、自軍の大損害は避けられなかった。

 だが今は、奪い取った新型銃がある。

 そして二百対千四百の途方もない戦いを続ける必要はなく、とにかく重騎兵の足を止めることを考えれば良い。

「銃取れぇ! 目標、敵中段の重騎兵、二列横隊に展開しろ!」

 隊列は徐々に速度を落とし、足を止めた中央の班を中心に左右へ別れて横隊を展開する。

 軽騎兵はすぐに飛び出せるよう一塊のまま控え、騎銃兵は配置につくなり馬首を右に向け、前を横切らんとする重騎兵に銃口を向ける。

 敵騎銃兵の一部がレグルス達に向けて発砲したが、焦りの見える散発的な射撃では、大した効果は生み出せない。

「先頭に狙いを集めろ! 撃てっ!」

 レグルスの号令に合わせて、ほぼ完璧な形で引き金が引かれた。撃ち出された鉛玉は銃身内の螺旋状の溝によって回転し、彼我を隔てる厚い空気の層を切り裂いて進む。

 間を置かずに抜刀の指示が飛び、よく研がれた刀身が一斉に鞘から放たれる。

「突撃!」

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