(2)


 何があるのか分からない旅でもあるので、出立の日まで色々と準備しておこうということで、茉莉に会いに行った翌日朝食を食べ終えると、葵はアレクサンダーに呼ばれて裏庭へと行った。

 葵もアレクサンダーも、普段着とは微妙に異なる動きやすい格好だ。そしてアレクサンダーは、手に木剣を持っている。

「軽い護身術は身に着けておくべきだと思う」

「うん、まあ……それはそうだけどね……」

 拒否はしないが、気が進まないという空気を醸し出している葵に、アレクサンダーは眦を下げる。

「アオイ、俺だって付け焼刃の護身術程度で、アオイが敵を倒せるようになるとは思ってない。だが、訓練をしておくことで、いざという時に取れる行動が変わる。それが結果的に自分を助けることになる」

「……心構えってことかな」

「そうだな」

 アレクサンダーは頷いてから葵から数歩離れ、木剣を構えた。

「葵は動かなくていいから、ただ俺を見ていてくれ。目は閉じずに」

「う、うん……」

 頷き、言われた通りにアレクサンダーの顔を瞬きせずにじっと見つめると、アレクサンダーは木剣を構えたままで葵を見返し、そして十秒後。

「その……俺の顔じゃなく、剣先辺りを見てくれるか?」

 構えを解いて赤面し、葵に背を向けて掌で顔面を覆ったので、葵はつられて頬を染めつつ、可愛い奴だな、と思った。


 アレクサンダーが葵を傷つけるつもりはないと分かっていても、攻撃が来るとなると、どうしても身体が強張って目を瞑ってしまう。

 それでも徐々に目が慣れて来て、木剣が額の傍を通り過ぎても、瞬きしないようになる。震えすら出ないようになった。

 これに何の意味があるのかと最初は思ったが、予期せぬ攻撃を受けた際、相手の動きを見極めて逃げる隙を見つける為の訓練なのだろう。

 それを言うと、アレクサンダーは木剣で足元に生えている草を突きつつ、頷く。

「今やったのは、初歩的な騎士の訓練だ。実際は軽い攻撃も受けて、痛みを無視出来るようにするものだが、そこまではしたくない」

「助かるよ」

 葵が苦笑すると、アレクサンダーも軽く笑ってから目を伏せた。

「本当は、何かあった時は俺が守るべきなんだが、万一のことがあった時、訓練しておくんだったと後悔だけはしたくない。アオイも、無理に戦ったりせずに自分の命を最優先に考えて動いて……いや、逃げてくれ」

「……わかった」

 頷いてから、ふと思いついてアレクサンダーに問う。

「あのさ、アレックスと離れたら魔法は使えないのかな、僕」

 葵がアンフィスバエナの『二人目』とはいえ、アレクサンダーのように契約をしている訳ではないし、『罪人』との戦いの時にしか魔法を使っていない。アレクサンダーと離れて、葵単独で魔法が使えるのかどうかも試してない。

 アレクサンダーはそれは考えていなかった、というよりも、アレクサンダーのいない場での葵の対抗手段としては除外していたらしく、葵に言われて少しの間考え込み、

「……それも確認しておくか」

 しばししてから、そうぽつりと漏らした。気が進まない様子だったが。


 身体は動かさないので上着も羽織ってから、館から更に距離を取って、しかし木剣は持ったままでアレクサンダーは葵に言った。

「聞いたことがあるかもしれないが、基本的に魔術士、それに魔法士も、自身で魔法や魔術を生み出しているのではなく、別次元にいる召喚獣の魔法を喚び出して使っていることになる。魔術や魔法の発動の際、魔法陣を描くのはその為だ」

「じゃああの魔法陣って、召喚術のものなの?」

「まあ、そうなるな」

 アレクサンダーは頷き、軽く髪を掻く。

「とはいえ、魔術士や魔法士は召喚術士とは違う。召喚術士は空間を別の場所に繋げ、繋げた先にいる『存在』そのものを喚ぶ術を使える者の呼称で、彼らは基本魔術や魔法は使わない。魔術や魔法は、召喚獣と契約して初めて使えるものだからな」

「あの、ルキウスって人は……」

 葵が名を出すと、アレクサンダーは僅かに顔を伏せた。その表情には、苦いものが覗える。

「召喚術士であり、魔術士……魔法士だったってことだな。これはそう珍しい話でもない。召喚術士も魔術士も魔法士も、『召喚』という現象と少なからず関係があるから、その気になればどちらにもなれる」

 アレクサンダーは説明しながら横を向き、

「ルタザール」

 と呟いて虚空に魔法陣を出現させる。同時に、彼の髪が深紅へと染まった。

「これが魔法を召喚する魔法陣だ。これを発動させられるのは魔法陣を出した術士、もしくは召喚獣だけで、発動も削除も術士と召喚獣だけが可能となっている」

「それって触れるの?」

 葵が言いつつ手を伸ばすと、アレクサンダーは頷く。

「ああ。俺が出した魔法陣だから、他の誰にも発動は――」

 そこまで言ったところで葵の指先が魔法陣に触れ、次の瞬間火を噴いた。

「どわあっ!!」

「アオイ!」

 悲鳴を上げる葵をアレクサンダーの腕が引き寄せるが、炎は幸いどこも燃やさずに消え失せる。熱気だけが残ったので、幻覚ではない。

 アレクサンダーと共に呆然と一点を見つめ、それから顔を見合わせる。

「……アオイ、風の魔法陣を出せるか? 炎の方も」

「う、うん」

 彼の考えていることが即座に分かったので、葵は頷いた。


 結果。

 葵が出した魔法陣であれば、アレクサンダーも発動させることが出来ることが判明した。

「恐らくだが、アンフィスバエナを通して魔法陣に干渉しているのだと思う」

「普通は出来ないことなんだよね?」

「ああ。……とはいえ、召喚獣『獣王ベヒーモス』の『咆哮』による魔法陣破壊のように、そういう魔法や魔術があるなら可能かもしれないが、俺も全ての召喚獣を把握している訳ではないからな」

 そこで言葉を止め、アレクサンダーは考え込む仕草をした。葵が首を傾げると、アレクサンダーは顔を上げ、

「アオイ、少し待っててくれ。すぐ戻る」

 と言って、館へ向かって走って行った。

 そして五分後、葵を待たせまいとしてか全速力で戻って来たアレクサンダーは、30センチほどの長さの棒を葵に渡して来る。葵は長毛種の犬を連想した。

 とまれ、渡された物を確認すると、ただの棒ではなく装飾の施された杖だった。片方は尖っており、反対側は逆に太く、更には丸くなっており、何かを嵌め込む窪みがある。

「魔術士の杖だ。魔術士は『ソーサル・セプター』と呼んでいるらしいが、正式名称ではなく通名だから、その辺りは適当でいい」

「……これ、僕に?」

 アレクサンダーがわざわざ持って来たのだから、そうとしか思えない。葵の問いにアレクサンダーは頷き、微笑む。

「俺が『執行人』になったばかりの頃、魔術が上手く使えない時分にこれを使っていた。この窪みに魔石を嵌めて、魔術を発動させるという使い方なんだが、もう一つ」

 言いながらアレクサンダーは一旦杖を取り、尖っている方とは逆側を握る。

「ルタザール」

 アレクサンダーの髪が再度赤くなると、魔法陣が前方に現れる。アレクサンダーが杖の先端をその魔法陣に突き立てると、先刻のように炎が噴き出し、消えた。

「魔法陣を発動させる時は、術士からの働きかけが必要になる。葵がさっきやったように指との接触でもいいし、慣れれば遠隔操作も可能なんだが、こういう道具を媒介することで、魔力や威力を調節させられるという利点がある。俺の場合は剣だな」

「へー……」

 感嘆の声を上げつつ、アレクサンダーが渡して来た杖を受け取ると、彼は続けた。

「魔石を嵌め込むのは、魔法陣なしに魔術が必要な時に備えてだ。念の為、後で俺が魔石を作っておく」

「……ありがとう。大事に使うね」

「ああ」

 葵の礼にアレクサンダーは歯を見せて笑ったが、なんとなく、自分が過去に使った道具を誰かに引き継げることを喜んでいるようにも見えた。


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