(6)


「テディ……!」

 横倒しに床に沈んだ青年に駆け寄り、反射的に起こしかけるも思い直し、ゆっくりと仰向けに寝かせると、アレクサンダーはセオドアの傷を確認した。

 どこからここまで来たのかは分からないが、昨日より多く配置されている警備にも気づかれず、単身ホテルの最上階まで登って来たことを鑑みると、出血は酷くとも傷は深くないのだろう。何より、セオドアは次期騎士団長予定の実力者だ。致命傷を避けていると見て間違いない。

 意識がなく、荒い呼吸を繰り返すセオドアの腹部を見ると、横一直線に深い傷がある。内臓には達していないようだが、このまま放置すれば失血死は免れない。

 アレクサンダーは立ち上がってベッドのある隣室へ行き、シーツを剥がしてセオドアの元へ取って返そうと歩を踏み出した。布を裂いて包帯を作り、応急手当てをと思ったのだが。

 しかし、そこからどうするかを考えると、アレクサンダーは足を止めた。

 常識的に考えると、応急手当てをしてから廊下の使用人か警備に声をかけ、医者を呼ばせるべきだろう。だがそれをすると、セオドアをより危険に晒す可能性があると思い至ったからだ。

 ヨーナスは、イーヴォのふりをして歩き回っている。それが分かったのは、アオイが攫われる直前だ。

 イーヴォは、アオイを男だと思っていた。これは別段おかしいことではない。アオイはセパに到着した時は、男性用の服を身に着けていたのだから。

 そして、アオイはアレクサンダーの伴侶だと告げた際、そこで初めてアオイを女性だと認識した。口には出さずとも、そういう表情だった。

 しかし、今思えば時系列がおかしい。アオイを男だと思っていたのに、何故アオイの服として女性用の衣類が準備されていたのか。

 答えは一つ、女性用の服を準備するよう指示したのは、ヨーナスだったからだ。アオイの裸体を見たヨーナスは、アオイの身体のことを知っている。そして、アオイの身体が女性の特徴も備えていると知り、イーヴォを装って使用人に指示を出した。

 アレクサンダーを嘲笑うような行動に腹が立つが、さておき、セオドアの怪我が万一ヨーナスの攻撃によるものなら、セオドアがここに逃げ込み、しかも息があると知ったらどうなるか。

 信用出来る者がいない現段階で、アレクサンダー一人でアオイの捜索をし、同時にセオドアが回復するまでの護衛など、出来る訳がない。当然、アオイとセオドアのどちらかを見捨てる選択はない。

 アレクサンダーはシーツを一旦置き、セオドアのいる小部屋まで早足で戻った。

 それからセオドアの意識がないことを確認すると、彼の口にハンカチを噛ませる。賭けになるが、セオドア本人の確認はあえて取らないと決めた。

 セオドアは恐らく、ザカリエルの命でセパに来た。彼のこれまでの行動を思い出すと、彼の任務はアオイの護衛もしくはアレクサンダーのフォローだろう。

 命よりも任務遂行が重要視される騎士であれば、アレクサンダーの選択と行動を、セオドアは認めなければならない。

「セオドア、耐えろよ」

 小さく言ってから、アレクサンダーは未だ血を流している傷口に手を近付けた。

「ルタザール」

 召喚獣の名を呼ぶと、アレクサンダーの髪が血の色に変化し、掌の前には小さな魔法陣が現れた。


 出来るだけ時間をかけず、しかし慎重にセオドアの傷口を焼いて塞ぐと、アレクサンダーはセオドアをベッドまで運んで横たえた。

 血塗れの服を脱がせ、同じく血塗れの身体を拭き、バスローブを着せてシーツをかける。セオドアの意識は相変わらずないが、先よりも呼吸は整っているように見えた。

「セオドア、もう少し頑張ってくれ」

 セオドアの熱を持った額に湿らせたタオルを乗せて言うが、返答はない。

 出血は止められたが、これで終わりではない。誰にも悟られないように、セオドアを医者に見せなくては。ルデノーデリア王国だったなら、医療魔術で回復も早いだろう。だが、この国でそれは期待出来ない。

 夜明けまで、まだ時間がある。アレクサンダーはアオイの荷物からマントを引っ張り出すと、それを羽織ってフードで頭部を覆った。

 セオドアの様子をもう一度確認し、意識が戻った時の為に書置きを枕元に置くと、窓から外に出て屋根の上へと登った。

 屋根伝いに近接する建物の屋上へと移動し、それを数回繰り返してから、適当な場所で屋内に入ってから外へ出る。

 真夜中でも街中は観光客と見られる者が多く、そして観光客を呼び込む店も多い。アレクサンダーは人気のない路地裏へと身を滑り込ませ、尾行がいないかどうかを確認してから、囁いた。

「ヘルミルダ」

 相棒の片割れの名を呼ぶと、いつも通りにアレクサンダーの髪の色が変わる。瞳の色も碧になっているだろう。

 イーヴォの言った通り、アレクサンダーはこの街では目立つ。髪と瞳の色を変えても、体格から人目を引くだろう。だが今は、アレクサンダーだと思われなければいい。

 フードを降ろして髪の色を印象付けられるようにすると、アレクサンダーは路地裏から大通りへと歩を踏み出した。


 大通りから覗き見て、店が並んでいると思しき裏通りに入ると、観光客であれば到底足を向けなさそうな酒屋に踏み入り、店主に同じ質問をした。『魔石を買いたいが、どこで入手できるか?』と。

 それを五軒ほど続けると、店の外に出たところで声をかけられた。

「何故魔石が欲しいんだ?」

 背後からの声に振り向くと、アレクサンダーよりも年若い青年が佇んでいる。セパ出身の人間特有の褐色の肌に漆黒の髪。その中で鮮やかな碧眼が輝いている。

 だがそれよりも、アレクサンダーは思わず呟いていた。

「……魔術士か? 君は――」

 その台詞に、青年が鼻白んだ風に顎を持ち上げたが、仕草ではなく合図だった。アレクサンダーを取り囲むように、手近な路地から男達が姿を現す。

 マントの下で剣の柄を握り、アレクサンダーは唇を舐めた。

 多数を相手にするとしても、戦闘になっても負けるとは思えない。それも、魔法を使わなくとも剣だけで。

 だが、目立つのは困る。観光地だけあって、裏通りでも騒ぎを起こせば警備をしている兵士が駆けつけるだろう。立場を明かせばアレクサンダーが罰せられることはなくとも、密かに動いていることが知られるのがまずい。

 なので、アレクサンダーは剣から手を離してマントから両手を出し、正面にいる青年だけを見据えた。

 医師ではなく魔石を求めたのは、この国の法を鑑みれば、魔石が裏取引で扱われていると考えたからだ。アオイの言うように、この国の発展が他国よりも進んでいても、過去に存在して利用していたものを、簡単に捨てられる訳がない。

 そういう考えから、魔石を探している旅人のふりをして歩き回れば、向こうから必ず接触して来ると踏んだ。

 アレクサンダーは抑えた声で、訥々と青年に告げる。

「――怪我人がいる。出来るだけ早く、医療魔術が必要なんだ。この国に魔術士がいるとしても通報する気はないし、報酬も払う」

「怪我人の下りはともかく、通報しないという言葉を信じるに値する何かがない」

 青年が返して来たが、そこで気付いた。

 何故かは分からないが、青年の纏う空気が誰かに似ている。誰か、というか、アオイに。気のせいではなく、存在感が似ているというか。

 それが気になったが、今はそれを問う場ではないので、アレクサンダーは青年を見返して言う。

「今から証明する。攻撃の意思ではないことだけは、覚えていてくれ」

「?」

 青年が小首を傾げたところで、青年を含む男達の足下に、白く輝く魔法陣が現れた。

「てめえ…!」

「動くな」

 声を上げた男の一人を制したのは青年で、恐れすら見えない表情で、アレクサンダーに軽く笑う。

「まあ、自分も魔術士なら通報なんて出来ないよな」

 そう言って肩を揺らすが、彼も魔術士なら、アレクサンダーが召喚獣と契約していると分かったはずだ。

 つまり、アレクサンダーを囲んだのは茶番にすぎないので、アレクサンダーは固い声を発した。

「時間がない。この意味のないやり取りのせいで、俺の連れに万一のことがあれば、俺はお前達を許さない」

 そう返してから魔法陣を消すと、青年は視線で指示を出して男達を引かせる。生憎、アレクサンダーの脅しに恐れをなした風情ではないが。

「それじゃ、取引に入ろう。俺はメルヒオール。『メル』と呼べ。――連いて来い」

 彼はそう言って、身を翻した。


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