(3)
アレクサンダーと離れていても魔法が使えるかどうか、という『実験』に移る段階となったのだが、アレクサンダーが考え込む仕草をした。
「どうしたの?」
「ん……」
葵が小首を傾げると、アレクサンダーは自身の波打つ髪の先端を指先に絡め、言い辛そうに言って来る。
「済まないが、その訓練だけは明日に回そう」
「別にいいけど、なんで?」
理由だけは知りたいので葵が問うと、アレクサンダーはしばしの躊躇の後、口を開いた。
「この訓練は、俺がアオイから離れる必要がある。それに、有効な距離を調べる為には、互いが見えない場所に陣取らなくては意味がない。……何かあった時、対処出来る誰かがアオイの傍にいないと心配だ」
「ああ……確かにそうだね。僕も安心だから、その方がいい」
葵は頷いたが、アレクサンダーは浮かない顔だ。視線で問うても言うつもりはないらしく、ただ彼は髪を掻く。
「今日はここまでにして、後の時間は魔石作りをしよう。アオイは魔法制御の訓練を兼ねてな」
「あ、うん……」
身を翻すアレクサンダーに、一体何なんだと思ったが。
「そりゃ、アオイを誰かに任せるのが嫌だからに決まってるじゃないか」
翌日、アレクサンダーの招集により館に来たベネディクトは、笑いながらあっさりと言った。対して葵は赤面しつつ、頬を掻く。
葵もベネディクトも、勿論アレクサンダーも館の外に出ているが、アレクサンダーだけは遠く離れた場所に居る。
誤魔化しの為に昨日アレクサンダーから貰った杖を取り出すと、ベネディクトが目を瞠った。
「それ、アレックスが使ってたソーサル・セプターじゃないか」
「あ、はい……。もう使わないからって。魔石も今度嵌めてくれるそうです」
「………………」
ベネディクトが今度は黙って顎を撫でたので葵が目を瞬かせると、彼は碧眼を細めてただ笑った。そして、訓練の開始を告げるように腕を組む。
葵もアレクサンダーも昨日と同じく動きやすい格好だが、ベネディクトは先日会ったセオドアが身に着けていたものに似た、紺色のジャケットに白のズボンの騎士服だった。セオドアよりはやや装飾が多めで豪華だったが、騎士団長だからだろう。
職務もあるだろうに、アレクサンダーの呼び出しに応じて来てくれたのだから、雑談で時間を無駄にするのもどうかと思ったので、葵もベネディクトから少し距離を取り、杖の太い方を掴む形で構える。
なんとなく指の収まりが悪いのは、アレクサンダーが使った自分の指の窪みがあるからだろう。
とまれ、葵は召喚獣『
「ヘルミルダ」
声に出すと、葵の前に微かに見える程度の魔法陣が現れる。
葵とアレクサンダーの位置は、館を挟んでいるので相手が視認出来ない程の距離が開いているが、特に変わらずに魔法陣を出せたので、葵は内心ほっとした。
と、ベネディクトが目を瞠って葵を凝視しているので、杖の先端を魔法陣に向けたまま、しかし触れさせずに顔を向けると、ベネディクトが苦笑した。
「アレックスで見慣れたつもりだったが、髪と目の色が変わるだけで、大分印象が変わるな」
「ああ……」
成程、と得心する。髪が長いアレクサンダーはともかく、短髪の葵は鏡がなければ自身の髪の色など確認しようがない。今の葵の髪は銀色に、眼の色は碧くなっているのだろう。
そこでふと、気付く。
「……ベネディクトさんって、意外とアレックスに顔立ちが似てますね」
「ああ、実はそうなんだ」
言われたのは初めてではないようだが、そう頻繁ではないのだろう。ベネディクトは笑いながら肩を竦める。
ベネディクトは額と首筋の見える範囲が多い、刈り込んだ金の短髪だ。アレクサンダーは腰まである長さだけでなく、前髪も目にかかる程なので、親しくない限り気付く人間は少ないのかもしれない。
「アレックスが髪を切って前髪を上げたら、一瞬程度でも俺と見間違う奴もいるかもな」
とベネディクトは笑ったが、それはアレクサンダーの髪と瞳が本来の色の場合だ。ベネディクトがアレクサンダーに似ていると気付いたのも、それから連想したからである。
さておき、葵は曖昧に笑ってから、杖の先端を魔法陣に軽く触れさせた。次の瞬間、魔法陣から突風が発生し、遠くに見える木々の葉を揺らした。
「何か違和感はないか?」
「ないですね。……杖を使ったら威力も変えられるって聞きましたが……」
「それはまだ君には早い。まずは魔術を安定して使えるようにならないと」
「ううう」
ばっさりと告げられて渋面になりながらも、葵は次の実験に移る。
「ルタザール」
またアンフィスバエナに、しかし先とは異なる方の
「上手いもんじゃないか」
ベネディクトは感嘆の声を上げたが、葵は小さく唸ってからベネディクトに問うた。
「あの、僕もアンフィスバエナと波長が合ってるんでしょうけど、そこから更に、ヘルミルダとルタザールの相性にも差は出るんでしょうか?」
「? どういう意味だ?」
ベネディクトが小首を傾げたので、葵は杖をなんとなく観察しながら、説明する。
「なんて言うか……風の魔法の方が楽に出せるような気がします。気のせいかもしれませんが」
「んー」
ベネディクトも少し唸って、しかし即座に明るい声を出した。
「アレックスに聞いた方が良いな、それは。俺は魔法や魔術についてはさっぱりなんだ」
「あ、そうなんですか……」
アレクサンダーも葵の相性、そしてアレクサンダー自身の相性についても言っていたので、珍しい話ではないようだが、アレクサンダーが相性に関係なく自在に使う様を見ていると、同じように使えたらと思ってしまう。
「ヴォルフ家はそもそも、剣で身を立てて来た家系だからな。魔術士はいなかった……って訳じゃないけど」
ベネディクトは朗らかに言ってから、話題を変えた。
「一通り魔術を試したから、一旦アレックスと合流しよう」
「はい」
彼の提案に、葵は頷いた。
葵とベネディクトがいたのは館の裏側の庭だったので、アレクサンダーが居ることになっている、館の玄関前にベネディクトと共に行くと、アレクサンダーは段差に腰かけて魔石を作っていた。
「何してるんだ」
「暇だったからだ」
ベネディクトが発した呆れ声に、アレクサンダーは憮然として返すが。
「内職……?」
葵も思わず半眼で言った。アレクサンダーの前に置かれた小さめの木箱には、ざっと見て二十を超える数の魔石があったからだ。更には、アレクサンダーの脇に置かれた箱には、それより多い水晶石が入っている。
葵のツッコミにアレクサンダーは唇を尖らせ、プイと横を向く。
「魔石を作りつつ魔力の流れに集中していた方が、異変があった時に感知しやすいんだ」
「あ、そうなんだ。ありがとう」
葵は笑ってアレクサンダーの前に身を屈め、赤い魔石を一つ手に取る。
「綺麗だね、これ。アレックスの眼みたい」
「………………」
言った途端に沈黙が下りたので顔を上げると、アレクサンダーが耳まで赤くして、葵から目を逸らしている。ベネディクトはというと、にやにやと笑ってアレクサンダーを眺めていた。
そんな風にして訓練などに勤しみ、有事に備えた訓練もし、準備万端の状態で出発の日を迎えた。
馬車で一日、残りの二日は船という道程なので、王城へ向かう時に使うものとは微妙に違う、しかし頑丈な馬車に荷物を載せ、葵とアレクサンダーはルデノーデリア王国を出た。
朝早い出立なので、茉莉やベネディクト夫婦とは前日に会い、事前に見送りは不要と伝えおいたので、最後に顔を合わせるのは、執事のレイモンドを始めとする、館の使用人達だ。
長く乗ることになるからか、馬車の中には分厚いクッションが敷き詰められており、未だに振動に慣れない葵は顔に出さずに安堵する。
馬車が動き出し、ルデノーデリア王国を囲む壁が遠ざかって行くと、アレクサンダーは葵に言った。
「数時間ごとに休憩を挟むが、横になりたい時は言ってくれ。少しくらいなら、スピードを落としても支障はない」
「わかった」
長旅になるので、葵も遠慮しないでおこうと心に決める。
アレクサンダーに頷いてからもう一度、見納めとばかりに後部の窓から後方を見ると。
「……?」
少し遠くにも、葵達と同じ方向へ向かっている馬車が見えた。
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