第14話 血濡れた補給線
銃声。
通常より遠くから聞えたそれを追うと、敵の姿に辿り着く。位置は正面、トリフルーメンの川沿いの平地。
木材と小麦を満載した車列を守るべく、レグルスは部隊を展開する。敵はマスケットの弾が届かないような距離で横隊を組み、当たらない射撃を続けている。
右は山に遮られ、左には川が流れているが、すぐ目の前に広い橋がかかっている。先頭車に座るダーラーは即座に橋を渡るよう命じたが、その瞬間、レグルスの頭にフィオナの言葉がよぎる。
ただ、論理的に見て明らかにその場面で最適な答えというのは、当然相手も考えて対策する。模範的な攻撃で、とっても分かりやすかった――
「待て! 橋はだめだ!」
橋の向こうに注意深く目を走らせたレグルスが捉えたのは、木々の間から漏れる金属の反射光。気を逸らせた敵が抜き身の剣を持っているのか、あるいは銃剣を着けたのか。
ならどうすんですと大声で聞き返すダーラーに、馬上のレグルスはこのまま突っ込めと怒鳴り返す。
「橋を渡りゃ待ち伏せ、立ち止まりゃ包囲、後方だって分からん! で、わざわざあんな遠くから撃ってくるのは単なる威嚇だ! 敵は俺達を橋の向こうへ誘導してる!」
再びの遠い銃声。鳥の塊が一つ、また一つと木々の間から飛び出す。彼は敵を観察し、装填のもたつき、慌てた様子に目を付ける。
「一、二小隊は前列で銃構え、残りは抜刀、前列はアーロンに従え! 前進!」
百二十の騎兵達は二列の横隊を形成し、前列は銃、後列はサーベルを構えて馬を駆る。馬車隊はダーラー指揮の下、騎兵を追って全力で走る。
装填された銃を持ち、隊列を組んで待ち構える歩兵に突撃をかけるのは危険だが、それは密集して銃剣を構えた歩兵の防御力と、十分に引き付けた上での統制射撃の脅威ゆえ。
焦りから引き金を引く機を誤れば、柵にも土塁にも守られない人の体は、馬に比べてあまりに軽く小さい。レグルスにとっては幸運なことに、平地の幅は横隊よりも広く、多少は側面に回り込むための空間もある。
ある程度の前進の後、レグルスの号令により前列は速度を上げて距離を詰め、後列は三角形に陣形を変えながら徐々に進路を右に逸らす。
嘶きと馬蹄の音に、馬具の金属音が混ざる。木と鉄の棒を与えられ、突進する巨躯を受け止めよと命じられる人の恐れはいかほどか。
指揮官にしてみれば密集し、各個人が鉄の意思で持ち場を守れば陣形は崩れず、騎兵を押し返せると思うだろう。
早々に発砲する者があれば、揺れる馬上にある敵の先制射を恐れず、十分に引き付けて有効な一撃を加えるべきだと嗤うだろう。
しかし、敵を受け止める身になれば、例え自陣は崩れずとも、自身が死なぬ訳ではない。
自分達の勝利のために自分自身の命を費やす――その人間として倒錯した、異常な境地に至ってしまう者は少ない。
戦列を組む周囲の人間が皆同じように守りを固めていれば、安心して同じようにしていられる。だが、そこで一人でも足並みを乱せば、それによる崩壊の予感が恐怖を生み、全てを飲み込む。
そして、敵より先に撃てば、自分に向けられる銃口を減らせるかも知れないという強烈な誘惑。
引き攣った叫びと発砲音。
つられて起きる不揃いな銃声。
指揮官の忌み嫌う音と共に放たれた銃弾は、レグルス達にわずかな被害しか与えず地に落ちる。馬上で銃を構えた前列は、敵の白目が見えんばかりの距離まで高速で接近し、一斉に馬を止める。
号令、銃声、叫び声。
銃声に驚き、無数の鳥が空へ上がる。
乱れた隊列の左側面に、レグルス率いる騎兵突撃。陣形は崩壊し、道が拓かれる。焦り、恐怖し、抵抗力を失った人の群れのただ中を、重い荷馬車の隊列が駆け抜ける。
悲鳴とうめき声の渦を抜けると、森の中の道は驚く程静かになった。
歩兵のみで構成された敵隊を引き離した商隊は、森の小径で駆け続けた馬を休ませる。レグルスとダーラーは馬車の中で地図を広げていた。
「いやいや、敵ん中突っ切ったのは初めてですけど、なんだか変な興奮がありますねぇ」
ダーラーは水を呷り、大きく息を吐く。
「お、騎兵をやるか? びびってないなら見込みがある」
レグルスがからかうと、嫌だ嫌だと言いながら大袈裟に手を振ってみせる。
「そりゃあ、馬も剣もいけますけどね、でも突撃なんてあんなんできゃしませんよ。突っ込む時はいつもどんな気持ちなんです? やっぱり無心になるもんですかね」
「いや、遅れてる奴がいないか、敵に怪しい動きがないか、敵はどう攻撃してくるのかと、そんなことで頭がいっぱいだ。考えることが多くて、怖がる暇がない」
「騎兵になって最初の頃は」
「何も考えられなくて、とにかく隊長の言う通りに突っ込んでた」
「そんなもんですかねぇ……さて、問題はこっから橋を渡って迂回するか、最短距離で城に行くかですよ」
二人の視線が地図に落ちる。最短の道程で城を目指せば、一時間もせずに到着できる。ただし道が入り組んでいて見通しが悪く、騎兵の機動力も活かしにくい。橋を渡れば倍近い時間がかかるが、多少は広く、見通しの良い道を進める。
「私としては敵がまだ粘るつもりか疑問なんですけどね、どうなんでしょ」
「わからん。ただ、さっきは対岸に銃剣かサーベルに反射した光が見えた。多分さっきの連中は橋を渡らせるための囮で、対岸にいたのが本隊だ。先に偵察したいとこだが……」
「あまりここに居座ってるのも、それはそれで危険でしょうよ」
ダーラーはしばらく地図を見詰めていたが、おぉ、と声を漏らし、地図上の一点を指差した。
「ここ、ここまで出ると城が見えます。この辺まで移動して、そこから伝令出してフィオナ様に護衛の兵を頼みましょう」
「そうだな、いや……」
レグルスの意識は、自分達の進路を先回りするように架かった橋に至る。その橋から伸びる道は、まさにこれから通らんとする隘路の出口と繋がっていた。
「万が一敵が先にこの橋を渡って、隘路の終わりで待ち伏せてたらかなり厳しい。こっちは距離の詰まった縦隊、敵は横隊を広げて縦隊の先頭に射撃を集中できる。道の両側にある斜面の上から狙い撃たれても苦しい」
「じゃ、手前の橋を渡って遠回りします?」
「それはそれで、敵に姿を晒すな。多少広い分マシだが」
「ま、そうですねぇ……しかしここで延々留まってるのが一番マズいですよ。無防備です」
「そうだな……」
レグルスはコンパスで橋の前後の道の広さを測る。地図はバルカルセ家が砲兵隊主導で念入りに作成したもので、測量の精度は十分。
「こっちは広いと言っても隘路を通るよりはマシ程度で、どの道側面から斬り込むのは無理だ。馬から降りる場合、橋の上で戦いたくない。隊の前後と斜面の上に斥候を置きながら、隘路を通って城まで最短距離で行った方が良さそうだ。この場合下馬戦闘が前提だな」
「歩き、歩きですかぁ。ま、騎兵の旦那がそういうなら」
話は決まったとばかりに二人は馬車から降り、兵と御者達に指示を伝える。それはいくつかの質問と回答を経て了解され、商隊は再び動き出す。
騎兵隊はレグルスと数人の伝令役以外は全員下馬し、斜面の上まで展開しながら移動した。そうすれば、視界を確保しながらの安全な前進が保証されているはずだった。実際、暫くはゆっくりでも安全に移動ができた。
突如、右側の斜面の上から聞こえた銃声。
それが意図されたものか、お互い知らずに遭遇したのか、それを知る術はレグルスにはない。
斥候は、死んでいるだろう。その無念を噛みしめる暇もなく、レグルスは声を張り上げて命令を飛ばす。
「四小隊は援護射撃実施後に商隊警護、一から三小隊抜刀! 斜面を行くぞ!」
レグルスは馬から降り、隊伍を組む間もなく部下と斜面を駆け登る。上方を占位した敵は木を盾にしながら撃ち下ろすことができるが、レグルス達が咄嗟に盾にできるものは存在しない。
敵が少数であれば斬り込んで対処できる可能性が高く、多数であれば――それこそ撃ち合いで勝ち目はなく、敵が体制を整える前に片端から斬り伏せていくしかない。
無様ながらも、選び得る策の中で最悪ではないものして、喚声と共に突撃する。上方から繰り出される銃剣の刺突を躱し、振り下ろされる刃を受け、数人の損害を出しながらの前進。
幸い分散した敵に塊として斬り込んだことで、ごく局所的ながらも数的優位を保ち続ける。走り、切り、走る。刃を弾き、手首を斬り、よろめく敵の喉に切っ先を突き立てる。
無意義で無限に感じられる数分間を経て、レグルスは斜面の敵を壊滅させた。サーベルを拭いて鞘に納め、血に濡れた右腕を垂れ下げる。
肩の力を抜いたその時に、背後から最も忌むべき音が鳴った。
咄嗟に木の後ろに隠れて反対側の斜面を見れば、適切な密度を持った銃兵の集団。銃声を聞き、隊を纏めてから攻撃に移ったのだろう。
下に残した三十人ばかりの小勢では、どう足掻いても対処できるものではない。そして、レグルス達は速度を最優先に突撃したためマスケットは携行しておらず、敵は拳銃を撃った所で無意味な距離にある。
心臓が早鐘を打ち、不快な汗と壊滅の恐怖が滲み出る。抜刀し、隊を纏めて斜面を下ろうと腰を浮かすと、更に高密度の発砲音。
そのあまりの濃さに驚きながら下を見ると、恐れていた破滅は訪れていなかった。戸惑いつつも周囲に目を走らせると、視界の端に青と黒の塊が見える。それは驚くべき速さで弾を込め、正確に撃ち込む兵士の集団。
掲げる旗には、黒い梟。
中隊規模の伯軍歩兵は、射撃を続ける横隊と、斜面を登る二個の縦隊に分かれる。横隊の支援の下に縦隊は斜面を駆け上り、敵に銃剣を突き刺していく。戦力差は圧倒的で、瞬く間に敵の姿は消えていく。胸に詰まっていた息が吐き出され、代わりに安堵が充満する。
指揮官に救援の礼を伝えに斜面を降りると、見えてきたのは覚えのある顔。
「ナバ中尉! 壮健そうでなによりです」
「隊長、間に合って良かった。それと」
三本の金色の線が入った黒い襟を引っ張り、レグルスに見せる。
「今では大尉として、中隊を任されている」
「それは失礼を。昇進おめでとうございます」
レグルスは賛辞の言葉を送り、思い出したようにサーベルを納める。
「後少しの所で我々は壊滅する所でした。ところで……監視塔はまだ置かれていないようですが、何故ここが?」
「鳥だ」
ナバ大尉は空を指差す。
「この通り木ばかりだから、銃声がしたり大勢の人間が動き回ったりすると、鳥の群れがいくつも飛ぶんだ。あんまり飛ぶんで念のため偵察を上申したら、すぐに大隊に出撃命令が出た」
「なるほど。古典的で確実な敵の兆候ですね」
レグルスは溜息を吐きながら空を見上げる。
「私も、もう少し森の声を聞くようにしますよ」
「例の監視塔も、配置案の検討中だ。もう少し良い監視体制が敷けるだろうさ。さて……」
ナバ大尉は伝令の騎兵を呼び寄せる。
「お前、少佐殿に伝令だ。ヴァレリー商会を救出し、敵は撃滅したと伝えろ」
伝令は敬礼を残して馬腹を蹴り、小気味の良い蹄の音が遠のいていく。
「そういえば大隊で出撃したとのことですが、大隊長はどちらに?」
「ここから少し下がった所に。直率の中隊はあまり動かず、三個中隊の情報伝達と予備兵力として残っている」
レグルスは感嘆の声を上げ、かつての傭兵団を思い出す。部隊がある程度の距離と時間を上級指揮官から離れて行動し、複雑な信号で一つの生き物のように動く。それにどれ程の苦労があるか。
食い詰めた人間と現実を知らぬ夢想家中心で構成され、頻繁に人が入れ替わる傭兵団では、末端まで士気と規律が必要なことは難しい。
十中八九臆病者が逃げるか、やたらに蛮勇な素人が成算のない攻撃を仕掛けて作戦が崩壊する。
密集陣形は銃の精度不足を補い、歩兵が騎兵に対抗する手段でもあるが、兵隊を目と声の届く範囲に留める役割も果たすのだ。
「小部隊に分割しての高度な連携。常備軍の強みですね……非常に良い組織です」
「えぇ、特にここ数年間でかなり研究がされました。フィオナ様が伯爵閣下と演習を繰り返して、まぁ……走らされたよ」
ナバ大尉は何かを思い出したように軽く笑い、肩を竦める。
「負傷者の手当てもある。日が暮れる前に、城に入ろう」
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