(7)


 メルヒオールという名の男に連いて行くと、ほどなく粗末な宿屋へと到着する。

 深夜ということもあって受付は誰もいなかったが、彼はベルを鳴らして宿屋の主人を呼ぶこともなく上階へ登り、一番奥の部屋へとアレクサンダーを案内した。

 そう広くはないが、ベッドにクローゼットとチェスト、それに小さなテーブルセットが備わっている部屋に入ると、メルヒオールが軽く笑う。

「用心棒をする代わりに、ただで住まわせてもらってるんだ。座れ」

 二人用のテーブルセットを勧められ、アレクサンダーが窓に近い方の椅子に腰を降ろすと、メルヒオールは廊下側の椅子に座る。そして足を組んだ。

 明るい中で改めて見ると、アオイに似ていると感じたのは勘違いだっただろうかと思える程、アオイと似通った部分はない。せいぜい髪の色が黒というだけが共通点で、瞳の色も肌の色も、顔立ちさえも違う。

 顎の辺りまで雑に伸ばした髪、細身だが鍛えているのが分かる体格、身長はアオイよりも高いが、アレクサンダーよりは低い。年齢もだが、セオドアと同じくらいだろうか。

 ここまで来た理由はそのセオドアなので、アレクサンダーは身を乗り出して言った。

「先にも言ったが、怪我人がいる。応急手当は済んだが、一刻も早く魔術で癒す必要がある。医療魔術の魔石の入手か、医療系統の魔術士を紹介してくれ。怪我人がいるのがややこしい場所だから、出来れば魔石がいい」

「そこまで注文を付けておいて、まさかとは思うが、タダでとは言わないよな?」

「金なら出す。他の何かと引き換えなら、それを用意する。だがその場合、後払いにして欲しい」

「えらく都合のいい話だな? 俺は正義の味方でもボランティアでもないぞ」

「わかってる。だが、そうするしかない」

 笑みを零すメルヒオールをアレクサンダーが真っ直ぐに見つめて言い募ると、彼は笑みを深めた。テーブルの天板に片手を置き、頬杖を突いてアレクサンダーの顔を覗き込むような仕草をする。

「俺の仕事は魔石の売買じゃなく、何でも屋のようなものだ。売り物の種類が多ければ多いほど、客が増えて儲かる。もっと言うと、取扱商品が有形とは限らない」

「それはどういう――」

 聞き返しかけて、気付いた。

「情報もか?」

「そうだ」

 メルヒオールが大きく頷き、そしてまたアレクサンダーを覗った。それを見てアレクサンダーは大きく息を吐き、立ち上がる。メルヒオールが瞬きをしたところで、アレクサンダーの髪が漆黒に戻った。

「俺は『執行人』アレクサンダー=ダクマルガ・ヴォルフ。ルデノーデリア王国のザカリエル=グシオン・エメライトの命により、この国に来た。任務の内容は言えないが、君に言ったことは全て事実だ」

「………………」

 きっぱりと言い切ったアレクサンダーに、メルヒオールは呆気に取られた表情になり、しかし直後に肩を揺らして笑う。

「礼儀を知っている奴のようだな。気に入った、仕事を引き受けよう、アレクサンダー」

「ならば……」

「だが、俺が欲しいのは金じゃない」

 メルヒオールは立ち上がり、アレクサンダーに座るよう指で示してから、部屋の隅にあるチェストへと向かう。引き出しを開けて革袋を取り出すと戻って来、テーブルの上に雑に置いた。

 顎で促されたので革袋を開けると、見慣れたものが入っている。

「これは?」

「水晶石だ」

「いや、それは分かるが」

 魔力を込めていない球は、魔法や魔術を扱う者なら知っていて当然だ。アレクサンダーが問うたのは意図なのだが、メルヒオールは呆れたように嘆息した。

「お坊ちゃんは察しが悪いな。汚れ仕事をしていても、心までは汚れないのは良いことだが、馬鹿は嫌いだ」

 そう吐き捨てられて思わず渋面になると、メルヒオールはまた椅子に座って水晶石を指す。

「金は要らんが、金になるものを提供して欲しい。俺の仕事の一つは魔石を売ることで、お前は召喚獣『双頭の蛇アンフィスバエナ』と契約している『執行人』。……ここまで言えば分かるだろう?」

「この水晶石を魔石に変えればいいのか?」

「その通り。炎と風、両方を作ってくれ。炎が良い値で売れるから、炎を多くな」

「『鍵』は?」

「それは俺が設定するから、考えなくていい。俺はお前と違って頭脳派なんだ」

 どんどん口が悪くなっているのは、正直なのか、それともアレクサンダーを試しているのか、さておき。

 『鍵』というのは、アオイにも説明した呪文などの安全装置だ。それがなければ最悪の場合事故が起きる。もっと言えば商人が運んでいる時に爆発する可能性すらあるので、闇取引されている魔石だろうと『鍵』の付与は必須だ。

「分かった。この量だと時間がかかるが……」

 アレクサンダーが革袋を剣帯に結び付けながら言うと、メルヒオールは立ち上がって腰に手を当てる。

「俺も分かってるよ。魔石作りに集中出来るよう、怪我人を何とかしようか。連いて来い」

 そう言いながらクローゼットに歩み寄ると扉を開けて、アレクサンダーに見るように促した。狭い空間を覗き込むと、何着かの服が吊り下がっている奥に、真っ暗な空間が見えた。

「隠し通路か」

「梯子がある。それを降りろ」

「明かりは?」

 アレクサンダーが半眼で問うと、似たような表情が返された。

「狭いからそんなもん必要ない。むしろ、お前のでかい図体が詰まらないかを心配しろ。これだから貴族のお坊ちゃんは」

「………………」

 好き放題言われているが、何かを言えば倍以上の何かが返されるとやっと気付いたので、アレクサンダーは口を閉じて、クローゼットへと身を滑り込ませた。

 手探りで梯子を掴み、下に降りて行く。恐らく三階分、つまり宿屋の地下一階と思われる深さまで降りたところで梯子は失せ、代わりに石畳の床が現れた。

 メルヒオールも降りて来るはずなので、手探りで梯子から離れてやや広い空間まで行くと、アレクサンダーは呟いた。

「ルタザール」

 同時に右手を掲げて掌の上に小さな魔法陣を出し、松明代わりの炎を出す。家具も何もない空間が視界に浮かび上がり、無意識にアレクサンダーは気配を探った。

 と、続いて降りて来たメルヒオールがアレクサンダーの背後に現れ、壁に設置されていたらしい何かに触れた。途端に部屋に光が満ちて、アレクサンダーの炎は用済みとなる。

「中央に立て。転移術を使う」

「ああ」

 言われた通りにすると、メルヒオールもアレクサンダーの隣に立つ。そこでふと思いついたので、メルヒオールのつむじを見て問いかけた。

「……魔術士は召喚獣との契約を破棄させられたと聞いたが、召喚術や転移術の扱いはどうなってるんだ?」

「名目上は禁止だが、お上の目を盗んで使うのを止める術はない。だから事実上使いたい放題だ」

 だからこの部屋のように、転移術専用の場所を用意している、と続けて説明され、アレクサンダーは頷いた。

 魔力と知識があれば、いつでもどこでも使える術。それが召喚術と転移術だ。性質によっては魔法陣を物理的に描く必要があるが、余程の事がなければ制限はない。

 であれば尚更、アレクサンダーがイーヴォに問うたように、術を防ぐ措置がないのはおかしいという疑問が際立って来る。

「アレクサンダー。怪我人のいる場所はどこだ」

 メルヒオールに問われてそれに答えると、メルヒオールが口中でなにやらぶつぶつと呟き出す。同時に、足元に魔法陣が現れた。

 魔法陣が輝きを増すと、メルヒオールが更に質問を重ねて来た。

「……魔術士がいるな。そいつが怪我人か?」

「そうだ。部屋の外にいる使用人や警備兵には悟られたくない」

「注文が多いな。まあいい」

 それでも舌打ちをして、メルヒオールがまた呪文を口にした。視界が光に満ちたので、アレクサンダーは咄嗟に目を閉じ、転移の際に感じる不快感に耐えるべく、身構えた。


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