(8)
転移の際に感じる一瞬の違和感に耐えると、アレクサンダーはそっと目を開けた。
夜明けがまだ遠い時間帯の暗い部屋が見え、ほっと息を吐く。しかし、先とは異なる違和感に気付いて、思わず眉根を寄せた。
やけに足元が不安定で、どことなく柔らかい。それに、視点の高さがおかしい。どうやらベッドの上に立っているようだと気付いてから、アレクサンダーは足元を見た。
「お……重い……」
腹部の上に立っているアレクサンダーの重さに、意識がないながらも呻き声を上げている、青い顔のセオドアが見えた。
「テ、テディすまん……!」
声を抑えて謝りながら降り、更にはベッドから床の上に降りる。同じくセオドアの上にいたらしいメルヒオールも、ベッドを挟んだ向こう側に移動するのが見えたので、アレクサンダーは汗を流しつつ抗議した。
「とんでもない場所に移動させるな……! テディが死んだらどうする……!?」
「座標の指定も出来ない、こいつの魔力を辿るしかない転移術なら、人死にが出ないだけマシだ」
「な……」
平然と言うメルヒオールに呆気に取られたが、彼が懐から魔石を取り出したのを見て口を閉じる。なにはなくとも、セオドアの治療だ。
メルヒオールは手慣れた様子でセオドアの傷を確認してから、彼の傷がある場所に金色の魔石を一つ置き、それから気付いたように言う。
「カーテンを閉めろ。光を見て怪しまれたら困る」
「あ、ああ」
転移術の光は大丈夫だっただろうかと一瞬思ってしまったが、後の祭りだ。アレクサンダーは急いで窓辺によってカーテンを閉め、
「ルタザール」
灯り代わりの小さな炎を出した。
メルヒオールはそんなアレクサンダーを一瞬ちらりと見たが、それには何も言わずに低い声を出す。
「エーヴァウト・パスカル・デ・バッケル」
魔石から魔術を発現させる呪文だろうが、メルヒオールがそう呟くと魔石が輝いて光を放ち、セオドアの身がびくりと動く。だが、数秒で光が消えた後、メルヒオールが渋面になった。
「腹の傷だけじゃないな」
「ああ、一番大きな傷以外にも、擦り傷とかあるかもしれないが……」
「そういう意味じゃない」
アレクサンダーが潜めた声を出すもメルヒオールは首を振り、セオドアの額に置かれていたタオルを取ると、そこに自身の手を当てる。それから心臓の辺りを指先で撫でるように触れてから、不機嫌そうにぼそりと言った。
「内臓も損傷している」
「傷が深かったのか?」
「だから違うって。五月蠅いからちょっと黙ってろ」
「………………」
だったら声に出して言わないでくれ、と、ちょっぴり傷つきつつ思ったが、アレクサンダーは従って口を閉じる。
メルヒオールは数秒だけ思案する様子を見せたが、やがて顔を上げてアレクサンダーに言って来た。
「集中して治療したい。お前、十分でいいから隣の部屋に行け。俺が呼ぶまで覗くなよ」
「わ、わかった。灯りは大丈夫か?」
「いらん」
すげなく言われて、アレクサンダーは浴室へと退散する。こういう昔話をアオイから聞いたような聞かなかったような、と思いつつ。
浴室内をうろうろと歩き回っていると、十分もしない内に扉が小さくノックされた。
「終わったぞ」
やはり小さな声を投げられたので扉を開けると、やや疲れた様子のメルヒオールが見える。魔石を使ったのにこの疲労具合は何だろう、と疑問に思ったが、メルヒオールの使える魔術が医療系で、魔石ではなく魔術を使ったのかもしれない、と考え直して浴室から出る。
足早にベッドに近付くと、意識を取り戻しているセオドアが起き上がろうとする。慌てて肩を押し、言った。
「無理するな。傷は消えても、体力を相当消耗しているはずだ」
「……申し訳、ありません」
アレクサンダーが言った通り、力が出ないのだろう。セオドアはアレクサンダーの声にすら抵抗出来ずに上半身を逆戻りさせる。
それでも青い顔色の下、弱々しい声で告げて来た。
「……ヨーナス、が……アオイを、連れ去るのを、防ごうと……した……すが……」
「待て」
アオイの身は心配だが、セオドアの様子では喋るのも満足に出来ないだろう。逸る気持ちはあるが、無理はさせられない。現状、セオドアだけが頼みの綱なら尚更だ。
「今は寝ろ。少しでも体力を回復させないと、話も出来ないだろう」
「ですが……」
「命令だ。聞け」
「………………」
アレクサンダーが言い募ると、ようやくセオドアは諦めを見せた。そしてエメラルド色の瞳だけを動かし、アレクサンダーのやや後方にいるメルヒオールに目を留める。セオドアは目を細めたが、メルヒオールには何も言わず、代わりにアレクサンダーに顔を向けて口を開いた。
「何だ?」
セオドアの口元に耳を寄せると、感謝の言葉を告げられる。
「気にするな」
アレクサンダーがセオドアの胸元を軽く叩くと、セオドアはほっとしたように口元を緩めて目を閉じた。眠ってしまったのだろう。アレクサンダーも安堵の息を吐いたところで、メルヒオールが言って来る。
「怪我は完治してる。明後日には動けるようになるだろう」
「ありがとう。何と言ったら良いか……」
アレクサンダーがメルヒオールに微笑むと、メルヒオールは肩を竦めて移動し、ベッドから距離を取った。
「魔石が出来たら、あの宿屋に持って来い。追加の依頼がなければ、お前との関係はそれで終わりだ」
「ああ」
アレクサンダーが頷くと、メルヒオールは転移術で消えた。
自室に戻ると、アレクサンダーは夜明けまでの数時間を睡眠に費やし、起きると軽く入浴をして身支度を整えた。
朝食を摂る時間だが、食堂に行く前にアレクサンダーは廊下の使用人を呼ぶ。
「どうかされましたか?」
「アオイの部屋の鍵をくれないか」
アレクサンダーが言うと、女性の使用人は躊躇する仕草を見せる。部屋の鍵を渡してしまうと、彼女の仕事に支障が出るからだが、やや強めの口調で続けた。
「行方不明になったアオイは、俺の婚約者だ。君達の仕事のことは理解しているが、アオイが戻るまで彼女の部屋の管理は俺に任せて、君達は入らないで欲しい。イーヴォ殿には俺が言っておく」
「…………わかりました」
不承不承ながらも鍵を渡されたので、アレクサンダーは礼を言って食堂へ降りた。
普段食べる量よりもやや多めの朝食と飲物を包んでもらい、アオイの部屋へと持って行く。そっと扉を開けて中に入り、また静かに扉を閉めると、待ちかねていた様にベッドのセオドアが身を起こした。
何かを言おうとするセオドアに、人差し指を口元に当てて声を出さないように指示し、ベッド脇へと歩み寄る。
「ここはアオイの部屋なんだ。何かしらの動きがあるまで、君がここにいることは内密にしたい」
「承知しました」
アレクサンダーの潜めた声にセオドアが神妙な顔で頷いたところで、彼の腹が盛大に鳴った。
「し、失礼しました……」
「回復が早いのは助かる」
赤面するセオドアにアレクサンダーは笑うと、ベッドに腰かけてセオドアの分の朝食を渡した。が、セオドアはそれに手を出す前に、身を乗り出してアレクサンダーに言って来る。
「アレクサンダー様、ヨーナスは魔法士です」
「何?」
突然飛び出した単語に呆けた声を出してしまったが、意味を理解するとアレクサンダーの顔が強張る。
「
「はい。――この目で確認しました」
アレクサンダーの問いに、セオドアは大きく頷いた。しかし、彼が続けて発した台詞は、理解するのに時間がかかる内容だった。
「ケツァルコアトルは、ヨーナスによって捕らえられているんです」
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