(11)


 ヨーナスの目的が明らかになった以上、ここから先はセオドア抜きに話すのも二度手間だ。

 そう考えたアレクサンダーは、ヴィルヘルミナが落ち着くのを見計らって、言った。

「ヴィリー。今なら詳しい居場所が分かるから、テディの元へ転移出来るな?」

「は、はい」

「話の続きはテディも揃ってからだ。俺はこれからホテルに戻る。今から半刻後に、君は転移術でテディのいる場所へ来てくれ」

 アレクサンダーが立ち上がると、ヴィルヘルミナも腰を上げて言って来る。

「今すぐアレクサンダー様を送ることも可能ですが……」

「それは駄目だ。俺が外出する姿は、使用人と警備兵に見られているから、帰る姿を見せないと不自然だ」

 アレクサンダーが首を振ると、ヴィルヘルミナも納得したようだ。彼女の肩を軽く叩き、アレクサンダーは微笑む。

「済まないが、テディに食わせられるような食事、それと服も頼む」

 言いながら、懐から金貨を数枚出してヴィルヘルミナに渡すと、彼女は大きく頷いた。


 そういう経緯で、アレクサンダーはホテルに戻って、アオイの部屋へと移動したのだが。

「俺の腹って、なんか呪いでもかかってるんですかね……?」

「………………」

 青白い顔で腹部を押さえて呻くセオドアに、アレクサンダーは汗を流した。

 ヴィルヘルミナは、約束通りの時間に転移術を使ってアオイの部屋に現れた。正確には、『アオイの部屋のベッドで横になっていた、セオドアの腹の上』である。

 ヴィルヘルミナはといえば、ベッド脇の椅子に腰かけ、肩を窄めて青褪めている。彼女の肩を叩き、アレクサンダーは言った。

「気にするな。俺もやった」

「気にして下さい……」

 幽鬼のような顔で突っ込んで来るセオドアだが、アレクサンダーには優先順位がある。

「テディの腹が、転移者を引き寄せる原因究明は後回しだ。これからどう動くかを決めよう」

「…………」

 ぴしりと言うアレクサンダーをセオドアは半眼でしばし見つめて来たが、やがて諦めたのか息を吐く。彼は身を起こして、ヴィルヘルミナが渡して来た食事を手に取った。

 セオドアが野菜と肉を挟んだパンを食べ始めると、アレクサンダーはベッドの端に腰かけて口火を切る。

「テディ。アオイの居場所を探るのは無理か?」

「かなり復調しましたので何度か試しましたが、出来ませんでした。恐らく、何らかの術で阻害されているのだと思います」

「そうか。――ヴィリー」

 予想していたのでそう落胆はせず――というか、少なからず落ち込みはしたが、セオドアに気を遣って顔には出さず、次はヴィルヘルミナに視線を向ける。メルヒオールが、『位置情報』で転移術を使っていたのを思い出しながら。

「俺は転移術を使えないから教えて欲しいんだが、魔力を辿らないとアオイの元へ行くのは無理なんだな?」

「そうですね。正確に言うと、私がテディをアオイ様の元に送れたのは、テディがアオイ様がいる座標を漠然とでも特定出来たからであって、基本的に転移術は『人』ではなく『場所』を目指して発動させるものです。アオイ様の魔力を辿って位置を把握しなければ、転移術で行くことは出来ません」

「ふむ」

 申し訳なさそうに言って来るヴィルヘルミナに、アレクサンダーは顎を撫でた。ヴィルヘルミナの回答は予想済だったとはいえ、これでは打つ手なしだ。

 少しの間考え込んで、思い至る。

「……召喚術」

「は?」

 セオドアが両目を瞬かせたので、身を乗り出す。

「転移術と召喚術は同じだと、以前に聞いた。どちらも空間移動という要素があり、原理は同じだからだが、それなら――名前が違うのは何故だ?」

 問うと、ヴィルヘルミナが静かに返して来た。アレクサンダーの思い付きを漠然と察したのか、青い瞳が僅かに煌めく。

「転移術は『送る』のに対し、召喚術は『喚ぶ』からです」

「その通り」

 アレクサンダーは頷き、指先を弾いて音を立てた。

「逆なんだ。それに、召喚術は喚ぶ対象の居場所は関係なく、つまり、対象がいる座標など知らなくても強制的に行使出来る。召喚に必要な『波長』と呼ばれているものが『魔力』に通じているのなら――」

「攫われたアオイを喚ぶってことですか? ですが……」

 アレクサンダーの台詞を引き継ぐセオドアだが、眉根を寄せる。先刻告げたばかりだと言わんばかりだが、アレクサンダーも分かっているので、セオドアに頷く。

「魔力を辿れない場所にいるアオイは無理だ。だが、ヨーナスはどうだ?」

「!」

 アレクサンダーの言葉に、セオドアが目を瞠った。

「アオイが囚われの身で、魔力――というか波長を辿れないように何らかの術を施されているとしても、ヨーナスも一切動かないとは限らない。ヨーナスはお尋ね者の身だ。例え協力者がいるとしても、ヨーナスが様々な作業をこなさなければならないだろう。一つの場所にずっと留まっているとは限らない」

「移動先の全てが、術をかけられているとも思えませんしね」

「その通り。ヨーナスの波長を探る必要はあるが、アオイの魔力を辿るよりは容易なはず。奴は太陽神ケツァルコアトルと契約した魔術士だからな。――どうだ?」

 アレクサンダーがにやりと笑うと、セオドアとヴィルヘルミナも頬を緩ませる。ヴィルヘルミナは、既に召喚獣との契約をしている魔術士であり、転移術を使えるのなら召喚術も言わずもがなだ。

 アオイ奪回作戦の方向性は決まったので、アレクサンダーは立ち上がってセオドアに問うた。

「身体の調子はどうだ?」

「大分良いです。体力は多少落ちてますが、十分戦えますよ」

 笑うセオドアにほっとし、アレクサンダーは腕を組んだ。

「よし。とりあえず……テディがずっとここにいると、いずれは見つかる。俺は退室するが、テディとヴィリーは転移術で宿屋に戻れ。情報取集をしたら俺から会いに行くから、それまで戦闘準備をしつつ待機だ。何かあっても俺も自由には動けない立場だから、独断では動かないように」

「はい!」

「承知いたしました」

 アレクサンダーの指示に、セオドアとヴィルヘルミナは大きく頷いた。


 通常の経路で自室に戻り、汗を浴室で流して着替えてから、昼食を摂りに食堂へ降りる。

 食事を終えて再度上階に上がると、アレクサンダーの部屋の前にイーヴォがいた。

「アレクサンダー様」

「進展はあったか」

 硬い表情と尖った声を返すと、イーヴォは流石に申し訳なさそうな顔をする。アレクサンダーとて無理難題をぶつけて虐めたい訳ではないが、優しい態度を取って図に乗られては困る。イーヴォにも、ヨーナスにも。アレクサンダーが甘く出来る人間には、限りがあるのだ。

 室内に招いてソファセットで向かい合って座ると、イーヴォは緊張を逃す為か大きく息を吐いてから、アレクサンダーを真っ直ぐに見る。

「……アレクサンダー様、この件は我が国の国王陛下も重く見ておられます」

「だろうな。俺の来訪は単なる観光ではないし、ルデノーデリア王国のみの問題でもない。穏便に事を運ぼうとしているのは、ザカリエル殿下の配慮であると言っても良い」

「は、はい……」

 アレクサンダーが眉根を寄せながら言うと、イーヴォは汗をかいた。それでも、続ける。

「ヨーナスがアオイ様をかどかわしたのは、そもそもヨーナスを捕えていなかったセパの責任でもあります。よって、この件は陛下の指揮下の元で調査されることとなりました」

「………………」

 イーヴォの顔色の悪さからして、先に続くのはアレクサンダーにとっていい話ではなさそうだ、と察した。それはイーヴォの所為ではないが、アレクサンダーは膝の上で組んでいる両の指先に力を込めた。


 翌日、アレクサンダーは宿屋に戻っているセオドアとヴィルヘルミナの元を訪れた。髪の色は勿論変え、尾行を警戒しつつだったが。

 ともあれ、二人はアレクサンダーを出迎え、しかしアレクサンダーの表情に何かを感じ取ったらしい。アレクサンダーに椅子を勧めて来たが、それをやんわりと断って、懐から革袋を取り出す。

「テディ。ヴィリーでもいいが、メルにこれを渡しておいてくれ。報酬なんだが、訪ねて直接手渡す時間がない」

「は、はい……」

 セオドアは訝しげに、しかし素直にアレクサンダーが差し出した袋を受け取り、そして問うて来る。

「……何かあったのですか?」

「撤退だ」

「は?」

 アレクサンダーが発した短い台詞に、セオドアも、ヴィルヘルミナも目を瞠る。

 彼らの視線を避けるように目を伏せ、アレクサンダーは続けた。

「アオイの拉致問題は、もはや俺の手を離れた。セパ国王陛下の権限の全てを駆使し、ヨーナスとの交渉の場を設けて、穏便な解決が図られる」

 マントの下で、アレクサンダーの手が拳を作り、鈍い音が漏れる。セオドアがそれを察して、僅かに表情を歪ませた。

「だが、それには俺のルデノーデリア王国への帰還が条件だ。国と国との交渉で決まったことだから、俺には逆らえない」

「しかし、ザカリエル様は――」

「ザックもこれを了承し、俺に撤退を命じた。ただし、ルデノーデリアで新たに人員を組んで派遣し、セパとの合同で調査に関わらせることを、ザックが了承させた。セパの要求は、この派遣員には決して俺を含めないこと」

 ヴィルヘルミナの声を遮って続けたが、今度はセオドアが口を挟んだ。

「どうして! だってアレクサンダー様は、アオイの――」

「俺が『執行人』だからだ!」

 アレクサンダーが吐き捨てるように言うと、セオドアが身を震わせて口を噤む。それを気遣う余裕も持てず、しかし何とか声を抑えて言った。

「アオイが俺の伴侶だからこそ、俺が正気を保てなかった場合の俺の――双頭の蛇アンフィスバエナの暴走、それによる被害を恐れている」

「………………」

 アレクサンダーが言い終えると、長い時間沈黙が降りる。

 目を閉じ、暗闇の中で静寂に耳を澄ませ、しかし再度目を開けた。顔を上げて、アレクサンダーをじっと見ているセオドアとヴィルヘルミナを見返す。

「俺はルデノーデリアへ帰る。だが、これで終わりじゃない。出来ることはまだある」

 言って、左右それぞれの手でセオドアとヴィルヘルミナの肩を掴んだ。

「ザックとこの国のやり取りの中に、俺の名前はあっても君達のことは一切出なかった。ここから先は、国同士の化かし合いだ。ザックがそうなるように誘導した」

 指先に力を込めると、碧と翠の瞳に光が戻る。それを見つめ、アレクサンダーは断言した。

「俺はこの国の目を欺き、すぐにここへ戻って来る。そしてアオイを救い出す。――力を貸してくれ」


 * * *


 かつて恩師の血が流れた床は、ステンドグラス越しの陽光に照らされ、汚れ一つ見受けられない。

 聖堂にいるのはアレクサンダーとベネディクト、それにザカリエルの三人で、奇しくも『あの日』の顔ぶれと同じだ。

 言い換えれば、アレクサンダーにとって信用出来る二人ということだが。

「お前の策は面白いんだが、それで上手く行くと思うか?」

 祭壇の上に腰かけて足を組むという、行儀が悪いどころか神の怒りに触れかねない姿勢で、笑って言ったのはザカリエルだ。白金の彼の髪は、色とりどりの光を受けて虹のように煌めいている。

 アレクサンダーの考えは無鉄砲かつ無謀だ。だが。

「アオイを守り、ヨーナスの目論見を阻止するには、これしかないだろう。――ベン」

 きっぱりと言うと、ベネディクトが唸る。しかし、アレクサンダーが無言で促すと、彼は諦めたように息を吐き、腰の剣を抜いた。

 曇り一つない刃が掲げられると、アレクサンダーはベネディクトに背を向ける形で膝を着き、顔を伏せる。急所である項を晒す形で。

「アレックス、後悔はしないな?」

「しない」

 それだけを言って口を閉じると、首筋に剣の刃が当てられる。

 そして、一瞬の躊躇の後、刃が勢いよく引かれた。



第三章:共鳴(終)

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