(6)


 ザカリエルが帰る気になったことをヴィルヘルミナに伝える為だろう、アオイが小走りに先に館へ戻るのを見つつ、ザカリエルとゆっくりと歩きながらアオイの後を追う。

 アオイが十分に離れてから、ザカリエルが言った。

「アオイを同行させる意味だが、お前を万全の状態で行かせたいだけじゃない」

「?」

 歩みは止めず、アオイが持って来たタオルで首筋を拭いながら、ザカリエルもアオイの姿を見つめている。

「俺がお前だけに行くように命令していたとしても、アオイはきっと一緒に行きたがったはずだ」

「それは……」

 それはない、とは言えなかった。言い淀むアレクサンダーを見たザカリエルが、軽く笑った。

「前回の件でわかったが、アオイはお前に降りかかることは、全て自分の目の前で起きて欲しいんだよ。自分がいない場所で、お前に怪我されたくないんだ。出来る限りお前の邪魔をしたくはないが、可能なら一緒にいたいと望む性質だ。つまり、手間を省いてやったんだよ」

「……何も起きないという確証があるなら、観光のつもりで行くがな」

 確かに、ザカリエルがアレクサンダーのみを行かせようとすれば、アオイも同行を願っただろう。逆の立場だったなら、アレクサンダーも同様に申し出ただろうし、策を弄してでも連いて行ったに違いない。

 結局、ザカリエルが言った通りだと認めるしかない。『執行人』としてのアレクサンダーを大切に扱いつつ、仕事をさせようとしている。

 アレクサンダーは息を吐き、汗臭くなった髪を掻いた。


 ザカリエルはヴィルヘルミナと合流すると玄関へと向かい、マツリも店へ戻らなくてはならないので、同様に同じ方向へと足を向ける。アレクサンダーとアオイは見送りなのだが、馬車の前まで来ると、ザカリエルはマツリに問うた。

「君は徒歩か? なんなら店の前まで送るが……」

「徒歩ですが、まだ明るいのでお構いなく。お気遣いどうも」

「明るくても、女性が一人で人気のない場所は危険だ。町の入り口まででも……」

「大丈夫です。もう三回ほど繰り返せばわかりますか?」

「………………」

 笑顔だが能面を感じさせるマツリの表情に、ザカリエルがとうとう言葉を尽きさせると、ヴィルヘルミナが汗を流しながらフォローする。

「マツリ様。安全面ではマツリ様の仰る通り大丈夫かも知れませんが、お忙しい中お時間を取らせてしまいました。これ以上お店への帰還を遅らせるのは、マツリ様だけじゃなく店主にも申し訳ない。どうか送らせて頂けませんか?」

「そこまで仰るなら……」

 途端にころりと態度を変えるマツリを、ザカリエルが複雑そうな表情で見つめていたが、とりあえずは送迎を了承されたことになるので、ザカリエルが馬車の扉を開けてマツリに掌を差し出す。

「お手を」

「ありがとうございます」

「いや、これくらい……」

 今度は即座に笑ってエスコートを受け、マツリは馬車に乗り込む。マツリの隣にはヴィルヘルミナ、二人の正面にはザカリエルが続き、扉が閉まった。

 硝子の向こうから手を振るマツリにアオイもアレクサンダーも振り返し、馬車が遠ざかると館の中に入る。

「アオイ、魔石について話した部屋で待っていてくれるか。着替えたら俺も行くから」

「ん、わかった」

 アレクサンダーが言うと、アオイは微笑んでから頷いた。


 夕食後に入浴をすることになるので、汗を吸い込んだシャツを脱いで身体を軽く拭き、新たに出したシャツを着込んでアオイの待つ部屋に行くと、色々な話を聞いて疲れたのと満腹だったからか、アオイはソファの上で転寝をしていた。

 名を呼びかけるも口を閉じ、アオイの隣にそっと座って肩を抱き、自分の脇に凭れる形に引き寄せる。アオイは小さく呻いたものの、目を開けたりはしなかった。思わずそれに口元を緩めながら、アオイの眼鏡も静かに外す。

 アオイが目を覚ますのを待とうと、アレクサンダーも身体から力を抜き、目を閉じた。

 眠い訳ではないので、自然と思考はザカリエルに与えられた任務に向く。

 ザカリエルが正式に『執行人』の訪問を申し出ているので、先方もそうそう下手な扱いはしないだろう。アレクサンダーだけではなく、アオイも。ザカリエルが最初からアオイを同行者として申請したのは、そこが狙いだ。

 かといって、セパに危険人物がいると見越しての『執行人』の訪問、という体ではない。そんな非礼極まりないことを言えば、訪問自体突っぱねられていただろう。もしくは調査の協力すら。

 ザカリエルがこの国の顔としてセパに接触しておきながら、今日アレクサンダーの元へ来た際は隠密だったのは、セパへ話を通す部分だけにザカリエルが関わっている、としたかったからだ。

 『罪人』ルキウスが何かを企んでいた可能性を考え、『執行人』がセパにいる『罪人』の弟子に会って話を聞くことにした。ザカリエルがしたのは橋渡しのみ。

 それがザカリエルが目指した『形』だ。

 そこについては理解したし、最善の形だろうとも思う。が、何かが引っ掛かるのは、ザカリエルが『何かが起こること』を前提として段取りをしているからだろうか。

 そうなると、礼を失しない程度の準備をして行くべきなのだろう。そう考えると、アレクサンダーはどうとでもなるが、アオイはどうだろうと思い至った。万一アレクサンダーのいない場所で、アオイに危険が迫ったらどうするか。

 目を開けると、テーブルの上に置かれたままの、魔石と水晶石に目が行った。ザカリエルとの会談が終わればここに戻ってくるつもりだったので、レイモンドには片付けないよう指示していたからだ。

 アオイがいない方の手を伸ばし、何も込められていない水晶石を取り、魔法を込めようとして――止めた。これをアオイに持たせて、有事の際の攻撃手段にすることは出来る。が、魔石の存在は世界中の人間が知っているし、アオイに良からぬことをしようと企む者がいれば、真っ先に魔石の排除を考える。

 持っていて意味はないと言うほどではないが、他の手段を講じておいた方がいい。

 ふと、腕に伝わって来た振動でアオイを見ると、彼女が目を開けてアレクサンダーを見上げている。黒い瞳を見返すと、アオイの頬に徐々に朱が差した。

「起こしてくれればいいのに」

「どうせなら、少し寝てすっきりした状態の方が、話が頭に入ると思ったんだ」

 唇を尖らせるアオイに笑い、そのままの姿勢で先ほど考えていたことをアオイに告げる。

 ザカリエルからの依頼の話では、アオイも色々と疑問に思っていたらしく、アレクサンダーの説明で得心がいったようだ。

 しかし、それでも問うて来る。

「心構えをしておきたいから聞くんだけど……セパって国に『何』があると思ってるの?」

「恐らくは……この世界に喚ばれた召喚獣。もしくは『罪人』である魔法士。少なくともザカリエルは、そう考えている」

 でなければ、マツリが言ったように、アレクサンダー以外の誰かを調査に向かわせる方が合理的だ。

 そう言うと、アオイは小さく息を飲む。そして、目を伏せてアオイの肩に回っているアレクサンダーの腕にそっと触れた。

「よく考えれば、アレックスがこの国にいるってだけで、ある意味守られてることになるんだよね。それを他の国に行かせる……行かせたい理由って、それしかないか」

「勿論、何もない可能性だってある。だが、心構えもそうだが、出来る限りの準備をして行きたい」

 アレクサンダーの提案にアオイが頷いたので、魔石の件も話すと、アオイもアレクサンダーと同じ感想を抱いたらしい。

「言っておくけど、僕は運動も出来ないし足も遅いし、護身術もさっぱりだよ」

「それはわかってる」

 半眼のアオイに即座に返すと、アオイは何故か頬を膨らませた。が、そこでふと顔を上げる。

「アレックス、ちょっと思いついたことがあるんだけど……」

「何だ?」

 アレクサンダーが小首を傾げると、アオイはきりりと眦を吊り上げてから言った。

「魔術師を一人、紹介して欲しい。頼みたい……っていうか、試したいことがある。それに……ベネディクトさんにも会わないと」

 

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