第8話 内外の敵

 技術。

 奇跡の対極にあるその言葉。

 それは人にとって好ましい結果をいつでも、誰でも、何度でも再現可能にする、人が知的な営みを積み上げてきた証。

 神殿は世の理を探求し新たな原理を発見する研究者、そして扱い難い発見を実際に使える形に落とし込む技術者を善き者としている。

 しかし、とソフィアは但し書きを加える。それは組織の中の一要素として、統制が取れる限りにおいてのことである。

 彼女は学者としての経歴はないが、周辺地域の経済や軍事といった人の営みを分析し、また軍を指揮し人を動かす経験を積んできた。

 人の営みにもいくつもの法則があることに気が付き、それを数値化、法則化して人の行動を予測しようと試みもした。その経験があれば、新しく考えたものは是が非でも確かめたい心情は理解できる。

 だが、そうした心情的なものを考慮しても、目の前の男は許し難い存在だった。

「質問は二つ、新型砲の運用を勝手に命じたのは誰か、それは何故命じられたのか」

 バルカルセ家の拠点防衛の能力と戦い方のクセを把握するための威力偵察、これはソフィアが命じたことだ。

 しかし、新製法により製造した砲の試験など、命じてもいなければ許可を求められてもいない。

 目の前には、不貞腐れた中年の髭面の男。

 部屋の隅に控えるモニカは初めてソフィアの怒りにまともに触れ、自分が怒られているわけでもないのにそわそわとしている。

「早急に実戦検証が必要でしたので」

「かといって、不用意に露出する必要性は認められない。そもそも、私は命じていない」

 ソフィアが怒りに任せて掌を机に叩きつけ、モニカの肩がびくりと震える。男が不機嫌そうに押し黙るのを見て、その怒りはいよいよ頂点に達した。

 高位神官の任命は平時は学者筋か立法に関わる者が優先され、神殿に脅威が迫りつつある時には、特定の問題に対し指導力のある者が優先されやすい。

 神官といっても祭祀に専従する者は少なく、そのほとんどが各種研究や法律、教育、軍事等様々な仕事に携わっている。

 そして軍に身を置いてきた彼女はバルカルセ家との対立深化に際し大神官に任命されたが、平時は無学な戦争屋として軽んじられる立場にある。

 そうした風土の中で、目の前に立つ男、金属加工研究室長のマリッツは、明らかに彼女のことを軽視していた。

 ソフィアはマリッツを評価するにあたって、確かに業績は見事だと認めている。

 鋳造のみで製造する従来の砲は、鋳造技術の限界により砲腔の加工精度が悪く、砲弾と砲腔の隙間から多量のガスが漏れていた。

 その結果、砲弾が速度を得るには大量の火薬と、それに耐え得る厚い砲身が必要だった。

 それをこの男は穴が空いていない大砲を作り、高速回転する刃物で穴を開ける製法を開発した。削り出された砲腔は直径にバラつきがなくなり、限界まで隙間をなくした状態で発射可能とした。

 これによりマリッツの生み出した新型砲は、今までと同等の重さで、射程も精度も上がったのだった。

「不用意に露出した点に加えて、報告を見る限りでは、無意義な撤退に追い込まれたのはこの砲のせいよ」

 彼女はこの男の才能という優れた宝を頭に浮かべ、撃ち殺したい衝動を抑えつけて話を続ける。

 トリフルーメン城に派遣した傭兵隊の、目を覆いたくなる失態。

 ソフィアも報告書を読んだ当初は、戦力を小出しにした上まともに戦わずに退却した指揮官の資質を疑った。

 だが、読み込む内に砲が足枷となっていたことを理解した。

 砲を敵の射程圏外に置き、兵を砲の護衛に割き、その上で城を攻撃しろというのは無理がある。

 元々彼女が貸し与えるはずだったのは、もっと旧式の、打ち捨てられても一向に構わない代物だった。旧式の砲で接近、砲撃し、反応を引き出せば良かった。

 それで今回の結果はどうか。敵の砲の射程すら把握できず、敵兵の練度や装備も今一つ分からず、ただ推し量れるのは敵の指揮官、フィオナ・ロベルティナ・バルカルセはこちらの意図と弱点を把握していたらしいということのみ。

 無論全てがマリッツの責任というのは乱暴だが、それでも敗因を生み出したことには変わりがない。

 いっそ銃で脅して命令系統を教育してやろうか、とソフィアは考えたが、目の前の男は歩兵ではなく神官だ。

 戦列歩兵であれば、どうにもならない腰抜けは恐怖で制して敵に向かわせればそれで良い。

 敵に立ち向かえば死ぬかも知れないが、敵から逃げれば確実に殺される。それを理解すれば、人は恐怖に震えながらも前へ向かう。

 元から個人の能力を期待しない役割であれば、恐怖で縮こまっていても、それなりには機能する。

 しかし、神官相手ではそうはいかない。

 神官は金、物、名誉の欲を刺激してやれば恐ろしい程によく働くが、恐怖で過度に萎縮した者や不満があまりに膨れ上がった者は使い物にならない。

 そして偉大なる叡智の詰まったその脳袋は、どんなに気に入らなくとも放逐してはならぬのだ。

「まあ……もちろんこの砲が非常に優れていることには疑いはなく、今回はそれを検証することができた。ただし、改めて部隊、装備、設備の運用規則を確認し、今後こうしたことのないように」

 ソフィアがマリッツの髭面を見据えると、ようやく謝罪めいた言葉が発せられた。

 これ以上詰めても仕方無しとマリッツを退席させ、次の難題に備える。

 リートゥスデンス伯との討議。

 議題は書籍の閲覧と保持に関する法の撤廃について。

 神殿の権力の根源であり本来なら検討すら許されないが、リートゥスデンス伯と仲間内の貴族達の連名で討議を求められ、おまけにあちらこちらで「神殿が討議に応じないのはやつらが聖賢からは程遠く、とても議論に応ずる頭がないからだ」とやられてはさすがに無視ができない。

 挑発であるのは明らかだが、権威と権力の内の片方を失えば、いずれはもう片方も喪失し得る。

 討議の開始は数時間後。立法院から招いた論客と、細かな部分の確認をしなければならない。

「モニカ」

「は、はいっ、すいません!」

「何がよ。アンペール参議を呼んできて、あとお茶、あ、あなたの分も用意して」

 おどおどとしていたモニカの顔が、茶と聞いて明るくなる。

「えっ、よろしいんですか」

「えぇ、なんだか疲れてそうだから」

「ありがとうございます!」

 モニカは子犬かなにかのように扉に向かい、部屋から出る直前、パタリと足を止めて振り返る。

 怯えた犬のような瞳は潤み、緊張した子供のと同じ仕草で息を飲む。

「あの、猊下が本当は優しい方だというのは私が分かっておりますので……失礼致します」

 突然の言葉と扉の閉まる音に驚き、ソフィアは暫く同じ姿勢で固まっていた。時を告げる鐘の音で我に返り、釈然としない様子で腕を組んで一人呟く。

「本当は?」


 神殿の大議事堂、白を基調に赤、青、緑、そして黄金で意匠を凝らした豪奢なそれは、黒いローブの列席者に埋め尽くされ、ソフィアの衣装の鮮烈な赤が仕上げを施す。

 まるで劇場か闘技場のように周囲を傍聴席に囲まれた演台では、黒衣のリートゥスデンス伯サカリアス・ファン・バルカルセと、立法院幹部のアンペールが向かい合う。

 傍聴席の端の方は神官以外の着席が許され、情勢に敏感な貴族や商人が固唾を飲んで演台に視線を注ぐ。

 議長席に座るソフィアが木槌を叩き、乾いた音が響き渡る。

「ミネルウァ神殿アウスティア教区大神官ソフィア・エスコフィエの名において、書籍の閲覧と保持に関する法に対する、リートゥスデンス伯サカリアス・ファン・バルカルセによる改正要求についての討議を開始する。リートゥスデンス伯、発言を許す」

 発言を促しつつ、この惨事の元凶を睨み付ける。正しくは――睨み付ける素振りを見せる。

 ソフィアが最も期待していること、それはリートゥスデンス伯の程良く抗った上での敗退。

 ソフィアはこの厄介者のおかげで大神官の椅子が回ってきたことは十分に理解しており、敵としての戦意はあれど、強烈に憎悪するには至っていない。

 そんな事情はお構いなしに、当のサカリアス本人は極めて傲慢な風でソフィアとアンペールを交互に見た。

「聖賢なるアウスティアの大神官ソフィア・エスコフィエ猊下、並びに立法院参議シャルル・アンペール閣下におかれましては、寛大な御心にて寡人にこの義を論ずるの場を賜り、恐悦至極に存じます」

 わざとらしい程の美辞麗句を並べ、敢えて聖賢とまで評してみせる。サカリアスは早々に眉を顰めるアンペールの表情を楽しむように眺め、本題へと切り込んでいく。

「私の求むる所はただ一つ、書籍の自由な所持と閲覧であり、これこそが我らが王国が栄える唯一の道であります。それは知を共有することの利益と、書籍の閲覧と保持を制限することの無益にして有害なることによります」

 ゆっくりとたしなめるような口調。

「古来、人はその身の貴賤を問わず物を知り、考え、世を豊かにしてきた」

 一転、余興は終わりだとばかりに断定的な物言い。

「新たな考えとは既存の知識、概念が新たに生じた必要に応じ、組み合わされて生まれるもの。知の発展とは、人の総体として知り得る事物と直面し得る必要の積。民衆の教育の質と機会の向上こそ王国の知の質と量を向上せしめる。よって、知を広く開放することこそが、王国のさらなる繁栄への道である。では、民衆が知への接触を抑圧するは何を意味するか? それは人が生み出すイデアの減少、また深く考える者が減ることによるイデアの固定化であり、大いに国益を損ねる行いである。さらには、人は知に触れずとも必要に迫られれば問題を解決する術を考えるが、まさに知に触れていないことにより誤った考えを生む。よって、知の抑圧は無益であると同時に有害であることは明らかである。しかして私は書籍の閲覧と保持に関する法におけるあらゆる許認可と罰則の規定の削除、並びに特定の権利を神官に認める条文における神官の語をあらゆる身分の王国民に修正することを求むるものである」

 議事堂に伯の声だけが響き、傍聴席の者どもは、固唾を飲んで演台を凝視している。

 沈黙を破る、硬質な木槌の音。

「アンペール参議」

「はっ」

 壮年の神官、神殿の中でも特に権威のある立法院の上層に位置する男は背筋を伸ばし、見下ろすようにして目の前の男を睨む。

 その顔の皺の入り方は長い間しかめっ面をしてきた人間、他人を小馬鹿にしてきた秀才のもの。

「伯の言には、一理ある。知は確かに考える人間の数と、物を考えねばならない場面が多い程蓄えられる。考える者が減れば発想も偏る。この基本的な原則について我々が認識を共有し得ることは、実に喜ばしい限りだ。ただし、神殿はこの点は解決している。そして、伯は重大な見落としをしている」

 銀縁眼鏡をかけ直し、吸われた息が唇と摩擦して耳障りな音を立てる。片眉が一瞬だけ吊り上がり、偉そうで気難しそうな皺を刻む。

「我々ミネルウァ神殿は様々な職業、階層に対して教育を施している。また優れた考えがあれば誰のものでも取り上げて洗練し、然るべき場で共有している。あらゆる者にその者が必要とすることを教え、いかなる者の考えでも秀でていれば取り上げる。これが知の創造でなければなんだというのか。そして、伯は誤った知識と思想に導かれることの恐ろしさを過小評価しておられる。伯は東洋の商人とも随分と親しくしているようだが? 遠来の書物にもある通り、深く考えることなしに新しい知識を得ても役に立たず、ましてや、ろくに物を知らぬ者があれこれと考えをめぐらすのは危うい。だからこそ、我々は新しく生まれた知識も考えも我々の下に集め、それを洗練した後必要とする者に教えるのだ。人の中途半端な賢さは大地と海を穢し、人を殺す。人の知は管理されなければならないのだ」

 アンペールは発言を終え、口の端を歪めて伯を見る。それを受け、伯が再び口を開く。

「学びて思わざれば即ち罔し、思いて学ばざれば即ち殆し、東洋の商人より聞いたことがありますが、まったくその通り。一つ言うならば、単に知識の少ないことよりは人から学ばぬことを危ぶむ言葉だそうですが……まあ大意は同じでしょう。今ご自分で仰ったその一節こそ、私をここに立たせる所以です」

 解釈の間違いを指摘されたせいか、アンペールは苛立たしげに指を動かす。

 そんなものは見えもしないと言うように、サカリアスは眉一つ動かさず言葉を続ける。

「誰が何を知るべきかは神官が裁定するもののように聞こえますが、いかがですかな?」

「いかにも、その通りであろう」

「そう、そうでしょう、あなた方はいつもそう仰る。それこそが誤りなのです。人は、例え神が認めずとも勝手に物を識り、勝手に考えるものです。人は広く教えを伝え合ってこそ正しく考え、正しく行うことができるもの。本を読み議論する機会の制限が生み出すものは、視野狭窄に陥った独りよがりな愚者の群。国を導く良い方策とは言い難いでしょう」

 一瞬の沈黙の後、聴衆がどよめき始める。

 そこから先の議論は平行線を辿り、夕暮れ時になっても結論は出されなかった。

 ソフィア、そしてアンペールはサカリアスの言説を打ち破る計画でいたが、議題が議題だけに数據を欠いた観念的な議論となり、決定的な反駁をすることができなかった。

 一方、サカリアスとしては彼を論破できなかった神殿という戦利品を獲得した。

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