(4)


 アオイの出した結論を聞くと、イーヴォは一旦退室することになったが、アレクサンダーとアオイに警備の強化を約束してくれた。

 ただ、ホテル一階の出入り口まで見送ったアレクサンダーとアオイに対し、彼は申し訳なさそうに告げて来る。

「今回の件は、完全にこちらの失態です。ですが……その上でお願いがございます」

「何だ?」

 アレクサンダーが問うと、イーヴォは躊躇を見せてから口を開いた。

「この国にいる間、事情を知っている訳ではない者以外の前では、魔術や魔法の使用はお控え下さい。その場に私がいればどうとでも誤魔化せますが、そうでない場合、身の安全の保障は出来ません」

「この国の法もあるだろうから、努力する。が、政治は俺の仕事ではないことだけ、理解しておいてくれ」

「……それで充分です。ありがとうございます」

 場合によっては好きなように暴れるぞと言っても、イーヴォは目を伏せて苦笑するに留まる。そのような仕草を見ても、ヨーナスと同一人物だとは思えない。

 イーヴォは深々と頭を下げてから、アレクサンダーとアオイに背を向けた。


 ヨーナスがお尋ね者であるのなら、人目がある場所なら安全かもしれないと、自室には戻らずホテルの食堂に向かって、軽食を摂ることになった。

 観光客に配慮しているのか、多少味付けは異なるが、ルデノーデリアでもメジャーなメニューがあったので、アレクサンダーは冒険せずにそれを頼む。逆にアオイは、セパの郷土料理を選んでいる。美味しかったら分け合おう、と屈託なく笑うアオイだが、アレクサンダーは逆に不安を感じた。

 先刻の件もそうだが、アオイは自身に不利益なことがあったとしても、それが怒りを覚えて当然のことで、それが許される場だったとしても、何よりも先に場を収めようとする癖がある。

 アオイの性格でも性質でもない、『癖』だ。誰もが納得する理由を探して、アオイが許す流れにしようとする。それが当然のように。

 裏を返せば、それはアオイが今まで置かれて来た環境が、どういったものだったのかを指しているのだが。

 恐らくはマツリも有しているであろうその癖は、アレクサンダーを時折落ち着かなくさせる。アオイのその悪癖――悪癖としか言いようがない――は、以前にも少し触れたことがあるが、彼女はそれをどれだけ重く捉えているのだろうか。

「アレックス」

 注文した料理が美味だったらしく、アオイが笑顔でスプーンで一口分をアレクサンダーに差し出して来たので、アレクサンダーは身を乗り出してそれを口に含む。

「……辛い」

「これでも? 甘党すぎ」

 アレクサンダーが苦笑しつつ発した台詞に、アオイが肩を揺らして笑った。


 食事の後は、折角遠出したのだからと観光を楽しむことにし、日傘を持ってホテルから外に出る。

 元々アレクサンダーは大柄な方だが、セパでもアレクサンダーは背の高さで抜きん出ており、観光客に慣れているであろう地元民でも、時折アレクサンダーを見て驚いた顔をする。

「色んな意味でやり辛いな。一応仕事もあるから」

 一つの傘の下、アオイと肩を並べてゆっくりと歩きつつぼやくと、隣のアオイが眦を下げた。

「でも逆に、顔を覚えられてたら、いざって時に魔法使っても大丈夫かもしれないよ?」

 そっとそんなことを言われたので、それもそうかと息を吐く。

「……使うような機会がないなら、それでいいんだけどな」

 アレクサンダーが嘆息すると、アオイは少し思案する様子を見せてから、言って来る。

「ルデノーデリアに帰ったら、護身術でも習おうかな。刃物は僕向きじゃないし、良い運動になるかもしれないし」

「それも良さそうだな。……テディ辺りに指南を頼んでみるか?」

 露店に並んでいる薄手のストールが目に留まったので、足を止めてそれらを見つつアレクサンダーが言うと、アオイも色石が結い付けられている髪紐を手に取った。

「テディさん身軽だもんね。重量級の人の戦い方は、僕には無理だし」

 アオイの台詞に頷きながら、アレクサンダーは店主を手招きして、身振り手振りでストールを購入する。アオイが手に取っていた髪紐の値段も聞いて購入すると、アレクサンダーはストールをアオイの頭頂部に被せるようにして軽く巻いた。

「日差しが強くなりそうだからな」

「あ、ありがとう」

 白地に描かれている赤い花に負けない程、アオイの頬が染まる。そして、徐にアオイはアレクサンダーの背後に回ると、背伸びしてアレクサンダーの髪を項で纏めた。今しがた購入したばかりの髪紐で。

 そういえば、イーヴォの前で解けてからそのままだったと思い出す。

「ありがとう」

「アレックスのお金だけどね」

 アレクサンダーの礼にアオイが軽く口を尖らせるが、彼女の頬に指先を軽く触れさせて、笑う。

「アオイが選んだから、価値があるんだ」

 言うと、アオイはアレクサンダーが触れた箇所を更に赤く染め、それから笑みを見せた。


 マツリ他親しい者への土産も買ってホテルに戻ると、女性の使用人がそっと歩み寄って来てアレクサンダーとアオイに言う。

「先ほどお二方の部屋の浴室の湯を入れ替えましたので、汗をお流しになって下さい。着替えも用意しております」

「ありがとう」

 確かに多少の疲労と、汗臭さを感じる。夕飯も食堂で摂るつもりなので、その前に着替えるべきだろう。アオイも同じ考えだったので、使用人に土産物の保管を頼み、まずはアオイの部屋に向かった。

 告げられた通り、チェストの上にアオイ用の衣類が置かれており、さりげなく確認すると、男性用と女性用の二種類用意されている。アオイを女性と見た使用人の配慮か、とアレクサンダーは胸中で感心した。

「じゃ、そこにいてね」

 アオイがそう言い置いて女性用の着替えを手に浴室に姿を消すと、アレクサンダーはソファに腰を降ろした。


 先刻まで着ていた服と同じシルエットだが、落ち着いた萌黄色の長衣と白のズボンを身に着けたアオイが出て来ると、アレクサンダーは何はなくとも褒めた。

「似合ってるな。ルデノーデリアに戻っても夏には着れそうだから、イーヴォに持ち帰って良いかどうか聞いておこうか」

「うん。アレックスのもね」

 気分が良さそうに笑うアオイの髪を撫で、次はアレクサンダーの部屋へと移動した。

 アオイに外に出ないように言い、アレクサンダーも着替えを持って浴室に入る。やや温めの湯に浸かると、入浴剤の類を入れているのか、清涼な香りがする。

 それを吸い込み、大きな息を吐きながら、この後は夕飯の前にアオイと話し合わなくては、と考えると、長湯をする気にもなれずに浴槽から出、手早く身体を拭いて衣類を身に着けた。

 部屋に戻ると、アオイは変わらずそこにいた。アレクサンダーを見ると微笑み、隣の席を軽く叩く。

「早かったね。もっとゆっくりしてても良いのに」

「落ち着かなくてな」

 アオイに勧められるまま腰を降ろすと、アオイがアレクサンダーを見て小首を傾げた。

「ね、ちょっとあっち向いて」

「?」

 一体なんだ、と思いつつも、座ったまま向きを変え、アオイに背中が向くようにすると、アオイがアレクサンダーの髪を纏めている髪紐を取る。

「ちょっと触らせてね」

 そう断ってから、アオイがアレクサンダーの髪を編み始めた。

「マツリちゃんにこの間、編み方教えてもらったんだ。アレックスの髪をたまには触ってやれって、せっつかれてさ」

「そうか」

 思わず頬が緩み、肩の力が抜けた。マツリもそうだが、アオイのこういう所には敵わない、と思う。

 アレクサンダーの生真面目な性質は、普段は賞賛されることの方が多いが、ベネディクトやザカリエルにかかると説教の種となる。

 なんとなく目を閉じて、時折背中に当たるアオイの手の感触を楽しんでいると、やがてアオイが声を上げた。

「出来た。……ちょっと下手だけど」

「慣れればいいだけだ」

 苦笑するアオイに顔を向けて笑ったところで、扉がノックされる。

 アオイに待つように言い置き、アレクサンダーだけが立ち上がって扉を開けると、先刻声をかけた来た使用人がいる。

 アオイには聞こえない位置で彼女に言いたいことがあったので、アレクサンダーは廊下に出て扉を閉めた。使用人は軽く頭を下げてから、アレクサンダーに言って来る。

「夕食はどちらでお摂りになられますか? メニューなどご希望がございましたら、用意させて頂きます」

「三時間後に、食堂で摂る予定だ」

「左様でございますか。ヴォルフ様のお名前でお席の予約をしておきます」

「頼む。それと……」

 笑みを見せる使用人に、アレクサンダーはやや声を潜めた。

「その……アオイの着替えに配慮してくれて、ありがとう。滞在中は、同じようにしてくれると助かる」

 アレクサンダーが礼を言うと、使用人は笑みを深めて頭を下げた。

「いいえ、お気になさらず。私共は、イーヴォ様の指示に従ったまでですので……」

「………………」

 その台詞を聞いて一瞬だけ、思考が停止した。

「……イーヴォ殿の指示?」

「はい、左様でございます」

 アレクサンダーの声が掠れていることには気付かなかったらしく、使用人は変わらず笑顔で返す。

 即座に身を翻し、アレクサンダーは派手な音が立つのにも構わずに乱暴に扉を開けた。

 誰もいない。

「アオイ」

 アレクサンダーが呟くように発した声は、誰も受け取ることなくそのまま霧散した。


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