第20話 晩餐会

 凶悪な太陽が沈めば、昼間の権勢が嘘のように風や地面や家の壁にこもった熱が引いていく。

 明かりを灯して夜の支配者となった人間は、太陽のいない間に着飾り、群がり、互いに媚を売り合い、集わぬ者を皆で罵る。

 今も昔も、貴族も農民も職人も、このことばかりは変わらない。

 夏の終わり。

 秋の入り口。

 リートゥスデンス城の大広間には長机をいくつも連ねた宴席が設けられ、蝋燭の炎が金、銀、白磁の食器を照らしている。

 食卓の中央にはサカリアスとイサベルが向かい合って座り、サカリアスの隣にはフィオナとテレサ、イサベルの隣には長男のリコと続く。

 そこからはイサベルが苦心して生み出した席次表――期待できる支援の大きさ、会話の相性、肩書き、既婚未婚の別まで考慮した日頃のお付き合いの産物――に従って、男女交互に座っている。

 四十人近くが居並ぶ中に、ヴァレリー商会の三人も末席に置かれていた。

 レグルスは凶器にも似た二本歯のまっすぐなフォークに戸惑いながらも、貴族の食卓に果敢に挑んでいた。

 刃物の扱いならこの場の誰よりも優れている自信はあるが、不快な音を立てず、上等な上衣にソースをこぼさず、口元を汚さずに食器を使うとなると、サーベルで頭をかち割るよりも難しい。

 こうした席に慣れたシモーヌが隣にいればいいのだが、食卓の端の席に貴賓を置かないことを重視したイサベルにより、ヴァレリー商会の三人と彼女の弟のルフシア男爵が四隅に置かれている。

 そしてレグルスの正面には男爵が座り、隣にはリートゥスデンスのパン職人ギルド長夫人が真似も難しい優雅な手付きで料理を口に運んでいる。

 イサベルの熟慮の結果か、レグルスが最も恐れていた、会話が噛み合わず座が白ける事態は避けられていた。

 というのも、ルフシア男爵は単純な興味から、ギルド長夫人は次男が伯の騎兵隊に奉職しているとのことで、熱心に騎兵として生き延びる術や戦地での体験談を聞きたがったのだ。

 給仕人達が塩とレモンのかかったカキ、香味油に香辛料、香味野菜をふんだんに使った鳥やエビ、普段口にできない白く柔らかいパン、作り方が想像できない濃厚な――恐らくはエビのポタージュ、肝臓のパテ、もはや正体のわからない黄色い半透明の塊を慣れた手付きで取り分け、リートゥスデンス名産のワインを注いで回る。

 レグルスはなにやら美味そうな物としか認識できないことを悔やみつつ――最低限の品位と共に手と口を動かす。

 粗相のないように唇を固く閉じて噛みしめれば、豊かな甘みが口中に弾ける。

 もちろん砂糖も蜂蜜もなく甘いわけではないのだが、良質な肉や魚介がもたらす刺激は、甘いとしか言いようのないものだ。

 ワインにいたっては上質な織物の如き舌触りと共に、何種類もの果汁を染み込ませたなめし革のような立体的な悦びが流れ込んでくる。

 黙り込んでゆっくり味わいたい欲求を覚えたが、それ退け、持てる限りの社交性を動員する。

 本当であれば社交の場など早々に撤退したいところだが、レグルスは伯側の人間として、この場でにこやかに振る舞うことの意味を十分に理解していた。

 レグルスが戦場で刀を振るっても、斬れるのは目の前の数人。社交の場で適切に振る舞えば、助かるのは伯軍の数千人――

 だからこそレグルスは、夫人の長ったるい息子の話にも、笑顔で付き合う覚悟を持っている。

 長期戦を覚悟したところに、折よくカンプサウルム伯アルフォンソ・ペドロ・ヒメノ――先日リートゥスデンス伯と縁続きになった大貴族の胴間声が響く。

「ところでサカリアスよ、神殿の連中が俺になんと言ってきたと思う」

 脂と筋肉の豊かな体から、野太い声が押し出される。その体躯も立派だが、この場でサカリアス・ファン・バルカルセに豪胆な態度を取れるのもこの男の他にはいない。

「知らんな。何を言った」

「肥料だ。新しい肥料の作り方を教えてやると言ってきた。ま、魅力的だな」

「安い芝居の色男、あぁ、娼婦だな。あなただけが特別と思わせぶりに」

 サカリアスはワインを呷り、列席者に順番に目を合わせながら問いかける。

「諸君はなんと口説かれた? 浮気者の話を聞かせてくれ」

 皆口々に提示された条件を口にし、食卓が賑わう。農業、パン焼き、金属の精錬、武器製造、土木建築と、様々な分野での独占や支援の話が聞こえてくる。

 サカリアスは鼻で笑い、妄言だと一蹴する。

「誘いに乗ったところで、神殿から引き出せる利権は部分的か、一時的だ。元々結び付いていた連中の利権は削げないからな」

 話しながら立ち上がり、聴衆の注意を引く。

「我々は神殿の専横を打破し、本を開かねばならん。我々の未来は、持続的で無制限の発展は、皆で物を知り共に考える世界は、ページをめくったその先にある」

 一度言葉を切り、また順番に目を合わせながらゆっくりと話し始める。

「敵は強大だが、所詮は人間の軍隊、ありとあらゆる制約を受ける。我々が手を携えれば、必ず倒せる相手だ。ここに神殿との共闘を宣言し、互いに協力し合うことをお願いしたい」

 賛同を示す拍手と共に、城の主はゆっくりと腰を下ろす。威勢の良い言葉が食卓の上を飛び交い、互いの勇猛さを讃え合う。テレサが嬌声を重ねれば、男達はますます調子づく。

 酒盛りが勢いを増し、熱気が部屋に満ちた頃、フィオナが風に当たると言って席を外した。

 レグルスはしばらく料理と会話に集中していたが、次第にフィオナが今なにを考えているのか気になり始めた。バルカルセ家の権勢を受け継ぐ者が、今何を思っているのか知りたくなったのだ。

 適当な言い訳をして大広間を出ると、フィオナはすぐに見付かった。

 光沢のある紺色の夜会服に身を包んだ彼女は、窓枠に肘をついて夜風に当たり、星空を見上げていた。髪は優雅に編み上げられ、開いた胸元には澄んだ緑の宝石が揺れる。

 ふと顔を横に向け、レグルスを捉えるのは宝石と同じ緑の輝き。

「誰か……話がわかる人が来ないか待ってたの、丁度いいわ」

 予想外の反応に戸惑うレグルスを見て、彼女は面白そうに目を細めて笑った。

「あなた、自分の仕事は好き?」

「仕事、ですか」

「えぇ、一度聞いてみたかったの」

 雲が風で流れ、月光が窓から差し込む。レグルスの腰に下げたサーベルが月光に照らされ、金の護拳が鈍く光る。

「別に……好きではありません。面白くもなければ、人の役にも立ちません」

「でも才能はある」

「人を殺す方法と、人に人を殺させる方法は知っています。しかし、それだけです」

「珍しい。普通は誇ることよ」

 浅い海よりも濃い緑の瞳。

 野盗と兵の死に彩られた支配者の瞳。

 それでも見かけは清廉な娘のそれと変わらない瞳に見つめられ、レグルスは思わず目を背けた。

「私は、目の前の敵を殺せるだけです。何も生み出しませんし、世の中が良くなるわけでもありません。つまらない仕事です」

「そう……そうね、確かに、つまらない」

 彼女は窓枠にもたれたまま嘆息する。

「ではなぜ今でも続けているの? あなたは乗馬も上手いし頭もいい、礼節だってわきまえている。御者でも商人でもいいように見えるけど。実入りが良いから?」

 一瞬だけ雲が月を隠し、月光が二人を舐めるように揺らぐ。開いた窓から流れ込む潮騒に階下の酒宴の笑い声が混ざり、沈黙が引き立てられる。

 波音と嬌声が何度か繰り返された後、躊躇いがちな言葉が絞り出される。

「意味がある、と思いたいのかも知れません。自分が長い間してきたことを」

「そう。じゃあ、自分の理由で戦ってるのね」

「そうなりますが……何かお悩みで?」

 目を伏すフィオナの高貴な雰囲気に、レグルスは何か高潔な悩みがあるのかと夢想する。

「えぇ、実はね」

 窓から少し強い風が吹き込み、ドレスの裾をなびかせる。布を余らせた優雅な襞が深い陰影を生み出し、月光の下に晒されるはずの脚に張り付いて、その肌を隠しながらも美しい形を浮き彫りにする。

「これから大きな戦いだというのに、私、自分のことしか頭にないの、お父様や、他の貴族やギルド長達のように。バルカルセ家の栄光、私の未来。当然だと思ったけど、おかしいとも思ったの。少なくない人間が死んでいくのに、さっきまで、そのことは全然頭に浮かばなかった。いえ、人が死ぬとはわかっているけど、そうね……それは生産力が落ちる、兵力が落ちる、そういう数字でしかない」

 薄作りの顔に、困ったような笑いが浮かぶ。

「誰かに聞いてみたかった。戦いの前に、普通は何を思うものなのか。でも、あなたも自分のことを考えてる。私達は、中々に邪悪な生き物ね」

 フィオナは身を乗り出して手を伸ばし、話の終わりを告げるように窓を閉めた。

「もし、人間が」

 レグルスは求められていないかと思いつつ、長年の疑問を口にする。フィオナは閉まった窓の取手に手をかけたまま聞いている。

「皆他人のことを思いやれば、戦争はなくなるものでしょうか」

 黙り込んでいたフィオナがようやく上げた、月に照らされて夜の輝きを得たその顔には、諦めを含んだ残念そうな色が浮かんでいた。

「きっとその他人は、自分が親しみを持てる範囲の他人。仮に、そんな日がいつかは来るとすれば? その時、私達は歴史の一部になっている」

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