(9)
色々と思うところがあるが、その解を持つ人物がこの場にいないのであれば、その疑問は後回しにするしかない。
ベネディクトの案内で魔術士が集まっているという魔術研究棟は、王城の背面側の煉瓦作りの建物だった。そこに向かうと、グレーのローブを纏った受付の人間が、アレクサンダーを見るなり土下座せんばかりの勢いで腰を曲げる。
「ししし、『執行人』アレクサンダー様……! ご尊顔を拝見賜った幸福に感謝を……!」
「………………」
アレクサンダーとアオイがしばし呆然とし、先に我に返ったアレクサンダーが目でベネディクトに問うと、彼は苦笑して受付の男の背を叩く。
「そこまで畏まらなくていいぞ」
「で、ですが……」
男が僅かに顔を上げ、アレクサンダーの顔を一瞬見てからまた伏せる。その頬が赤くなっているのは確認出来たので、アレクサンダーも声を出す。
「ベンの言う通りだ。『執行人』と言えど君達の上司という訳じゃない。頼むから気楽に接してくれ」
「は……はい!」
やや嘆息気味に発した台詞でも感激したらしく、腰を伸ばした男は目を潤ませている。そして、その視線をアオイに向けると、首を傾げた。
「ご子息ですか?」
「違う」
「違います」
「俺の婚約者だ」
受付の男の問いかけをベネディクト、アオイ、アレクサンダーの順に訂正すると、受付の男は再度頭を下げた。
案内されて応接室へ行くと、魔術研究棟の責任者にあたる所長が程なく現れる。受付の男ほどではないが、片眼鏡に髭を口元に蓄えた、白髪の所長もアレクサンダーに頭を下げたので、アレクサンダーは同じ台詞を繰り返す羽目になった。
茶が運ばれて来て落ち着いてから、アオイが例の黒い物体をテーブルの上に出し、所長に切り出す。
「これを、雷の魔術で使えるように出来ませんか?」
「これは……?」
首を傾げる所長に、アレクサンダーが簡単に説明した。
「異世界の護身具で、スイッチを押すと小さな雷が発生して、対象のみを痺れさせる。俺とベンが倒される程の威力だが、殺傷力はない」
「なんと」
所長が道具を手に取り、矯めつ眇めつし始めると、アオイが補足として言い添える。
「正式名称は『スタンガン』です。少し前にこの国を襲った魔獣に対しても、それなりの威力を発揮しました。魔獣の場合は、水をかけてからでしたが……」
「水? ああ、成程……」
アレクサンダーにはさっぱりだったが、所長には理解出来たらしい。頷く所長に、アオイはまた言い足した。
「アレックスが言った通りあくまで護身用なので、一撃で対象の命を奪うような強力さがない代わり、簡単な操作で使えるのが利点でして」
アオイは言いながら所長に掌を差し出してスタンガンを渡してもらうと、スイッチを押す。先端に取り付けられた一対の突起の間に、稲妻が迸った。が、三秒もしない内に威力を失い、ふっと消え失せる。
「こちらに来てから数回だけ使ったんですが、もうバッテリー切れです」
アオイは苦笑しながら背面の薄い蓋を外し、そこに嵌っていた四角い物体を取り出した。それを掲げ、所長に告げる。
「ここに、『電気』と呼ばれるエネルギーが僅かに残ってるはず。魔術によって発生させた雷を電気に変換し、この中に溜めることが出来れば、この道具は再び使えるようになります。……出来ますか?」
アオイの凛とした声に、所長の片眼鏡の奥の瞳が煌めいた。
「もう少し早く来ておけば良かった」
魔術研究棟を出るなりアオイが嘆息と共に言ったので、アレクサンダーはアオイの肩をポンと叩いた。
所長の返答は、出来るかもしれないが、初の試みなので時間が欲しい、とのことだった。アオイも、『充電』なるものが出来なければスタンガンは使えないので、分解なりしてとことん調べてやってみてくれ、ということで話はついた。
アオイの目的は魔術士の紹介だったが、所長の監督下での研究となるので、着地点は異なるものとなってしまったが、アオイは特に不満そうではない。
所長の様子ではいたく興味を惹かれていたので、最優先で研究が進められるにしろ、アレクサンダーとアオイがセパへ旅立つまでの完成は無理だろう。そういう経緯で、先程のアオイの台詞に繋がるのだが。
「しかし、雷がその……『電気』? とやらに変換出来るのか?」
「僕のいた世界では、そういった研究も既にされていたよ。実用まではいかなくても、成功例は出ていたらしいし」
アレクサンダーが顎を撫でながら発した疑問に、アオイが眦を下げながら頷く。
アオイがこの世界に来た当初、元の世界について色々聞いて分かった気でいたが、予想以上の発展具合に感嘆の声が漏れる。同時に、一抹の不安を抱いてしまった。
アオイは、この世界についての不満を漏らすことはそうそうない。というか、アレクサンダーが聞いても言ったことがない。それで安心していたが、それはこの世界では望めないから言わないだけであって、実は元の世界よりも不便なこちらに、思うところがあったりするのではないだろうか。
昨日マツリが持って来た、故郷のものに寄せたパンを見た時のアオイの表情を思い出し、アレクサンダーが思わず渋面になって小さく唸ると、アオイが突然アレクサンダーの髪をひと房掴み、引っ張って来た。
「痛い」
アレクサンダーが思わず言うと、アオイは口を尖らせてアレクサンダーを軽く睨んで来る。その表情で、彼女が言わんとすることが理解出来た。
「……すまん」
「えっ? 今何が起きたの?」
アレクサンダーの謝罪に、ベネディクトが小首を傾げた。
用事は済んだので、ベネディクトは騎士団長としての仕事に戻り、アレクサンダーとアオイは帰宅することになる。途中まで同じ道なので、ベネディクトの愛妻へののろけを聞きながら歩いていると、
「ヴォルフ団長!」
アレクサンダー達を、というよりベネディクトを目に留めた騎士の一人が、遠くから駆け寄って来た。宝石色の煌めく髪と瞳を持つ、見覚えのある青年だ。
「どうした、テディ」
三人揃って立ち止まり、テディと呼ばれた騎士が近付くのを待っていると、テディことセオドア=ヴァレリア・コンスタンティンがアレクサンダーを見て一瞬だけ頬を染め、通常の声量が届く距離に到着すると、ルビー色の頭を下げる。
「こちらにおいでとは知りませんでした。お元気そうで何よりです」
「そう畏まらないで良い。見ての通り、招集されたんじゃない。私用だ」
アレクサンダーが頬を緩めながら言うと、セオドアは気恥ずかしそうに笑って顔を上げる。その様子を見て、ベネディクトが半眼になって腕を組んだ。
「お前、俺に用事があったんじゃないのか?」
「そうですよ。俺が提出した書類にサイン下さい。急ぎなので、催促しに来たんです」
上司であるベネディクトに対し、セオドアも負けずに文句を言う。セオドアが生意気なのではなく、良好な関係なのだろう。
さておき、ベネディクトの仕事に割り込んだのは他でもないアレクサンダーなので、アレクサンダーはアオイの肩を軽く抱きながら、ベネディクトに言った。
「俺達はもう帰る。ベンも仕事に戻ってくれ。今日の礼は改めてさせて貰う。――テディ、あまり根を詰めるなよ」
「はいっ! 有難きお言葉、心に刻みます!!」
アレクサンダーの言葉にセオドアは背筋を伸ばし、両手を身体の側面にぴしりとつける。それから僅かに肩の力を抜いて、残念そうに微笑んだ。
「こちらに参られた機会に打ち合いをお願いしたいところですが、アレクサンダー様とアオイも旅行の準備でお忙しいでしょう。お暇な時に思い出しましたら、是非とも受けて頂けますか?」
「ああ、覚えておく」
アレクサンダーも頷き、そこでベネディクトとも別れてアオイと二人になったのだが。
「……テディさん、僕らの旅行について誰に聞いたんだろう?」
馬車に乗り込んでからアオイがぽつりと呟いた疑問に、アレクサンダーは両目を瞬かせた。
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