(10)


 杞憂を減らす為に王城まで行ったというのに、成果はあれど懸念も増えたという結果には、流石にアレクサンダーも疲れを隠し切れない。

 次の目的地へと向かう馬車の中で、アオイがアレクサンダーの顔色を気遣わし気に覗って来た。

「疲れた?」

「ああ、ちょっとな。……俺は身体を動かして戦ってる方が性に合ってるんだろう。頭脳労働は向いてないと、こういう時に思い知らされる」

 苦笑しながら腕を組み、硝子越しに外を見る。そんなアレクサンダーに、アオイは肩を竦めた。

「そんなの、誰だって向き不向きはあるよ。全部を一人で出来てしまうなら、他の人は必要なくなっちゃう。アレックス、僕がスタンガン使うことは当たり前で、恥に思うことはないって言ったくせに、自分にばっかりそんな感じ」

「………………」

 アオイに言われて、そんなことを言ったなと思い出す。そして、アレクサンダーも苦笑を返すと、アオイが眦を下げた。

 自分が完全無欠の超人であったなら、余人には到底得られない何かを手中に収められるのだろう。だがその代わり、誰もが当たり前に手に入れられるはずの何かは、永遠に得られない。

 それなら自分は、不完全なままでいい。アオイが傍にいてくれるなら。そう思えた。


 そう時間をかけずに馬車は第二地区に入ると、馬車はやや大きめの衣料品店の前に停まり、アレクサンダーとアオイはそこに入る。

 鼻の下と顎の髭が特徴的な店主が出て来たが、王城のある第一地区にあるような店とは異なり、ややフランクな姿勢だ。馴れ馴れしいまではいかないが、礼儀を保ちつつ親し気に、両手を広げて言って来る。

「いらっしゃいませ。本日はどのようなお品をお求めで?」

 アレクサンダーの服装を見れば、それなりの役職に就いているとわかっただろうが、貴族相手にするような対応を求めているのなら、そもそも第一地区の店に向かう。

 だからアレクサンダーも、頬を緩ませながら告げた。

「数日後に、南方面に行くことになっている。今の季節はここと違って暑いと聞いたから、通気性のいい服を見たい。それに、到着するまで羽織っておけるようなマントはあるか?」

「かしこまりました! それでは二階へどうぞ」

 店主は店の中央にある螺旋階段を示し、先導して歩き出した。

 

 一階は寒い季節向けの商品ばかりが並べられていたのに対し、二階は薄手もしくは半袖の衣類ばかりが丁寧に並べられている。

 壁際には一式がコーディネイトされたトルソーが一定間隔で並べられており、季節外れだろうとしっかりと管理している店だと分かった。

「少しだけ自由に見させてもらえるか?」

「承知致しました。御用の際はお呼び下さい」

「ああ」

 アレクサンダーの言葉に店主は笑顔で頷き、壁際に引く。

 アオイと共にゆっくりと回ると、最初に考えていた購入予定の品よりも多く目につき、アレクサンダーは顎を撫でた。

「日除け用の帽子とスカーフ、手袋も要るな。靴はブーツだと流石に蒸れる。軽いものを二足とサンダルも一足くらいは……。鞄も大きいのを用意しておくか。後で化粧品屋にも寄って、日焼け止めも見繕わないと。なら、水遊びする場合の備えも必要か」

「アレックス……仕事で行くんだよ……?」

 アレクサンダーがぶつぶつと呟くとアオイが肩を落とすが、アレクサンダーは明後日の方向を見て聞こえないふりをした。


 店主のアドバイスも聞きつつ一通り揃えると、大量に買ったからか、紅茶とケーキ、それにクッキーが準備されたソファセットへと案内される。

 アオイと向かい合って腰を降ろし、雑談しつつ乾いた喉を潤していると、ふと、視界の端に映ったトルソーに目が行った。アオイの背後にあるそれを長い時間見つめてしまい、アオイが小首を傾げる。

「何かあった?」

「えっ。……いや、何もないが?」

 アオイに問われ、即座に身を強張らせつつ真顔で返すと、冷たい視線が投げられる。アレクサンダーがそろそろを視線を外していくが、頬にちくちくと刺さるまでになったので、アレクサンダーは汗を流しながら言った。

「その……アオイが不快になるかもしれないから、見逃して欲しいんだが」

「不快になるかどうかは僕が決める」

 全くもってその通りだったので、アレクサンダーは観念した。手に持っていたティーカップをテーブルに戻し、先ほど見ていた展示品を指す。

 アオイもそちらを見て、薄い布を幾重にも重ねたデザインの、透明感のあるグリーンのワンピースを確認し、ぎこちない動きでアレクサンダーに顔を向けた。

「アレックス。……君がああいうのを着たいって言うなら、僕は止めないよ……?」

「いやそうじゃなくて」

 脳裏に何を浮かべているのかは明らかだったので、やや顔色を薄くしているアオイを即座に制した。そして、急いで続ける。

「……アオイに似合うんじゃないか、と思っただけだ。だが、アオイの好みもあるだろうから……ええと」

 言っている内に語尾が濁り、目線も下に向く。アレクサンダーが最終的には黙り込むと、アオイはしばらくの間無言でいたが、やがてすっと立ち上がる。

「アオイ?」

 ソファセットから離れてすたすたと歩いて行くアオイを呼んだが、彼女は止まらずに店主に軽く手を挙げて呼んだ。そして店主が急いで近付くと、言う。

「あのワンピース、試着良いですか?」


 ワンピースも含めて買った物はアレクサンダーの館に送る手筈を整えると、アレクサンダーはアオイと共に店を出て、馬車に乗った。

 それまでアオイは無言だったのだが、馬車が動き出すと苦笑を浮かべて口火を切る。

「あのさ、気を遣ってくれるのは嬉しいんだけど、気を遣いすぎ。女性用の服を勧められたからって、怒ったりしないよ」

「だが……」

「アレックス」

 アレクサンダーが口を挟もうとすると、アオイは笑みを深めつつ遮った。

「僕は男として生きて来たってだけで、実際は完全な男じゃない。女でもないけど……とにかく、女性用の服は着慣れてないってだけで、着ること自体に今はそう抵抗はないし、一度着てみて着心地が良かったら、その後も普通に着るよ。今日みたいに、王城に行く為に普段とは違う服を着るのと一緒」

 そこまで言って、アオイは眦を下げて息を吐いた。背を丸めて頬杖を突き、アレクサンダーを上目遣いに見つめる。

「だから、着てみて欲しいと思うなら、遠慮せずに言っても良いんだよ。もう一回言うけど、僕はそれくらいで怒ったりしない。怒るのは、僕が嫌がっても押し付けてきた場合だけ。まあそれも、時と場合、必要性によるけども……。とにかく、そういうことだから」

 言い終えると目を細めるアオイに、アレクサンダーは苦笑しながら頬を掻いた。


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