第3話 伯爵閣下のお企み

 白雲たなびく蒼穹と白波の立つ紺碧の海に、白亜の壁と青い尖塔。白と青の風景を、側防塔が生み出す陰影が引き締める。

 類稀な美観を誇るリートゥスデンス伯サカリアス・ファン・バルカルセの居城リートゥスデンス城は、傲慢な権威の象徴であり、純粋な殺意の具現だった。

「綺麗な城ですねぇ」

 ダーラーが目を細めて城の優美さを賛嘆する横で、シモーヌは高価な化粧石が使われている量をしきりに気にしている。

 そんな二人の少し後ろを歩きながら、レグルスは軍事拠点としての異常なまでの作り込みに心奪われていた。

 一見すると優美な意匠に目が行くが、代々のバルカルセ家当主が増改築を重ねてきた城壁は、砲撃に耐え得る程に厚い。また、射手の死角ができる時代遅れの円筒形の城ではなく、全体的にL字に近い構造で多数の側防塔を備え、城壁に取り付こうとする敵を側面から狙い撃ちできる。

 崖に面して建設されたそれは多数の砲台を備え、真下を通る船からすれば笑顔で見られる物ではない。そして、陸から見れば城は小高い丘にあり、城壁に設けられた狭間と銃眼から良いように狙われる。

 そこまで作り込めば大抵資金が尽きてしまうが、リートゥスデンス城はさらに化粧石で白く飾られ、優美な尖塔まで付いている。

 シモーヌが門兵に許可証を見せ、二重構造の狭い門を通り抜ける。広場を囲む建物の美しさと高さに、思わず顔を上げてしまう。

 崖沿いの城は異様な程に大きく、数千人規模の兵舎、厩舎に食堂、法廷まで備えているらしい。

 本館ともいうべき建物は、主塔と巨大な館といくつかの塔が合わさった物で、白と青で彩られたうえに、すべての窓にガラスが嵌められていた。居館としての快適さを物語るように、ガラス窓は大きく、煙突の数は多い。

 案内の兵が開いた扉には、美しい海の女神と荒波を超える帆船の彫刻が施され、所々に金箔が輝く。薄暗いが涼しい館の中では、使用人達が細々とした用を足し、伯の役人らしき者が紙の束を抱えて忙しなく歩き回っていた。

 兵に連れられて階段を登り、二人の衛兵に守られた部屋の前に連れて行かれる。制服を金糸で飾った衛兵は、レグルス達を認めるなり扉の前に立ち塞がる。

「ヴァレリー商会だな。伯爵閣下が面会される」

「今なんと? 閣下が直々に、ですか」

 シモーヌが思わず聞き返す。

「そうだ」

 レグルス達が面食らうのをまったく気にせず、無表情な衛兵は部屋の主に来客を告げる。

 開かれた扉の先では巨城の主、リートゥスデンス伯サカリアス・ファン・バルカルセが役人達と話し込んでいた。

 後ろにまとめられた黒髪に灰色の瞳、上等な生地の黒衣にネッククロスと薄い造りの顔だけが白く、身に着けた宝石はすべて青い光を放っている。五十歳近くに見えるが、その体には余分も衰えも見当たらない。

「材木の見通しについては理解した、すぐに植林の計画を進めるべきだな。ただ、ブドウ栽培の用地は縮小するな。我々のワインは、昔よりもよく売れる」

 張りのある低い声に続き、サカリアスの視線がレグルスたちに向けられた。身体に合った黒い上衣は肩、背中、腰と美しい曲線を描き、腰に吊るしたレイピアの直線が、立ち姿を引き締める。

「今日はここまでだ。客人を迎えている」

 役人達は手際よく資料を片付け退室し、サカリアスは三人の方へ向き直る。

「ヴァレリー商会だったか。よくやったな」

 歩み出たシモーヌが、膝を折って辞儀をする。よく磨かれた机に反射した春の日差しが、うっすらと金髪と滑らかな肌を照らす。

「ヴァレリー商会長のシモーヌ・ヴァレリーでございます。これなるは副会長のダーラー・オーラン・モンシ、護衛隊長のレグルス・アストルガにございます」

 シモーヌの口上に合わせてそれぞれ辞儀をする。三人は訝しがる表情を引っ込め、目を伏せて伯爵が口を開くのを待つ。少しだけ、部屋の空気が重くなる。

「昨日の件、大尉より報告を受けた。火力と騎兵が与える恐怖を活かした用兵だったと聞いている。我が領内に商館を構える諸君が、巧みな用兵家であることを誇らしく思おう」

「は、ありがたき……」

「用兵ばかりか商売も、実に巧みだな、実に」

 サカリアスは机の縁に手を滑らしながらゆっくりと歩く。その足音は、毛足の長い絨毯の深い紅に吸い込まれる。

「王国の南端である我がリートゥスデンスから砂漠まで足を伸ばし、砂漠や東方の産物を持ち帰る。量こそ船商人には負けるだろうが、品物を見る目には狂いがないとの評判らしいな。シモーヌ、だったな、父の代から資産を五倍まで増やすというのは、中々できることではない」

 重く響く、支配者の声。

 鼻息と、遠くの海鳴り。

 三人とも黙って硬直したように前を見つめ、次の言葉を待っている。厚い雲が太陽を隠せば、蝋燭を灯さぬ室内は嫌になるほど薄暗い。

「私は学のある者が好きでね、シモーヌ、一度お前と話してみたかった」

 サカリアスはいつの間にか机の周りを一周し、シモーヌの後ろに立っている。

「国外から持ち込んだ本について。随分、私の領内に持ち込んだらしい」

 シモーヌは何か言いかけたが、少し口を開いただけで終わった。口の中が乾き、喉の筋肉は強張り、上手く声を出せなかったのだ。

「書籍の閲覧と保持に関する法、神の定める禁書法を犯したな。王国語に訳した本の密輸は儲かったか?」

 嗜虐的な声の響きに、彼女は頬を引きつらせて沈黙する。

「儲かっただろう。禁じたところで、人は物を知りたがる。まして、王国の外では知識も物語も求めれば手に入るとあれば、な、当然欲しくなるだろう。神殿の許しを得ずに本を読んだ者に、どんな罰が待っていたとしても」

 彼女の肩に手が置かれ、布越しに伝わる体温は生ぬるい。

「摘発されて罰金刑と市民権の剥奪、見逃す代わりに絶対服従、悲惨な末路に事欠かん」

 肩の手に力が入る。

「本を」

 三階の窓、春の陽光。

 机に反射した光が壁にかけられた紋章旗――青地に翼を広げた黒い梟の旗を照らす。

「解放しないか」

 気の抜けた海鳥の鳴き声が微かに聞こえる程の無音の後に、シモーヌの声が続く。

「解放……ですか」

「いかにも」

 サカリアスは机の前の椅子に座り、レグルス達にも着席を促す。

「不思議そうな顔だな」

 目の前の大貴族の口許を歪めた笑顔を見て、シモーヌは慎重に言葉を選ぶ。

「閣下はその、お咎めにはならないのですか」

「咎める? くだらんことだ」

 サカリアスは脚を広げて座り直し、艶やかな、一目で東洋の優品と分かる白磁を口に運ぶ。揃いの光沢を帯びた小皿の上に戻された器を満たすのは、芳香を放つ薄赤い液体。

「貴様らの分が遅れているようだが……シモーヌ、これが何かわかるか」

「茶、紅茶でございますか」

「さすがにわかるか。では飲んだことは」

「ありますが、値も張りますのでそう多くは」

「そうだな、茶は高い。我々の手に入るのは輸出用に割り当てられた茶葉だけで、それは遥々と、海か砂漠を越えて来る。茶を自前で育てれば儲かると思って商人に持ってこさせたが、どうにもダメだ。まだ諦めてないがな」

 再び茶で唇を湿らせたサカリアスは、香りを楽しむように目を閉じてゆっくりと鼻で息をして、目を開けると再びシモーヌの顔を見据えた。その圧力を持った眼光に押され、彼女の身体は強張り、息が詰まる。

「気候か土か、育て方が悪いのか、見当のつかない中での試みだ。さて、未知に対して挑戦をする我々に、力を貸すべき者は誰だ?」

 投げかけられたのは、答えのわかり切った問い。新しいものに挑む人間は、過去の知識と経験を総動員するより他はない。

 そして、誰が最も多くの知識と経験を利用できるかというのは、もはや考える必要もない。

「神殿でしょう」

「その通り。連中も茶の樹を育てたことはないだろうが、それでも、王国内で栽培の知識を最も広く蓄えているのは神官の、農学を研究する連中だ。しかし、連中は協力しなかった。それどころか、だ。抗議をしたら我が領内で行っていた研究も中止し、農民の教育をしていた学者も引き上げた。私の利権が拡大するのを嫌ってな」

 椅子に深くもたれかかったサカリアスの指先は、小刻みに机を叩いている。

「万事その調子なのだよ、連中は。神殿は神が知るべきとする人間に、神が知るべきとすることを教える。では神は、一体誰が何を知るべきとするのか? それは、神が残した賢者である神官が代弁する。それが奴らの哲学だ。学問の権利を独占し、それを利権として振りかざす。そんな連中に寄りかかっていては、これ以上の発展は望めん。我が領内での本の閲覧、所持、出版の自由化、それが私の宿願だ。何度も撤廃に向けた討議を要求しているが……どうにもならなければ、力技も考えねばならん。軍事において貴族に依存していないからこそ、連中は強権的でいられるのだからな」

 足を開き、身を乗り出す。灰色の瞳と口角から覗く歯が、日光を受けて鈍く光る。

「そこで、貴様らに頼みがある」

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