第7話 フィオナ様のご采配-Ⅱ-
丘の上から前方を見下ろせば、相変わらず動く気配のない敵の隊列。響き渡るのは、砲身が熱くなったのか、多少間隔が広くなった砲声だけ。
面白味のない光景だが、その方がレグルスには都合が良い。
レグルスの提案はすぐにフィオナ、歩兵大尉、砲兵大尉の間で擦り合わされ、フィオナからの命令として処理された。
彼は提案が受け入れられた小さな満足感と共に、眼下の敵を観察する。
中央に歩兵三百の三列横隊、両翼に騎兵が百ずつ控える古典的で堅実な陣形。
仰角を大きく取った大砲は、通常の野戦と異なり両翼や歩兵の間ではなく後方に控え、照準は主塔に固定されている。
対して城の正面、敵と相対する位置には、彼の騎兵百二十が整然とした二重の二列横隊で命令を待つ。
「常歩前進!」
彼の号令で騎兵隊がゆっくりと前進すると、両翼に控えていた敵騎兵も呼吸を合わせて前へ出る。
ここで二百騎と斬り結ぶとすれば極めて不利な戦いとなるが、レグルスの読み通り半数は途中で立ち止まり、さらに前進を続けたのは残りの百騎のみだった。
「隊長。連中、隊長の言った通りに半分残しましたね。予備ですか」
レグルスの隣を進む髭面の部下が、気怠そうに首を傾げて問いかける。少し猫背気味で人相も悪いが、その割に声音は丁寧なのがかえって薄気味悪い。
「当たり前だアーロン。あの少人数だ、フィオナ様が仰る通り、あの砲の試し撃ちも仕事の内なんだろうよ。神殿があいつらに何か武器を貸してやったんなら、あいつらはそれを守らなきゃいけない。で、もしあいつらが全員で突っ込んできたら、お前はどうする?」
「まぁ、できるだけ無視して突っ切って、あの高級そうな大砲に向かいますね。で、めちゃくちゃにしてそのまま逃げます」
「おう、だから敵は残りの半分で第二線を形成しようとする」
濃い緑の香りを孕んだ風が体を撫で、レグルスはしょせん人殺し、つまらない仕事だという言葉を口にする代わりに、森の芳香を大きく吸い込む。戦闘前の神経を落ち着けるように鼻から静かに息を抜くと、サーベルを抜き、接近する敵騎兵に切っ先を向けた。
「抜刀、突撃!」
号令一下、一斉に放たれた数多の白刃がその身を陽光に晒し、鈍く重い閃光を放つ。
馬腹をきつく締めあげれば、馬は下り坂の助けを借りて速さを増し、四列の厚みの騎兵は重い土石流となって丘を下る。
それに応じて敵も隊列を厚く組み替えながら速度を上げるが、馬の体格と個々の練度の差のせいか、その隊列は揃わない。
正面から迫る敵の肩は上がり、上体が馬の揺れに振り回されるせいでサーベルの切っ先の位置が定まらない。
レグルスは見切ったとばかりに反りの強いサーベルを高く構え、馬と己の動きを重ねる。
覆し難い経験の差か、レグルスが弧を描くように振った刃先は遠心力を得て重みを増し、直線的に突き出された敵の右手を餌食にした。
前進しながら刀を返して振りあげれば、後続の敵が振り下ろした刃を弾き返す。
レグルスの視界に飛び込んだその顔は恐怖に強張り、切っ先が肉を突き刺す手応えの後、すぐに視界から消えた。
勢いはそのままに引き抜いた刃を振り下ろして、次に現れた敵の、腰の抜けた斬撃を払ってすれ違う。直後レグルスの耳に届いた断末魔は、後ろに続く部下が仕留めた証だろう。
他の部下達はどうか、と反転すれば、地面に転がっているのはみすぼらしい姿の敵ばかり。
呼吸を整えながら隊列をまとめるレグルスの耳に、城の方向から銃声が届く。城壁や塔に配置された歩兵が銃眼から銃口を出し、損耗し、勢いを失った騎兵に激しい射撃を浴びせているのだ。
レグルスは前進の号令とともに切っ先で城壁を指し、狼狽する哀れな騎兵に追い打ちをかけに向かう。
この段になれば敵に戦意はなく、わずかな生き残りは慌てて城壁から離れ、振り返りもせずに駆けていく。
遠く離れていく背中を見送り、敵陣の方へ視線を戻せば、敵騎兵の残りの百騎に第二波の攻撃を仕掛ける気配はなく、歩兵の側まで後退して様子を窺っている。
敵の指揮官の立場で見れば、手持ちの騎兵の半分が一回の攻撃でいなくなり、敵は健在、戦いを続けるのはさぞ気が引けるだろうと考え、その身を哀れむ。
騎兵が逃げ、銃声が止み、聞こえるのは飽きもせずに鳴らされ続ける敵の砲声と、馬の嘶きに自分の鼻息だけ。
この気持ちのいい青空の下で訪れた単調を破ったのは、重く、堂々とした一発の砲声。
背中の方から聞こえた音を合図に目を凝らせば、鉄球が大きな放物線を描いて敵の大砲の辺りに落ちる。
バルカルセ家の砲兵士官が苦心して計算に計算を重ね、慎重に角度と火薬の量を調整したのだろう、その精度はレグルスの想像を遥かに上回っていた。
砲兵大尉が指摘した通り、この距離で砲に命中させて破壊するのは至極困難。幼い子供に語られる物語の英雄が、一振りの伝説の剣で巨竜を屠るような偉業だ。
だが、レグルスの考えでは当たらなくとも近くに飛べば、命中するかもしれない距離に弾が届けば十分だった。
本心は逃げ出したいであろう敵の指揮官に、大切な新型の大砲が壊されたら大変だ、と、もっともらしい口実を作ってやればそれでいい。
先程の騎兵の練度からすれば余裕を持って勝てる相手だが、彼の中の殺し合いに飽きた部分が、早く退けと願っていた。
いざ敵が向かってくればまた別の部分が顔を出すことは彼自身にもわかっていたが、あえてそこには目をつぶり、無駄に殺さずに済むようにと、努めて意識的に願う。
数秒の空白の後に、いくつもの砲声。初弾で計算の正しさを確信したように、重低音とともに次々と砲弾が放たれる。
至近弾を何発も含んだその砲撃で、逡巡するように足を留めていた敵は馬を砲車に繋ぎ、撤退する用意を始めた。後退する歩兵と騎兵の背中を見て、レグルスは安堵の溜息をつく。
もし敵が下がらなければ、騎兵を殺し、歩兵が突撃を恐れて密集すれば砲弾を撃ち込み、砲弾を恐れて散らばれば乗馬襲撃する用意はあった。
だが、無益な殺しの虚無感と敵に打ち勝つ優越感が同居する戦闘という行いは、己がまともな人間であるのかわからなくさせてしまう。
街で子供の手を引く親、恥ずかしげに視線を交わしながら道を行く男女、穏やかな眼差しで後進の生きる様を見つめる老人ーー
そういった者達と自分が同じ人間なのかと疑念を抱かせてしまう。同時に、戦場は力を発揮させてくれ、生きる糧を与えてくれ、名誉と称賛を与えてくれる。
戦場という物が無くなる日が来れば、あるいは戦う術を失えば離れられるのだろうが、恵みをもたらす戦場の外へ飛び出すことは、戦いを続ける以上に恐ろしい。
レグルスは大声で部下の労をねぎらい、堂々巡りの不愉快な思考から意識を逸らした。
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