(2)
『客』は、時間通りにやって来た。
アオイと共に館の玄関前で待っていると、町へと続く一本道を馬車が走って来、アレクサンダー達の前で停まる。一般市民の乗合馬車と変わらない質素なそれに、アオイが首を傾げた。
アレクサンダーがそれに敢えて反応せずにいると、御者の男が地面に降り立ち、馬車の扉を開ける。すると、中からは平民服を着た大柄な男が姿を現した。
一見黒に見える深い紺色の髪を持ったその男は、アレクサンダーの前に立って両手を腰に当て、胸を張る。そして、開口一番言った。
「もっと嬉しそうな顔をしろよ」
「これでも努力した」
アレクサンダーが渋面のままで言うと、アオイが汗を流し、しかしそこで気付いたらしい。アレクサンダーの前にいる男の瞳の色が、
「……ザックさん?」
「ああ。これはお忍びの変装だ。俺は
ザカリエルは笑いながら、肩にかかる髪を手で払う。その仕草にアオイは眦を下げてから、ザカリエルに続いて降り立った人物を見て、目を瞠った。
アレクサンダーも数秒以上、ザカリエルよりも彼を見つめてしまったが、初めて見る顔だったからではない。長身痩躯の細面、絹のような光沢を持つ黒髪の、女性と見紛う美貌を持った男だったからだ。
切れ長で鋭く、吸い込まれるような碧の瞳が褐色の肌の内に煌めくと、アレクサンダーとアオイを交互に見、そして片手を腹部にやって腰を折る。薄い唇からは、低く響く声が漏れた。
「お初にお目にかかります、『執行人』アレクサンダー=ダクマルガ・ヴォルフ様、アオイ・コガ様。私はヴィルヘルム・ホルン。以後お見知りおきを」
それに挨拶を返そうとアオイとアレクサンダーが口を開いたところで、ザカリエルが笑いながら口を挟む。
「先に言っておくが、そいつの本名は『ヴィルヘルミナ・ホルン』。つまり、男じゃなく女性だ」
「………………」
アレクサンダーとアオイが絶句したところで、ヴィルヘルム――ではなく、ヴィルヘルミナが咳払いを一つし、苦笑した。無表情だと冷徹に見えたというのに、今度は人懐っこく見える表情だ。
「色々と面倒事がありまして、親しい者以外には男で通しています。『ヴィリー』とお呼び下さい」
「あ、ああ……」
「よろしくお願いします、ヴィリーさん」
アレクサンダーも咳払いをし、アオイは微笑みながら手を差し出す。ヴィルヘルミナも微笑み、アオイの細い手をやんわりと握った。
『昼食の用意は不要』と手紙には書かれていたので、それに従いはしたものの、客であることには違いない。なので、先にアオイといた応接室とはまた別の、広めの接待室へと二人を案内すると、アレクサンダーはレイモンドに紅茶を出すように言った。
「お前に怒られない内に言っておくが」
「お前がそう言う時は、大抵早めに言っても怒る内容なんだ」
勧められたソファに深く腰掛け、長い足を組むザカリエルが発した台詞に、正面に腰を降ろしたアレクサンダーはむっつりと返す。
それにザカリエルは肩を揺らして笑い、隣に座るヴィルヘルミナに視線をやった。
「言っていた通り、お堅い男だろ?」
「あ、はい……」
困ったように苦笑するヴィルヘルミナに、アレクサンダーは大きな息を吐いた。その日の僅か数時間前に訪問を報せ、平民に変装をして来訪。随行者は騎士ではなく男装の女性一人。ここまで手の込んだことをしておいて、アレクサンダーを揶揄う為だけに来る訳がない。
「ザック、俺が本気で怒らない内に、さっさと話せ」
「今日から五日後にここを発って、アオイと二人で旅行に行って来い」
「………………。……何だって?」
アレクサンダーがそれだけを言うも、ザカリエルは懐から封筒を取り出す。
「船のチケットはこれ。最高級の客室を取った。部屋は二つ。先方には連絡済み。丁重な扱いをするように伝えてある」
「ザック」
「説明は今からする。先にこれを仕舞え」
アレクサンダーの呼びかけに対して真顔で返すザカリエルに、不承不承ながらアレクサンダーは封筒を手に取って、部屋の隅に控えているメイドに渡した。彼女が封筒をレイモンドに渡す為に廊下に消えると、アオイが緊張しているのを察して、彼女の肩を軽く叩く。
改めてザカリエルへ向き直ると、アレクサンダーは彼を見つめた。
ザカリエルは力を抜いた姿勢を崩さないまま、自身の唇を指先で撫でつつ、問いかけて来る。
「あと十分ほどで、マツリがここに来る」
「何?」
「俺がそう手配した。で、聞いておくが……お前達の旅行の件、マツリには黙っておくべきか? 話しても構わないか? それを今決めろ」
「おい……」
アレクサンダーが目を細め、怒声を上げようとしたところで、アオイが身を乗り出した。
「ということは、今から話す内容はマツリちゃんにも関係あることで、旅行の件以外は絶対に伝えなくてはならないってことですね?」
「その通りだ。聡明な奥方で羨ましい」
笑うザカリエルをひと睨みすると、アレクサンダーはアオイに一瞬だけ顔を向け、頷く。ザカリエルに問われたことは、相談するまでもない。既に三人の間で決められているからだ。
「マツリに話すのは構わない。だが、俺とアオイがいる場で言ってくれ」
「よし」
アレクサンダーが告げると、ザカリエルは満足げに頷いた。そして、それを狙ったように扉がノックされる。
応接室内に音もなく入って来たレイモンドは、アレクサンダーに言った。
「アレクサンダー様、お客様でございます」
「わかった」
頷き、アレクサンダーはさっと腰を上げた。
それなりに広いテーブルの上に所狭しと並べられたパンに、アレクサンダーとアオイは乾いた笑いを浮かべた。
「私が焼いたパンはこれとこれとこれ。アオイ君が絶対食べてね? 美味しいんだから」
「ああ、うん……ありがとう……」
ははは、と汗を流しながら笑うアオイに満面の笑みを浮かべているのはマツリで、男が着るようなオーバーオールを身に着け、長かったブラウンの髪を肩の辺りでバッサリと切ったりと、色々と様相が変わっている。
マツリからは、町中のパン屋で働き始めたとは聞いていた。配達も請け負っているから、遠慮なく注文してくれとも。
要するにザカリエルは、マツリの働く店に大量のパンを注文し、時間指定でアレクサンダーの館までマツリが運ぶように指定したのだろう。
「マツリ、俺へのお勧めはどれかな? 俺のことを考えながら捏ねたパンを教えてくれると、感無量なんだが」
「あ、適当にどうぞ。全部同じくらい美味しいので」
ザカリエルがきらりと歯を光らせながらマツリに問うも、マツリはにこりと笑ってそう返し、話があることを告げると、アレクサンダーとアオイに詰めさせ、アオイをアレクサンダーと挟む形でソファに腰を降ろした。
ザカリエルをあしらうマツリに思わず苦笑し、アレクサンダーがヴィルヘルミナをマツリに紹介したところで、ザカリエルが軽く嘆息して――マツリがつれないからだろう――口火を切った。
「少し長くなるから、食いながらでいいから聞いてくれ。――少し前、アレックスが討伐したルキウス・ツィアーノのことだ」
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