第2話 遭遇戦-Ⅱ-

「本隊より信号! 騎兵はただちに敵騎兵撃退、その後、敵左翼側面を攻撃されたし!」

 伯軍の伝令が馬を駆り、怒鳴るようにナバ中尉へ伝える。

 川と森に挟まれた戦場へ急行し、随伴の軽騎兵がトランペットの甲高い音を響かせた直後のこと。指揮所となっている荷馬車の横に信号兵が立ち、二本の手旗で信号を送り、蹄の音、馬の嘶き、銃声、号令、やたらに綺麗なトランペットの音色が飛び交う。

「敵、増援なし! 我が方、損害軽微!」

「アストルガ隊長! 悪いが儀礼は省略だ!」

 ナバ中尉がレグルスへ怒鳴る。レグルスは一言ぐらい大尉殿と挨拶でも交わすものと踏んでいたが、存在を認められるなり、敵を攻めよと指示が飛ぶ。

 馬を駆りながら向き合う両軍を観察すると、見た所伯軍も百人はいそうに見えるが、敵兵の数は倍近かった。

 おまけに敵にはある程度まとまった数の騎兵が控えているが、伯軍は斥候や伝令をこなす軽騎兵が数騎いるだけで、他には荷馬車の馬しか見当たらない。

 普通であれば、とっくに押し潰されているはず。そんな強烈な違和感を抱いたが、疑問はすぐに解決された。

 両軍共に火打石式のマスケット銃を構えて撃ち合っているが、伯軍は弾を込め始めてから撃つまでの動作が異常に速く、恐らくは一発二十秒を切っているのだ。

 騎兵といえども正面からのこのこ近付けば、マスケットの猛射を受け、それなりに損害を受けるだろう。そして、複数の三列横隊に分かれた歩兵の周囲には絶妙な間隔で荷馬車が配置され、側背からの騎兵突撃を防いでいる。

「これも……野戦築城か」

 そう呟きながら敵に目を向けると、弾込めには伯軍の倍の時間がかかり、騎兵の数はレグルス達よりも少なく見えた。

 だが、少ないとはいえ騎兵は騎兵、排除するまでは歩兵の前身は難しい。そしてマスケットの精度と威力では射撃だけで勝ち切るのは難しく、どこかで前進、そして銃剣突撃を仕掛けたい。

 レグルスはそこで己の役割を理解し、半ば勝利を確信して反りの強いサーベルを抜く。

 伯の歩兵を騎兵の脅威から開放しさえすれば、きっと彼らは敵を撃滅する。それも、恐ろしい程の速さで。

「二列横隊! 中尉殿は私の側へ」

 騎兵達は減速し、二列の横隊を組んで足を止めた。七十程の敵騎兵は喊声を上げ、レグルスを目指して増速している。

 時代の流れで重い鎧を脱ぎ捨てた騎兵の動きは、速い。レグルスはその速さと対象的なゆったりとした動作で、サーベルの切っ先を敵に向ける。

「銃取れ!」

 横隊は馬首を右に廻らせて上体を左に捻じると、鞍に固定された、長さを切り詰めたマスケットを掴む。

 弾丸がまともに当たり、傷を負わせられるのはせいぜい百メートル以内。発射後も敵騎兵が全力で駆け続ければ、それは十秒もすれば眼前に迫り、喉に切っ先を突き立てる。

 駆け続けさえすればだが――

「構えぇ!」

 その一言で、九十の銃口が一斉に目標に向けられる。兵達は整然と撃鉄を起こし、引き金に指を掛け、肩を落とし、息を殺す。照門、照星、目標を一本の直線で結び、目を凝らす。

 レグルスは距離の目測に没頭し、琥珀色の鋭い瞳に一秒、また一秒と近づく敵を映す。戦争屋としての職人めいた計算が、熱くなりそうな頭を冷まし、沸き立つ血を抑え込む。

 サーベルを振り上げる。

 黒い上衣が風にはためく。

 鳴り続ける歩兵の発砲音すら耳に入らず、襲歩で迫る馬の動きも緩慢に見える。

「撃てっ!」

 振り下ろした刃と共に乾いた音が鳴り、硝煙が立ち込める。馬も人も痛みに呻くその瞬間、敵の勢いは完全に失われていた。

「銃差せぇ! 抜刀!」

 反射光、微かな金属音。

「突撃!」

 馬腹を蹴り、一気に加速する。

 敵先頭列は銃撃に晒され、後続も邪魔な前列を避けようと動きを止めた。敵はすぐに態勢を立て直そうとするが、一度失った勢いは、そう簡単には取り戻せない。

 レグルスは速度を乗せて敵隊列と交差するその一瞬、湾曲したサーベルを巧みに振り、敵の右腕を狙う。

 遠心力の助けを得た刃先から伝わるのは、人の肉を断つ生々しい衝撃。すれ違い様に後ろを見れば、戦える敵はほとんど残っていない。死者は決して多くはないが、生きていたとして、右腕をまともに使えない状態ではどうしようもない。

 日頃の訓練の賜物か、レグルスの隊からの脱落はごく少数。敵騎兵は再度の突撃を無駄と見たか、早々に離脱していった。レグルスは馬の休憩を兼ね、一旦足を止めさせる。

「逃げたか、呆気ない」

 そう言って肩の力を抜くナバ中尉に、レグルスは布でサーベルを拭きながら言葉を返す。

「連中からすれば、自分達より優勢な騎兵は想定外ですから。それにまぁ、あの数の騎兵隊としてなら、次の仕事も見付かるでしょう」

 騎兵の脱落により、天秤が大きく傾く。騎兵の排除とほぼ同時にトランペットが鳴り響き、軍鼓が連打される。

 伯軍は歩調を合わせて前進しながら、一個の三列横隊に合流する。そこでレグルスは全隊にマスケットの再装填を命じ、ゆっくりと周囲を見渡す。

「アストルガ隊長、予定通りに」

「もちろんです」

 部下達が弾丸を込め終わる頃を見計らい、サーベルを振って目標を指し示す。切っ先が向けられた先は、一心不乱に銃を撃つ敵歩兵の二列横隊。

 薬包を噛みちぎり、火皿に火薬を入れ、銃口から火薬を注ぎ、弾丸を入れる。

 朔杖を引き抜き銃口に数度差し込み、朔杖を収納し、銃を構え、狙いを定め、引き金を引く。

 その一連の動作が遅れる程、正確さに欠ける程、己の死に近づいていく。その恐怖に取り憑かれ、そう仕込まれた機械のように同じ動作を繰り返す。

 圧倒的な力の差に直面した彼らの姿は、傍目にも哀れなものだった。

 前面の敵に没頭した歩兵の横隊に、勢いを乗せた騎兵突撃。敵も慌てて方陣――対騎兵防御に特化した中空の四角の密集陣形に組み替えるが、出遅れた者の首を刎ね、銃撃を受ける前に方陣から遠ざかる。

 伯軍は横並びの直線で敵に向かい、敵は四角形を作っている。伯軍はすべての銃口が敵に向いているのに、敵の銃で役に立つのは四分の一。このせいで、両軍の火力には圧倒的な差が生まれていた。

 おまけに、人間は横や後ろに歩くように出来ていないから、方陣ではまともな移動ができない。

「ひっくり返ったな」

 冷めた目をしたレグルスは、そう呟いてから声を張り上げる。

「無理に突っ込むな! 騎馬のまま威嚇射撃で良い、敵を方陣のまま拘束する!」

 敵が騎兵突撃を警戒して方陣を維持すれば、きっと伯の歩兵が火力で圧倒してくれる。そんな判断から下した命令だった。

 その後の伯軍の振舞いは、まさに支配者のそれ。圧倒的な火力により小さくまとまった敵を蹂躙。敵軍の精神が限界に達した頃に、トランペットの響きと共に銃剣突撃。

 その頃にはレグルスの仕事は特になく、遠くに逃げる敵兵を追いかけようとしたが、それもナバ中尉に制止された。

「隊長、遠くまで逃げた連中は追わなくて結構。我々に手を出すと恐ろしいことになると、吹いて回ってもらわねば」

「逃げ遅れはどのように?」

「まず反抗する気力を無くすまで殺す。それから、体の頑丈そうな者は労働力として連れていく。使い道がなさそうなのは殺すのも節税だ。牢屋は有限、運営は公費だからな」

 ナバ中尉は愉快そうに笑い、帽子を取って額の汗を拭う。

「私は傭兵上がりだが、昔と違って今は市民に笑いかけられる……中々新鮮な気分だよ」

「それはまた。傭兵上がりが多いので?」

「元傭兵から、志願した領民まで。色々だ」

 不安定な傭兵稼業から、評価を受けて大貴族のお抱え士官。レグルスから見れば、戦争屋としてはそれなりに羨ましい経歴だ。結局は人殺しだが、何かを守っている気にはなるのだろうかと、あらぬ疑問が首をもたげる。

 貴族同士の勢力争いは沈静化し、傭兵の仕事は確実に減っている。傭兵団の塊のまま、あるいは傭兵崩れの集団が野盗と化す例も多い。

 戦争しかまともにしたことのない人間に務まる仕事などそうはなく、農地も漁場も万民で分け合う程豊かではない。

 そもそも兵隊になる人間の大半は、他で食えなかった結果そこにいるのだ。そんな人間が戦列で銃剣を振り回した所で、パンの一切れも産まれない。

「まさに幸運ですな、中尉殿は良い仕事を見付けられた」

「いやまったく。おっと、大尉殿が」

 中尉に促されて振り向くと、壮年の大尉が大柄の馬に跨り、機嫌の良い顔を見せていた。中尉は帽子をかぶり直して敬礼し、レグルスもそれに倣う。

「助かったぞ諸君! 立派な騎兵を連れた隊商がいると斥候がいうのでな? そこのナバ中尉に、どうにか借りてこいと言ったのだ」

「そういうことでしたか。伯爵閣下のお役に立つ機会に恵まれ、光栄です」

「すぐに金を渡せんのは残念だが必ず払う! これを持って明日にでも城に来てくれ!」

 そう言って、大尉は封筒を取り出した。受け取ったレグルスは中身を取り出し、目を細めて文面を眺める。

「入城の……許可証でしょうか」

「そうだ。読み上げるか?」

「いえ、会長のシモーヌが拝読します。それでは、私はこれで」

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