(7)


 直ぐ様レイモンドを呼び付け、明日に訪問することをベネディクトに伝える使者を送らせる。騎士団長であるベネディクトは王城だが、アオイの頼みを聞くには王城に行く必要があるので、都合が良い。

 夕飯の時間まで魔石を作る練習をし、夕飯後はいつも通りに過ごすと、アレクサンダーはやはりいつもと同じ時間にベッドに入った。

 が、部屋の灯りを落とし、ベッドサイドのランプを消そうとしたところで、扉がノックされる。

「アレックス、起きてる?」

「ああ」

 アレクサンダーと寝る為だけなら、ノックはせずに静かに入ってくるはず。ということは、アレクサンダーに用事があるということなので、声を上げて入室の許可を出す。尤もアオイであれば、アレクサンダーの許可なく入って来ても許すのだが。

 とまれ、寝間着の上にガウンを羽織ったアオイは、そっと扉を開けて室内に身を滑らせて来、小首を傾げる。

「少し時間ある?」

「大丈夫だ。どうした?」

 アレクサンダーがベッドから出て立ち上がって迎えると、アオイはアレクサンダーの前に来て、手の中の水晶石を見せた。

「お風呂入ってからも練習したんだけど、なんだか出来なくてさ。もうちょっと話を聞きたい。いい?」

 先刻の練習では、結局一つも魔石が作られなかったことを気にしているらしい。

 熱心なのは良いことだが、アレクサンダーは苦笑しながらベッドに腰かけた。アオイもアレクサンダーの隣に座る。

「そこまで根を詰めなくても良いんだぞ? アオイは魔法を使えるとしても、正しい手順でそうなった訳じゃないのだから、他の魔術士よりも時間がかかって当然だ。そもそも、俺は魔石を作って欲しいからではなく、魔法の暴走を防ぐ為の制御を身に着けて欲しかったから、魔石作りについて教えたんだ。ゆっくりでいい、急ぐことはない」

「ん……でもさ、セパって国に行ったら何があるか分からないんだろ? 出来てて悪いことはないかなって」

 アレクサンダーの言葉に頷きつつも、アオイは頬を染めて言い淀む。こうなっては、アオイの説得は無理だ。

 思わず苦笑して、アレクサンダーは両足を上げて足を広げる形で座り、アオイに手招きした。アオイが素直に傍に来ると、アオイを足の間に置いて背中から抱えるようにして、アオイの腹部に片手を置く。

「ア、アレックス?」

「水晶石を、掌で包むようにして持て」

 アオイの戸惑ったような呼びかけには答えず指示を出すと、アオイは慌てて言われた通りにした。

「よく考えたら、アオイが喚ぶ魔法は俺の中にいる双頭の蛇アンフィスバエナのものだからな。俺に近い方が上手く行くかもしれない」

「あ、うん……」

 アレクサンダーの笑いながらの言葉にアオイが頷いて前を向いたので、片手はアオイの腹部に置いたまま、もう片方の掌はアオイの手の甲に添える。暖房を落とした後なので、徐々に冷えて行く部屋の中、アオイの体温が心地良い。

「なんとなくだが……アオイはルタザールよりも、ヘルミルダとの方が相性が良いようだ。ルタザールの魔法も、その気になれば出せるだろうが……。今は目を閉じて、ヘルミルダに語り掛けてみろ。声は出さなくて良い」

 アオイが頷き、呼吸の音が微かに耳に届く。やや緊張気味のようだが。

 深く細い吐息が数回響いてから、アオイの髪が銀色へと変わった。アオイの腕、というか肩に力が入ったので、アオイの手に触れていた方の手を、細い肩へと移動させる。指先に僅かに力を込めて首の付け根を押さえると、アオイが一瞬だけ震えた。

 が、それには何も言わず、抑えた声で告げる。

「力を抜け。アオイの中にも、アンフィスバエナへ通じている道がある。それを感じ取れ」

「う、うん」

 丸い後頭部が僅かに動いたので、アレクサンダーが過去教わったことを思い浮かべながら、アオイの腹部に触れている手を一瞬離し、代わりに指先を置く。またアオイが身動ぎしたが、構わず指先でアオイの臍の辺りを撫でた。

「魔術や魔法を使う者の身体の中では、心臓とそこから流れる血のように、魔力の発生源と流れがあるそうだ。形を持った臓器ではないから、あくまで感覚的な話だが……ここだ」

 言って、薄い布越しにわかる窪み、その下辺りを力を入れて押すと、アオイが肩をびくりとさせた。

 それに構わず、指先から力を抜き、しかし離さないままゆっくりと上方に撫で上げる。臍から鳩尾、更には心臓の上まで指先を移動させ、控え目なふくらみの間まで動かすと、アオイが突然丸まっていた背筋を伸ばした。

「ひゃ……!」

「?」

 指を鎖骨の辺りで止めて、アオイの肩の上に顎を置くようにして顔を覗うと、彼女の髪は既に元に戻り、それと入れ替わったかのように、アオイの頬と耳が赤くなっているのが見えた。

「すまん、くすぐったかったか?」

「………………」

 今度は小さく震えているので謝ると、アオイが横目でアレクサンダーを見る。眼鏡のレンズを通さずにアオイの瞳を見て、思わず息を飲んだ。黒瞳の表面はうっすらと涙で覆われ、湿り気を帯びた目尻が見えたからだ。

 鈍いアレクサンダーでも、先刻のアオイの震えと声がどこから来るものなのか、流石に理解した。

 思わず両手ともアオイから距離を取らせ、しかしアオイから目を逸らさずに、じっと見つめる。喉が渇いた訳ではないのだが、なんとなく唾を飲んだ。

 僅かに手を動かすだけで、アオイを抱き締められる距離にいるのだが、それが何故か憚られる。アオイと結婚を誓った仲になる前の方が、もっと気軽かつ無遠慮に触れていたような気さえするのが、なんとも不思議だ。

 今なら、抱き締めるだけでなくその先も、求めれば許されると思う。が、喉元まで出て来ている声が、何故か押し出せなかった。恐れに近い何かが、アレクサンダーの喉を凍らせてしまったようだ。

 アレクサンダーがかなりの時間硬直していると、やがてアオイがアレクサンダーから目を逸らし、そっと息を吐いた。そして、いつの間にかアレクサンダーに預けていた背を起こして、ベッドから降りて立ち上がる。

「夜遅くにごめん。また明日ね。おやすみ」

「……あ、ああ。お休み」

 明らかにアレクサンダーを見ないようにして発せられた挨拶に、アレクサンダーは頷いた。というか、それしか出来なかったのだが。


 翌日、朝食の席でアオイと顔を合わせたのだが、別段変わった様子はなかった。

 特に怒った様子もなく、昨晩のことがないような挙動で、普段通りにアレクサンダーに接する。そうされるとアレクサンダーの方が考えすぎだったのかと思えて来、自己嫌悪や落胆に近い感情を抱く。

 そういうもやついたものを抱えていても、当然時間は止まってくれずに過ぎて行き、王城へ行く時間となった。

 平民服とは豪華さが違う、しかし正装よりは気楽な服を着てアオイと共に馬車に乗ると、紺色のジャケットと白のブラウスにグレーのパンツ、黒のブーツを身に着けたアオイが問うて来る。

「お城でザックさんに会う?」

「……いや、会う予定はないな」

 会いたくない、が正解だが。

 そこでふと思いついて、言う。

「王城での用事が早く済んだら、セパで必要なものを見てから帰ろうか」

「何かいるの?」

 アオイが小首を傾げたので、内心でほっとしつつ頷いた。

「ザックも言っていたが、セパは暑い土地だ。今着ているような服だと、すぐに汗だくになって脱ぐ羽目になる。通気性が良くて軽い服と靴、簡単に羽織れるマントとかが要るな……」

 とはいえ、セパにも店はあるのだから、全てをこちらで揃えて大荷物にする必要はない、と言うと、アオイは目を細めて頷いた。


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