(幕間:2)
皇太子殿下直々に、とある人物の護衛を頼まれてしまったが、王城の敷地内にいる場合は常に張り付いていなくても良いらしい。
というよりも、ヴィルヘルムはセオドアが思っていたよりも重要人物らしく、セオドアと一緒にいない時はザカリエル殿下と共にいるとのことだ。
ヴィルヘルムの抜きん出た容姿のせいで、ザカリエルが何かに目覚めただの、実はヴィルヘルムは女性で、某国から亡命して来た王女だのと噂が立っており、更には、どうもザカリエルもヴィルヘルムもその噂を知っている様子だ。
それでも不敬罪だと噂の出所を調べ上げるよう命令が出ないのだから、普段口さがない連中とは精神的に距離を置いているセオドアでも、思うことが出て来る。
そんな時、ザカリエルからまた呼び出された。
「昼食を買って来い」
「は?」
書類にサインをしながら顔すら上げずにそう言って来たザカリエルに、セオドアは翠色の目を丸くした。
「恐れながら殿下、私ごときがそんな大任、お受け出来ません。ヴォルフ騎士団長にお任せになられては……?」
パシリじみた仕事が嫌な訳ではないよ? という表情を作りつつおずおずと告げると、ザカリエルは手を止めて顔を上げ、胡乱な視線を投げて来る。
「何言ってんだお前は。騎士団長にパシりをさせられんだろ」
パシりって認めやがった。――と汗を流したが、口答えした罪でセオドアを斬り捨てない辺り、何か理由があるらしい。尤も、色んな意味で『緩い』ザカリエルが、不敬罪で誰かを斬ったことはないが。
「街中の店に、怪しい点があるのでしょうか? 買い出しを装った調査でしたら……」
「似たようなものだが、ちょっと違う」
セオドアがなおも言い募ると、ザカリエルはゆっくりと立ち上がり、背後の窓に向き直ると、物憂げな息を吐いた。
「アレックスの友人が働いている、パン屋がある。そこで適当にパンを買って来い。手間賃として、お前の分も買っていいから」
「そのパン屋に、賊が匿われているのですか?」
「いや、そんなことはない。ただ……そこのパンが食いたいだけだ。ついでに、アレックスの友人の様子を覗って来い」
「………………」
ザカリエルには硝子越しでセオドアの表情が見えただろうが、半眼の呆れ顔には何も言われなかった。
ただ、ザカリエルは顔だけをセオドアに向け、真剣な面持ちでつけ足した。
「辛いのは買って来るなよ」
騎士の中では若年層に入るセオドアでも、次代の騎士団団長と目される程優秀なので、ザカリエルに余計なことは言わなかったが、彼の意図を正確に察した。
騎士団の制服ではなく平民服の方が良いかと思ったが、ザカリエルが言っていた『アレックスの友人』とは一度だけだが顔を合わせて自己紹介も済んでいるので、着替えて行くと逆に何かがあると悟られるかもしれない。
なので、ヴィルヘルムには一時不在になると伝言だけして、セオドアは昼より少し早い時間に王城の敷地から外に出た。
ルデノーデリア王国の中央に位置する王城から、パン屋のある区画まではそれなりに距離があるが、馬に乗って行ったので程なく第三地区に到着する。町の手前で馬繋場に馬を繋ぎ、徒歩でパン屋に向かった。
中央地区ではそう珍しくない騎士だが、逆に騎士の姿を見られるのは稀な区画なので、帯剣した騎士のセオドアが歩くと、ちらちらと視線が投げられる。その視線の持ち主が主に女性であることも、確認するまでもなく分かっている。
セオドアの出自や能力を知らない者でも、鮮やかなルビー色の髪とエメラルドの瞳を目に留めれば、即座に目を瞠って数秒程見つめて来る。なので、セオドア自身が物心ついた時から、己が人目を集める容姿だということは気付いていた。
そうやって育った者の常として、セオドアは自分の能力の方で評価されることを望み、かつ人よりもその意識が強い。そんなセオドアが尊敬しているのは、『執行人』であるアレクサンダー=ダクマルガ・ヴォルフだった。
十近い年の差があるので、彼の生い立ちは見て来た訳でも本人から聞いた訳でもない。が、騎士の家系に生まれた彼は剣術に優れ、『執行人』となってからは魔法の使い手として目覚ましい成長を見せ、少し前はこのルデノーデリア王国を救うという偉業を成し遂げた。
実際には召喚獣の魔法に晒されたルデノーデリア王国を守ったのは、ザカリエルの召喚獣『
とまれ、あの事件によりアレクサンダーはもっと早くに得られるべきだった賞賛と羨望をようやく受けられるようになり、セオドアはこっそりと鼻高々になっていたのだった。今頃彼の凄さに気付いたのかと。
そのアレクサンダーの『友人』が、今セオドアが向かっているパン屋で働いているという。記憶に間違いがなければ、『マツリ』という名の異世界人だ。
元々彼女は、アレクサンダーの伴侶として召喚されたと聞いているが、紆余曲折があったらしい――と聞くと、ドロドロとした恋愛戦争があったのかと連想してしまうが、そういう訳でもないらしい。
王城内の一室で開かれたパーティでは、アレクサンダーとマツリは和やかな関係に見えた。彼女より早くアレクサンダーと交流――顔を合わせたら挨拶する程度だが――のあったセオドアが、嫉妬する程に。
さておき。
目的のパン屋に到着し、ザカリエルの昼食の購入は勿論、セオドア自身の分はイートインスペースで食って行くか、と頭の中で考えながら扉を潜ると、混雑する前の時間を狙ったのが幸いして、客は数人しかいない。
焼きたてのパンが並んでいる棚を見つつ、『目標』をちらりと見ると、直ぐに見つかった。というか、焼き上がったばかりのパンが乗った鉄板を持って、陳列棚の前をてきぱきと動いている。女性には珍しい肩よりも短い茶髪とオーバーオールは、活発に動く彼女に良く似合っている。髪が散らないようにだろう、頭部に巻いているバンダナが愛らしかった。
タイミングもちょうど良いし自然に見えると考えて、彼女がパンを移し終えて鉄板をカウンターに置いたところで、話しかける。
「君、ちょっといいかな」
「はい?」
背後から話しかけたからだろうか、彼女は一瞬びくりと肩を震わせて、そっとこちらを覗う。が、セオドアの騎士団の制服と顔を確認してほっとした顔をした。そして、あっと目を瞠る。
「あの……テディさん、でしたっけ?」
「君はマツリだよな? 勘違いかと思ったが、やっぱりそうだ」
実は最初からマツリだと分かっていたが、この程度の嘘ならセオドアも顔色一つ変えずに出来る。
彼女が仕事中だということも鑑みて、セオドアは謝るように軽く首を傾けつつ、微笑と共に言った。
「忙しいのに邪魔して済まない。実は俺の昼食ついでに、上司の食うものも買いに来たんだ。お勧めがあれば教えてくれるか。俺は何でもいいが、上司は辛いものが苦手だ」
簡潔に言うと、マツリは目を細めて頷き、店内を案内してくれる。相手が騎士となれば、店主も文句は言わないだろう。
天気の良い日だったので、セオドアは外のテーブル席を借り、コーヒーと共にパンを頬張った。皿の横には、ザカリエル用のパンが入った紙袋がある。
足を組んで気楽な格好でパンを口に入れて行ったが、時折店の内部を覗ってマツリの様子を盗み見る。
ザカリエルがマツリを気にしているのは分かっているし、その理由もセオドアが考えるもので間違いないだろう。ザカリエルが知りたいのが『マツリの働きぶり』ではないこともお見通しだ。
恐らくこれから――連日ではないにしろ――セオドアはザカリエルに買い出しを頼まれるのだろうな、と思った。昼食代が浮くのは有難いが、正直面倒臭い。
マツリが開発したという見慣れぬパンに手を伸ばしたところで、店の扉が開いてマツリが店外に出て来る。彼女はセオドアと目が合うと微笑んで軽く会釈し、他の店との隙間のような路地の方へと入って行った。麻袋を抱えていたところを見ると、ゴミ出しなのだろう。
皿の上を空にすると、これ以上見るべきものはないし、そろそろ帰るかと口中のパンを飲み込み、コーヒーも飲み干して立ち上がる。食器は店員が片付けてくれるし、支払いも終わっている。紙袋を手に持ち、店の前から離れようとしたところで、ほとんど勘だったが不穏なものを感じて、セオドアはマツリが消えた路地へと足を向けた。
案の定と言うべきか、店の裏手に近付くにつれて、男女の声でやり取りが聞こえる。女性の声は勿論マツリだ。
「なんで僕の気持をわかってくれないんですか!」
「ですから、お気持ちは有難いですが、好きな人がいるので……」
「それは知ってますが、付き合ってみなきゃわからないこともあるでしょう?」
「あの、だから……」
彼らから見えないぎりぎりの場所で立ち止まり、嘆息する。
これは割り入っていいものかどうかと一瞬迷ったが、セオドアの着ている制服のおかげで、『職務』として堂々とマツリを助けられると思い至る。こういう場合、絡まれている側の知り合いとして口を出すと、ややこしいことになりかねない。こと、恋愛問題に関しては。
なので、セオドアは手に持っている紙袋を適当な場所に置いてから、歩を踏み出した。腰に下げている細身の剣を抜き、出来るだけ怖い顔をしながらこちらに背を向けている男の肩に剣先を添える。
「動くな」
「は?」
男がびくりを身動ぎをし、振り向こうとして頬に切っ先が僅かに刺さると、慌てて前を向く。男が青褪め、汗を流すのが見えた。細身のセオドアと比べても、華奢で気の弱そうな男だ。マツリに対しては気が強いようだが。
セオドアを見たマツリが、肩を窄めて一瞬泣きそうな顔をしたが、直ぐに表情を引き締める。気丈な女だ、とセオドアは顔に出さずに感嘆した。
とまれ、男には見えない位置でマツリに軽くウィンクしてから、低い声を発する。
「お前がここいらに出没すると言われている、連続婦女子誘拐事件の犯人か?」
「は? はい?」
身に覚えはないだろうから、当然男は訳が分からない、という声を出す。勿論、そんな事件は起こっていない。
「『はい』か『いいえ』で答えろ。お前が犯人か?」
「ち、違います!!」
早速指示とは違う答え方をされたが、そこには突っ込まず、一旦剣を引いて男が安堵の息を吐いた瞬間、剣先を背中の中央に軽く突き刺した。勿論衣服を貫いて肌を刺す力ではないが、一旦下がった男の両肩が、また持ち上がる。
「ひっ!」
「本当に犯人だったら、肯定する訳ないだろ」
「そ、そんな無茶な……っていうか、お前誰だよ!」
「え? あ、うん……」
突っ込まれて、今度はセオドアが汗を流す。マツリの表情に、僅かに呆れが含まれたように見えたが、セオドアは咳払いをしてから言った。
「私は我が国の誉れである王族、エメライト家直下の近衛騎士である。ザカリエル皇太子殿下の勅命により、新たに編成されたバルクロット騎士団の一員として、第三地区に潜む変態……じゃなく、連続殺人鬼を追う任に就いている。パトロールをしていたところ怪しい者を発見したので、こうして尋問をした次第だ」
「連続誘拐事件じゃ……?」
「誘拐後殺害されてるので、間違いではない」
今度はマツリが突っ込んで来たので、明後日の方向を見ながら言うと、セオドアの格好もあって男は信じたらしい。
「ぼ、僕はこの女性に交際を申し込んでいただけだ! 何度も店に行ってパンを買ってるのに、全然受けてくれなくて……」
「ちょっと待て。なんでパンを買うと交際をしてくれると思うんだ」
ぼそぼそと言い募る男に、セオドアが半眼になって返すと、
「結構お金使ったし……」
「この娘には一銭も入ってないだろーが。その理屈で言うなら、お前が交際を申し込むべき相手はパン屋の店主だ」
「店長なら今フリーですよ」
セオドアに続いてマツリが言うと、男は即座に叫び返す。
「あんな髭面のオッサンに、なんで僕が交際を申し込むんだよ!!」
「選り好みすんなよ」
「恋人は選り好みして当たり前だろ……!」
セオドアの台詞に男が声量を上げたところで、男の背中を突いていた剣を引いた。それからセオドアは素早く男の前に回り込み、今度は喉元に剣を突き付ける。
男が顔を仰け反らせて蒼白になったところで、目を細めて静かに告げる。
「わかってんじゃねぇか。この娘も選り好みして当然だ。選ぶ権利は、お前にしかないと思ってたか?」
「………………」
男がごくりと唾を飲んだところで、セオドアは剣を引いた。立場上、これ以上の脅しはこちらが不利になる。
「今後一切、この娘には関わるな。お前のことは念の為上に報告しておくから、何かあれば、お前が真っ先に疑われると思えよ」
「は、はい……」
男は明らかに安堵の表情になり、マツリを一瞬ちらりと見たが、それ以上は何も言わずに、そそくさと立ち去った。
声が届かない場所まで行ったと確信出来る程時間が経ってから、マツリが言って来た。
「あの……ありがとうございます。ごめんなさい」
「礼はともかく、謝ることはないだろ」
理解出来ずにセオドアが渋面になると、マツリは苦笑を見せる。
「……私が上手く断っていたら、テディさんの手を煩わせることもなかったし……」
「だったら、俺の手を煩わせたのは聞き分けが悪いあのバカだ。マツリが悪い訳じゃない」
セオドアが剣を鞘に納めながら言うと、マツリは一瞬だけ息を止めた。数秒セオドアをじっと見つめ、それにセオドアが気付くと僅かに顔を伏せる。
「でも……出来るだけ自分の対処だけで終わらせられる方が、良くありませんか? いつまでも、他の誰かの手を借りて生きる訳には……」
「んー、そういう考え方も間違いじゃないが……俺はあまり好きじゃないな」
セオドアが腕組みをしながら返すと、マツリがパッと顔を上げた。彼女の細い指先がオーバーオールを掴んでいるのをなんとなく見て、続ける。
「んなこと言ってたら、完璧な超人じゃないと認められないことになるじゃないか。どういう形の手助けかが違うだけで、誰だって大なり小なり助けられて生きてるんだ。だからその代わり、自分が出来る範囲で誰かを助ければいいだけの話だろう」
「………………」
「マツリは異世界人だって聞いてるけど、そういう考え方する奴ばかりの世界に住んでたのか? 人の故郷を悪く言いたくはないが、随分息苦しい世界なんだな」
最後は嘆息と共に思ったことを言うと、マツリは怒るかと思われたが、彼女は頬を染めて噴き出した。そして数秒笑った後、ぽつりと言った。
「うん、そう。……息苦しいところでした」
念の為マツリが店に戻るのに付き添い、店主に先刻の一件を伝えると、礼だといくつかのパンを貰ったので、ザカリエルの分のパンと共に抱えて馬繋場へと歩いた。
預けていた馬に乗って帰るだけなのだが、セオドアはわざと少し離れた場所にある適当な路地へと足を向ける。
ある程度進んだところで、セオドアは足を止めて振り向いた。そこには、先刻の男が佇んでいる。
何か用かと問うまでもなく、彼が手にしている短剣で用件を理解した。セオドアが言った『上に報告』を気にしたのだろう。はったりだったのだが、それを言うつもりはない。
しかし、今は両手にパンの入った紙袋を持ち、置ける場所は地面だけ。持ったままで剣を振るのはやり辛そうだ。
という訳で、セオドアは嘆息してから声を発した。
「
契約をしている召喚獣を呼ぶと、男の足元に翠に輝く魔法陣が現れる。男が目を瞠り、悲鳴じみた声を上げた。
「ま……魔術士だと!? 騎士じゃないのか!?」
「どっちでもある。今のところは」
魔術の使えない騎士だったとしても、男がセオドアに勝てる可能性はないのだが、それはさておき。
「色々と面倒臭い奴のようだから、しばらくは動けないようにさせて貰うぞ」
そう告げたのを切っ掛けに、魔法陣が光を放つ。男がナイフを取り落とし、震えながら問うて来た。
「お前、一体……」
「セオドア=ヴァレリア・コンスタンティン。覚えておけ……と言いたいところだが、どうせ忘れるから覚える必要はない」
セオドアの台詞に男がえ? という顔をしたが。
次の瞬間、魔法陣から生まれ出た複数の影が男に巻き付いたので、男の姿はすぐに見えなくなった。
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